第十一話 複製 (5)
丁度三の月、一の日。深夜、若しくは早朝。
灼熱の大地も、日が沈めばひどく寒くなる。昼の間は熱く吹き荒ぶ渇いた風は、夜の間は冷たく吹き荒れる。フェネク帝国首都、フェネックの十字広場は石畳で舗装されている。しかし、街の外から吹き込む風に運ばれた砂は、ざりざりと足元に不快に広がっていた。
昼夜問わず厳しい気候にも変わらず、蒼い燐光を放つ"十字"の傍に居るのは二人の少年。
一人は体に合わない皮の鎧を身に付け、一目見て魔法の代物と判る装飾品を全身につけていた。もう片方は、ナイフ一本と、深い緑の長衣を身に着けている。体を彩る装飾品などは全くと言っていいほど無く、比較すると、恐ろしく簡素な装いであった。
だが、全身に装飾品を身につけた少年――アコニタは、自身が身につけているもの全てを合わせても、眼前の少年の身に着けているナイフとローブには遠く及ばない価値しかないという事を知らされていた。
"十字"に手をつき、少年はアコニタに語りかけた。
「ねぇ、僕らが世界を相手取るのに、必要なものはなんだと思う?」
砂蜥蜴に声があるなら、こんな声だろう。厳しい環境に住む砂蜥蜴は、虹色の木目細かい鱗を持つ。滑らかだが、所々に引っかかりを覚える、そんな声だった。
「そんなの、知らない。師匠一人いれば、十分だ」
「それは流石に過剰評価だね。ムショは確かに強いけれど、僕ほどじゃない」
不満げな声を上げたアコニタに、諭すように目の前の少年――エムオーは言った。
身に着けるだけで、騎士団の全身甲冑より堅くなる護りの指輪や、丸太を軽々と持ち上げるような剛力の指輪等、アコニタが知る限り、王国の宝物庫にしか存在しないような魔法の装飾品を、「装備できるなら持って行っても構わないさ」と渡した後に言い切った。「使えるなら、使えばいいだろ」と。「倉庫を空っぽにしないとこの実験はできないからね、ゴミは初心者に渡すに限るからさ」――この"実験"を始める前に、エムオーが言った。
伝説の宝物を、ゴミと言い切ったエムオーを、アコニタは不満に思う。
(こんな、贅沢な奴は気に食わない)
血色のいい、見るからに食うのに困った事のなさそうな顔は、病とは無関係そうだ。白い手は滑らかで、畑仕事や水仕事とは無関係な、いかにも上流階級のお坊ちゃんだ。
何も苦労をしたこともなさそうに、アコニタには思えた。
浅黒い肌の多い、ここフェネクでは、エムオーはあまりにも白すぎた。
貧弱に見えた。まだ、やせっぽちの自分の方が強いのではないか、とアコニタは思った。
「師匠は――強い。実際に、水竜だって叩き切った」
だからアコニタは、自らの知る『最強』を否定した目の前のエムオーに、不満げな声を上げた。コイツは何も判っちゃ居ない、と。 アコニタの知る限り、『最強』はムショだ。妖刀を構え、無尽の魔物を相手に突っ込んでぶった斬る。百も二百も関係ない。
それこそ、一人でこの世界を切り捨ててもおかしくは無いとさえ思う。
「師匠なら、万の魔獣相手でも一歩も引かない」
彼の師匠、ムショは「エムと仲良くやってろ」と言った。アコニタはだから従っている。それだけだ。偉そうに語る目の前の、師匠の主人と名乗る少年など、ムショの道を塞げば微塵切りだろう。
アコニタの言葉に、エムオーは鼻で笑った後、フォローするように付け加えた。
「確かに、ムショは上位二割には入る、凄腕っちゃ凄腕だね。でも――そうだな、アンパイとチュイオが組んで戦ったら、手も足も出ないな」
「二対一でも、十対一でも、師匠なら勝つ。それにそもそも、二対一は卑怯だ」
「卑怯も糞も、それこそ僕らの特技だからね。さて、僕らの数は何人かな?」
「九人」
「まぁ、アコニタ、君も入れれば九人か」
エムオーは自分の過去を見たような気がした。必死に上にかじり付く。敵わないものでも関係が無い。手段さえあれば、力関係をひっくり返そうとする。実にほほえましい、とエムオーは思う。
「たったの九人だ。それに比べて、僕らの敵は多すぎる」
「それでも、勝つ。大体――手が足りなきゃ増やせばいい」
「いや全く、その通り。思ったより賢いな、君は」
そういいながら、エムオーは懐から人の手の木乃伊を取り出した。軽く力を込める。乾いた音がパキリと響き、枯れ枝のように真っ二つに折れた。
「僕らが"勝つ"には裏技でも使わなきゃ、無理なのさ」
<死霊使いの右腕>と呼ばれる、職限定消耗品は、使う事で<骨の戦士>を、限界召喚数を超えて召喚する。一回こっきりの消耗品だ。
みしりみしりと、夜の闇より尚深い虚空が生まれる。白い骨が、錆びた甲冑が、世界を歪ませ、切り裂きながら産み落とされる。垂れ堕ちる闇を骨に纏わり付かせた"骨"は虚ろな眼窩をエムオーに向けた後、エムオーに同期した様に"十字"を見る。
「まぁ――これは、この"実験"は、手駒を増やす事だけが目的じゃないんだけれどさー」
複製はオマケだ。本命が失敗した時の保険に過ぎない。万が一の大成功に備えて、わざわざ"人"であるアコニタに荷物もちをさせている。エムオーの本心は別の箇所にあった。
「始める。もしもの事があれば適当に、場合によっちゃ……まぁ、勝手に逃げちゃってかまわないよ」
"十字"が徐々に異音を立て始めた。
ブブブブブブ、と言う音が強まると同時に、エムオーの体が透けて見える様になる。段々と十字は光が強くなり、やがて真昼のように発光を始めた。
やっていることは超高速のワープアウト・ワープイン。開きっぱなしのインベントリの高速操作。その瞬間、どこにでも存在し、どこにも存在しない。道理を誤魔化し、一人のエムオーが二人に、二人が四人に、四人が十六人に、最終的には十六人が二百五十六人に。
今この瞬間に、エムオーは自我が二百五十六分割されながらも存在する。その状態で、倉庫の内部を操作。一が二百五十六に。二百五十六が六万五千五百三十六に。物凄い勢いで増加する倉庫の中の職限定消耗品。
圧迫される世界。荒れ狂う光を放つ"十字"が、真昼のように街を照らす様はまるで、光の竜だ、とアコニタは思う。
十字は激しく震えながら、膨大な光を放つ。エムオーの存在を、数十、数百の断片に細分化しながら、うねる光の竜は各地に顕現する。
「――此の世でカミサマを召喚するなら、これしかないっしょ。"出て"来ないなら、神じゃない」
まさかここまで派手になるとは思わなかったが、逆にこれは好都合。目立つ"不正"が明らかになれば、神も出てくる事だろう。
「……それでも、昔は暴く側だったはずなんだけどなぁ」
ぼやきながらもエムオーは手を動かす。気を抜けばこの状態は維持できないが、それでも言いたくなったのだ。
「出てこなければ出てこないで、これをこのまま続ければ――」
周囲の空気が一層歪む。ぱちん、ブレーカーが落ちたような音と共に、唐突に十字の光が落ちる。
"十字"に拒絶されたエムオーは地に叩きつけられた。"骨"は地面に転がるエムオーを無機質な視線で貫いた後、ゆっくりと視線を"十字"に戻した。"骨"の虚ろな眼窩の先には、十字から溢れ出した、限界数の<死霊使いの右腕>がごろり、山盛りとなっていた。
木乃伊化した右腕のみが十字の傍に溢れる、実に異形の世界であった。
「失敗で、成功で、成功か?」
弾けた後の十字を見る。広場は夜の闇と二人の人間と骨一式、後は寸分違わぬ木乃伊の右腕と支配されていた。
何事かと様子を見に来るものも居ない。
深夜だから、という事もある。しかし、溢れ出す不吉な圧迫感に、尋常の生物は自然と寄り付く気概を奪われるのだ。
「失敗した?」
暗闇と不吉に支配された十字の横で、先ほどまでとはうって変わって、アコニタの不安げな声。それに反応したようによっこらせとジジ臭い掛け声と共に、尻を叩いて砂を落としながら、エムオーは立ち上がり、木乃伊の右腕を集め始めた。
「アコニタ、君も拾うの手伝ってくれよ、ぼけーっと見てないでさ」
その言葉で弾かれたように、アコニタも右腕の回収を始める。
「クエスト要素の三個のうち、二個成功してればA判定さ、S判定には届かないけれどねぇ」
軽口をたたきながら、ごみを片付けるようにぞんざいに<死霊使いの右腕>を腕一杯に抱えるエムオー。軽くコンコンと"十字"を叩いて反応を見る。
"十字"は完全に機能を停止していた。今ではただの馬鹿でかいだけの、単なるオブジェクトだ。
「神仕事しろ……って、文句の一つも言いたくなるさね」
"白蛇"は日の光が出ている間に眠り、月が出る頃に起きる。
神もそうだ。闇に生き、光と共に眠る。深夜。月夜。邪神の眷属が最も過ごし易いとされる、身を焼く太陽が沈んだ時間。
『世界を見たい』と言う神の意思に従い、"白蛇"達が"希望の神殿"から出て、丁度半月。
湖底に創られた、新たな"街"は、僅か数日で、かなりの広さを誇る都市と呼べるものに仕上がっていた。
『ここを、ひと時の住みかとしよう』
神の託宣に従い、"六本腕"や"甲冑"達が新たな住処を作り上げる。穴を掘り、糸を繋ぎ、"蜘蛛"を植える。見る見る内に湖底に広がる第二の大神殿。
正に神の所業だ、と"白蛇"は思う。
荒ぶらず、穏かで、静かに凛として鎮座する神を見ながら、"白蛇"は今日もまた、唄を歌う。
神はひと時の住みか、とは言ったものの、大体、生は長く、死は短い。何時旅立とうが、またそれは大した問題でもない。"白蛇"にとって大事な事は『世界を見たい』と言う神の願いをかなえる事だ。
この湖の底すらも、神にとっては見たい対象なのであろう、と都合よく解釈した白蛇は、この場を快適にする事に、腐心していた。
「全ては神の為にあるのです。妾らの働きは全て神の目によって見られています。広げましょう、我らの神域を」
"白蛇"が祭壇の前で歌い、神の周りを有象無象の魔物達が周りを取り囲む。
半ば日課になった、朝の礼拝の光景である。
実の所、八木は自ら言った『世界を見たい』という言葉など半ば忘れていた。
正直な所、『沈んだ都』の改装作業に面白みを覚えてたまらなかったのだ。
明るい最中に眠り、月が出たら起きる。誂えられた祭壇に向かい、静かにキーボードを叩くが如くの脳内作業。見えない触手のような感覚器を全身から伸ばし、改変、改変、改変。透けて通る、柔らかく光る光源に、しっとりと湿った"蜘蛛"の畑。"糸"を引きやすく、つなぎ易くする為の通路の側溝。住民の生活環境を改善させる為の、熱源。単に水をくり貫いて作った薄暗い湖底都市がここ数日の作業で大体形になってきた所である。
『あと少しで完成する』
何かを作り出す作業は、とても楽しいものなのである。破壊をすることよりも、ずっと。
クリエイターでもある、八木の創作意欲は極限まで高められていた。意図せずに駄々漏れになっていた八木の思考は、礼拝の最中に響き渡った。
激震が走った。
「街が完成する!」「かんせい、する」「完成だぁ!」
――もっと糸吐けたら、後ちょっと
僕らも後ちょっとでカミサマの衣ができるよね――
――カンセイするよ
もう殆どカンセイだよね――
ぬるり。と世界が十分の一秒遅れた。
高められていたからこそ、八木の鋭敏な感覚に伝わった、世界の約百ミリセコンドの遅延。この世界ではありえない現象である。十分の一秒のラグで、快な"白蛇"の歌声が実に不快な音と化した。八木の"手"が滑り、微細な幅で通路がズレる。不快だ。あまりの不快さに、八木の心臓が不正な脈を打つ。疼痛。
原因は一つだ。
"十字"が、機能を停止をした。実に喜ばしく、実に不快な情景である。
八木は邪神である。同時に神である。
真に神ならば、この世界を磨耗させてまで己を縛る"十字"を許してはならぬ。他の六柱の神どもの策略によって、地の底に封ぜられたとは言え、ヤ・ヴィは神である。この世の具象全てに責がある、任がある。
真に神ならば、世界を乱す英雄は神では無い。排除せねばならぬ存在だ。
この世の、この世界の敵が現れた、と八木は認識した。
『おぉおおおおおおお』
獣声一つ、吼える。礼拝の場が混沌の坩堝と化す。歓喜の声を上げていた有象無象のバケモノ達が怯え、震える。知らぬ、知らない。今は一刻も早く、この敵を仕留めねばならぬ。
ずるり、と八木の魂の核が、肉の殻を破り、抜け出でる。
一条の闇と化して、湖の底から不快の元へ、飛び出した。
あの近くで使える"体"は……。
「いや……成功、成功、成功、トリプルSの大成功だ、イヤッホゥ! キタワァー!」
突如、狂ったように笑い始めたエムオーを見て、山と盛られた木乃伊を片付けるアコニタは目を丸くした。
「神が出るか、それともGMが出るか。ぼかぁもう、予想が付かないね、糞ったれた世界におさらばできりゃいう事なしだ、こんちくしょう!」
訳の判らない事を口走るエムオーを見て、アコニタの手が止まる。
「アコニタ、君ぁもういい、出来る限り逃げろ。逃げるだけ逃げて、コイツをあいつ等に伝えてくれ、今からここは、多分地獄に変わる」
溢れ出す神気と、邪気。
八柱の気配が同時に、街に満ちる。神々しく、禍々しく。
――やっぱり神は存在した、と。