第二話 バイカ戦乱 (2)
宣戦布告は、あったのだ。
当然のことながら、有ったのだ。ラッド協定、通称"協定"と呼ばれる文中の二章六条三項、宣戦布告は手紙にて行われなければならない、とある。
当然、手紙にて送られたのだ。
手紙は、丁度まるっと八日前に、バイカ領主ドリティ=プルケリの執務机の上に置かれていたのだ。
当然、机の上に有った書簡類は全て目を通している、と領主ドリティは自負している。しかし、だ。多数の者の目に触れ、重要度によって分別され机に運ばれる書簡類の中でも、緊急度の低い書類にまぎれて置かれていたのだ。
当然、扱いも適当になる。流すように見た書類は、一見軍務の些事のことのように見えた。
当然、流れ作業でサインをし、クオン王の代理印を押し、書類の束に突っ込んだ。突っ込んだのを確認して、男が一人室内から立ち去った。
領主ドリティは気がつかない。その場に誰かが居た事すら気がつかない。
アンパイの仕業である。影に潜み、密かに仕込み、静かに立ち去る。
その後、バイカの城を堂々と歩いて抜けた。
大儀、道理、人の道、帝国にも法があり、王国にも法があり、国の間にも決まりごとがある。
国一つ牛耳るのには、力だけでは不足。殺すだけでは他人は動かぬ。特に、誇りや名誉を大事とする輩は――
「書類一つ、理由一つにもこだわる、っていう話なのさ」
こんな程度で、全員が気持ち良く、正義の側で戦えるのであればやっても良いだろう。己が無法の徒に属するとは言え、法を利用できると言うのであれば幾らでも利用しよう。利用しない事でケチがついては堪らない。
誰に誰何されるされる事も無く、全く平穏の内に城を抜けたアンパイは、十字を使い、消える。
――これが、まるっと八日前の事。
ここ一月近く、アンパイはアンパイなりに、知恵を働かせ続けた。利用するからには、一見、帝国の利益を最大限にしなければならないと、膨張したい帝国の欲を的確に突いた。
馬を集め、飼い葉を集め、糧食を集め 矛盾を集め、金銭的な負担を極めて少なくする……しかし、それだけでは首を縦に振らない皇帝に対し、三日ほどアンパイは頭を捻った。
ああ、正義の御旗が足りぬのか、と――と、アンパイが気がついた時、自然と口から言葉が出た。
『五十年前の領土の配分がおかしい。我らが帝国の戦争での評定が不当に低いのは、かって在った彼の国の"英雄"達が我らを標的にしたが為に起きた、不当な結果である。これは断じて、断じて許されぬ。彼奴らに無慈悲な鉄槌を食らわせねばならない』
ほとんどイチャモンである。だが、そこに、かっての"英雄"達の言があれば、又、別。
言った本人のアンパイも、あの時にケチを付けられなきゃ、あの時ならば勝てていた、という自信もある。言葉は、熱を帯びた。
これでようやく、了承を得る事が出来た。
兵を集める許可を得て、皇帝直筆の布告文を貰い、ようやく動く事が出来るようになったのだ。苦労は並々ならぬものがあった。
ここ一月ばかりの動きに、アンパイは自分を褒めてやりたいと思う。何しろ、彼の身内は小ずるい事には頭が回るが、正道には全くの興味が無い。最近の扱いは、「あれ、アンパイちゃん居たの?」とか「そういえばアンパイはどこダ?」だの「そういえば一人欠けてないか?」だの、何だのだ。いや、そういう奴らだから気軽に付き合えるのだし、自身の事などどうでも良い。己の影が薄い事位は、アンパイは認識している。
しかし、アンパイが閉口したのは、
『彼の仲間達には二つ名があり、自分には二つ名すら無い』
様々な駆け引きの場で、無名。これは痛かった。彼の仲間達は名前一つで周りの輩を慄かせる事すらあったのに、だ。
「どうでもいいちゃー、どうでもいいんだけどね」
正直、興味が無い。この世がどうなろうが、あの世がどうなろうが、どちらにしても影の薄い人生なのだ。どこであろうが、主役になれない人柄なのだ。
二つ名、異名、伝説に残ってない事もまぁ、まぁ、いいではないか。
脇役ならではの、諦観。
――ならば、主役達を輝かせよう。還りたい彼らを応援しよう。
「修道者の方が、もっとそれらしかったのかも知れないけどなぁー」
天を引っくり返した様な土砂振り、低く垂れ込めた雲から、大粒の雨粒がざあざあと。髪も衣服もべったりと肌に張り付く。それでも、アンパイは陣の内部を歩き回る。
三角屋根の破城槌が何機も並び、ぬかるんだ地面に木車輪がギシギシと軋む。内部には既に完全武装した兵達が入っているのだろう。
投石機は雨の中組み立てられ、頭ほどある岩の弾丸がごろごろと周囲に用意されている。重石の調整も済んだのか、こちらに向かって笑いかける兵もいる。突貫作業もなんのその、だ。
アンパイには――恐らく、理解出来るのは身内の中でもチュイオ位だろう――理解しがたい、精緻な幾何学文様を鉄で描いた、広く厚い木板の舞台に車輪がついた物が、何頭もの雄牛によって引かれてきた。時折ぶるりと牛は体を震わせ、叩き付けられた水を振り払っていた。
先頭に立つ、長衣に杖という姿のいかにもな魔術師に話を聞くと、集団で儀式を行う為の戦場用の移動祭壇らしい。チュイオが掛けた氷の橋を見て、自信をいささかなくしてはいたものの、帝国魔術兵の意地を見せる、と笑っていた。その後くしゃみ一つ。雨で体が冷えているのだろう。
盾持ちの兵達と旗持ちの兵達が、始まるのを今か今かと待ち構える。
空から見れば、まるで都市を飲み込む様に、徐々に翼を広げる大鷲だろう。
「僕にできる事っちゃ、彼らがせめても、悪者にならんよーに、って程度の事だ」
アンパイにとってはこの世がどうなろうが、あの世がどうなろうが、知ったことじゃない。ただ、主役達には……イィィェヘッホオォーーーーー!!
「……おおぅ。テンション高いな、今日はぁぁああxaAaAA!」
仲間にも誤解されているが、別段アンパイはキャラ付けの為に叫ぶ訳ではない。魂の奴が勝手に叫ぶのだ。
ただ、この光景を見ておっ勃たない奴ぁ、男じゃない。
「僕がかき集めた、数万の軍勢だ! YeHHuxuuuuuuuU!!」
アンパイは知らない。
フェネクに"無貌"の暗殺者の伝説が在る事を知らない。名前も、姿も、その影すらも定かではない伝説が在る事を、知らない。
まぁ、知っていたとしても『だから何だ』であるが。
クオン領、バイカ。城の下級官吏達の仕事は、滞っていた。
二十五回の戦銅鑼が鳴り響いた数刻後、夕刻の鐘がなり、時は夕刻。
雨は変わらず土砂降り。そこに、雨音に負けぬ人の騒ぎが加わった。城の外からでも大騒ぎだと判る。実にその通りに、城の上層部では物凄い混乱と騒動であった。
しかし、下級官吏の文官達は騒動に関われぬ。そして、仕事がさっぱりと進まぬ。普段ならば上司が不在ならば――彼らの上司、上級官僚達は別室に集められているのだ、出来る限りちんたらと仕事をするのが常であるが、その別室から時折聞こえる悲鳴のような怒鳴り声。
肝が縮みあがる声を聞きながら、ちんたらとまともに仕事をすることなど出来やしない。
更に、戦う為に鍛え上げられた様な、明らかに場にそぐわない大男が二人、文官の詰め所、という名目の茶室に屯していた。暇を持て余した文官達から、遠巻きにチラチラと送られる視線、そこに居るだけで在る圧迫感。それに気がついているのか、いないのか。兎に角目立つ二人組み。
そんな彼らは、今の今まで城の書庫に居た――書庫出入りの下級官吏扱いの身分をトワに発行してもらっていたのだ――タイタンとヒゲダルマである。
「一体何なんだ」
「何ッスかねぇ。書庫の方からたたき出されたのはいいんスけど……今日の分、まだ集め終わって無いッスよ」
愚痴交じりの一言。トワ姫子飼いの、彼女の勉学の為の歴史文献資料の蒐集、という名目すら、関係ないの一言でたたき出された彼らは、途方にくれていた。加えて、城外に出ることを禁止された為に、暇である。
途方にくれた今の彼らに、テルレの脳が痺れるような青臭さは、丁度良い。
「まぁ……ナイトウの言い出した何個かのブツは見つかったからいいだろうさ」
羊皮紙を束ねて作られた、古い本。ざらっとタイタンは流し読む。"1154"や"きょうてい"等の文字がつらつらと書き連ねられている。
「ナイトウが何を思って、『せ、千百五十四年の書物を探せ!』とか言い始めたのは訳がわからんかったけどな」
「いや、気がついてなかったッスか?」
きょとん、とヒゲダルマが小首を傾げ、寝ぼけた事を言い始めたタイタンに、あきれたような口調で言った。
「多分。あっちででっかい『アップデート』が有った辺りの年っスよ」
「ああ……ああ、あー?」
気のない生返事を返すタイタン。ヒゲダルマが細かく計算の過程を披露するが、タイタンの興味は引かなかった。結論としてそうなら、それでよいではないか。
「……何でそんなにお前、計算速いんだ」
「単純計算ッスからね。算盤なら得意ッスよ。それより、人の話聞いてるッスか?」
「ああ、うん、まぁ、大体聞いてるぞ。それより、この世界も意外と進んでるんだなぁ。こんな協定とかあるんだぜ?」
タイタンが生返事をしながら、読み上げる。
■国家間紛争の取り決め及び、戦争法規の慣例に関する協定
千百五十四年 一の月 二十四の日 フェネクのラッドにて
■第一章 総則
第一条 [協定の尊重]
人の国(以下これを国家と称する)の間で、問題の解決手段として戦争という手段を用いる際には、これ以下に定める各条文を尊守せねばならない。
第二条 [協定の適用範囲]
この協定は今の時点にて存在する全ての国家、並びに、これから生まれる国家に等しく適用される。
第三条 [協定の適用期間]
全ての国家は、創世暦千百五十四年、一の月、二十四の日以降、これを永久に守る事を誓う。
■第二章 戦争
第四条 [戦争の定義]
国家間での、公然と兵器を持った、多人数での人間同士の争いを戦争と称する。
第五条 [戦争の禁止対象]
戦争は、十字無き都市、集落を対象としては認められない。
第六条 [宣戦布告]
1 国家は新たに戦争を開始するに際し、相手国家に対し戦を起こす、正当なる事由を通告する事を要する。また、通告する相手は、相手国の王、または対象となった、十字を擁する都市の長以上の者であれば良い。
2 この通告は、戦争を開始する七日以上前には行われなければならない。
3 通告の手段は書簡によって行われなければならない。
第七条 [休戦、終戦]
終戦は、交戦当事者の合意を元に行われる。休戦も、これに準じる。
第八条 [一時対魔休戦]
魔物の集団の発生が確認された場合は、両軍ともにこれに当たらねばならない。
■第三章 交戦者の資格及び、戦闘手段
第九条 [交戦者の資格]
1 交戦の資格は正規軍にのみ許される。非正規の軍隊は、これを認めない。
2 固有の旗、紋章、頭飾り等の所属する国家を明認出来るものを着用しない軍隊は、これを認めない。
第十条 [戦闘手段]
交戦者は、交戦者と戦闘を行うにあたり、国家の名誉と威信を背負う。
第十一条 [特に禁止される行為]
交戦者は、戦闘行為にあたり、特に国の名誉を傷つける以下の行為を禁ずる。
1 交戦者は、水に毒を流してはならない。
2 交戦者は、耕地に塩をまいてはならない。
3 交戦者は、死者を穢してはならない。
4 交戦者は、特に、大地を穢す呪いを用いてはならない。
■第四章 捕虜
第十二条 [降伏]
交戦者は、降伏をする事が許される。この際、降伏した者の名誉を傷つけてはならない。
第十三条 [捕虜]
降伏した交戦者は、捕虜として扱われる。この際の身柄は、これを捕らえたもの個人の物ではなく、所属する軍の物として扱われる。
第十四条 [捕虜の所持品の没収]
国家は、捕虜の所持する、命と名誉と衣服以外の物を没収することが出来る。
第十五条 [捕虜の有する権利義務]
国家は、将校、貴族を除く捕虜を、労務者として労働に従事させる事が出来る。労働に従事した捕虜は休戦又は終戦後、己の解放を求める権利を有する。尚、これを支払えぬ者は続けて労役に服させても良い。
■第四章 略奪権
第十六条 [略奪権]
交戦者の略奪権は、その土地に住まう者達の生命を害さない範囲で、これを認める。
以下、延々と協定は続く。
「長いッスよ……」
「ああいや、久しぶりにこの手の文章に触れたからちょっと、な」
少々騒ぎが大きくなった。夕刻の鐘の音とは異なる、銅鑼の音が、――焦りを伝えるような、早い音頭で五回、ガンガンガンガンガンと鳴り響く。それが一拍置いて、四回繰り返された。
また、一拍置いて、またガンガンガン、今日はただでさえ五月蝿いのに、何だ、とタイタンは思う。さっきも聞こえていたが、意味が判らないならば、ただの雑音である。
「流石に、いつまでも足止め食らってるのはな。ちっと、掛け合ってくるわ」
苦笑。ズズっと葉ごと茶を啜った後、タイタンは書を閉じた。
椅子から立ち上がる。ざわっと周囲にざわめきが広がる。周囲のざわめきにはもう慣れたと思っていたタイタンだが、多少事情が違った。自分達を見てざわついているのではない。何か別の事態が起きているのだ、と思った時であった。
完全武装の百合騎士が一人、詰め所に飛びこんで来たのだ。
「タイタン様ッ、こんな所にいらっしゃったのですね!?」
ヤーマである。
見知った顔を見て、何故完全武装をして走り回っているのか、という疑問。いや、そもそもが何でここに居るのか、首になったのではないか、という疑問が浮かぶ。
息を弾ませながら。
「非常事態なのです。何はともあれ、姫の下に――」
「うぉ!?」
ガン、と最後に銅鑼の音が響いて、街が揺れた。
爆音だった。
ヒゲダルマが耳を押さえ、ヤーマはタイタンに吃驚して抱きつき、タイタンはタイタンで手に持った書を地面に落す。
遠く離れた城にまで、響いた。
車輪祭壇に乗った、四十九名の帝国魔道兵達の七芒星儀式魔術によって増幅された、直径十メートルにも及ぶ<火球>が、バイカ市壁南西部、市壁と一体化して建造されている監視塔に炸裂して、弾けた音であった。
沈黙していた"十字"が突如ぎらぎらと青光り、唸るような音を立てる。それでも、監視塔は堕ちて、崩れて、崩落した。
銅鑼の音は、二十四回響いた後、残り一回が響かない。