第五話 付き纏う者 (1)
"ギルド"
ネットゲームでは、血盟やら、部隊やら、クランやら、ユニオンやら、レギオン等々、呼び方は様々だが、PTと比較して、長期的に一緒に遊ぶ事を目的とした集団を指す。集団である故に、様々なトラブルが舞い込む。集団である故に、様々な思惑が舞い込む。結成した直後に解散、も、無い訳では無い。まぁ、何があっても『よくある話』だ。
ナイトウが知る限り、よくある"ギルド"の解散理由は二つ。
過疎と人間関係だ。
一緒に遊ぶ面子に魅力が無ければ、ゲームに飽きる速度は加速する。自然と、ギルドから人はぼろぼろと欠けていく。人が居なくなれば、空の容器になったギルドを維持する気もおきなくなる。だから、解散する。
人間関係がこじれれば、その場にい辛くなる。ギルド内部でこじれれば、尚更だ。ストレスを解消する為にゲームをしているのに、ゲーム内部でストレスを溜める人は奇矯な存在だろう。そうしたギルドもまた、解散される。
ナイトウは、ジャンヌがギルドを飛び出した後の、様々な噂を聞いてはいた。
ギルドブレイカー、から始まり、あばずれだの、売女だの、黒ゴキだのと、悪意に満ちたあだ名が付けられた彼女の事は、ナイトウはナイトウなりに心配してはいたのだ。
自分の所に相談しにきたら、力になってやろうとは思っていた。しかし、だ。当時のナイトウの言動は不真面目極まりない。当然、真剣な相談など、ジャンヌから来るはずが無い。
その内戻ってくるなら、戻ってくるだろう。戻ってこないなら、仕方がない、何度も経験した、よくある出会いと別れだ、とナイトウはある種の諦めに似た感情を抱く。
若いうちには、よくある話さ、と。
だから、ナイトウはチャカとジャンヌがこじれた原因を知らない。
ジャンヌに手渡された回復薬をチャカに飲ませ、タイタンに飲ませ、ナイトウ自身も飲んだ。
上手く動かない右腕が見る間に治る。正に夢のような薬だ、とナイトウは思う。チャカの左腕も治っていく。真っ赤に染まった包帯の、巻き損ねた箇所から見える肌は、産まれたての赤子のようなピンクの薄皮が張っていた。タイタンも包帯を巻かれた腹を、痒そうにさすっていた。時折顔を顰めるのは、回復薬の効きが悪かったからか……いや、戦士だからだ。豊富なHPを、回復薬一つで回復させようなんて、おこがましいにも程がある。
その横で、ジャンヌは回復薬を手元で弄びながら、薄ら笑いを浮かべてチャカを見ているのであった。
その表情を見たときに、ナイトウの背筋に嫌な汗が流れ落ちる。
ナイトウが高校生の頃だったか、それより前か、下手をすれば十年、十五年以上も昔の話になる、まだ真人間だった頃のぼんやりとした記憶。あの頃、姉が上手くナイトウをハメた時の顔を思い出す。罠にかかった獲物を見るような、不思議の国のアリスもビックリなチェシャ猫の顔であった。
「それで、チャカッ子、一つお願いがあるんだけど――」
ようやく贈り物を受け取ったか、と、ジャンヌの顔は言っていた。
「ちょっと匿ってくれない?」
匿ってくれ、とは物騒だ、とナイトウは思う。嫌な予感に身を震わせつつ、ナイトウは聞いた。
「お、オレ思うんだが、何で匿う必要があるんだ。ジャンヌたんのギルドはどうしたんだ、そこから説明しろよ」
「解散しちゃいました」
「へ?」
「だから、ちょっともめたから、解散しちゃいました。それで――解散する際に、ギルド倉庫にあるアイテムをちょっと持ち出したの。それが、さっきナイトウ様達が飲んだ、回復薬なのよ。それでギルメンから、ちょっと追われてるのよ」
ごめんね、と小さくジャンヌは呟いた。
「はぁ!?」
ナイトウは状況が理解出来ない。
「つまり、ナイトウ様とタイタン様には物凄く気の毒なんだけど、共犯者になって貰いましたー!」
――その後、三者三様の怒声が響いた。
「大体……匿え、ってどうして匿う必要があるの、そもそもこんなに大きい街なんだし、適当に隠れてればいいじゃない」
チャカが怒りを抑えて、ジャンヌという過去の生徒に静かに訊ねた。
「チャカッ子、システムはきっちり把握しようね、って昔よく言ってたじゃないの。右上のレーダーはいつでもよく見ておけって、さ」
確かに、チャカがジャンヌにその手の事を言っていた覚えはある。ルールを把握しないで、ゲームをやっても、大して楽しくないからだ。
「気配とか、そういうのに、取って代わったけどね、その辺りはまだ生きているのよ」
ジャンヌが鼻高々にチャカに説明する様を見ながら、ナイトウは言われて見れば確かにそうだなと思う。少々前に、チャカが攫われた時、何故そこまで迷わず、ナイトウは合流出来たのか。正確な位置こそ良く判らないが、大まかにどの辺りに、どんな存在がいるのかは、それなりに寄って、集中すれば何となく判る。
「特に"ギルメン"の気配は判りやすいのよねー。そうじゃないならボンヤリとしかわかんないけど」
「だから、つまり、"ギルドメンバー"から逃げる為にギルドを解散した、と」
チャカの声はあくまで冷たい。何故逃げた、と氷のような視線がジャンヌを刺す。それを見てナイトウは疑問に思う。どうしてコイツは、ここまでジャンヌを憎むのかと。
「ま、まぁ、落ち着こう。ジャンヌたんもチャカも、一寸冷静になるべ」
ナイトウの嗜めるような声に、ギリギリッと怒りを露にするチャカ。舌を出して挑発するジャンヌ。
(まったく、大人気ねぇなぁ)
ナイトウは、感情的に向き合う娘二人をどう扱うか、困り果ててタイタンを見た。
「俺は――匿う事事態には、反対だ。盗ったもん耳揃えて返して、詫び入れて来い」
上半身を起こし、腹部に何重にも巻いた包帯を気にしつつタイタンは言い放った。タイタンにとって、ジャンヌは懐かしい仲間だ。
だが、幾ら懐かしい仲間とは言え、筋を通さない事には我慢がならない。
「筋通して来い。その後居場所が無いなら、ここに来ればいいだろ」
呆れたように、吐き捨てる。その後、ふと思いついたように。
「俺らが使った回復薬分位は、一緒に侘びに行ってやってもいい……ナイトウ、後は任せた。腹が痛いし、全身も痒い。寝る」
そっぽを向いて言い切った後、タイタンは慌てて上半身を寝台に放り出し、たぬき寝入りを始める。
開け放たれた入り口の扉で、呆然とこの状況を見つめる、ヤーマ達の姿があったからだ。
驚愕と、困惑と、納得。あちらはあちらで、三者三様の様相を見せていた。
(やはり、復活は可能だった、という事ですね)
トワは冷徹な視線で、御伽噺と現実のすり合わせを行う。政務の傍ら、あまり表に出ない、御伽噺を収集した。
何度も死んで、何度も蘇り、大軍を持って当たらねばならない伝説の魔物を打ち倒す。十字に祝福された英雄達。神の欠片を宿し、邪神を打ち倒す為に剣を持って立ち上がった一騎当千の人外だ。
歴史に"彼ら"が出現したのは、おおよそ二百年と少々前。十二年にわたって続いた、第一次邪神戦争の時である。
その時に実に五千の英雄が現れた、と言われる。
それから百年ほどの間、全く"英雄"の活躍が記されていない時期が訪れる。
そしてまた、百年ほど前に英雄が現れた。この時期からまた、邪神の脅威が囁かれ始めた頃だ。
この時から、おおよそ五十年間、英雄は星の数ほど生まれた。しかし、新たに"生まれる"英雄は、ここ二十五年、ほぼ存在を確認できない。
邪神の脅威は継続しているのに、姿を消した"英雄"も多い。
ここまで調べて、トワに疑問が生まれた。
邪神が顕現するから、英雄は生まれるのか、
――それとも、英雄が生まれるから、邪神が顕現するのかだ。
もっと昔は、魔物に街が襲撃される事も多かった。戦乱も、激しいものが多かった。
しかし、今は――特にここ二十五年、トワが生まれる少々前から、大規模な魔物の襲撃はほぼ記録されていない。邪神領の方はそうでもないが、特に人領とされる、主要都市群への襲撃は為されていない。
戦争も、昔は激しい物が多かった。特にこの地にあった女王国を攻め滅ぼした時は、数多くの英雄達が参戦した、と言われている。
しかし、フェネクの出した『協定』以後、辺境の地での領地の取り合いはあるものの、国の存亡をかけるような大きな戦乱は起こっていない。
そして、驚くべき事は、ここ二年、戦争続きのこの世界で、戦争そのものが起きていない。
精々、人領の国境を巡る小競り合い程度だ。
英雄達の数も、ぱたりと減った。噂に上るのは、ごく限られたもの達だけ。
神学者や星読み達の解釈によると、これが英雄達の活躍によって為されたのだ、という事らしい。しかし、彼らを見ていると、この解釈にも異を唱えたくなる。
トワの生の感覚としては、彼らはとてもそんな『化け物を相手にするモノ』には見えないのだ。王宮の古狸どもと比べて、どれほど扱いやすいか。小娘の言葉に容易に揺らぎ、繰られる。確かに力はあるあろう。
しかし――。
「トワ姫様、申し訳無いですが、一寸私達だけで話し合いたいので、席を外しても宜しいでしょうか?」
彼らの"主"が代表して、話しかけてきた。一時、トワの思考は中断される。
ヤーマが甲斐甲斐しく、彼らの一員の金髪の大男の腹の包帯を取替え、頬を赤らめる。カノは胡乱げにそれを観察しながら、溜息をつく。一瞬、トワはその二人に視線を向けた。
トワの視線を勘違いしたのか、白金の少女は諦めたような口調で、こうもいった。
「アレはここに置いておきますので、暫くご自由に、どうぞ」
「……そうですね、いいですよ、あなたがたもご自由に」
彼らを引き止める事は、トワならば可能であろう。相応に事由を付けてやれば、一発だ。ただ、その必要性すら感じない。
今は思索に耽る時間だ、とトワは思う。
(今、俗世間に現れた理由はなぜかしら)
『邪神を倒した』というのが真実であれば、十字が停止しなければ、おかしい。魔物の影が消え去らなければ、おかしい。前はトワはこう語った。
(逆に、邪神を倒したのに、十字が停止しなかった結果、と仮定したらどうかしら)
仮定ではあるが、実にしっくりとした考えにたどり着く。
手続き上の失策、は、役所上の仕事でもよくある話である。そのまま通して、トワの所にまで流れてくる事もあった。それすらも気がつかず、印を押すこともある。
(もしかしたら、彼らは不具合なのかもしれない)
今まで頑なに、社会への関わりを否定してきた"英雄"が、目の前に存在するのは、彼ら自身の意思ではないのかもしれない。
時折見せる、彼らの見せる不自然さは、御伽噺の住人が、意図せず現実になったからではないだろうか。
(迷子、それか、赤子?)
トワの推測は、この世界の住人としては、最も真実に近い。
値踏みをするように、トワは金髪の美丈夫を見定める――
チャカが感情のままに、力の限りを振るって扉を閉めた。バタンどころか、バゴン、というとんでもない大音が響き、扉を止めるネジがぎりと歪んだ。カノの館のチャカの私室として使っている部屋の、建付けが良かった扉が一つ、ダメになった。
「で、話をもどそっか。なんでギルド倉庫の物を全部持ち逃げしてきたの?」
チャカはどっか、と椅子に座る。目の前の娘を見て、感じるのは苛立ちだ。
どうしてデータを大事にしないのか。それは、きっと、ジャンヌも含めて、彼女のギルド員全員の思い出だろうに、と。
「そんなの、チャカっ子には判りませーん。特に、アイテムの事なんて、チャカっ子には」
ふてくされたように、ジャンヌは言った。
「大体、"解散"したら消えちゃうじゃない、ギルド倉庫のアイテムは。だから全部持ってきたんでーす」
「ま、まぁ、消えるわな」
ナイトウの合いの手が入る。確かに、"ギルド"を"解散"すると、"ギルド倉庫"のアイテムは消失する。
「そ、それなら何でギルドを解散なんかしたんだ?」
「それは、す……」
不自然に途切れた、言葉。
突如辺りを見回し、不安な表情をジャンヌは見せた。
「だれも、居ませんよね。私達以外に」
「ま、まぁ、そうだな」
「本当に、居ませんよね?」
念を押すように繰り返した。ナイトウが改めてジャンヌの顔を見ると、先ほどまでの生意気な表情は顔から剥がれ落ちていた。
「何、言ってるんっスか?」
ヒゲダルマも異常に気がついた。小刻みに、ぶるぶると、ジャンヌが震えている事に。
ナイトウは、ふと、何故か窓辺の方に、何かの、ある種の慣れた、ピリピリとした気配を感じた。これは――
「……居るんです。感じるんです――――窓にっ!!」
窓を指差すジャンヌ。窓の外に、影が――
ガタッ、バササササッ。
悲鳴のようなジャンヌの金切り声に、チャカは椅子から滑り落ちた。ヒゲダルマは指された窓に視線を飛ばし、ナイトウは咄嗟に、背中の錫状に手を伸ばして、止めた。
人の大声に吃驚したのか、窓の縁に止まっていた烏は、カァー、カァーと鳴きながら空へと飛び立つ。
「じゃ、ジャンヌたん。ありゃ、カラスだ!」
悲鳴。
ヒステリックな女の叫び。ジャンヌは子供が駄々をこねるように、イヤイヤと頭を抱えて床にうずくまった。
「た、単なるカラスだろうよ……び、ビビりすぎだ」
再び発した言葉は、ジャンヌに向けて放ったものではなく、ナイトウ自身が落ちつく為の発言だった。
(まったく、男でも女でも、悲鳴は本当に心臓に悪い)
ホラー映画でも、ジェットコースターでも、絶叫があるから怖い、とナイトウは思う。まぁ、ナイトウの隣で悲鳴を上げるのは、基本的には見知らぬ誰かだったが、ナイトウ自身は恐怖を感じる事は、なかった。
(確かきっと、無かったと思う。いや、それでもきっと、アレだ。やっぱり怖い物は怖いべ。"蟲の園"のウヂとか)
と、若干情けない事も思うが――まぁ、カラスも音を立てれば飛び立つだろう。
飛び立つタイミングが、実はジャンヌの悲鳴よりも少々早かった事など、偶然の一致だ。
バサバサと、少し耳を澄ませば鳥の羽音が聞こえるのは明らかであった。だから、ありゃあ、カラスだとナイトウは言ったのだ。
ナイトウは、偶然の一致という事にしておきたかった。
ゆっくりと窓辺に寄り、風通しの為に軽く開かれた窓を大きく開く。からりと乾いた風に乗る、真夏の匂い。街の匂い。人の匂い。植物の匂い。馬の匂い。そして、かすかに匂う、生臭い、以前のナイトウのよく知った匂い。
窓枠に手を置き、左、右、上、と外を見て、もう一度左を再確認。
視界に異変は何もなかった。
庭に繁る昼顔の薄いピンクの花も、手入れの行き届いた芝生も、高い塀も、何ら異常は無い。日陰になって、一面の影になっているものの、何ら異常はない――はずだ。
窓の桟を掴み、やはり気のせいだ、と無理やりナイトウ自身納得しようとした時である。
(何だ、この感覚は)
にちょり、と指先に伝わる粘液質な感覚。
指先から背骨かけて氷柱を差し込まれたような異物感。
冷や汗がダラダラと背中から尻の穴まで伝って流れ落ちた。
それら全てを振り切り、咄嗟に窓を閉める。かんぬきをかける。軽く押して、確りと施錠されていることを確認する。指をこっそりと尻で拭う。先ほどまではささやかに流れていた風の流れが止まり、少し澱みが増したような室内へナイトウは視線を向けた。
「ほ、ホラ、なんもなかったべ」
多少ナイトウの顔は引きつっていたが、それを気にする者は誰も居なかった。悲鳴に驚いて椅子ごと倒れているチャカは、頭を押さえてうんうん呻いていた。ヒゲダルマは悲鳴を上げてうずくまるジャンヌに気をとられてナイトウの事など、はなから見ていなかった。肝心のジャンヌもそうだ。
皆が皆、己の事に気を取られすぎていたのだ。