第八話 バイカ戦乱 (8)
――爆発した。
密封されたエントランスが、ばぁん、と言う爆音を伴った衝撃波に襲われた。床に転がった鍋が吹き飛ぶ。シゴがたたらを踏んだ。
入り口を、物理的な暴力で吹き飛ばした結果であった。
間髪置かず、熊のような体躯の大男が走り込んで来た。
ウラー、か、ウアー、か判らない掛け声と共に筋肉の塊が、横殴りに諸刃の斧を叩き付けた。ニ、三度床を爆ぜるように転がり、べちゃりと壁に蛙の様に叩きつけられるシゴ。更に追い討ちをかける筋肉の塊。
「アンタか! アンタが! アンタがやったんスか!」
怒りで毛が逆立ち、鬼の様な形相で斧を振るう、ヒゲダルマがそこに居た。
べちゃり、血の雨が降った。
「フヒッ、ヒヒヒッ、だったら、どうなんで御座るか? 拙者を許さないで御座るか? それもならそれで、結構毛だらけ猫灰だらけ、おサルのおケツはまっかっかの、お主のおてても真っ赤っかでござーるよ」
力任せに振られる斧に全身を滅多打ちにされながらも、物ともせず、余裕を持った口を聞くシゴ。目には妄想、放つ言には妄念、背負う気配は妄念が満ち満ちていた。
変わらぬ態度に怒るヒゲダルマ、脳天に一撃加えて黙らそうと、斧を高く振り上げた。
「拙者のトゥルーッリィ・ラヴが判らない醜いニクダルマも、ちみぃっと黙るで御座る」
散々、ぶん殴られて、とてもお子様にはお見せできない様な面を晒しながら、シゴはペッと血が混じった唾を吐いた。
「……大体創作の前にぃ」
文。とシゴは両手を振るった。吹き飛んだ血管同士が蛇のように伸び、ぐるぐると編み合わされ、網となり、ヒゲダルマの体を縛った。
異形。
「道徳や恥や」
描と言う風斬り音。見る間に傷口が塞がっていく様は、時計の逆回しを見ている様である。フリルをふんだんにあしらった服の破れ目からチラチラと覗く肌は、うすらと桃色の薄皮が張る。張るついでに、筋張った肉がギチギチと膨れ上がる。
既にシゴは、人の形を成していなかった。
「道理や常識や」
画と、天を仰ぐ。シゴの指から、腕から、足から、ミチミチと肉を食い破り、骨が姿をあらわした。骨から伝わる気が違うほどの痛みは、既に気が違っている者には、まったく意味が無い。
両手両足から飛び出す、白い剣が、人の様で人でない、奇妙なシルエットを生み出す。
「――正気は、不要で御座るゥッ!」
お互い吐息を感じる距離で、シゴは勝利を確信した。瘴気を振るった。正気をふるい落とした。ああ、後は勝機を得るだけだ。
その様、二足歩行をする白い怪物。
シゴとヒゲ、距離は零。
肌を突き破り露出した<骨の剣>が、両手両足を凶器と化したシゴが、血管の網に囚われた、目の前の鬼を優しく抱擁した。
白い刀身は、己のものか相手のものか判らぬ赤で塗れながら、妖しく輝く。
怒れる鬼の、言葉にならない吠え声。
拘束から脱しようと足掻くヒゲダルマを、シゴはたっぷりと抱きしめ続ける。
暴れれば暴れるほど、ヒゲダルマに<骨の剣>は激しく食い込む。
館が吠え声でビリビリと軋む――痛みの咆哮ではない。凶行と、妄言を吐き出し続ける、目の前のモンスターに対しての怒りだ、そう、チャカは確信した。
ヒゲダルマが斧を取り落とした。フヒヒ、とシゴが哂う。
許さない、とヒゲダルマは言った。敵意を最後まで失わない声であった。抱擁が解かれた。膝付き、がくりと両手を付く、それでも歯を食いしばり、シゴを睨み続ける。
首を九十度傾けて、縦の配置の目玉でシゴはチャカとヒゲダルマを見下ろした。右手左手の
凶器と化した手で頭と顎を掻きながら、これまた凶器と化した足を高く高く振り上げて。
「さぁ、チャカたん、しかとメンタマかっぽじって焼き付けたでござるか? 拙者の最高にCOOLな姿、全てをネタにするで汚JA――」
「――黙れ」
「フォグッ!?」
<口封じの呪い>。
チャカはこれ以上シゴの妄言を聞く気も無かった。振り上げた足を下ろさせるつもりも無かった。
「何が、私のためだよ」
これから更に、目玉をほじくり返すつもりも、されるつもりも毛頭無い。
「全部自分の自己満足の為じゃない、何が正気が不要だよ。勝手に人の作風決め付けて、勝手に妄想して、ズリネタに満足できないから私にちょっかいを掛ける。挙句の果てには――」
転がった鉄鍋を見て、チャカは唇をかんだ。
――名前を知らなかった。
名前を知らぬからこそ、チャカは冷静で居れた。そんな冷静な自分を、クズだと思った。
あれだけ世話になって、名前も知らなかった無関心な自分を、死に慣れた自分を、ハッピーエンドを、と、聞こえの良いことをほざいた自分を、無責任にナイトウを送り出した自分を、じゃあ見ず知らずの他の誰かが生贄になっても良かったのか、と無意味に悩む自分を。受動的に動く自分を、主体的に動けぬ自分を。
そして。
シゴの妄言に、一定の共感を得てしまった自分を。
「……くず。死んじゃえ」
純粋に、他人を想って怒れるヒゲダルマを、タイタンを、ナイトウを、心底羨ましいと思った。身を切る労を惜しまぬ彼らを、心底嫉ましく想った。
そして、そんな仲間の一人を、何の躊躇も無く時間稼ぎの壁に使い倒した。戦う準備をする為にヒゲダルマを差し出した。仮面の下のこんな、ひとでなしな、クズな自分を――
――心底嫌悪した。
少女は立ち上がる。床を掻き毟った両手の爪は剥がれ、それでも足りぬと何度も短刀を突き刺して。嫌悪したからこそ。変わろうと思ったからこそ。
「だから、だからこそ。私は、私は――――――死んじゃえ」
「オッホォー、ご褒美で御座る」
がくがくと腰を振りながら、二足歩行の生っちょろい化け物が、歓喜の声を上げた。
実に、実に彼好みであった。彼好みの少女が、彼好みの苦悩の表情を浮かべ、それでも、それでも立ち向かってくる。
実に、シゴの好みであった。
「タマランキュウで御座るよ!」
「黙れ、黙れ黙れ黙れ! 今すぐその汚い口を閉じろ! 舌噛み切って死んじゃえばいい!」
ぞわぞわぞわと、骨の戦士が。亡霊が。全てを食い尽くす蝗が。エントランスホールに開いた黒い穴からぞわぞわぞわと這い出し始める。
目を爛々と光らせたシゴが、バネの様に体を縮ませた後に、飛び掛かる。
――爆発した。
爆発して、燃え広がる赤い炎。
建物を嘗め尽くす、赤は全く熱い。雨で燃え尽きぬ火は、バイカ南部を覆いつつあった。
赤い街を縦横無尽に駆け抜ける、影三つ。
脳裏に煌く光点を頼りに、ナイトウは駆ける。致死の運命を跳ね除けようと、駆ける。
――また一つ、消えた。
「あ、あああああああああ!」
燃える。燃える。燃える。手が足りない。足が足りない。ナイトウ一人が幾ら踏ん張っても、ポロポロと、ボロボロと零れ落ちる。
――足りない。力が足りない。炎だけでは足りない。燃やすだけでは足りない。助ける為の力が足りない。燃えるだけでは、全くの無意味。
「ち、ちくしょおおおおおお!」
ナイトウの目の前で、背中で、右手で、左手で、砂時計の砂が零れ落ちる。引っくり返しても戻らぬ砂が零れ落ちる。
――ちくしょう。何が"スキル"だ。何が"奇跡"だ。
「<影縫い>当たREEEE!」
そんな一分一秒を争う時に、死角からナイトウに向かって、何本も実体を持った殺意が投げつけられる。
――何、考えてやがるんだ。
敵数、二。上空背後から付けねらう輩と、行く先々の影に潜む輩。
ナイトウの邪魔をする奴らが居る。
「う、うぜえ!」
死線と呼ぶべきそれは、見てかわすのでは既に遅い。感じてからでも遅い。
読んでかわせねば、刺さる。頭を上に、体を空に、螺旋と弧を描く軌道で疾駆する。視界が捩れ、天が地に、地が天に――廻る。
線が、ナイトウが在った箇所を紙一重遅れて切り裂いた。
影の中から奇声を上げて更に数本、アンパイは手持ちの投げナイフを投げ続けた。地面から虚空へと放たれた害意は、一度ははずれるも、緩やかな弧を描き、また地面に刺さる。狙い過たず、ナイトウの影に刺さる。
<影縫い>は、影を縛る。縛られた者は、実体を縛られる。
どういう理屈かは判らないが、"スキル"はそういうものだ。
過程や理論を知らずとも、生み出す結果は激烈。空中で急制動をかけられたナイトウは、慣性のままに地面を転がる。顔をかばう事すら許されず、むき出しの頬をざらめの砂が摩り下ろす。
チュイオが追いつく。まだ焼け残っている屋根の上に降り立ち、杖の先を無防備な背中に向け、<雷>を三つ。杖の先から空気の抵抗を焼き切り、稲光が迸る。猛烈な閃光と音量。アンパイもその場に向けて、更に三連、<影縫い>。電光石化の速度で突き刺さる短剣と、雷。
きなくさい、鼻の奥を刺激するようなオゾン臭と、濛々とした煙が周囲に立ち込める。
「連携TUEEEEEE!」
「……殺ったか?」
<影縫い>で足を止めて<雷>へ繋げる。繋がったなら交互に刺し込み続ける。鉄板のはずだ。彼らの経験では、今までならば、まず間違いなく炭化した屍が残る。反応が六十分の一秒でも遅れたなら、即死するはずである。
まず、人の反応できる速度ではない。
そんな、黒焦げの影が――無い!
「上だ! アンパイッ!」
――そうだ、強い。彼らは間違いなく強い。
初撃を単なる遠距離攻撃と勘違いしたナイトウは、裏に潜む真意など、頭の片隅にも入れてなかった。二段構えの一動作をかわした程度で、油断したのだ。
そんな、当たった瞬間の致命的な隙を見逃さず、大技ではなく、徹底的に出の速い、捕獲範囲の広い"スキル"を重ねて連撃を掛ける、実に基本に忠実、無駄のない殺傷までの筋書きである。
(や、奴らが強い事なんて、端ッから判ってたじゃないか)
誰が言ったか知らないが、ディープファンタジーの対人戦闘は、相手を殺すイメージを持って二流。自分が死ぬイメージを持てて一流、と呼ばれる。
そして、ナイトウは――その他諸々の事はさて置き、ことディープファンタジーの腕前に関しては超一流である、昔も、今も。
特に、こちらに来てからの実戦、修羅場の量は、誰よりも多い。
失った物も、誰よりも大きい。
奪われる方法が判れば、既に半ば人ならざる身となったナイトウにとって、対処は、不可能と呼べるものでもない。
足が止まれば、直後に致命的な打撃が飛んでくるのは判りきっている。
<影縫い>で縛られ地面に頬を削られた直後<高速飛行>を発動。
硬直からの回復と同時に強引に上空へと転移。
見ているもの目に残像を残す、転移と呼ぶのが相応しい速度で飛び上がり、致命的な<雷>からの回避を行う。
実に、丁度六百分の一秒の出来事であった。
この手の少数戦闘は突き詰めると、単純である。
自分のミスを無くし、相手のミスを誘い、より隙が少ない技で、削り勝つ。相手の人数が増えれば増えるほど、不利になるのは当然だが。
――今は、絶好の好機。
間抜け面を晒している、敵の脳天に向けて、ナイトウは空から照準する。
(い、今なら、奴らのケツの毛まで毟れる。殺って……やれない事はねぇ)
ナイトウの荒ぶった脳を、ぬるい夜風が醒ました。
(ひ、人を助ける為に、人を殺すのか?)
――それは、正義か?
オレは――正義か?
迷っている暇など無いのに、手が止まる。ナイトウの脳も、止まる。
天空高く、答えなど出ぬ問いに、ナイトウは今度こそ致命的な硬直を晒す。
ガツゥン、と、鋼が鋼を叩く音が響く。金属同士が打ち合わされる火花が、キラキラと夜闇に栄える。
ムショとタイタン、二人の超人の死闘も佳境を迎えていた。
寄ったと思えばすぐ離れ、離れたと思えば猛進し、刀剣の間合いを無視した取っ組み合いの間合い。盾を蹴って、ムショが詰った間合いを離そうにも、上手くいなされる。逆に肘を入れられる始末。変幻自在に間合いを支配しているのは、今やタイタンの方であった。
「やるなぁ、ドンガメ……いや、タイタン」
心底楽しそうに、ムショは笑う。
楽しいのだ。力を得て、振るう機会がさっぱり無かった。徒党を組んだ"英雄"に仕掛けることは、身内で禁じられていた。明言されてはいなかったが、暗に止めておけ、と言う話になっていた。
そうなると、一対一でしかウサは晴らせない。一対一では、ムショが負ける道理はほぼ無かった。
つまり、つまらぬのだ。
勝つか負けるか、最後まで判らぬ辻勝負。ここ一月辺り、そういうものがほぼ、無かったのだ。
強引に突き放し。"十字"を挟んで一旦、息を整える。盾を持たぬムショが、"十字"を遮蔽代わりに使う事を思いつくまで、大して時間は掛からなかった。
「ッリャアアアアアア!」
音だけで鉄が切断できるような、気合の入った声。激流の様に"十字"の存在を無視して撃ちかかってくる金髪の剣士。
斜めから振り下ろされる魔剣に乗せられた"スキル"は一体何なのか、動作だけではムショは判断が付かない。何度も何度もフェイントを掛けられたのだ。ムショが未だ到達せぬ高みに上っている相手である事に、興奮した。
無論、ムショとてただやられるままに任せていた訳でもない。
体は興奮に疼くが、脳は凪いだ様に平静に。
動作を見るのではなく、観るのだ。五感全てを働かせ、見て、嗅いで、聞いて、感じて、読んで。
来る!!
「業ァ!」
ギリギリまで引き付けて、吼える。<咆哮>する。大音声の気合一発、タイタンをよろめかせる。出来た隙に、問いかけ一つ。
「随分と面白い技を使う、どうやるんだ?」
「道理を曲げれば不可能じゃねぇ!」
取っておきの隙を問いかけに使ったムショに、思わず答えるタイタン。
全く、人と争うのはとても楽しい事である。新たな業のヒントを得た以上、ムショも当然、返さねばならぬ。
恐らく、こうだろう、という推測の元。
ムショは上段に構える。
己の必殺の一撃を、以前は邪魔された、真っ二つに叩ききる"唐竹割り"を準備する――
にやり、とムショが笑う。
同様に、タイタンも笑った。