第十六話 巨人を堕とせ (3)
「ドン亀、お前の戦い方を見て思ったよ。愚直なまでに盾を手放さないそのスタイル。最初は単なるド下手かと勘違いしたぞ。最近の"戦争"じゃ見かけないその面と、微妙な装備を見てな」
今でも十分使える強度にまで"強化"されている、タイタンが構える剣と盾――"魂喰らいネザファル"、"不沈のヤオツィン"、どちらも今となっては、二線級の品――を見ながら、悔やむようにムショは言った。
「最近じゃ、プレイヤーは減った。常にフォローやカバーに周る戦闘スタイルはあまり流行らない、個人技の時代だ……だからこそ、役割分担をきっちりとした、常にフォローに周る盾は、集団戦では貴重で、強い」
じり、とムショが一歩詰める。間合い、未だ圏外。
「それが、今でも共鳴痛以外にごろごろ居るもんじゃねぇ。あいつ等の結束はある種、異常だ。それこそ、俺達と同じぐらい、な」
間合いを測る。ギリギリの間合いだ。これ以上進めば、お互いに致命の打撃を加える事が可能になる。ムショはその間合いを維持する。
「俺も油断しきっていた。"赤盾"や"ギルドブレイカー"、"ネクロシールド"クラスのプレイヤースキルの"純盾"なんて、早々いない。"盾"は居ても、"純盾"をやれる奴は、本気で少ない」
単なるMOB狩りで、"純盾"は不要だ。その高耐久性能はMOBには過剰過ぎる。
単なる一対一や少人数戦闘では、低火力が仇になる。
故に、彼らが最も輝くのは、超多人数戦闘、"戦争"での戦線維持。
それは、減り続ける人口下では、まともに遊ぶ事が出来ないコンテンツ。人口減に絶望して多くの"純盾"がゲームを去った。
一人では生きれない。一人では面白くない。
誰かが居ないと、輝けない。
――それが、純盾だ。
「対多数での戦闘に慣れきった、集団戦での落ち着き様。ワンチャンスを見逃さない援護攻撃。恐らく"スキル"の構成は、盾八割、剣一割、弓一割。今の4―4―2構成とは異なる、全盛期の戦争末期のテンプレ純盾。陳腐化して行くDFに見切りをつけた、引退者。それが、ドン亀、お前の正体だろう?」
語るムショの目は太陽の熱に浮かされたようだ。
「――――それで、だ」
饒舌な言葉が、途切れる。
急に油が切れたような、軋んだ空気が、一気に流れた。
「それで、何だ。確かに、概ねお前の言った通りだよ。それが、お前にどう関係するよ?」
口内に溜まったつばを飲んだ後、タイタンは搾り出すように言った。
「ドン亀、ウチに来い…………Unlimitedに、来い」
ムショは逡巡した後、言った。
「俺がそれを飲むとでも、思っているのか?」
タイタンは一旦、構えを解く。目の前の男のあまりの唐突な戯言に、怒りの気配を削がれる。
「いや、お前なら飲めるだろうさ。何故ならお前の立ち位置は、俺達に近い」
ムショの視線が粘りつく。タイタンの心の臓まで見透かすかのような視線であった。
「何故ならお前は、一度は引退した。あの世に大切な物を残しているから出来ることさ。ここを終の棲家に定めた、他の廃人達とは違う」
構えを解いたタイタンを見て、ムショもまた、両手で構えた大刀から、片手を離す。
「お前が対人を嫌っている訳でも無いことは、その構成からも判る。引退したが、告知を見て、僅かに残っていたこの世への"未練"で舞い戻ったんだろう?」
一度大地に投げた回復薬を拾い上げ、ムショは左手で弄ぶ。
「あの世に戻るついでに、あの時代の熱狂をもう一度味わわせてやるよ。悪い提案じゃないだろう」
ムショは回復薬をタイタンに放り投げる。受け取るタイタン。
「確かに……な」
(あの時の熱狂がもう一度味わえるなら、魅力的な提案だろうな)
もしこれが、一片の狂いも無くゲームであったのであれば、タイタンの心はその言葉に、揺らいだであろう。
「戻り方が判っているなら、どうして全員に協力を頼まない。お前の言っている事は筋が通らない」
「どうもこうも無い。"ゲーム"をぶっ壊そうとするのに、どうして廃人が賛成できるよ。この世を愛している奴が、どうして世界を壊してまで戻ろうとするよ。……戻れるのは、この世に未練が無い奴だけさ」
タイタンと対峙する男は、この世界を拒絶する。あの世界への切望がある。その感情は痛いほどに理解できる。
しかし、だ。その感情を、タイタンの感情は許さない。
「……ふざけろよ。全く、もう少しふざけろよ。戯れるなら、もっと面白い事を言えよ」
受け取った回復薬を握り締めながら、タイタンは言い放った。
タイタンがあちらに残してきた物も多い。
親兄弟に、友人知人。元彼女もどうしていることやら。
もしも完全な一人身であったなら、ムショの言葉に頷いただろう。
「俺はゲームには飽きた。けれどな、まだ、人には飽きてない――」
だが、タイタンは一人ではない。こちら側にも、色々と心残りがある。
ナイトウはダメな奴だが、恩人と言っても良いだろう。
チャカもダメな奴だが、ダメな奴なりに面倒見が良い。
ヒゲダルマはダメな奴かどうかは判らないが、基本的には気のいい奴だ。
それだけじゃない。後ろ血の海に沈んでいるヤーマや、何だかんだで世話になっているカノや、おばちゃんや、よく判らんお姫や、その他諸々の新たな人の縁。
「――俺は、"こちら"を斬る事は出来ない。斬ったら、俺は俺で居られない」
「そうか、お前も馬鹿か。ならば仕方ない」
ガタガタと揺れる馬車の御者台で、カノは苦悩していた。
『捕虜』の扱いである。
何だかんだで竜の襲撃による死者は、多かった。野盗達の一団は、かなりの数が竜の咆哮によって息絶える羽目になっていた。
そして、村人の被害は、主に野盗の一団によって引き起こされた。
それをまとめて、化けて出ぬように焼き、埋め、祈る。
後の村の復旧は村人自身の手で行うが、その為に色々便宜を図る、とカノは村長に約束させられた。
ここまでは良い。カノの裁量でも問題なく行える事だからだ。
厄介なのはここからだ。
単なる『野盗』なら、その場で縛り首にすれば済む話である。
だが彼らは、フェネクの『兵士』だ。彼らが原因となれば、事態は異なる。
フェネクが主導し、フェネクによって定められた『条約』を破る大罪人達だ。簡易法廷で裁き、死罪を与えればそれで済む、と言う単純な問題にはならない。より上の方での政治的駆け引きが行われる事になるだろう。
クオン側から『仕掛ける』大義が生まれるのだ。
バイカまでこの『捕虜』達を生かして連れて行けば、それにトワ姫様が絡めるのではないか、と言うカノの多少の期待がある。それまでは、精々生かしておこうと言う話だ。
だからこその『捕虜』待遇。普段ならば貴族級の相手しか受けれぬ、特待だ……とは言え、移動は徒歩であるし、四六時中縄で縛られているが。
バイカに帰還するまで、後一日。奇跡的に無事であった荷馬車の上で、カノの溜息が漏れる。
考え事をしていたら馬の足が止まっていた。
足が止まっていたのは馬だけではなかった。
左腕の包帯が痛々しい少女の足が、止まっていた。右腕に包帯を巻いた男の足もまた、止まっていた。髭の巨漢の足もまた、止まっていた。
何故だろうか、三者三様、茫洋とした様を浮かべていた。
「三人とも、行くよ」
「あ、うん。ごめん。ちょっと、なんだか、胸騒ぎがしたんだ」
チャカが鈴を転がすような声で答えると、はっとしたように二人も正気に戻る。
「い、嫌な気分だ」
「全くッス」
「急がなきゃ今日中にバイカに到着しない、行くよ」
カノが馬車馬に軽く鞭を入れる。ガタガタとおんぼろな音を立てて、再び荷馬車が歩きだす。
「お、おわっ」
ナイトウが、小石にけつまづいたのだろう。バランスを崩した所を、チャカが両手で支えようとしたのだろう。振り返らずにカノはその光景を想像する。
「い、いい。オレ一人で出来る」
ナイトウは顔も合わせず、その手を払う。右腕が自由に動かない為に、ナイトウの動きはひどくぎこちない。拒絶された少女の顔は悲しみに歪んでいるのだろうか?
(ああもう、イラッとする)
後ろで何度も繰り広げられている光景は、この数日間で、一々振り返らなくとも想像がついた。御者台で黙って馬を繰る、一人身のカノは、我が身が悲しくなる。
ガタリと後ろで大きな音がする。歩き詰めの捕虜達が転んだのだろう。
馬車に括りつけた縄がピンと張られ、衝撃で馬の足がまた止まる。
この調子では、到着が夜になってしまうではないか、とカノの内心がざわめいた。
「本当に、どちくしょう」
ガタガタ揺れる荷馬車の御者台の様に、ガタガタ揺れる彼らの心。
空は変わらず、青い。
踏み込みと同時に、瞬時に交錯する男と男。片方は盾しかもたず、片方は両手で振るう大太刀を持っての残撃を放つ。
盾に体重を乗せて、一つの弾丸となった<体当たり>と大太刀を八双の構えから切り下ろす<憤怒の一撃>の交錯。
起こる"相殺"、お互いの力と力のぶつかり合い。片方は護る為、片方は壊す為の力。力に意思がこもるのであれば、そう例えるのが正解だろう。
お互いに弾かれ、僅かな間合いが開く。刀に短く、拳が届く、僅かな距離。
「ドン亀ぇえええ!」
「うっせえ、サムライ野郎!!」
盾を使うのであれば、後の先を取るのが基本中の基本。それを、初手からの定石外し。
剣を持たない圧倒的な攻撃の差、鎧を着けない圧倒的な防御の差、今のタイタンでは、定石通りに進めていては勝機のしの字も掴めない。
タイタンの積み重ねた戦闘経験から生まれる勝負勘は、長い休止期間で錆び付いては居なかった。分の悪い賭け、その無謀な突撃は、確かに瞬時の勝機を見出せるに足りる、僅かな隙間をこじ開ける事に成功する。
「お寝んねしやがれ、この糞ガキがぁ!」
そのまま踏み切り、ステップイン、飛び込みながらのジョルト・ブロー。"スキル"には無い、"スキル"ではない、瓶を握りこんだ拳の一撃が、ムショのこめかみに向かい、伸びる。
もし、タイタンに鎧があれば、万全の状態であればまた結末は異なったかもしれない。しかし、圧倒的な状態の差は、覆らない。
拳がこめかみに当たる直前、タイタンは腹に猛烈な熱を感じた。
伸びきる前の腕が、止まる。
もし、剣を取る選択がタイタンにあれば……いや、ただ剣を握っていただけでは、覆らなかった。
単純な"大穴"での再現が起きるだけだったろう。
よって、この結果は、必然。
「……まぁ、命までにしておいてやろう。それ以上のものは盗らんよ」
即時に胴狙いに移行したムショの大刀が、タイタンの腹に半ば食い込んでいた。
「一度逝けば判る。物分りの悪い俺でも、判ったからな……それとも、そいつを飲んでまだやるか?」
右手に持ったPOTを握り締めるタイタンを見ながら、ムショは語る。
「尤も、鎧もつけぬお前では相手にならん。この勝負はノーカウントだ」
がらん、と地に落ちる盾。ぐぼ、と吐く血と、溢れる腸を抑えるタイタンに背を向け、十字に向かいムショは歩き出す。
「また、会おう。また、殺りあおう」
ムショがどん、と十字を叩く。青白い光が溢れ、世界が歪む。段々と薄く消え去るムショの姿をタイタンは見る。実に楽しそうに哂っていた。
「勝手な事を……言いやがる」
ぐらぐらと定まらぬ、酔っ払いの千鳥足よりも酷い足取り。背後で倒れたヤーマの元へ、タイタンは歩く。意識が白く塗りつぶされる中、一歩一歩進む。
(ああ糞、畜生、ど畜生、持てよ、俺の体)
血だまりに倒れこむ女の背に刺さった、短刀を引き抜く。びくりと女の体が震える。
まだ、生きていた、と多少の安堵。左手で抑えていた自分の腸が飛び出す。回復薬の瓶を空ける。薬臭い、独特の匂いが鼻につく。
最後の力を振り絞り、半死半生のヤーマの口にそれを流し込んだ。
流れ続ける血の中、失われていく意識の中、タイタンは思う。
――こんなに世界は暑いのに……すげえ寒いなぁ。
それは、世界の繋がりを断ち切られた寒さ。命あるものがけして避けえぬ、死の冷たさ。
(だが――果たして、アレは、本当に"死"と呼べるものなのだろうか?)
ムショは飛んだ先で思う。砂嵐舞い散る、フェネクのオアシス。
吹き付ける風が、痛い。
「師匠、お疲れ様です」
引っ張り出したアコニタに向かい、ムショは頷く。
「次の"十字"に向かう。お前も本格的に鍛えてやる。暫くしたら、他の師にも合わせてやる」
真摯に頷くアコニタを観ながら、ムショの思考はあらぬ所へと、飛ぶ。
「その前に少々買出しだ。出来るな」
「はい、師匠」
行け、と送り出したアコニタの背を見ながら、ムショは呟いた。
「……俺もあの世で死んだ事がないから、判らんが、な」
呟いた声は、びゅうと吹く渇いた風に飲み込まれて、誰にも聞こえなかった。
第三章『合金の竜(仮題)』了
12/4/20 11:20 後半部戦闘シーン、改稿。