第四話 バイカ戦乱 (4)
雲は低くたれこみ、低い雲から桶を引っくり返したように、雨が降り注ぐ。
雨音の中に、どぅーん、どぅん、遠雷のような音が響く。
バイカの城の大広間、集められたはクオンが誇る第五騎士団、大車騎士団、上級騎士達、砂狐の暴挙に怒り心頭、蛮族どもなど蹴散らしてくれると顔を真っ赤に、今にも駆け出そうとしていた。
飛ばす号令に、走る伝令、上級騎士から下級騎士へ、下級騎士は従騎士達へ、既に城内の中庭に兵を率いて、いつでも出兵が可能となっていた。
最初の銅鑼から数えてたった数刻、練度としては申し分ない。流石はクオンに大車あり、と言われるほどの精兵達。
それらの手綱を握るはクオン領、バイカ領主ドリティ=プルケリ、彼の顔は比べて真青。受けた通達、敵の数、雲霞の如くの敵の兵、比べて此方は農繁期、騎士の数は揃っていても、兵の数が全く足らぬ。その差を理解していて尚、意気軒昂な大車騎士達と比較するなら、腰抜け、腑抜けの蔑称を張られても仕方が無い。
往けという言葉があれば、騎士達は喜んで逝く事だろう、その行きつく先はまごう事なき死後の国。そんなのごめんのまっぴらだ。ドリティはまだまだ生き足りない。
しかして敵は無頼の徒、文にて、書にての通達を為さぬ、"協定"破りの蛮族相手、降伏すら受け入れられるかどうかも怪しい話。
しかして――此処で悩む時間の内に、万が一にもありえた勝利の可能性が、一分一秒毎に磨り減る。決断するなら今しか無い。
「往け、蛮族どもに……クオンの鉄槌を下すのだ」
血を吐くような、ドリティの声に、応と返す大車騎士達。怒号のうねりが城の門から吐き出される。
既に戦場となっている市門に向けて、人馬槍、一体となった騎士達が駆け始めた。
そこから離れた離れの一角。クオン第九騎士団、通称"百合騎士団"の本部前。
二十日ほど前の誘拐事件で、副長の数は大幅に減った。騎士、従騎士達も多くが負傷を免れなかった。元々のお飾りの度合いが、更に強まったと言っても良い。
とは言え、飾りと言えど騎士は騎士。彼女らも当然の如く集合していた。
痛々しい包帯と、添え木。それでも、今、動けるものたちが全員集合。彼女らの視線は本部の扉に集中していた。出番は、今かと。
その本部、作戦会議室。円卓に座るのはハッカを筆頭とした副長、分隊長らと、新団長のサーサと、トワ姫。その脇に控えるは魔術師カノ、及び従騎士の少女が数名。
「勝てない」
長いローブに身を包み、やぶにらみ気味になる視線を気にしながらカノが断言した。
「やっぱり勝てないって話かぁー」
「うん、この兵数、引っくり返すことは、無理。大車のが幾ら張り切っても、引っくり返せない」
飄々とした雰囲気を常に纏う、サーサに向けて、カノが再び念を押すように、言った。
「異常なまでの敵の数と、展開速度、普段ならほぼ必ず入る密偵からの情報の欠如、そして、既に門まで取り付かれてる状況、これら全てを引っくり返すのは、人間技じゃ無理。特に、数の差は致命的。農繁期で兵の数がそもそも少ない時期だし、街中じゃ騎士が幾ら居ても意味が無い。馬上槍突撃が効果的なのは、野戦。街中では不適。狭い街中では馬を幾ら乗りこなせても、本来の力は発揮できない。大車のでも……並の兵二人には値するだろうけれど、そこまで。負ける。手は二本しかない、槍は一本しかない。それに……」
抑揚のない声で、淡々と判りきっている事実を述べるカノの言葉を聞くうちに、サーサのこめかみに青筋が走る。
「いやうん、カノ、アタシはそんなことが聞きたいんじゃないって話。どうしても勝てないと言う話を聞きたいんじゃない、どうしたら勝てるかを聞きたいって話。それがカノ、百合騎士団副長、軍師役付きのアンタの仕事って話」
サーサはカノの言葉を途中で切った。飄々とした声調が、段々とドスの効いた声に変わる。ひどく苛付いているのだろう、サーサは円卓を指でとんとんとんとん、と小刻みに叩く。
階級が上がったと思ったら今度は敗戦確実な戦場、サーサは神に呪われてるような気分であった。
「……もしも逆転の目があるのなら、それこそ竜でも連れて来るしか無い。軍を持ってしても打ち破れないような巨大な魔竜、しかも自分達の意のままに操れる様な、そんな、夢みたいな存在。それでも――」
カノのあまりにも無責任な言葉に、サーサ以下全員がざわめく。いや、一人、超然としている者が居た。
「つまり――それ以上の"竜殺し"か、並ぶ者を連れて来い、と」
途中、トワ姫が、ぼそりと言った。不思議と、その場に居る者全てに通る声。
しん、と場が静まりかえる。
カノは続く言葉を、切られた言葉を静寂の内に飲み込んだ。
――それでも勝つのは、難しい。
「遅れました」
しん、と静まった作戦会議室に百合騎士団元団長、雀斑のヤーマと、それに手を引かれてやって来た金髪の美丈夫。
体格は確かに素晴らしい、しかし、帯剣もせず、鎧も着ず、仕立ては悪くないが、普通の布の服。開いた手には紙の束の資料。つまり、軍人ではない、体格が良いだけの文官。つまり、この場に相応しくない。
ハッカを除く副長以下、小隊長、若い従騎士の少女らは白い目で迎える。今更何をしに来たのか。しかも――男連れで。そんな白い目に晒される。
ヤーマは臆する事無く、芝居がかった、らしくない名乗りを上げた。
「此方の御方は、五十年前のバイカ攻防戦の立役者、クオンに名高い"災禍の旋風"、"氷雷大魔"、フェネクの悪魔"無貌"や"天射"、これら全て同時に相手どり、負けずとも劣らずの戦を繰り広げた、今は亡きオウレンの大英雄、最後の守護神、タイタン殿でございます」
「え、ちょ、おいっ?」
更に堂々とヤーマは、設定を盛った。タイタンの記憶にない訳ではないが、当然の事ながら数十人対数百人、圧倒的な人数差で打ち滅ぼされた側が言われる事でもない。
「無手にて"教団"のあまたの兇手を圧倒、剣持てば鋼を断ち切り、盾持てば後に立つもの全てが無傷、バイカに巣食った魔の首魁、人外の魔人、ダリヤの招いた邪悪の骨をただの一刀にて切り伏せ、ねじ伏せ、卑劣な陰謀ごと打ち砕いた事は、この場におわす姫様も、現団長もご存知の事でしょう」
鷹揚に頷くトワと、少し首を捻った後に、慌てて頷くサーサ。未だ不審の視線を飛ばす副長以下の少女達。
「伝説の"最後の守護神"なら、七十か八十のおじいちゃんじゃ……確かに、"教団"の件は、神に誓って真実ですけれど」
今となっては副長筆頭のハッカが口を挟んだ。
「当然、人の世の道理に従うのであれば、タイタン殿は御年とって百歳以上のご老体、このような若人であるはずがありません……が、えっと」
一呼吸、二呼吸、息を吸って吐く。ヤーマの脳が思考を止めた。続く言葉が出ない。
「あー……えっと、その……」
硬直したヤーマを見て、軽くため息。トワが芝居を引き継いだ。
「しかして今、この場は、人の世の道理を覆す、そんな"英雄"を要する時……でしょう?」
まぁまぁ上手くヤーマはやった。少なくとも、この場に"英雄"を引っ張り込むことに成功したのは、まぁ、悪くはない。巻き込んでしまえばこちらの物だ、とトワは考える。
此処までトワの、仕込み通り。
若い娘のざわめく声は、さざなみのように広がりを見せる。
所在なく立ち尽くすタイタンの元に、椅子から立ち上がったトワがとととと小走りに寄って、言った。
「おちからを、貸して頂けますよね?」
「――ああ」
無論、タイタンもその心算で引っ張られて来たのだ。頷くのも早い。
「その前に、一つ聞きたい――あんたらの勝利条件は、何だ?」
(遂にこの時が来たか)
タイタンは、トワ達が考慮していない事――相手方にも"英雄"達が存在していることも承知の上で、勝利条件を問うた。
「勝利条件とは――当然、砂狐軍勢のこの街からの排除です」
「それだけで良いんだな?」
念を押すように、タイタンはトワ姫に向かって言う。
「無論、当然、何をおっしゃる事やら。それ以上を求める事などありません」
「ならば――アンタか、領主の首でも落してフェネク側にでも突き出せば良いのか?」
「なっ!?」
ざわり、と周囲の小娘達が凍りついた。いつの間にかトワに突きつけられた抜き身の魔剣。魔の力を結晶化させたような、魂を喰らう魔剣に、視線全てが奪われる。
「……それで終わるなら、幾らでもこの首差し出しましょう。ですが、このバイカが堕ちた後、当然の事ながらクオンは、この地に兵を出す事でしょう。この街は再び戦火に包まれる事でしょう」
白刃を喉元に突きつけられ、それでも強気のトワ。
「それでは勝ちでは有りません。求めるはこのバイカの平穏、その為にあなたを呼びました。オウレンの最後の守護神――タイタン様」
トワとて、単に無為に日々を過ごした訳ではない。"彼ら"の伝承、"彼ら"の現況、そこから導き出される"殺し文句"、全てが計算づくである。
「既に状況は、尋常の人の手では取り返しの付かない状況まで進みました、ですから」
「……尋常では無い手段も、辞さない、と?」
タイタンは突きつけた刃を、降ろした。じぃっと目を見る、この腹黒姫の真意がどこにあるか、どこまでが許される手段か、そして、どこまでやるべきか。
「当然、この街を、この国を守る為なら」
「なら、手段は無くは無い」
タイタンも言質を取った。
手段は、無くは無いのだ。
世界の敵たる事を選択した、無制限が動いた事がタイタンには判っている。これは、"十字"の破壊が目的である事は間違いが無いはずだ。
だが、何故直接"十字"を破壊しない?
何故、戦争という、迂遠な手段を取る?
それらの答えは――トワが答えた。
一度敗北したら、繰り返されるのだ。この地をめぐって、くどい位の争いが巻き起こる。
そうなると――他の"英雄"達も集まる事だろう。このバイカに完全にフォーカスが当たる。その他の街からは、"英雄"の視線が外れてしまう。
つまりは、それだ。ブラフで、陽動。
タイタンは、それら全てを理解した上で、それら全てをぶち壊す策を取らねばならない。
(まだ、世界をぶっ壊させる訳にはいかん)
ようやく方向性が見えて来たときに、彼らに邪魔される訳にはいかないのだ。
時、変わらず、所変わって城裏手。
乙女のさざなみも、ざわめきも、此処には届かない。
「まぁ……一体何を考えているかさっぱりッスけど」
独り言は一人で居ると多くなる。年をとっても多くなる。ムニムニと顔面をマッサージしながら、髭の筋肉塊がこっそりと城の裏手から脱出を試みている事など、鉄火場にあるこの城の誰もが知らない。
トワが仕込むなら、タイタンも仕込んでいた――
ヤーマからざっと現状の説明を受けたタイタンは、更々と"協定"書に筆を走らせた後、ヒゲダルマに投げた。
『チャカかナイトウにこれを渡して、ヒゲも脱出しろ。出来る限り早く』
そのメモを残して、引っ張られていく美丈夫。見送った後、メモ書きを見て、ヒゲダルマは頭を抱えた。
かっての記憶が戻った以上、ヒゲダルマにもある程度の戦力差というものが判る。
集団対人戦闘コンテンツにヒゲダルマは参加した事が無い。凡そ、プレイヤーと争う事は無かった。GMと言う立場でプライベートで特定の集団に入れ込む事は、褒められた行為ではないからだ。(プライベートでプレイし続けることが許可されたのは、日々移り変わるゲーム内用語や、現場の空気を感じる為である。同業他社のコンプライアンスは判らないが、ヒゲダルマの場合はそうであった)
ただ、集団戦闘において、どれほどまでに人数が重要か――それは、たった二名差の"大穴"の戦闘でも明らかであった。
練度が同程度の集団戦闘において、人数差は致命的な結果を生む。
状況はどう考えても最悪。愚者は零細集団である。敵対する無制限は、様々な問題を抱えるとは言え、人数的には中堅集団。ぶつかった場合、贔屓目に見ても蹂躙されるのは、明白であった。
この状況を予見していたかのように、タイタンはメモを残す。
『敵アンリミ有。倍数勝つ手段無し、対策有、実行する。すまん』
数枚のメモ書きと、数箇所に入れられた朱。
「対策って何ッスか……何で謝ってるんスか……」
それでもタイタンには何かの策が有る、それを信じて、高い城壁、積まれた石壁に手を掛けて、ぐいと体を引き上げた。
時は夕刻、加えて土砂振り。正門こそあかあかと篝火が炊かれているが、裏門は暗い。
するするとイモリかヤモリの様に、混沌と化した街へ、闇へ溶ける――