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野郎達の英雄譚  作者: 銀玉鈴音
第三章 合金の竜
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第十二話 隻眼の悪鬼


 藪や下生えをかき分けて走る少年の、両手は縄でくくられて不自由であった。

 碌な食物を与えられず、衰弱した体に鞭を打ち、少年は走る。このまま言いなりになっていたら、行き着く先は死か、はたまたそれよりも酷い末路か。

 比較的大人しく、覚えの良いはずの彼ですら碌な糧食を与えられなかった。少しでも反抗するならば、恐ろしい虐待が待っている。


 狼か、熊か、それとも大蜘蛛か。

 少年が知りうる限りでの、凶悪な生き物はその程度だ。

 森に巣を張る大蜘蛛を、父親が叩き殺した時に、少年は尊敬したものだ。あんな恐ろしい化け物を叩き殺すなんて、と。

 その父をいとも容易く叩き殺した、曲刀と投げ縄、弓矢に長じた砂の民――フェネクの兵隊は、それ以上の凶悪な生き物だろう。


 繋がれた同郷の友人知人を監視する、僅かな兵を残し、新たな犠牲を求めて略奪者達が出陣する。その僅かな合間を縫って、脱走を試みた幾人かに紛れて彼は森の深くへと駆け込んだ。

 ――彼の狙いはある程度成功した、と言っていい。

 ほとんどの者がより浅い箇所へと駆け込んだ。本能に打ち勝ち、夜闇深い森の中へと駆け込んだ彼以外は、あっと言う間に掴まり、より酷い目にあっている最中であろう。


 友人知人を見殺しにして得た、そんな些細な時間も長くは続かなかった。あっという間に追っ手が二名、先ほどから追って来る。まるで猟犬のようだ。


 走る息は荒く、全力を出しているつもりの足も上手く回らない。何より、縄があちらこちらに引っかかっては転び、激しく音を立てるのが一番の問題だ。


「おい、あっちだ!」

「回り込め、埒が明かないぞ」


 ひぃ、と喉元からせり上がる悲鳴を少年がかみ殺した時に、張り出した木の根に足を取られる。十分に加速のついた子供の体は――およそ40kgにも満たないものではあるが、ぐるりと地に叩きつけられた。手をつく事も叶わず、肩口から転がるようにごろごろと数回地を転がった後、一本の樹にたたき付けられて、止まる。

 鼻を強く打ちつける。目の前に火花が飛び、鉄の匂いがする。たらりと鼻から血が流れる。


「手間取らせやがって……」

「ちぃっと、教育してやらなきゃいかんな」

 ガサガサと下生えを踏み分け、武装した兵士二人が少年を取り囲んだ。

 彼らが手に持つ鉄刀は、幾ら研いでも落ちきらぬ血の染みが所々に残り、まだらに染まる。薄暗闇の中で、少年は死を覚悟した。

 あるいは、もっと恐ろしい結末を。


 その時、くるくると頭上から水筒が、中身を撒き散らしながら落ち、片方の兵士の頭に、軽快な音を立てて当った。

 スコーン、という軽妙な音が響く。

 ものの見事に、兵士の頭の上に立つように落ちた水筒は、まるで頭に張り付いた様に縦に乗っていた。

 少年はそれを見て、鼻から血を垂らしながら笑った。こんな絶体絶命の時に、妙におかしい。


 一人の少年の運命が捻じ曲がった瞬間である。

 時は少し遡る。





ナイトウ(魔法使い)と死霊使いと……あれは、戦士、計三人か」

 樹の枝に腰掛けながら、顔面に憤怒(ふんぬ)の表情を張り付かせたような、隻眼の男が一人呟いた。

 手に持つ長弓を弄び、人の目ではゴマ粒の点にしか見えぬ人影を見定めながら、戦局の行方を見定める事暫し。それも興味をなくしたか、煙の様に長弓を、存在しない空間(インベントリ)に収納する。代わりに手にあるのは水筒一つ。乾いた喉を湿らせて、一息吐く。

「MOB戦の最中(さなか)にちょっかいをかけるのは、ひどく無粋という物よ」

 "鉄鱗の魔竜"と"魔法使い"の死闘の最中に奇襲をかければ、呆気なく()れるだろうさ。恐らく三人相手でも、自分なら殺れるだろう、と甘い誘惑の声が聞こえた気がする。


(いいや違う。とびきりの廃人(クズ)なら、この状況でも反撃の手を打てる)

 負けてもよい局面と、負けてはならぬ局面がある。特に今は、ならぬ(・・・)局面だ。

 かじりつけば、とびきり痺れるような一時を過ごせることは間違いがないだろうが、リスクが大きすぎる。毒があっても河豚を食らう、人間の業は深いと思いながらも、ムショは自制する。どうしても食らいたいなら綿密に毒抜きをしなければならぬ。

 アレはそういう手合いだ。


(どちらにしても退路を確保しないうちに襲うのは、愚劣極まりない)

 いっとう(・・・・)あの面子にこだわりがあったシゴを押しのけて、ムショがこの地に飛んだのは、シゴならば恐らく、やらねばならぬ事をほっぽり出して奴等に手を出すに違いないという判断を皆で下したからだ。

「俺が、それを破らぬとでも思うたか」

 確かに、破りはしないが、その裏に透けて見える感情が不快だ。エムオーの思うがまま、というのは多少鼻につく。


 だが、目的の為ならば仕様がないし、そもそも、この場で見つけたのは想定外だ。ふん、と鼻を鳴らし、ムショが高みの見物を決め込もうかと思った時であった。


 大の男が居座るのに適した木等、早々生えているものではない。周りの木と比較するならば大樹である。それが揺れるほどに強く何かがぶつかった衝撃で、ムショは手に持つ水筒を取り落とした。

 くるくると水をこぼしながら落ちる、木製の水筒は、下に居た人の頭に当たり、スコン、と景気の良い音を立てた。


「誰だ!」

 兵士の誰何(すいか)の声が響く。

 木の下の人間に気がつかないムショではなかったが、『目立つな』というエムオーの念押しと、面倒の予感が、彼らに関わる気を失せさせていた。

 しかし、誤魔化しようのない失態を晒してしまった以上、関わり合わざるを得ない。ムショが舌打ちをしながら飛び降りた先に居たのは、一人の少年と、二人の兵士。


 頭に水筒を貼り付けた兵士を見て、ムショも思わず吹き出した。笑いを堪えると、更に妙な声が漏れ出でた。


 出来の悪いコメディーのようであった。けして、意図してやった訳ではないのだが。





 鼻血を流しながら笑う少年の横に、どさり、と飛び降りて来たのは、太刀を背負った、隻眼の武者であった。山猫のようなしなやかな筋肉と、機動性を損なう事の無い、各部を硬皮と鎖帷子で補強した複合鎧に覆われていた。

 背中には太刀一本。その他の武装は見られない。旅の荷物すら持っていない、不思議な男であった。

 少年が武者の顔を見ると、眉間に皺を寄せ、眉は吊りあがり、怒りに満ち満ちた表情を浮かべていた。

 手で口元を押さえ、数瞬何かを堪えるかのようにした後に、武者は爆笑した。

「く、くふふ、その頭は何だ」

 少年が笑ったものを見て、武者も笑ったのだ。

 火に炙られた炭のように、たちまち兵士の顔が真っ赤になる。

「手前ッ!」

 からん、と水筒が地面に落ちる。抜き身の鉄刀を振り上げながら走りこみ、鍛え上げられた豪腕で武者を叩き切った、否、叩き切ったつもりであった。

 兵士の視界が、振り切った勢いそのままに、ぐるりと百八十度回る。背後に控えていたはずの相方の顔が見える。厳つい面が、潰れたトマトのように爆ぜていた。更に百八十度まわると、自分のまたぐらが見えた。胴と首が生き別れていることに気がついた時には、彼は死んでいた。


 少年の鼻から出た量の血よりも、尚多い血が頭から被せられた。横に居る武者が太刀を抜いたと思ったら、兵士二人の首がとび、頭が爆ぜた。明らかに太刀の届かない位置に居たのに、だ。

 ビッ、と太刀を一振りした後に、武者は背負った鞘を下ろし、物干し竿のような太刀を鞘に収めた後に、また背負いなおした。地に転がった水筒を探し、それにも血がついている事に眉を顰めたが、残っている液体には未練があったようだ。

 飲み干した後に、武者は水筒を捨てた。そこまでやった後に、ようやく武者は少年に気がついた。


「どうした、坊主」

 少年から見て、武者は圧倒的な強者であった。蛇に睨まれた蛙のように、近くに居るだけで肝が竦みあがった。けれども、表情一つ変えること無く、今知る限りの最悪の敵、二人の兵士を切り飛ばしたこの男なら、もしかしたら。

「た……すけて」

 勇気を振り絞って出した声は小さかったが、武者の耳には確かに届いた。

「応」

 低く、唸るように答えた武者の声は、少年には聞き取れなかった。緊張の糸がぷつりと切れ、意識を手放したからだ。



 困った事になった、とムショは思う。正直な所、この子供に関わりを持った所でムショには一銭の得にもならない。その上、やらねばならぬ事は山積みだ。しかし、こう、助けてくれと言われたのは初めてだ。いや、助けてくれ、と言う台詞はムショは何度でも聞いた事はあるが、己が襲った相手に言われた所で助けるはずもない。しかし、己が襲わぬ所で助けを求められたのは初めてだ。どうしてよいかが判らない。

「困った事になった」

 ムショが言いたい。この状況に『助けてくれ』と。

 答えたからには、助けねばならぬ。それが道理だからだ。

 しかし、どこまでか。試練(クエスト)の答えなど、今はどこにも存在しない。


 鳥ガラのような少年を小脇に抱えて、途方にくれるムショは一つの結論を下す。

 敵を全て叩き殺せば、この手の試練(クエスト)は完遂できるだろう、と。

(ならば、今殺したような手合いを全て斬れば、おそらく、達成か)

 同種の敵を何人か殺せ、よくある試練(クエスト)だ。その程度なら容易い事。収集品を集めろ、と言う話でなければ良いのだが。アレは多少手間が掛かる。


 そうして、隻眼の悪鬼が森に解き放たれた。





 村で吼えた竜の雄叫びが、離れた森の中にも響く。離れていてもビリビリと鼓膜を揺るがす。それを聞いた兵士(おとこ)達は浮き足立ち、混乱の様相を呈す。

 数名がばらばらと合流し、急ぎ撤収の準備を始める。

「竜が出たぞ、とびきりの化け物だッ!」

「隊長はどうなった!?」

「急げ、みんなやられちまった、とっとと撤収だ」


『合流地まで各自撤収をする際、情報を残さぬ事』

 その文言を思い出し、闇の中にあって尚光る目を、哀れな捕虜達に向けた兵士が居た。

 つまり、そういうことか。逃げる際には全く、邪魔だ。


「なぁ、殺るか」「ああ、殺るぞ」「気は進まんが」

 折角捕まえたのに、勿体無いと感じぬ者も居ぬわけではない。だが、きまり(・・・)だ。各々獲物を構えながら、各々手近な捕虜に向かう。

 取り囲む兵士らの気配がさっと変わったのに、気がつかぬほど愚かな者達も存在しない。

 甲高い女子供の悲鳴が上がり、次に断末魔の声に変わり、ひとしきりの処理が終わって、何も聞こえなくなった時、また悲鳴が上がった。

 野太い男の悲鳴だ。


 よく聞き知った、隊長の悲鳴だ。





 ハムストラは竜に一矢報いた後、捕虜を囲ってある地点まで戻り、物資を回収した後に撤退という算段を立てていた。自分達を回収する為の船は明日の夜までは来ない。

 ここが中間点。ここで一旦戻る。腕だけは確かな"砂竜の顎"、予定だけは守れていた、そのはずだったのだ。

 出てきたのが、まさかの竜だ。死んだのは何人か、ハムストラには想像が出来ない。


「いや、天罰、か」

 人の道に外れた者には、相応の罰が下る。神は全てを見通しているのだ。全てを見通す神、チダの熱心な信徒でもあるハムストラには、これが道を外れた者に対する罰のように見えてならなかった。

 (かぶり)を振って、余計な思考を振り落とす。今は取り決め通りに動き、少しでもフェネクの損にならぬように動かねばならない。腰にぶら下げた曲刀も、背に背負った弓も、重かった。

 ハムストラは走る。森に入り、獣道を通り、奥まった箇所へと向かう。ガサガサという葉ずれの音と共に、だんびら片手に子供を左脇に抱えた男が、ハムストラの走路に立ち、こちらに向かってだんびらを神速で振った、ように見えた。

 当るわけが無い、距離が二十メートル以上も開いているのだ。たんなる威嚇か、とハムストラが腰の曲刀を抜きながら駆け抜けようとした途端の、背筋に走る悪寒。

 この悪寒にどれだけ助けられてきた事だろうか。直感的に左に転がるように飛んだ、ハムストラがみたものは、深く大地に穿たれた一条の閃光。

 一歩一歩、無造作に武者が近寄ってくる。

 地に転がったハムストラは立ち上がろうとしたが、立ち上がる事が出来ない。何故だ、と自問した時点で、己の右足がすっぱりと断ち割られているのをみた。


「――ッギアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 理解した時、全身を貫く苦痛に、悲鳴を上げた。

「さて、一匹目、と」

 ハムストラという男の人生は、悲鳴を上げながら、その言葉を聞いた時点で終わる。





 両手持ちの大刀を片手で扱う事は、無理ではないが、バランスがいつも以上に崩れる事を確認したムショは、盾を持ちながら愛刀を振るう事は無理だろうと、考えながら、彼にとって三人目の犠牲者を作り出す。

 ムショに感慨は何も無い。


 小脇に抱えられて眠る少年が、悲鳴で目を覚ました。

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