第三話 化け物を喰らう彼ら
1日目 便宜上、朝
さっきの『演説』で、各々の所属するグループごとに距離を取りつつ、ひそひそ、こそこそと相談しあっている中で、チャカ達の集団は一種異様な非常に暑苦しい空気を醸し出していた。
「ひげぇええええ!」
泣きながら筋肉髭達磨戦士に抱きつく、白髭の熟達した老魔法使いという絵面は見た目に暑苦しい。誰が見ても暑苦しい。
「よか゛ったなぁあ゛、ほんと、いき゛か゛えってよか゛ったなぁあ」
「ほんと、ええ話や……」
ぐしゃぐしゃに顔を歪め、うわんうわんと泣きながらヒゲダルマの分厚い胸板に顔を埋める老魔法使いと、貰い漢泣きをしているナイトウ。それを生温い視線で見つめるチャカ。タイタンは難しい顔をしていた。
当のヒゲダルマは呆然とした表情で、硬直をしている。
何が起きたか把握するのに時間が掛かるのだろう。目が覚めたら目の前で野郎二人が大泣きして、しかも片方が自分に抱きついているのだ。誰が見ても困惑する状況に違いない。
非常に暑苦しい情景を、いい加減に止めようと思いチャカはオジジに話しかける。
「えっと、そろそろヒゲを返して頂けると……」
チャカ達3人と、ヒゲダルマはPTを組んでいたのだ。チャカは一応PTリーダーである。その為、さっきの『提案』について話し合う必要があったのだ。
「なんでぇ! ヒゲは俺っちの親友だ、返すもクソもあるか!」
オジジは憤慨しながら、チャカに言う。
「大体テメェがしっかりしてたらヒゲはこんな事にならなか…」
オジジがその言葉を発し終わる前に、ヒゲダルマの瞳が焦点を結んだ。
ヒゲダルマの顔が般若の形相に変化し、その極めて筋肉質な右腕を振り上げ。
「 こ の 痴 漢 ! 」
という、野太いけど甲高い声と共に、物凄い勢いで目の前の男の左頬を平手でぶち抜いた。
バチンどころかバッヂィイインという物凄い音を立て、ぐるりとオジジの顔があらぬ方向を向く。
チャカ達は呆然と、その光景を眺めるしかなかった。
目が覚めたヒゲダルマは、ヒゲダルマではなくなっていた。
自らを「藤田八重」と名乗り、花も恥らう24歳の工学系の大学生と言う。
一つ年下の先輩が大好きで、物凄い恋をしているらしい。アプローチにも全然なびかないから困り者だ、と長々と語るので、チャカがいい加減怖くなったので性別を尋ねたら、ヒゲダルマは女の人だった。
MMOオタ、と語ってた割にディープファンタジーの事は一切知らなかった。何それすぐポシャりそうなタイトルっすねーという言葉に、チャカ達はさらに混乱する事となった。
ヒゲダルマは、ディープファンタジーを忘れていた。
オジジはその言葉を聞いて、血相を変えてベルウッドの元に戻っていった。
「で、ベルウッドさん曰く。この世界はディープファンタジー?の世界であり、ウチらはそのキャラクターに転生?したと言う事ッスか」
ヒゲダルマは自分のみためが筋肉髭達磨なのに多少のショックを受けていた。しかし―
「これはこれでアリっスね」
……何がアリなのかはその場にいる全員が怖くて聞けなかった。
「その、ウチ一つ疑問なんスけども。スキルって使えるんッスか? 剣と魔法の世界に来たなら使って見たいッスよ」
ヒゲダルマの当然ともいえる疑問に、チャカ達は目から鱗が落ちたのであった。
ヒゲダルマの言葉を聞いた周囲の全員が、スキルを試していた。大部分の者はスキルを発動させる事ができ、MMO時代を取り戻したかのような賑わいが辺りに漂う。
「うーん……」
そんな中、チャカは唸っていた。何故自分は"スキル"を使えないんだろうと。
「ほ、ほうら、たかいたかーい」
ナイトウはその手にチャカを抱えて飛んでいた。
タイタンも、残像が見えるような速度で剣を振り回している。
「体感的には大分変わっているけど、全く無理とは言わないな。これは」
「皆さんズルいッスよー。ウチも使ってみたかったッスよー」
ヒゲダルマも"スキル"を使えなかった。恨めしそうに言う。
――喉元まで出掛かってるけど、何か足りないんだよね。
パズルのピースが一つだけ足りない。小骨が喉に引っかかったような、そんな感覚をチャカは覚えた。
「で、どうすんの?さっきの指揮下に入るかどうかって話は」
チャカは思考を中断し、元々の話題に戻す。
「な、なんかこう。物凄く疲れるんだけどな」
ナイトウは未だにチャカを抱えて飛んでいた。
「スキルが疲れるのか、それとも真面目な話が疲れるのか、どっちなん……」
ナイトウは曖昧に笑ってごまかすのだった。
笑顔で刺青の坊主は、近寄ってきた1集団に尋ねる。
「あっ、君たちは参加? それとも不参加?」
「私達「ザ・フール」は、ベルウッドさんの、「絶望の迷宮を出るまでの一時的な指揮下に入る」という提案に同意します。あと、野良のヒゲダルマさんも同じく同意です」
チャカが答えた。
『ザ・フール』とはチャカ達3人のギルド名だ。「愚者」正にチャカ達にはピッタリのギルドネームである。そして、チャカは『ザ・フール』のギルドマスターである。お飾りのようなものではあるが。
「で、少し聞きたいんですが、このお話に賛成の人はどの程度いるんですか?」
「参加ありがとうございます、で、そーですねー…ジャンヌさんとこと、ネクロンさんのところはギルドごと参加、後野良の方も大体参加ですね。不参加って来た人のほうが少ないですよ」
「アンリミは?」
「あそこは…『俺らは俺らで自由にやる。お前らはお前らで勝手にやれ』だそうですわー」
「そっか、ありがと!じゃ、暫くよろしくお願いします!」
「こちらこそ。サクっとこんな陰気な場所から出ちゃいましょう!」
チャカとグッさんは友好的に握手し合い、にこやかな笑顔を浮かべた。
「それじゃ、うちのマスター呼んで来るんで適当に待ってて下さい。直ぐ戻って来ますんで」
チャカがグッさんを手を振りながら見送ると、「チャカたん乙」「チャカ乙」「お疲れッス」後ろで控えていた面子はそれぞれ適当な労いワードを投げる。
――うん、ナイトウは「たん」って付けるな。こっぱずかしい。
「で、アンリミって何だ」
「『お友達事件』のアレが居たギルド」
タイタンは忘れかけていたようだが、チャカは忘れる事ができない。
一種のトラウマである。
正式名称、Unlimited。略称アンリミ。
そのギルドは「ディープファンタジーの規約に引っかからないなら何でもOK」という、チャカにとっては非常に苦手な人種の集まるギルドだった。
迷惑狩りや狩場占領、街中での超エフェクトスキル乱射、対戦時の煽りや暴言、取引の穴を付いた詐欺、何でもござれだ。
厳密に規約を適用すれば当然引っかかる行為だが、ギリギリラインを突っ走る彼らは非常にそのあたりの回避が上手かった。運営からすればなんともかんとも忌々しい話である。
結局、彼らはやる事がなくて面白くなかったのだ。何でもいいから暇がつぶせれば良かったのだ。
そんな彼らが、チャカに目をつけないはずはなかった。格好のおもちゃである。
大体1年と数ヶ月前の話になる。チャカがログインした時に耳打ちが飛んできたのが始まりだった。
「すみません、お友達になりませんか」から始まった、この一連のストーカー事件はザ・フールの内部でのみ有名だ。
チャカがギルド内部にネカマだとばらしたしたのもこの事件がきっかけだったが、詳細はあまりにもキモいので伏せさせて貰いたい。
結果として、アンリミの一部が『付きまとい行為』でBANされたのと、チャカがMMOでも引き篭もり気味になったと言う話である。
「ああ、『お友達事件』の。なるほど」
ニヤニヤと思い出して笑うタイタン。
当時のタイタンもチャカが女だと信じ込んでいたのだが、タイタンは既にその黒歴史を忘れ去っていた。
「ゴルアッ! 負傷受けンの恐れてるんじゃねぇ! 対人の基本を忘れたのかァッ! ケツ引いてるんじゃねぇ! 突っ込めダボがぁ!」
狂戦士のどこのヤクザかチンピラかと思うような罵声が響き渡る。
鬼の形相をした狂戦士は、叫びながら得物の両手持ちの大斧を構えたかと思うと、赤い大盾を構えた戦士に対し猛烈な勢いで距離を詰めて肩からのタックルをぶちかます。
1対1で、盾戦士同士の不毛な殴り合いに興じていた赤の戦士は、側面からの<体当たり>に対処できずに大地に転がる。
狂戦士は突進の勢いを殺さずにそのまま大地を蹴り、渾身の力を込めた<憤怒の一撃>を大上段から振り下ろす。迫り来る大斧が恐怖に顔を歪めた哀れな犠牲者を打ち砕く、かと思われるその瞬間。
薄いフィルム状の魔法の盾が大斧を受け止める。<憤怒の一撃>の大地をも砕く勢いを完全に遮断し、その威力を無に返し、魔法の盾は霧のように消え去る。
「そこまで、丁度30分だ」
「マスター!」
ベルウッドの<盾よ>が間に合わなければ、死人を出しかねない攻撃を繰り出していたギンスズは、ベルウッドの周りを犬の様にクルクルと回りながら、楽しそうに笑う。
「<体当たり>から<憤怒の一撃>のコンボ、見てくれました? イケますよ! コレ! 凄いですよ!」
――自分が止めなければ、もう一度『儀式』をやる必要があったかもな。
その愚痴をベルウッドは飲み込む。この程度の事なら問題はない。
「動きの硬さが取れてきたな。行けるな?」
戦闘訓練の参加者に、ベルウッドはそのまま問いかける。
「はいっ! ボクはいけます!」
「ムリッッス! マジイテーっす!」
「なんとか……なる? ヒールは間に合います、多分……」
全員が全員、以前の動きが出来なくてもいいとベルウッドは考えていた。少なくとも『恐怖で足が竦んで動けない』という状態にならなければ、何とでもなる。
いつも通りの調子で、取り合えずの慣らし運転をさせるのだ。
「魔法使いの方はどうだ」
そして、魔法使いのスキルの検証を行っていたオジジらに問いかける。
「おう。大概は昔のまんまだったぜ。こんな風に、なっ!」
オジジは<氷の槍>を発動させた。
極低温の鋭い穂先を持った冷気の槍が生成され、空中に浮かぶ。「噴ッ」とオジジの掛け声と共に地面に向けて発射される。ドスッと鈍い音が響き、<氷の槍>は石畳に突き刺ささり、穴を穿った。
そして、蒸発する<氷の槍>。
ベルウッドは穿たれた穴に近寄り指で撫でる。
石畳に生えていた苔は凍り付いていた。しかし、それだけである。
――<氷の槍>では、水は作りだせんか。この手法で水が生成できないのなら、他も大抵無理だろうな。
もしかしたら、という希望がなかった訳ではない。だが、ベルウッドは厳しい現実に顔をしかめる。
更に、オジジの報告で、死亡から復活させる事はリスクが伴うという事も判った。ベルウッドはこの事実を全員に伝えては居ない。
――何処までが『生きた』設定なんだ?
少なくとも何例か復活させて見ないとベルウッドには断言できない。何がペナルティなのか、を。
「そろそろ時間だ。30分後の出発に備えておけ」
ベルウッドの言葉に、慌てて全員が準備を整え始めた。
「それでは今より出発する。各人装備確認の後、進軍開始!」
ベルウッドの号令で、86名が『絶望の迷宮』からの脱出を開始した。
編成にかかった時間はたったの30分である。
手間どらず、これほど手際良く集団を纏め上げるのは、相当連携が取れている『廃人ギルド』でもかなりの難易度である。
大まかにスキルが使えるメンバーと、使えないメンバーに自己申告で分かれ、その後更に職ごとの集団に分けられた。
スキルが使えないメンバーは約20名前後、ほぼ半数が死霊使いで占められていた。
ベルウッドは編成前に、こう説明した。
「主に戦闘は、変則的な『釣り狩り』で、行う」
少数の先行班が敵集団を弓矢等で誘導し、大部分の戦士と暗殺者は主に母集団の側面と後方に護衛として配置、真正面には魔法使いが配置され、主に魔法の射程で戦う。戦えない人達は中央で守られる。
一般的なディープファンタジーの戦い方は、戦士が敵を真正面から受け止め、暗殺者と修道者が側面か背後から、魔法使いと死霊使いはその外側から戦うと言うのが基本である。
その為、多少反発があったが魔法使い集団の後ろに修道者集団が着くと言う話で皆納得した。
出発から12時間が既に経過した。恐れられていたMOBとの戦闘は3回目を数えていた。
「不味いな」
ベルウッドは一人ごちる。『演説』の時は殊更にMOBの脅威を強調したが、彼は『湧いていない』と想定していたのだ。
MMORPGでは、ダンジョンはインスタンスと呼ばれる、パーティ毎に個別に作成される空間である事が多い。ディープファンタジーもその例に漏れず、高難易度のダンジョンは基本的にインスタンスであった。
注目すべき点は、インスタンス内で討伐した敵はその空間で再び登場する事はない、という点だ。例外も多いが、ここ『絶望の迷宮』においては再び登場する事は無かったのである。
「マスター、側面後方異常なしです!」
「ああ」
「前方に5匹集団、いつもの数の奴らだ。ちょっくらやってくるぜ」
「任せる。あと、お前はそろそろMPを温存しておけ」
ベルウッドはもたらされる報告に答えながら、上の空でこの状況を纏める。
現在3回目の「戦闘」だが、掛かる時間と被害は、今のところは0に等しい。
出来る限り遠距離から釣り、多人数の魔法使い達が集中して<地獄の炎>やら<氷の嵐>等の高火力スキルを浴びせかけるのだ。
消耗する時間は精々5分から10分。だが、戦闘の度に精神を削り、汗をかく。
<聖者の行進>を常時維持しているだけのベルウッドですら休憩時より消耗しているのだ。歩き、移動するだけでも生きる為に必要な「水」は奪われていく。
負傷や病気を負った場合は更に消耗するだろう。
回復スキルで怪我は治せるが、飢えと渇きは恐らく、癒せない。いや、断言しよう。渇きは、"スキル"では癒せない。
――理由?自分の喉が渇きを覚えているからに決まっている。糞が。
ベルウッドは内心で吐き捨てる。
「先行班、そろそろ交代だ、疲れただろう」
「はい、了解です…ありがとうございます」
ベルウッドは先行メンバーを労い、交代する。
――体の痛みや疲労は少ない。渇きと空腹が募る。これを数日間続けねばならないか。
だがしかし、ギルドマスターは一番貧乏くじを引かなければならない。
ふんぞり返って命令しているだけでは、誰も付いてこないのだ。
誰もが淡々と歩き続け、淡々と停止し、遠距離で"スキル"の爆炎と嵐が巻き起こり、また淡々と歩き続ける。だんだんと皆無口になっていき、気力が消失する。
全員が空腹を覚えていた。
「おなか、減ったねぇ」
チャカは隣で歩いていた「ネクロマンサーズ」のネクロンに話しかける。
「……ああ、そうだな。俺、年越し蕎麦食べ損ねたで……」
ネクロンがうんざりと答えたその時、本日4度目の「敵発見!行軍停止!」の声が聞こえる。
先行班が"釣って"来たMOBを魔法使い達が焼き尽くす。
そしてまた先行班が索敵に戻る。手際よく作業は行われている。
本日4度目の「戦闘」が終わり、チャカが口にした何気ない一言が、悲劇を巻き起こす事となった。
「モンスターって、おいしそう」
「……食えるのか?この6本腕」
あれよあれよ、という間に「"6本腕"食えるんじゃね?」と言う話が広まった、
『英雄』達は現代っ子で、空腹だったのだ。
戦闘班の戦士と、魔法使いがざくざくと切って焼く。
異形の肉でも、焼けばそれなりにおいしそうな匂いを放つ。
本当に美味しく食べるなら、毛をむしって、皮を剥いで、血抜き等の作業をしなければいけないだろう。
でも、そんな事より「モンスターを食べる」と言う発想に皆して心躍っていたのだ。
「うし、火は通ったなー」「上手に焼けましたー!」等の、明るい会話が飛び交う。
先行班の人にも後で届ければいいよな!等と修学旅行のキャンプの様な世界が広がった。
「じゃ、皆様。お手を合わせてー。いっただきまーっす!」
ネクロンが音頭を取って、食事は始まった。
魔法使い達が<火弾>を使って焼き上げた肉は、じゅうじゅうと熱い肉汁を垂らし、いかにも美味しそうだ。
空腹は最高の調味料、って名言だ。皆が思いながら、かぶりつく。
その時『"6本腕"の火弾焼き、迷宮仕立て』を食べた者は後に言う。
「今まで食べたものの中では最高の味だった」
その者は続けて言う、なんとも残念な表情で。
「飲み込んだ直後、猛烈な腹の痛みと吐き気に襲われて、のたうち回る羽目にならなければ、きっともっと美味しかっただろうけどな……」