第十五話 巨人を堕とせ (2)
十字が存在する街には、広場が必ず存在する。大地に刺さった十字架を中心に、ぐるりと同心円を描くように広場が自然と生まれるのだ。
これが、十字広場だ。
信仰の中心となっている十字は日時計の役割も果たす。生活にも密着した使い方である。
おおよそ十字の影が南を指す頃合、夏の一日で一番人通りが少なくなる正午。十字広場に人影はまばらだ。
魔都と揶揄されるバイカでも、人の生活は大して変わらない。
今日は暑い。こんな日には外に出ずに日陰で涼むに限る。
こんな暑い日に外を出歩くのは、仕事か、酔狂か、お上り位だろうさと、十字広場に店を出す食堂の店主は、途絶えた客足を熱気のせいにして愚痴る。
先代の店主が掘った井戸から出てきた冷水は、この熱気でも変わらぬ冷たさを誇っていた。半月ほど前の夜は赤黒く濁った水質にやきもきしたものの、今となっては前と変わらぬ、冷たく澄んだ水が流れている。
そんな、自慢の取っておきの冷水で出した茶を注文した、一組の男女の行く末を、店主は温い視線で見守っていた。
通りに出した木製の小洒落た椅子と、丸テーブルを覆うニスが、真夏の太陽を映してキラキラと光る。
全くない訳ではないが、経験が豊富と言うわけではない。
タイタンの恋愛経験の事である。
中学高校大学と、人並みに恋愛をし、人並みに付き合い、人並みに別れた。いや、別れたきっかけがDFに熱中していた事だったから、これは人並みではないのかもしれない。愛想を尽かされた時の「あたしとゲーム、どっちが大事なの?」という彼女の台詞は今でもタイタンの耳に残っている。
あの頃は何よりもタイタンはDFに夢中であった。
思い出すと多少苦い思い出だ。
そんなタイタンではあるからして、見合いの経験は無い。いや、そもそもこれは見合いなのか、極めて怪しい話である。
それ故に、どういう顔をして目の前の女性と向き合えばよいか、判らなかった。
「あの、テルレ、もう一杯頼みましょうか。ここのお店のはお勧めなんです」
目の前の女性がおいしそうに飲むテルレと言う飲料は、真夏のバイカでは良く飲まれる伝統飲料だ、いや、伝統飲料らしい。
征服者がこの地の伝統を根こそぎ奪い去った後、主流となったのは煎りタンポポの根の飲料だ。最近は懐古の風潮が高まって、かってのオウレンの文化の復興を、という流れも出来ているのだとか、という話を目の前の女は言った。
タイタンにとっては未知で既知、苦味と草の青臭い匂いのきつい味は、今まで飲んだどんな茶よりも舌を痺れさせた。
山盛りの茶葉に水を入れ、細い葦の底面に針で無数の穴を開けたストローで飲むと、茶と同時に茶っ葉が口の中に流れ込む。えぐみと苦味は、慣れないときついだろう。チャカは苦手だったか、とタイタンの記憶が蘇る、いや、蘇らない。
何故こんな記憶があるのかは判らないが、いい加減慣れもする。
またか、だ。感覚と結びついた記憶は、深く残ると言われる、恐らくそういうこともあったのだろうと折り合いをつけて、目先の問題に集中する事にした。
今は、目の前の女性がニコニコと笑みを浮かべ、店で買った飲み物を椅子に座って飲む状況を何とかしなければと、曖昧な笑みを浮かべながらタイタンは思うのであった。
どうして、とか、何故、とか、その手の切り出しは全く無視で進む話が世の中にはある。
「タイタン様、結婚を前提にお付き合いをして欲しい、女性を紹介したいのですが、宜しいですよね」
カノの館の応接間で待っていたタイタンに向かい、部屋に入って着座するなり、有無を言わさぬ口調でその女は言った。唐突過ぎるし、直球過ぎる切り出しだと、タイタンは思う。
思わず慌てて周囲をキョロキョロと見回す。ここ数日、見舞いと理屈をつけて時々顔を出した女が言い出した言葉とはとても思えなかった。
今までは、『お体を大事にしてくださいね』やら『思い人はさぞかし幸せかもしれませんね』やら『素晴らしいですわ』等と曖昧な言葉を口にしていた女が言い出す言葉とはタイタンには思えなかった。
「会って話をするだけでも構わないのです。彼女、何しろこのままだと行かず後家の候補になりそうで、友人としては心苦しいかぎりですの。あ、そんな顔をしないで下さいまし。器量や家柄は全く申し分ないのに、男っ気だけは無いのです。そういう意味では可哀想な子で、出会いと言う機会が全くない寂しい人生を送ってるんですのよ、そこを私が一寸取り持って上げたいと思うだけで」
立て板に水、よどみなく流れるその口上にタイタンは「はぁ」と気のない返事を返す事しか出来なかった。
「それじゃ、本当に会って話をするだけですよ。俺、結婚とかそういうのまだ興味ないんで」
延々と続く言葉に、いい加減タイタンがうんざりして放った一言を、聞いたトワはにんまりと笑う。
「それじゃ、よろしくお願いします」
パンパンと手を叩いた後に部屋に入ってきたのが、彼女であった。
一瞬、その胸に目を奪われたのはタイタンの男のサガだ。
その結果が、これだ。
真夏の太陽の下、タイタンはデートの真似事をしながら、何が目的なのか、思考を巡らせる。
少なくとも、女性を紹介して貰う事、それ事態は、別に悲しむべき事ではない。むしろ喜ぶべき事だろう。しかし、数度あっただけの姫様に紹介してもらうというのは、腑に落ちない。
デートであって、デートではない何か別の目的があるのではないか。
初見の迷宮を攻略するかの慎重さでもって、当るべきだとタイタンは思う。
「それで、あの見事な剣術は一体どこで学ばれたのでしょうか、タイタン様」
「あーっと……確か、何だっけな。昔の話だから一寸記憶にないな、済まん」
よく見たら、ほんの半月ほど前に一緒に潜った女戦士か、とタイタンが気がついたのが、後はごゆっくり、と無責任にぶん投げたお姫が退出した後だった。
よく判らない空気のまま、街に一緒に出かけてこうして茶を飲む羽目になった事で、多少の余裕が出来た。何故か腰にモーニングスターを携帯している女子と茶を飲む羽目になるとは、思いもしなかったが、まぁ、これはこれで一つの経験だろう。
最初は怯えていたが、徐々に距離を詰めて来るヤーマを適度にあしらいながら、ある種の余裕を持って対峙する。
「それで、ヤーマさん、でいいか。ヤーマさんはさ、一体何が目的なんだい」
「あの、それはどういう意味ですか」
困惑気味の顔を眺めながら、タイタンの思考は加速する。
(どうにも、最近、疑り深くなって良くないな)
「百合騎士団だっけな、ヤーマさんは百合騎士団の団長って話じゃないか、それなのに俺に構っていて大丈夫なのか、ってさ。仕事忙しくないの?」
タイタンが話題を振る。ジャブのつもりだ。
「いえ、最近は……あまり。引継ぎももう、ほとんどやる事ありませんし」
ヤーマの顔が一気に暗い物となるのを見て、相手のトラウマを一気に突いてしまったかとタイタンは焦る。
「私、クビになるんですよ、騎士団。おかしいですよね、私から武芸を取ったら何にも残らないのに」
ヤーマは儚く笑う。ほろほろと涙が零れ落ちる。
(事情を聞くなよ、深入りすんなよ、俺……)
以前チャカ達に言った『深入りするな』と言う言葉は、タイタン自身の自戒の言葉でもあった。
事情を聞けば情が湧く、情が湧けば縛られる。縛られれば戻れない。ただ通り過ぎる旅人でいなければ、戻る事にためらいが出る。
戻る手段を模索している今、自ら深入りは避けるべきだと思う。少なくとも、あちらに未練がまだ、タイタンにはある。
「事情とか、聞いていいかな」
未練があるが、ここで聞かなきゃ、男ではないとも思うのだ。
「師匠、暑いです」
「文句を言うな。俺も暑い」
鎧と言うものは全身を覆う為、厚い。金属板と鎖帷子で各所に補強を加えた部分が、直射日光に晒されて熱を持つ。
鎧を着込むと、とても暑いのだ。それでも鎧を脱がぬムショと、全身を分厚い服で隠したアコニタは、真夏の暑さでやられそうである。それでも外さない理由は無い訳ではない。
鎧われていないと、心細いのだ。凸凹の二人は似ていないようで似通っている。
「それにしても、今日は暑いな。何か飲むか」
「……はい」
十字広場の食堂に入る。客足は確かに少ない。店内に一人、店外に二人……二人?
店外に置かれたテーブルに男女が座っていた。片方は何故かモーニングスターを腰に差した女性、そしてもう片方の男の顔を認識した時に、ムショの顔はニタリと笑いの形を取った。
「飲み物はなんにしましょう、旦那」
人懐っこい笑みを浮かべて注文を取りに来た店主を無視して、ムショはアコニタに言った。
「アコニタ、飲み物は後回しだ。少々、野暮用を片付けなきゃならん」
「へ、あの、師匠?」
「お前は左だ、俺は右だ。当てたら入れ」
視線を飛ばし、低い声で耳打ちをする。アコニタはようやく得心が行ったように頷き返した。
「……うん、判った、師匠」
すっと二人の瞳が細く、鋭くなる。獲物を狙う、鷹の瞳だ。
極めて自然に、アコニタが女の方に近寄る。ムショは男の方へ寄る。
女は泣いて、男はそれを慰めるかのような、よくある愁嘆場の一幕。
そこにムショは割って入る。男が振り返る。間違いない。あの時のドン亀だ。
「一つ、野暮用が有るんだが」
ムショの顔を見て、亡霊を見たかのように男の顔が驚愕に歪む。
がたり、と男と男の連れが立ち上がる。それを見越したようにアコニタが体で当たった。じわりと白いドレスに赤い染みが広がる。
どん、と肉と肉がぶつかる鈍い音と共に、全身でアコニタは刺さった短刀を捻り上げる。
言葉にならない、女の鋭い悲鳴が響いた。
男が更に振り返る。生まれた隙を利用、ムショが全力で丸テーブルを蹴り上げた。粉砕されるラワン材の丸テーブル。飛び散る木片に、思わず顔を覆うタイタン。
「アコニタァッ!」
「はい、師匠!」
刺して捻った短刀から離したアコニタの手を、ムショは取る。グイと引っこ抜くように手元に引き込み、仕舞い込む。
(まったく、これは便利だなぁ、おい)
「てめっ……一体何をっ!? 待てッ!」
男の抗議の声を無視し、ムショは店の外へと駆けだす。店主の怒声と、客の悲鳴。あまり騒ぎは広がらずに済んだ。そして、思った通りついて来る。付いて来なければそれまでだったが、思う通りに事が運ぶ。
ムショは心から、ニヤニヤ笑いを抑えきれない。
十字広場のど真ん中。
「よう、久しぶり。ドン亀よぅ…………名前は覚えてねぇから、ドン亀って呼ぶぜ、悪いな」 ただの人が触れれば死ぬ、十字の生み出す人が入らぬ空間で、ムショは地面に小瓶を一つ投げ捨て、言った。固く栓を締められたガラス瓶が、甲高い音を立てて地に転がる。
「何でお前が、お前が生きてるんだ!?」
「そんなつまらん事より、一つ得な話を聞かないか」
こんな事になるなら鎧を身に着けておけばよかった、とタイタンは思う。それ以上に、後ろで血だまりに倒れるヤーマが気になる。
そして、あの小瓶、よく見て知ったあの形は、回復薬だ。
「手前ッ、何が話だ!」
苛立つ精神を抑えきれず、タイタンの口調は自然と荒くなる。
「話を聞けばくれてやるよ、そいつはな」
地面に転がる回復薬を指して、ムショは自然と薄く哂う。
「俺は、大体名前を覚えてるんだよ、プレイヤーのはな……別に特段自慢できる事じゃない。大体数十人のムラ社会だ、自然と頭に入ってくる。毎日プレイしていたような奴なら、特におかしい話じゃなかろうよ?」
「それが何だ、何が言いたいんだよ!」
「しかし――――俺はお前の名前を知らなかった、お前の存在が目新しかった」
背負った大刀に手をかける。
「気がついたのは、相当後だ。二戦目でやり合った後の話だ」
シャラリ、と抜き放つ。
「気がついたのさ、新しいんじゃなくて、古いんだよ、ドン亀、お前の戦闘スタイルはな。丁度、一年か二年位前の時の流行のテンプレだ」
ムショが大刀を構えたのを見て、タイタンも急いで剣と盾を引っ張り出して、構える。視線はチラチラと回復薬とムショの間を行き来する。
「核心の所に行こうか。――――お前、この世に飽きて、引退した口だろう。ならば、あの世に戻る可能性がある、って言ったら如何するよ?」