第九話 付き纏う者 (5)
月明かり、星明かりが空を照らす。
「ざ、座禅組んでもなーんも悟れねぇべ」
天空に座禅を組む。ナイトウは昼を思い返し、一人反省する。
ナイトウは理不尽であった。己自身が憎む、理不尽の塊となっていた事を恥じる。
「た、確かにキレたのはオレが悪かったべ……何調子こいてるんだ、オレ」
竜を倒した? だからなんだ。
オレはヤレる? だからなんだ。
キルゾーンに誘い込まれた? だからなんだ。
旧知の友に刃物を突きつけて脅した様なものではないか。それこそ、己がそれほどまでに強い存在であるなら、もっと余裕をもって対処すれば良かったのだ。加えて、頭上と言う死角を、想定にも入れていなかった不覚。室内で火炎を扱おうとした、愚策。更に言うなら、ツッコミを入れられるまで仲間の存在を完全に失念していた、己一人で相撲を取っているような気になった、慢心。
そもそも、ゲロスがストーカーであるはずが無いのである。
ナイトウが知っているゲロスであるならば、ジャンヌに執着するはずが無い。
冷静に考えると、ずいぶんと恥ずかしい事をしたと思う。
では、もう一方の片割れがストーカーなのか?
それもまた断言出来ない。もしかしたら更に第三者が絡んでいるのかもしれない。どちらにしても、頭に血が上りすぎていた事を、ナイトウは恥じる。
(ね、年長者としての立ち回りが、オレにゃできてねぇ)
いい加減落ち着けよ、冷静さとか思慮深さが足りないぞ、とナイトウは自己嫌悪に陥った。
「あ、アッーッ、チクショウ!」
天空で座禅を組んだまま、頭をボリボリと掻く。ナイトウの黒歴史は幾らでも有るが、この年になって、また一頁付け加えることになるとは思わなかった。空を飛びまわり、風に吹かれてこの雑念の塊を、このこっぱずかしい記憶を吹き飛ばしてやりたい。
そう考えたナイトウは、組んだ座禅を解き、一段ギアを上げて<飛行>。
一気に広がる視界。見下ろすと、ポツポツとした灯火しか灯らぬ街。幽かな明かりの中、駆け抜ける影。
(影?)
ナイトウが目を擦りながら見ると、追う影と、追いかけられる影。向かう先はカノの館。
「こんのストーカー野郎が……しつけぇなぁ」
ストーカーも、まさか空から監視されているとは思わないだろう、そうナイトウは思う。
次は上手くやってやる。ナイトウは対象を補足したまま、夜の空に飛ぶ。
夜風は、ナイトウの脳を十分に冷やす。
月明かり、星明かりが庭を照らす。
大太刀を相手に想定し、盾を構える。八双の構えからの利き手狙いの切り落としを、盾を持ち上げ、真上に弾く。弾いた後に後足を蹴りだし、すかさず相手の胴を薙ぐ。
――浅い。
弾いたはずの刀が弧を描き、地面をえぐりながら斬り上がってくる。体が開いている。避けれない。咄嗟に後ろへ倒れこむ。右足の大動脈を切り裂かれ、右足の自由が奪われる。バランスを崩し、崩れる体。自ら盾を手放し、後転の要領。
左手で地を突き、そのまま立ち上がる。左足だけの不安定な体勢から、どうする――迷う数瞬で、突きが来る。盾は無い、ぐっと全身に力を込めて<剛体>。
左手を突き出し、太刀に合わせろ。肉と骨に直角に潜り込む冷たい鉄。止まる。左腕を犠牲に、相手の武器を銜え込む。体重をかけて引く。
――合わせてカウンターでの刺突!!
相手の体幹を捕らえたはずの"魂喰らいネザファル"が虚空を突く。相手は太刀を手放し、左側に周っていた。首に巻きつけられる腕。咽喉を押し潰し、意識が薄らぐ。右腕を咽喉と首の間にねじ込む。構わず腕ごと絞められる。ミシ、メシ、と頭蓋に響く、腕と頚骨が折れる音。
敗北。
「駄目だ。相打ちにもなりゃしない」
吐き捨てるようにタイタンは言った。イメージとの一対一。勝機を見出す為のパズル。敗北回数、これで二十七回。
相手は超反応持ちだ。想定したパターンすら甘いかもしれない。素直に弾けるかどうか、弾いた後の相手の手札は、弧で流しての切り上げか、それとも豪力でねじ伏せてもう一度切り落としか、はたまた距離を取って<真空刃>か。タイタンですら、幾らでも考え付く。
「恐らく、もう一度やり合う事になるだろう」
タイタンがこちら側に居る限り、もう一度奴とやりあう事になるだろう。それも、遠からぬうちに。タイタンは今、あちら側に付く気が無い以上、それは必然とも言える。
「まぁ、アレを見て……どう判断するかは、判らないが」
その結果、チャカやナイトウ達があちら側に付くと言ったならば、話はまた、別の方向に進むだろう。それならそれで、タイタンは構わないとも思う。
しかし、それには、灰色の時空で見たものを、全て説明せねばならない。
「俺……いや、僕の時間が、どれだけ残されているのやら」
"タイタン"が語った最後の台詞を思い出す。
『戻るなら、急げよ――?』
戻る気があるならば、今すぐにでも行動に移さねばならない。確かにタイタンが見てしまったものは、致命的な事実を指し示していた。
時計の針は、進んでいたのだ。
ガンガン、と門扉に叩き付けるようなノック。タイタンの思考が打ち切られる。
「何だ一体、こんな時間に」
館の門へと、タイタンは向かう。
月明かり、星明かりが窓から照らす。
木製の寝台には綿を詰めたマットレス、その上に二人の娘。更に掛けられた薄い布。片方の娘は抱き枕を抱くように、ギュウっと強く全身で、小柄な娘を抱きしめていた。抱き枕代わりにされているのは、幽かな光でも鮮やかに照り返す白金の髪。
(……暑苦しくて寝れたものじゃない)
チャカである。真夏の熱帯夜、抱き枕代わりに抱きしめられて、嬉しいという感情は無い。何が悲しくてこの暑い中、抱き枕代わりにされなければならないのか、憤懣やるかたない感情に半ば支配されつつも、吐いた唾は飲み込めない。
「見捨てないとか、言っちゃったもんねぇ……」
うつらうつらとチャカの脳裏に浮かぶのは昼の記憶。ジャンヌを取り戻しに来た、彼女のギルメンとの邂逅。ゲロスとゼツエイだったか。一見醜悪とも見える小男と、優男の組み合わせであった。
分けて考える必要が有るだろう。ギルドの問題とストーカーの問題。
そう、チャカは考える。
まずは、ギルドの問題だ。ゲロスの言い分では"じゃんぬ†だるく"側はジャンヌがギルドを"解散"した理由を知らない。ジャンヌも衝動的にギルドを"解散"させたので、この部分においては矛盾は無い。
"じゃんぬ†だるく"側にとって見たら、ジャンヌは、単純にギルドを解散させて持ち逃げをした迷惑な奴、と言う認識でしかないのだろう。
「……かなぁ。多分」
そうなると、別段訪れてくる面子は"暗殺者"であっても全く不自然ではない。
そして、ストーカー問題だ。
昨日の昼の手口からストーカーが"暗殺者"である可能性は高い。迎えに来た二人組みはどちらも"暗殺者"であった。
当然、そうなると、この二人が最も怪しい。それこそ、"暗殺者"だけを集めたコンセプトギルドでもない限り、ジャンヌのギルドに在籍している暗殺者など、ゲロスとゼツエイの二人しか居ないだろう。
(それなら、何故最も疑われる"職"が迎えに現れたの?)
いや、ジャンヌは『誰に付き纏われているかわからない』と言った。『どっちに付き纏われているか判らない』とは言わなかった。
これが意味する事は、ジャンヌのギルド内部で行われた嫌がらせは、別段、"暗殺者"だけが為しえる事ではなかった、という事だ。それこそ、チャカが話を聞く限りではそれこそ『誰にでもできる事』だ。
(つまり、ストーカーは暗殺者と知っているのは、私達だけ?)
チャカ達と、ストーカー本人しか"暗殺者"がストーカーである事を知らないのではないか。
(大体、一日やそこらでジャンヌの居場所が突き止められる事は、異常だよ)
じゃあ、もし、仮にどちらかがストーカーだったとして、狙いは何だ。"暗殺者"と自分の"職"がバレている時に、同職二人で来る狙いはなんだ。
「……偽装?」
寝返りを許されない、拘束された状況。寝るにも、考えるにも、半端であった。
「ん……うー……」
うーん、と唸り声を上げるジャンヌにぎゅうっとしがみ付かれる。暑い。
意味の判らぬ寝言を言いながら、しがみ付くジャンヌの手足から逃れ、小用を済まそうとこっそりとチャカは寝台から出る。部屋の戸をそっと開けると、ヒゲダルマがこくり、こくりと船を漕いでいた。
部屋の前で寝ずの番をする、と言ったものの、やはり無理だったようだ、とチャカは苦笑する。
館の入り口から、何やら言い争う声が聞こえた。
チャカは館の入り口へと向かう。
館が見えた。ここで壁を飛び越え、侵入するのは容易い。しかし――
一瞬の躊躇の後に、入り口の門扉を叩く。
「助けてくれよ! 誰か、助けてくれよ!」
大声で助けを呼ぶ。必死な感じは出ているだろう、何しろ実際に追いかけられている。"トム"は夜闇の中、必死でカノの館の、鉄柵状の門扉を叩く。"気配"が徐々に詰まってくるのが判る。
ガンガンガン、と叩き付ける手にも力が入る。家人が出てくる前に追いつかれても、何とかなるとは思っているが、効果は薄い。最高の効果を出すために、必死にもなる。
「おい、誰も居ないのかよ! 助けてくれよ!」
「うっせーぞ」
のしり、と大男が、抜き身の剣と盾を持ちながら門扉に向かってくるのが見える。
「いいから匿ってくれ! ヤバいんだ!」
「……とりあえず、入れ」
"トム"の必死の演技に上手く騙されたようだ。かんぬきが引き抜かれる鈍い音と、僅かに開く門を確認すると、するりと身を滑らせるように体を入れる。
「助けてくれ、ストーカー野郎が判ったんだ……証拠もある、追われてるんだ」
「落ち着けよ、言い分は判ったから、落ち着けよ」
タイタンが門を閉じる。ガシャンと激しい音が響く。"トム"は大きく深呼吸。大きく吸って吐く。これからが正念場だ。門を見る。
「…………一体どういう事なんだよ」
"生贄"が門前に立ち竦んでいた。ようやく追いついたか、間抜けめ、と"トム"は内心で哂った。
「い、一体どういう事だよ」
空からナイトウが降りてきた。
「うっさい。何時だと思ってるのさ……」
扉をあけてチャカが出てきた。
「ちゃ、チャカっ子何処……?」
ジャンヌが。
「ちょ、皆何処ッスか……」
ヒゲダルマが。
――全員が集合した。
「それで、証拠ってなんだよ」
「これだ! アイツの部屋で見つけたんだ!」
タイタンの問いかけに"トム"は力一杯証拠の品を懐から取り出した。瓶であった。
中に何が入っているか……鼻がひん曲がる悪臭だけで、周囲の者の大半が、何であるか悟った。
「そんな、馬鹿な」
"生贄"が真っ青な、震える唇で、言った。
「いや、それだけだと断言は……出来ないんじゃないか?」
タイタンも、チャカも、ジャンヌも、ヒゲダルマも、それだけでは断言できないのではないか、といぶかしげな表情を浮かべる。
「それに、実は僕に隠れろって指示したのはゲロスだ! <隠業>を使って、屋敷内部を探れってね。大体、同じ"暗殺者"だからって、僕にストーカーの罪を着せようなんて、なんて汚い奴なんだ!」
"トム"、いや、蒼の"暗殺者"ゼツエイは勢いで言い切った。感情豊かに言い切った。
一見、真実らしい台詞に、空気は変わる。
ゲロスは周りを見る。不信、困惑、疑惑に混乱。すぅ、っとゲロスの顔から感情が消えた。
ナイトウが一人、納得できずに口を開く。
「い、いやいやいやいや。あ、ありえね……」
「く、くはははは、バレちゃったか。バレちゃったなら仕方ない。そうだ、僕が全部やった! ストーカーはこの僕だ!」
ナイトウの言葉を遮り、実に堂々とゲロスは言い放った。目に涙を浮かべ、ゲラゲラと馬鹿笑いを始める。
ナイトウは混乱した。ゲロスが女性を対象にあのようなストーカーを行うなど、ある訳が無い。ナイトウの知る限り、ゲロスにとっては異常で、ありえない行為である。
訳が判らないのは、ゼツエイも同じだ。
こんな反応は想定していなかった。もっとうろたえたり、混乱したり、怒ったりするものだろう。
まさか、いや、まさかゲロス自身がストーカーである、と言う嘘を吐かれるとはゼツエイは思わなかった。ぽかん、と間抜け面を晒した。
他の面子を見ても「うそっ」「やっぱりか」「えっ」「っス?」等、混乱、困惑、凍りつく空気。
唖然呆然とする数秒間で、ゲロスは瞬時の転進。影へと溶け、あっと言う間にその場から逃げ出した。
「ナイトウ、追って!」
チャカに言われるまでもなく、ゲロスを追いかける為にナイトウは空へと舞い上がった――