第九話 バイカ戦乱 (9)
シゴは人食いの化け物である。
今となっては外見も、人を食らった化け物である。
シゴの両手両足からは白い剣が生える。体のあちこちから骨が飛び出し、その身を鎧う。<骨の剣>も<骨の鎧>も、発動までに時間がかかる事以外は、実にシンプルな"スキル"である。文字通り、剣と鎧を己の骨で贖う。昆虫染みた外骨格の端々から、フリルがはみ出していた。リボンがはみ出していた。
傍から見たら、人を食らった化け物である。見た目におぞましい二本足の白い化け物が、体をたわめ、ばねの勢いで白金の少女に飛び掛った。
「愛・LOVE・遊!」
化け物の奇声。
チャカが指揮棒をさっと振り上げた。中空に開いた産道から、額に第三の眼窩を持つ、双剣を持った骨の剣士が産み出された。骨の剣士はシゴの弾丸軌道を阻み、死の舞を舞う。二つの曲刀で、四つの骨剣を防ぐ。鋼と骨、骨と鋼が打ち合わさる、硬い音が響いた。
少女が指揮棒を振り下ろした。
天井に開いた幽界への大穴から、憎悪を形にしたような、燃える巨大な顔が呼び出される。ねじくれた血の使者をチャカが振り下ろした僅かな間に、シゴは"骨"をばらばらに打ち砕いていた。砂と化しながら燃える"骨"。そんな"骨"ごと、がぶりと巨大な"顔"がシゴに喰らいつく。
「良いで御座る良いで御座る! もっとご褒美がほしいで汚JAL!」
頭から齧り付かれながら、シゴは身をくねらせる。"顔"が大顎を開け、更に噛み付いた。数秒の沈黙。響く此の世のものならざる悲鳴。"顔"の舌をシゴが切り取ったのだ。"顔"から切り離された舌はあっと言う間に真っ黒に炭化。燃える唾液に塗れながら、顔もまた炭の塊へと焼却された。
「こんなんじゃ、困難にもならないで汚JALな!」
汚液に燃やされながら、白のケダモノが大笑い。薄気味の悪い笑いだった。
無言で、チャカが短剣をシゴの足元に向ける。
体長が二十センチほどもある、真っ黒なイナゴの群れが地面から湧き出した。ブブブブブブと無数の蝗が羽ばたく不快な音が、館に響く。
「フヒヒ、最後はバッタで御座るか。佃煮にも出来なかったで汚JALよ、コイツは」
シゴは無造作に手足を振るった。触れる傍から両断されるイナゴ達。剣風の網を掻い潜ったイナゴ達の、真っ黒な顎がシゴの外骨格にギチギチと食い込む。露出した肌を無造作に食い破る。肉を破り、臓腑に潜り込もうとする。そんな蝗を無造作に穿り返しながら、鼻歌を歌う。白黒まだらの化け物の饗宴。赤の血潮はシゴのもの。青の血潮は蟲のもの。ビチャビチャと水音を立てて、シゴは進む。足に取り付いたバッタが、ブチュリと音を立ててひき潰された。無数のバッタは、見る見るうちに数を減らす。
最後の一匹が、シゴの骨剣によって両断された。シゴとチャカを遮るものは、もう無い。
絶対絶命の状況。そんな状況で、チャカはようやく口を開いた。
「うん、やっぱり、おかしいと思ったんだ」
声には哀れみ。視線には同情。
それがどうしたで汚JAL、と形の良い唇の動きを目で読んだ。耳が聞こえないことも、シゴは気にかけない。一歩、踏み出した。踏み出せなかった。口が動かなかった。
「サンゴ……じゃない、シゴ」
いかに外道、いかに非道、屑、滓、ストーカー、変人、変態、言葉を尽くしても言い表せない敵に対して、チャカは一抹の哀れみをかけた。
こんな奴でも、関わりがあった。チャカは末期の病人を見取る。
「どうしてそんなに躊躇無く自分を傷付けられるのか、疑問だったんだ」
ねじくれた血の使者が、震える両手、爪が剥がれ、まともに握れない手で、腰溜めに構えられた。
「シゴ、あなたがどうして私の痛みを理解できなかったのか、私は今の今まで理解しようとしなかった」
たかが爪をはがしただけで、チャカはこれだけ痛むのだ。まともに物を持つことすら、怪しい。
「ようやく理解した。シゴ、あなたは
――痛みが分からないんだ、自分の痛みが」
だから、シゴは他人の痛みも理解できない。
無痛症、というものがある。痛みが分からない。暑さが分からない。冷たさが分からない。体温の調節が出来ない。汗がかけない。原因は様々だ。遺伝によるものも有るし、後天的に事故か何かで痛覚を消失してしまう事もあるらしい。
チャカは、どうしてシゴがそうなったのか、あるいは、そうであるか。あちらが原因か、こちらが原因か、それは判らない。
「どれだけ私が勇気を振り絞っても、自分から――そんな怪我は出来なかった」
本気で殺し合いをするなら、チャカのような支援寄りの"死霊使い"は、骨を出し続けて、骨を折り続けて、泥沼の消耗戦に持ち込まなければ勝ち目が無かった。
チャカには出来なかった。
散々怒りを、闘志を、絶望を、悲しみを、様々な感情をもろもろにぶつけても、喚べたのはたったの三匹。
しかし、シゴは好きなように己の体を傷つけ、痛めつけた。チャカの目の前の男は傷だらけだ。しかも、自ら望んで傷つけた傷――
――だから、シゴは自滅した。
自分の痛みを管理できない死霊使いは、早々に自滅する。
己の体を動かすための力すら使い果たしたシゴが、何かしゃべったようにチャカは見えた。
「うん。ごめんね。何がどうあれ、許せないんだ」
チャカはボロボロと剥がれ落ちる骨の外骨格を纏った男の心臓に、しっかり狙いをつけて、走る。
館の灯りの作る影が、重なり合った。
時間にしたら十フレーム、魂が重力に引かれるまでの、わずかな時間の逡巡。
ただの"英雄"でも反応可能な致命的なタイムロスを、迷いは生んだ。
本当に、正義か――?
地上で間抜け面を晒しているあの二人組は、悪である。少なくとも、ナイトウにとっては悪である。彼らがこの世に生きる者たちの害であることは、明白である。
悪をやっつけることは、正義である。
よって――彼らを制圧することは正義である。
問題ない、躊躇するな、とナイトウの倫理は囁く。
戦士――"硬い"相手でもなく、修道者や死霊使い――"しぶとい"相手でもなく、暗殺者と、魔法使い――"やわい"相手が、たったの二人。この二人相手なら、今、ここで、ナイトウが<地獄の炎>をぶっぱなせば、ぶったおせるのは、間違いがない。容易に正義が完遂される。
問題ない、躊躇するな、とナイトウの論理は囁く。
大体、彼らを叩き潰しても、なんらかの救済があればピンピンと黄泉還る事だろう。
この世に顕現した"英雄"にとって、死は不可逆の現象ではない。
問題ない、躊躇するな、とナイトウの知識は囁く。
しかし、ナイトウは、彼らのあの世の肉体は生きている事を知っている。この世で支払った"代償"は、ダイレクトに彼らを損耗させる事を知っている。
あの世に生きる彼らを傷つけても――いや、場合によっては死なせるかも知れない行為を、行っても良いのか?
(や、奴らは悪だ。わるいことをしたら、相応のむくいがあるのが当然じゃねぇか)
ギリギリと噛み締めた歯が、ぶるぶるとナイトウの全身を震わせる。
(お、お前は人を助けたいんだろ、ナイトウ!)
彼らは、人を害した。その一点においては疑う余地もなく"悪"なのだ。
そこを疑うな、とナイトウの理性が囁いた。
それを疑えば、戦う事が出来なくなるぞ、と囁いた。
<影縛り>からの<雷>、この必殺の連携を避けられたのを確認した時、チュイオは総毛立った。
確かに理論上では、ハマッても、一フレーム単位でのさまざまな回避"スキル"の発動は不可能ではなかった。偶然にせよ、連打にせよ、ツールにせよ、抜ける事はままあった。
しかしそれも、かっての仕様だ。今の仕様では、無い。
今、可能かと問われたら、チュイオは首を振る。
痛みがある。痛みなど構う物かと言わんばかりに動ける奴らの方が、大雑把で、おかしいのだ。
冷静でいられない。画面を挟んだゲームとは訳が違う。比較的冷静に場を取り仕切れる"魔法使い"の立ち位置ですら、神経をすり減らす。繊細なチュイオには、まねが出来ぬ。一度絡め取られたら、諦めてしまうだろう。
だから、あいつは真性の馬鹿か猛者だ。そう、結論付けた。
上空、落下を開始したナイトウに、チュイオは照準を合わせる。<雷>か、それとも<氷の槍>か、はたまた<霜の投網>か、選択肢は多くない。
一秒。
「チュイ、あいつは升か!?」
「いや、違う」
――そんな便利なものが使えたら、もっとお手軽に蹂躙出来たろうが!
チュイオはアンパイの間抜けた言動に舌打ちを打った。交戦可能域までの極小の時間。重力は無慈悲な速度で、ナイトウを加速する。
二秒。
攻撃可能範囲に入ったと、チュイオは目視した。
――何故、撃ってこない? 撃ったら撃たれるからか?
確かに"スキル"を放った直後には、隙が生まれる。しかし、先に当てる事が出来ればリスクよりもリターンの方が大きい。こちらは二名。敵は一名。だから、確実な封殺を狙うなら、アンパイが仕掛けて、アンパイに仕掛けられた直後をチュイオが狙うのが定石。叩き込まれた、繰り返しの動作。
三秒。
「いつも通りだ、アンパイ!」
――じゃんけんでも何でも、後だしの方が有利なのだ。
更にナイトウは愚直に落下する。重力に絡み取られたナイトウが、時速百キロを超えた辺り。遂にアンパイも耐え切れなくなった。圧に耐え切れずにダガーを投げる。ナイトウの急所に吸い込まれるように投げ込まれた、投げ短剣は杖によって、火花を散らして全て撃ち落される。
「クSOAAAAA!!」
「馬鹿、狙いを散らせ!」
チュイオの警告は遅すぎた。正確無比に、馬鹿正直に、急所を狙った攻撃は急所さえ守れば良い。
――引き金を、引け。
ナイトウを例えるなら、戦闘爆撃機だ。
二十mmガトリング・ガンを備え、対戦車ミサイルを搭載し、燃料気化爆弾も撃つ事ができる。
火力だけなら、街一つ更地にすることも容易である。その気になれば、国一つひっくり返す事も可能だろう。
その力の本質が、暴力に寄り過ぎている。
(ぼ、暴力だけで正義になれるなら――オレはこんなに苦しまない)
――引き金を引いた。
「ォラアアアアアアアアアア!」
重力に引かれながら、ナイトウは己の"魂"を熱量に変換する。
堕ちるナイトウの、重力に引かれる速度が更に加速。
秒速六百五十九m、亡霊の最高速度――
――"十字"を挟んで男二人。
夏の癖に肌寒い、静謐、と言っても良い空気がしん、と張り詰めていた。
「賭けをしないか」
ムショが大上段に構えたまま、じり、と足をすり足で詰める。疲労は相当のものであった。予期せぬ奇襲に、変幻自在の攻防術。打たれた肩が痛む。殴られた顔が痛む。蹴られた足が痛む。回復薬など、飲む暇も無かった。
「何を……今更言い出すんだ」
涼しい顔をして、タイタンが油断無く盾を構える。実のところ、疲労はとうに限界を迎えていた。一撃の重さの差。盾、鎧の重量の差。鈍重な機動力を覆すための絶え間ない足裁き。的確に防いだ盾越しの打撃でも、左腕は痺れてまともに動かない。定石を外した結果がこれだ。道理を外さねば、対等に渡り合えなかった。
「俺がお前の技を盗めたら、俺の勝ち。お前は俺について来い……俺の秘蔵の片手剣も付けてやる。実戦級の強化済みだ」
「……冗談キツイぜ」
「俺がお前の技を盗めなかったら、俺の命をくれてやる。どうだ?」
「二度言わせるな、くそったれ。どっちもまっぴらごめんだ」
戯言の応酬。口こそ軽いが、両者の視線は鋭い。
一虚一実、全ての動作が虚で、実。罠にかけるか、かけられるか。タイタンもムショもお互い様だ。天秤はどちらに傾いでもおかしくはない。
盗めばムショの勝ちだろう。"唐竹割り"の威力なら、半端に防いでも真っ二つ。盗めねばタイタンの勝ちだろう。動作の起き上がりに、胴薙ぎ一閃、これもまた真っ二つだろう。
フゥ、とどちらかが息を吐いた。どちらが吐いたかは判らなかった。
動かなかった。
ぐらり、と挟んだ"十字"が斜めに傾いだ――
――動いた!
両者が挟んだ"十字"にめがけて、滑るように動き始めた。ムショは一直線に、タイタンは弧を描き。
「ッグァアアアアアア!」
道理を曲げる、気合を搾り出す。
ムショは飛ぶものを、飛ばず。低く、低く。
タイタンは出がかりを完全に潰すように、奔る。
「くぁああらたくぇ、わぁりぃぃいいい!」
大上段から、神速の一閃が、横薙ぎの一閃が、"十字"を挟むように奔る。
挟んだ、巨大な"十字"が両者の剣圧に、空に舞う。
"十字"はぐるぐると空に舞った後、程なくして、ずどぅん、と巨大な地響きを立てて、地面に堕ちた。
「俺の、勝ちだ」
その台詞は、どちらが言ったものか、どちらも判らなかった。