第五話 バイカ戦乱 (5)
上から叩きつけるように降る雨と、側溝から溢れ出す汚ない水。上から叩きつけられた火矢で燃える家と、そこかしこから響く悲鳴。堅く閉じられた市門と、堅く積み上げられた市壁がきしみを上げる音。
そこに加えて嵐が吹き荒れる。人ならざる者に拠って生み出された嵐、いや、これは竜巻か、寄れば身を切る極寒の刃。近寄ろうにもあまりの暴風、誰もが寄れぬ風圧が、幸いにもバイカ側の死傷者を減らしていた。気持ち程度だが。
それでも市壁に梯子をかけて、上る兵達を適当に、文字通り蹴散らした後、ぽぉんと壁から飛び降りたアンパイは市門へと向かう。巨大な扉には、三本の太い閂が差し込まれ、外側からはびくとも――いや、歪みが見て取れた。脳筋がぶん殴ったからであろう。
「まぁ、元々、脳筋五十人がかりで破ったモンだし、こんなモノだろうなぁ」
巨大な錠前が三つ、血まみれの鍵が三つ。アンパイは適当に鍵が合うまでガリガリと突っ込む。
ガチリ、と錠前が開いた後に、閂を引っ張る。びくともしない。油が差されていないのか、それとも一人で引っこ抜くモノでもないのか――恐らく、後者の理由と、脳筋がぶん殴ったせいで、歪んだからだろう。全く、脳筋のせいだ。
「――ヌゥHッフウUゥウ」
気合込めて、根性込めて、引っこ抜くように、引っ張る。アンパイの足が地面にめり込んだ。
ギシリ、太い鋼の閂と、鉄枠でがっしりと補強された門とのすれる音。
ギチリ、ギシリ、歪みのせいでスムーズに引きぬけない。
ギシリ、ギシリ、ギチリ、歪んだ箇所は力技で引き抜く。
「フンヌゥォ!」
ゴイン。これを、三回。アンパイは脳筋のせいだと確信する。一発にしておけば良かったのに、二発打ち込みやがった脳筋が悪い。必要以上に歪んでやがる。
閂を引き抜いた後、苛立ち紛れにアンパイは門を蹴り飛ばして、叫ぶ。
「ムォオオオオオオOOOOOOON!!」
外側からの圧にはめっぽう強い門は、内側からの圧には実にスムーズに開く。
蹴り飛ばされ、普段の五倍の勢いで開いた門は、門前で待ちぼうけを食らっていたムショの顔面を強打した。グヌォ、と言う悲痛な声が聞こえる。自然とアンパイの口元に笑みが浮かぶ。
「……アンパイ、言いたい事はそれだけか」
「いや、やっぱりお約束はやらなきゃいけないと思ったかんね?」
鼻を押さえて怒りに震えるムショと、かっての、市門破りのお約束をしれっと済まし、ニヤニヤ笑うアンパイと、それをみてゲラゲラと笑うシゴ。
――やっぱり、こうでなくては始まらない。たとえ、この世がどうであろうと、僕らは僕らのままなのだ。
アンパイはニヤニヤ笑ったままに。
「行こう、百殺は取るぜぇええええええ」
「拙者、二百は堅いで御座る」
「フン、千取る勢いで突っ込めば、取れるモノよ」
彼らは駆け出す。
実にあっさりと開いた門に、これでよいものかと、多少戸惑いを見せながらも、砂狐達も駆け出す。
高所に陣取ったチュイオが放った、<氷の嵐>は既に吹き止み、雨は、雪へと変わっていた――
「こりゃあ、雪か……?」
向日葵街の端の際、一本通りを跨いだ所、虹の橋亭の店主は空を見上げて呟いた。半月ほど前のごたごたで、此方の街区は少々焼けた。一番汚ねぇ向日葵の、真ん中の部分が焼けおちて、多少ここらも具合が良くなるかと思った矢先。極めつけの異常事態と、異常気象。
真夏に雪が降るなど、ありえない事が起きる時は、大抵碌なことが無い。
「っと、ヤバイヤバイ。命有っての物種とはよく言うが」
段々と近づく騒動に、カネと金目のモノと、酒。取っておきの一品を背嚢に纏め、すたこらさっさと通りに飛び出す。もう既に目端の聡い奴らは駆け出している。遅れたらここも呑まれる事だろう。
"協定"はお題目。抵抗しなけりゃ、命まで取らぬ。しかして、身包み剥がれたら、これからどう生きれば良い?
そんな目に会いたくなけりゃ、兎に角逃げろ。
「どこへ逃げればいいか、誰も判っちゃいねぇけどもなぁ」
店主が逃げる逆向きへ、完全武装の兵達が走って向かう。
一方、城門から勢い良く飛び出した、クオン第五騎士団、大車騎士団。
バイカのメインストリートとも呼べる、"大路"を進む先遣隊、"壱の車輪"は、本来ならば一番槍を務める役割を担っているはずであった。
しかし、亀の歩み、そう評して良いほどに、クオン市壁南正門への道程は遅々として進まぬ。
あまりに進みが悪い。
「糞がっ!」
"壱の車輪"の騎士の一人が、面頬を上げ、狭い視界を少しでも広く取った。上げた途端、雨粒がじゃぁ、と顔に当たる不快感。
しかし、それ以上に不愉快なのは、真っ赤に燃える市街は見えるのに、距離はさほど離れていないのに、馬の足が止まってしまった事だ。
家を焼け出された者達、戦を避けようと飛び出した者達の北進に、彼らの南進は阻まれる。"敵"の姿が見える前に、本来ならば守るべき市民の多くが"大路"を使って北へ向かう為に起きた悲劇でもある。
声に驚いた訳でもなかろうが、騎士達の前でずべり、と子供が転ぶ。泥まみれになった子を、母親が腕を引っこ抜く勢いで立ち上がらせ、走らせる。背中に背負った荷物は山のように。雨音以上に泣く子供。
「退け、退けッ!」
騎士達の騎乗する軍馬も、人の流れに目を奪われる。首と目がきょろきょろと動くのが判る。大声でがなりたてながら、"壱の車輪"達は、遅々とした歩みを進めた。
ある一点――丁度、十字広場を越えた辺りから、急速に空気が変わる。
降る雨が雪に変わった、燃える家が格段に増えた。急ごしらえのバリケードを組んで、機械弓で矢を射掛ける兵士が見えた。その首と胴が生き別れるのが見えた。何故生き別れたかは、見えなかった。よく見たら、最後の一人であった。
全て屍。雪が赤く染まっていた。
その先、道のど真ん中に立つのは、三匹の悪魔。
距離にして、約百メートル。大車騎士達から見れば、豆粒のような大きさだった。
細かい顔の表情が見える距離ではないはずである。
が、哂った。悪魔が哂うのが見えた。口角吊り上げて、にやりと嘲笑を浮かべるのが見えた。
"壱の車輪"の騎士達の、頭に血が上がる。
たった三人で、二百を超えるこの大車に喧嘩を売ろうというのか。
「いいだろう、後に何人控えているかは知らぬが、全て蹴散らしてくれる……」
薄く雪が降り積もり、馬の足は、異常な冷気に凍てついている。ヒヒィン、と軍馬が嘶きを上げた。怯えを含む、抗議の鳴き声。訓練されても、動物。野生の勘がひしひしと警告を告げる。
――アレは寄ってはならないモノだ、と。
構うものか、と旗持ちの大車騎士が叫んだ。
「突貫!」
両足で馬の腹を強く挟む。普段なら一度で駆け始める彼らの愛馬が、ニ、三歩進んで、足を止める。
馬が、ぶるぶると怯えを露わにしていた。
「突ッ、貫ッ!」
もう一度、強く馬の腹を足で挟み、騎乗者の意思を強く伝える。並足、だく足、馬も踏ん切りが付いたのか、駆け足と、序々に速度を乗せる。最高速。
そこまで行けば、金属鎧が立てるけたたましい音が、凍てつく地面を割る、重い人馬の疾走音が、二百の人馬、合わせて四百の生き物が立てる命のきらめきが響き渡る。
道一杯に広がった重装騎士達の馬上槍の穂先は、少々下向きに。
当たる直前に跳ね上げる、当たらずとも、掠めるだけで、ぐずぐずの西瓜になるだろう。そう、今引っ掛けた、露天の西瓜のように。
西瓜。いや、西瓜なのだ。目の前を疾走している騎士達の、首から上がすっぽりと消えうせているのは、気のせいだ。黒い影が通り抜けたのは、気のせいだ。首から下の感覚が無いのも、気のせいだ。
声を張り上げる。
「突貫! 突貫! 突っ……」
「……幾ら何でも、遊ばな過ぎじゃないで御座るか?」
大根を電動スライサーにかけたように、人を切り続けた男達を見ながら、不満たらたらに、シゴが言った。
小指がぷらぷらと揺れている。自ら折ったのだ。折って、発動したのは<腐れ落ちる水>。地面にだらだら、ドロドロとたれ落ちる謎の粘液が、じゅうじゅうと白煙を上げている。足元には引っ掛けられた馬と、騎士だった液体が何人分か。
「超よええええEEEEEE!!」
「あまりにも斬り応えが無かったからな。むしろ、お前の取り分が有ったのが驚きだ」
雄叫びを上げ続けるアンパイと、厭きれた様に言い放つムショを尻目に、シゴは折れた指にふぅふぅと息を吹きかける。
「そうじゃなくても、もう少し回して欲しかったで御座るよ……」
たわ言であるが、こんな時でも、数は気になる。シゴも戦績が気になる。
「シゴ、お前が気になるチャ……茶葉単だか何だかは、居たら譲ってやる。それで諦めろ」
「……拙者の愛はそんなモンではござらんよぉぉお」
地団太を踏むシゴに、興味なさげに、太刀を一振りして納刀するムショ。一通り雄叫びを上げ終わったアンパイは、顔の半分を引きつらせ、残り半分は平静に。
「まぁ、先に進もうじゃないの。僕ぁもう、コレが堪らなく快感でさぁ」
ゆっくりと進む、修羅達。
後で遠巻きに見つめる砂狐の兵士達は、あまりの惨劇を見て、呆然とした。
とんとん。肩を叩かれる。
「ほぅら、手前らの戦争だ。いつまでもボケッとしてるんじゃねぇぞ」
「お、おあ、ああ」
漆黒の猟犬が立っていた。
「ほうれ、走れっ! 遅れるんじゃねぇぞ!」
ガンッ、とゼロが地面を蹴り立てる。ぐらり、と地が揺れる。横にも修羅が。
おおおおおおおおお。どよめきが、広がる。
「ガンガン行けやぁ! 手前らの戦争だろうがよぉ!」
ガカッ、と稲光が、地から天へと立ち上った。後にも修羅が。
おおおおああああああああああああ!!
半ばやけくそ気味に、大声を上げながら、砂狐達が奔る。
修羅達は砂狐の群れに飲まれて、姿を消す――
どんどんどん、がしゃがしゃがしゃ。
門扉にこぶしが叩きつけられた。
たすけてー! たすけてー! という声が響いた。ぎゃー。と言う悲鳴も響いた。平仮名で書くと、非常に間が抜けているが、そうとしか表現しようが無い声であった。必死の声であった。
人が人で無くなる、人が獣に変わる声と言うのは、こういうものなんだろう。
少なくともチャカにはそう聞こえた。ナイトウもきっとそうだ、と信じたい。
チャカは下女を見た。中年の下女は首を振った。館のエントランスに集まった者、全てが首を振った。各々手に棒切れやら、頭に鍋やら、バケツやらを被っている者達が大半だ。
チャカは、彼らが首を振る理由も判る。道で何がおきているかも、判る。その程度の想像力は失っていない。
「ナイトウ」
「だ、駄目だ」
「それでも」
「だ、駄目っつたら、駄目だ」
真っ当な人間だったら、耳を塞ごうが聞こえてくる悲鳴や混乱の声を聞くと、何とかしてやりたいと思うだろう。しかも、自分が解決する能力を持っていたら、尚更。
「オ、オレは、一ミリたりとも、ここで危険な橋を渡らせる気は、ねぇべ」
つい先ほどまでは流暢に回っていた口が、貝のように閉じた。目は据わり、入り口を、門扉を、道と館を繋げる場所をじぃっと見据えて、拒絶の言葉を吐いた。
ぎゃー。
また、声が聞こえた。ビクリ、と周囲の人間達が震えた。
チャカの心臓が、ビクリと震えた。
「だ、駄目だ」
目の前の男が、ビクリと震えた。
「ぜ、絶対に、絶対に駄目だ」
ぎりぎりと食いしばる歯が見えた。
「べ、便所にいって来る。すぐ戻る」
ぐるり、とナイトウが背を向け、裏口の方へ向かうのをチャカは見た。
カノの館も、厠は館の外にある。外にあるから、外の音が良く通る。雨の音、風の音、人の声。人よりはるかに性能の良い"英雄"の体は、それらを全て聞き分ける。
――ナイトウは、厠の扉を閉めた。
「絶対に、駄目なんだよなぁ……」
今やらねばならぬ事は――あいつらを、無事に帰す事だ。
ナイトウはそう思う。そう考える。
"スキル"は"魂"を燃やして顕現する、奇跡だ。己自身の魂でなら幾らでも払おう。いわゆる自己責任、損をしようが何しようが、自分一人が痛い目を見るだけだ。
ナイトウは既に死んだ身、だが、彼らは違う。まだ希望がある。
今のナイトウを支えるのはその思いだ。その為に、あいつらの身を危険に晒す訳には行かない。争いごとに巻き込まれて、危機を脱する為に"スキル"を使わせたら――タイタンやヒゲや、チャカ達の魂が削れるのは、ナイトウの納得がいかぬ。
納得いかぬから、巻き込ませる訳には行かぬ。
だからといって、この声、この音、この惨状、目の前の状況に、己も一緒に顔を背けて引きこもる。それで良いのか? 良いと己を許せるか?
その答えは、否だ。
ずっと前から変わっちゃ居ない。
ナイトウにとっての"悪"は、"理不尽"だ。
道理の通らぬ、糞ったれた状況そのものが"理不尽"だ。
――駄目なんだよなぁ。
矛盾である。近視眼的である。
ぼちゃん、と落ちる音。尻を拭く。
厠の薄い壁を通して、また絶叫が聞こえる。
たすけてぇー。
「やっぱり、駄目なんだよなぁ……」
安穏とナイトウが糞を垂れるすぐ近くで、ハラワタをぶちまける者が居る。
本当に、糞だ。
今、尻の穴から垂れたモノと同じぐらい、糞だ。
同じような匂いが、厠からも、外からも漂ってくるのだ。
立ち上がる。厠の扉を開く。一歩二歩、元の本館エントランスに戻ろうかと迷う。頭をかく。頭を振る。背を向ける。
「ゆ、許せ。ケツを拭いてもらおうとか、思っちゃいねぇからよ」
やはり、これを見過ごしては、"ナイトウ"にも申し訳が立たぬ。ナイトウ自身が、自身を許せぬ。
一歩、二歩、三歩、駆け出す、踏み切る、空へ舞う。