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野郎達の英雄譚  作者: 銀玉鈴音
第三章 合金の竜
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第九話 鉄鱗の魔竜 (4)



「逃げるっスよ、安全な所に逃げるッス、じゃないと、この人たち死んじゃうッスよ……」

 髭の大男が、白金の少女に向かい、懇願するような口調で言う。その両脇に抱えた負傷者二人は、最早虫の息であった。


 一人は見覚えがあった。村長だ。もう一人は全く見覚えがない。誰かはチャカには判らない。だが、この二人は放置すれば長くはない事が良く判る。

 命の焔が、極めて小さく、弱く見えた。


「ヒゲ、ちょっと落ち着いて」

 安全な場所に逃げても、恐らく彼らは死ぬ。ヒゲが運んでいる最中に、確実に死ぬ。

 だが恐らく、チャカならば。彼女ならば、今ここで彼らを救うことが出来るのだ。自らの血肉を分け与える覚悟さえあれば、救えるのだ。


 (とかげ)英雄(ナイトウ)の激戦のすぐ近くで、チャカの葛藤が始まった。助けるべきか、否か。

 自分の体を傷付ける事は、確かに、痛くて、嫌だ。嫌だが、目の前の苦痛で(うめ)く人を放置して、恨めしい目で見られながら逝かれるのも嫌だ。更にヒゲダルマに白い目で見られるのも、嫌だ。ナイトウもいい顔をする訳がない。


 チャカの思いついた折衷(せっちゅう)案は、周りを、仲間を、自分を、誤魔化す。少しだけ切って、やれるだけやったという、姿勢を見せるだけのまやかしだった。


「うん、この程度なら……多分、何とか」

 "ねじくれた血の使者"は波打った刃の外見とは異なり、剃刀よりも鋭い切れ味を見せた。手の平を浅くなぞるだけで、プツ、と皮膚を切り、浅く肉を割く。

 チャカの白い肌に、紅玉の如くプツプツと湧き出す血。少し遅れて、ピリリとした痛み。

 暫く経つと、じわりじわりと珠の血が集まり、一筋の流れとなる。


 毒々しい紫色の瘴気が辺りを包む。同時にむせる様な甘ったるい香りが周辺に立ち上った。

 血の一滴から肉の一欠片まで、己の体を万能の霊薬と化す、死霊使いの回復スキル、<美味なる果肉>である。


(すっごい、汚い人間だ……)

 自分の内面が俗で汚い肉袋だという事は、チャカは判りきっている。英雄でもなんでもない、極めて凡俗な人間でしかない。


 人を助ける理由が、見捨てた場合の仲間からの視線が怖いからだ。全くもって、俗で汚い。


 汚い血が一滴、二滴と村長の口に注がれると、止まりかけていた呼吸が蘇る。同様に気を失っていた男の口に垂らす。開放骨折を起こしていた男の骨が自然と押し込まれ、肉で覆われる。二人の瀕死の怪我人は、チャカの動機など無関係に救われたのだ。


 その場に居た者達が、奇跡の光景を目の当たりにし、周囲を取り囲んでいた。


「私も」「おでも」「この子を」「こいつを」「俺も」

「助けてくれ」「助けてくれ」「助けてくれ」「助けてくれ」「助けてくれ」

 動けるものは自らの足で、動けぬものは他者に引き摺られ。チャカの周りを取り囲んでいた。


 誰も彼もが、自分の命は大事だ、救ってくれる存在がその場にいるなら、手を伸ばす。

 白い左手から流れる赤い血潮は、大地に落ちて更なる芳香を散らす。


 他人の期待を裏切る事は、とても辛い。落胆の表情は見たくない。チャカの震える左手が、傷ついた者達に伸ばされた。





 "彼"の長い一生の中で、眼球を破壊された経験は幾度もある。けして、珍しい事ではない。

 だが、何度壊されても、この痛みに慣れる事などありはしない。


 ありはしないのだ。

 耐え難い苦痛を生み出した敵を、まだ無事な片目で視認する。距離、凡そ二百。


 忘れていた。目の前で飛び回る、あの強大な天敵は群れる者だと。"隻眼"のような者ばかりではないことは、自明の理であったのに!


 何故か"彼"は、手ひどく裏切られた気分になった。目から血潮と共に涙が溢れた。

 吼える。吼えた後に吐息の準備をする。新たな敵を排除する為に。


 距離を再び詰めようと空中に舞い上がったナイトウは、両腕の痛みの為に、"竜"の異変に気がつくことが遅れた。


 竜が吼える。首を大きく振って、目から溢れ出す血を大地に散らす。再び息を大きく吸い込む。ナイトウの接近を一切気にかけない、盲目的な遠距離への吐息準備。

 竜の優先攻撃順位(タゲ)変わっ(跳ね)たと、気がつくまでの致命的な遅れ。


敵意(ヘイト)が完全に揮発している!?)

 猛酸の吐息の前動作。ナイトウが見知る限り、前衛の稼いだ敵意(ヘイト)を超える敵意を後衛が稼いだ時に起きる動作(モーション)だ。


 ナイトウはよく知っていたはずだ。タイタンの後ろから魔法を飛ばしていた時によくやったことだ。しかし、一体誰が。誰も手を出せる状況ではなかったはずだ。


 竜の頭が僅かに逸れた方向に向かい、固定される。その片目に突き刺さる一本の矢と、竜の視線の先に居る人影を認識し、感情のままにナイトウは口汚く罵った。


「だ、ダボが、糞弓手ぇ出すな!」

 ナイトウの怒りは当然だ。


 十分な力量を持った前衛(タンク)支援(ヒーラー)が居れば、楽勝であった。

 そうでなくても、支援(チャカ)が居れば、間違いなく勝てる敵であった。

 恐らく単騎(ソロ)でも、なんとか勝てた。


 だが、この場で、この時に"竜"に横から手を出されたなら。

 竜を相手取る(タゲをもつ)力も無く、手を出す輩が居たならば。


 竜の視線の先の人影が、慌てて屋根から飛び降りる。物陰に隠れ、走りぬけ、やり過ごそうとする。


 ――恐らく、"被害"は格段に広がるだろう。


 竜の砲口が、弓を持った人影に誘導されるように、微調整が加わる。射線が通らずとも、問題なく射抜く猛酸の奔流は、何かに妨害されなければその周辺も巻き込み、確実に対象を射抜くだろう。


 射線の先に、チャカの姿が見えた。ヒゲダルマの姿が見えた。周りを取り囲む人々の群れが見えた。村から逃げ出そうとする男の姿が見えた。


「だらっしゃあああああああああああああ!」

 ナイトウの突貫。被害を極小に抑える為には、砲口を反らすか、潰すか、どちらかしかない。杖を構えて竜の頭へ飛び込む。ナイトウと"炎を呼ぶ物"は一陣の風となり、残った竜の目玉に突き刺さった。


 ぐしゃり、とも、ぐさり、とも取れる、生身を砕く感触。<飛行>の解除と共に、眼球内部で発動する<地獄の炎>。竜の眼窩を焼き尽くし、眼球を粉砕し、爆発する。

 鱗に包まれていない、極めて無防備かつ繊細な器官内部で巻き起こった爆発は、竜の頭蓋の半分を破壊し、残った頭蓋も大きく歪め、ひびを入れる。


 竜の吐息の放射方向が、爆発によって大きく歪められる。吐き出される口が大きく歪む。頭が大きく振られる。

 吐き出される魔竜の猛酸は、明後日の方向へと散り、村の一部を溶かし、大地を焼き、空に噴出される、大半は地面にぶちまけられた。じゅうじゅうと焼け溶ける地面。

 降り注ぐ猛酸は竜の体にも掛かる。鉄鱗が己の酸でドロリと溶け爛れた。


 竜が大地にどう、と倒れ伏した。


 そして、眼窩から噴出したバックブラストはナイトウを焼いた。

 "炎を呼ぶ物"から振り落とされ、地面に落ちる。

 二、三度地面に叩きつけられた後、ごろごろと転がる。全身がばらばらになるような痛みと、妙な方向にねじれた腕が見えた。ひゅうひゅうと息をする度に妙な音がする。


 それでもナイトウは、片手を突き、立ち上がろうとする。


(ここで止めないと、オレ以外にやれる奴が居ない)


 無理無茶無謀は――承知の上だ。

 竜の生命力は半端ではない、両目を潰した程度では、まだ死ぬわけがない。





 ひどく、倒錯的で、異様な光景であった。


 白金の少女の、雪のように白い左腕から流れる血液を、大口を開けて待ち構える怪我人達。流れる血潮を一滴注がれれば、傷の痛みがたちまち失せ、気力が漲る。千切れかけた手足も再び繋がる。死に掛けの者も命を繋ぐ。だがその度に、少女の腕に一筋、傷が増える。一筋一筋は小さな痛みだが、集まると大きく痛む。パカリと割れた傷口は内側の真っ赤な肉を晒し、じんじんと熱を持つ。


 痛みで泣き出しそうであった。ぐっと堪えて、チャカは次の怪我人へ近寄る。期待と言う名の熱を持って注がれる視線が刺さる。


 少年の腹に刺さった木片を引っこ抜き、チャカは左腕から流れる赤い液体を少年の口に垂らした。どどめ色の瘴気を纏わりつかせたこの少女の事を、少年はこう呼んだ。


「…………女神様」

 母に抱かれ、チャカの前に運び込まれた時は、土気色であった顔色は、未だ蒼白であるものの、唇は動く。

 少年の母が涙をこぼし、わあわあと泣いた。うれし泣きだ、とチャカが気がついたときに、何かが弾けた。


(人の為になる事をしていれば、それが正義で、いい事だよ。いいよ、どんどんやろうよ…………理想をね?)


「いや、うん……違うから」

 小さな否定は、広がったざわめきに飲み込まれる。女神様、というざわめきが広がる。

 そのとき、チャカによる"治療"が終わった者達が、竜と英雄の闘争が更なる局面に入った事に気がついた。


 圧倒的な巨大さを誇る竜を、翻弄し圧倒する英雄。それに力を貸した、一人の男が放った矢。英雄は一本の矢と連動するが如く突き進み、飛び掛り、竜の頭は一際大きい爆轟と共に吹き飛んだ。


 毒液の奔流を撒き散らしながら、大地に崩れ落ちる竜を見た人々が、わぁっと沸いた。強大な化け物を屠ったのだ、人が、英雄が!

 この場に居た者達は、二つの伝説が生まれる瞬間に立ち会うことが許された自分達を、幸運だと思った。


 竜が倒れ、お祭り騒ぎのように沸き立つ人々。それを掻き分けて、チャカは駆け出した。見てしまったのだ、木の葉の様に吹き飛ばされるナイトウを。恐らく無傷ではいられない。


(あの馬鹿、いつも無茶して!)

 いつも、いつもそうだ。複雑な文様の如く切り裂かれた左手を振りながら、チャカはこの場から逃げ出すように飛び出す。

 ヒゲダルマも慌ててその後を追いかける。村の人々も、慌ててその後を追いかける。


 村を襲った男達は、動けるものは既に足早に逃げ出した後である。残った者達は、ひどく傷ついた者達だけであった。





 ごおおう、ごおおう、と鳴く竜の声。視覚という感覚器官を失った竜は、明暗しか判らぬ左目と、焼け付く痛みを発する右目――いや、既に右目どころか、頭の右側全体に広がる痛みに大地に伏せて耐え忍んでいた。


(だが、まだ目を失っただけだ。鼻は死んでいない、耳だって死んでいない。俺はまだ、戦える!)


 竜の五感――視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の内、最も鋭い感覚は何か?


 それは各竜ごとに異なるのだ。"彼"、鉄鱗の魔竜は、蜥蜴の化け物だ。蜥蜴は目も良い。だが、鼻は更に利く。聴覚も先ほどの爆発で半ば失われたが、まだ半分残っている。二股に割れた舌を密かにチロチロと出して、"彼"は天敵の匂いを確かめる。


 猛酸と灰の混じる匂いの中に、沸々と(たぎ)(オス)の匂いが立ち込めている。


(アイツも、まだヤる気は満々だ)

 "杖持ち"と"彼"が名付けた天敵は、既に立ち上がっている。血の匂いがする。ひどく傷ついているようだが、戦意は衰えていない。匂いで判る。

 遠くから小さいモノ達がこちらに寄ってくる音がする。匂いもする。(メス)の匂いだ。

 集団がよって来る。今まで体験したことのない、小さいモノ達の集団だ。


 幾ら"彼"でも、あの数に飲み込まれてはひとたまりもあるまい。

(俺が勝つには、奇襲、それしかない)


 奇襲の戦術という、かって彼に存在しなかった新たな概念が生まれた。


 ――神々によって定められた世界の相似(・・・・・)を、十字の呪い(・・・・・)を、竜が一つ破った。

 ピシリ、と世界が揺れる。

 揺れた衝撃で、"彼"の脳がもう一度揺さぶられる。


(まて、俺が勝つ必要がどこにある)

 "彼"の自問自答。初めて生まれた疑問。百年の呪縛によって培われた固定観念が、揺らぐ。


(そもそも、何故(・・)俺は戦っているのだ?)

 "彼"はけして戦いたくなかったはずだ。百年前からずっと、願っていたものは――


 ――自由だ!!


 "彼"がすり減らし、磨耗させ、鈍感になった感情が一気に蘇った。


 それは、恐怖。

 死に行く事への、絶対的な恐怖だ。


 怖い。

 目が見えない、耳が半分聞こえない、鱗は溶けて爛れ、全身に大穴が穿たれている。急激に体が苦痛を訴える中、彼は更に、己自身に問いかける。


(何故戦うのか、何故ここで死なねばならぬのか。――――逃げてはならぬのか?)

 いや、いかなる大蜥蜴でも、この目は治らない、耳も治らない。そして、体に穿たれた穴は深く、例え逃げても長くは持たないだろう。


(それなら、いっそ、せめて、何とかして、この天敵(・・)を滅ぼそう、自分が消える前に、滅ぼしてやろう)

 "彼"に新たな感情が生まれた。人の世界で言う"憎しみ"だ。

 何としてでも、あの"杖持ち"は食い殺さねばならぬという、激しい憎しみだ。


 その為に、油断させ、不意を打ち、この傷ついた身で一矢報いる大逆転の図を、"彼"は全力で考えた。


 "彼"は既に鉄鱗の魔竜ではなく、一匹の巨大な大蜥蜴であった。





 考えた末に、"彼"は全力で咆哮する。"竜"の力の限りの叫びは周囲にいる生ける者全てを圧倒し、怯ませ、眩ませる。

 続けて未だ体に残っている猛酸を全力で地面に叩きつける。見えぬ目では正確な距離が測れぬ。だが、地面なら別だ。ぐずぐずに溶けた大地を残された力で掘る。ひたすらに掘る。

 巨体が埋まる穴を掘る。埋まった先でも掘る。追いかけてはこれぬ距離を、掘る。


 まだ、怨敵の匂いは、音は届く。

 油断しきった所に、食いつくのだ。

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