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野郎達の英雄譚  作者: 銀玉鈴音
第三章 合金の竜
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第五話 名も無き村



 全てが青かった。鮮烈な青の洗礼だった。


 ざぁっと風吹く田園の青、遠間に見える青々と繁る森、流れる青い河。鳥の囀り、何物か判らぬ森の影に潜む動物達、川面に跳ねる跳ね魚達。

 見渡す限り一面の青が、チャカのブルーを吹き飛ばした。


「青いー!!」


 バイカの都市のカノの館は、チャカの感覚では狭くない。寧ろ広い。しかし――


「もっと広いー!!」


 幾ら広い都市、幾ら広い館とはいえ、今広がっているこの光景と比べたら月とすっぽんだ。広大な世界の一端に触れた気がして、チャカは少し心が広がった気分になる。

 ここ数日の体調不良も吹き飛ぶような気がした。


 カポカポと舗装されていない道を行く馬の蹄鉄の立てる音。がらがらとスプリングの無い馬車の車輪が尻を突き上げる。ガタンと車輪が石を噛む事に、近くの枝の上にとまる小鳥が驚いて飛び立つ。

 人の歩く速度かそれより少し早く、ゆっくりと進む馬の引く荷車の荷の一つとしてチャカは積まれていた。


 重いヒゲダルマと、ナイトウは歩きである。彼らはほほえましいものを見るような視線で馬上の人であるカノとチャカに向ける。カノは御者だ。チャカは荷物だ。

 タイタンの姿は無い。万が一(・・・)この旅の帰還が遅れた場合の会合の代理出席者を頼まれた彼は、咳と共ににこやかに承諾した。風邪も治っていないのだ、妥当な人選ともいえた。


 水を入れた樽の上で足をぶらぶらと投げ出しながら、時々尻を突き上げる衝撃を読んで(・・・)ひょいひょい、くるくると跳ねる、妖精のような少女を見ながらナイトウは歩き続ける。白金の髪が夏の強い光を照らしキラキラと跳ねる。悩みがなさそうな笑顔を見て、癒しを感じる。


 御者台に座る娘を見ても良い。身体の線が出づらい服を着た娘の(にび)色の髪は二つに結えられ、馬の尻尾と同期するように揺れる。こちらの尻はナイトウからは良く見えない。


 空を飛んで先行して、安全確保や偵察業務を行っても良かったのだが、これを見るためにナイトウは地に足をつけて歩くのだ。

 まったく、ろくでもない駄目野郎だと、ナイトウは自虐気味にニヤニヤと笑みを浮かべる。

(それでこそ、オレだとも思うが……)


 まぁ、気にするまい。

 平和な日常は泡沫(うたかた)の夢のようなものだ。

 味わえるうちに味わった方が良い、とナイトウは内なる声の導きに従い鼻の下を伸ばす。

 次の集落までの残り数時間、存分に英気を養いながら、ナイトウはぶらぶらと荷馬車の後ろを歩き続けるのであった。





 彼らが出立してから、既に丸三日が経過していた。

 実に何事もなく、平穏な旅である。


 目指す場所は南東部耕作地域の村落である。"星読み達の行商路"を通り南西へ一日、そこから"伏竜大河"沿いに南東へ二日目、往路の半分は過ぎた事となる。


 バイカ―セリバ間に横たわる、"伏竜大河"の渡し舟の係留地であるルイヨウで一泊。後は河沿いに南下し、村落部の視察を行うというのがカノ達の今回の旅の任務である。


『本件概要は南東部村落が消失したという事件であるが、主に民間人によってもたらされた情報であり、信憑性に欠ける証言が多数報告されている』

 御者台でカノが指令書の特記事項部を読みながら溜息をつく。


 まずはもっと偵察や調査に向いた、役付きではない者たちに任せるべき仕事である。大体、カノが補佐役に付くなど、普段ならありえない。

 確かに『竜』ならば一大事だ。邪神領に住まう伝説の魔物どもと比較してもけして劣らない存在である。


 だが、どれだけカノが(ページ)をめくっても、『竜を見た』という証言は無い。『竜』ではないだろうかと、噂話好きの交易商人たちが大法螺を吹いているだけに過ぎない。

 今からとって返して、何もありませんでしたと報告できればどれだけ楽か。

 

 腐っても一騎士団の副長が出張る案件ではないのだ。

 少なくとも交易商人たちの与太話で動かされている時点で、もっと下っ端が行う任務である事は間違いが無い。


 百歩譲って、もし村の消失事件が起きていたと仮定した場合、疫病や不作による小作農の集団脱走などは、考慮しなくても良い。税の時期まではまだ時間があるし、何より今年の気候は悪くない。また、疫病ならばもっと表現が異なるだろう。


 となると、悪くとも流れの盗賊団か、中等の脅威度の化け物(とかげ)の襲撃。

 あくまでカノの推察であるが、『竜』が原因であるなどという可能性はほぼ無い。


 そうなるとトワ姫の目的は何なのだろうか、カノはぶらぶらと揺れる馬の尻尾を目で追いながら、止め処ない思考に没頭する。


 良い意味で解釈するなら、気分転換をしろと言う事。悪い意味で解釈するなら――

 カノは意図的に思考から除けていた『最悪の事態』を考慮する。


 ――フェネクの侵攻が再び始まる事だ。


 ここ近年のフェネクの動向は怪しくなっている。50年前のオウレン戦争の時の国境線の取り決めに関して、何度か外交ルートでやり取りがあったという。

 『蛮族め、調子に乗るのもいい加減にしろ』という空気が徐々に百合騎士団にも流れているのはカノも感じていた。


 姫様がその空気を鵜呑みにして、フェネクの侵攻を心配しているのだったら、もう少し手勢を寄越しても良いだろうに、とカノは小さくこぼす。

 せめて百合騎士団から一小隊……と考え、二、三回首をぐりぐりと回した後、カノは短い溜息をつく。カノの二房に分けて縛った髪が馬の尻尾のように揺れた。


 トワ姫が実際に動かせる"手勢"が多大な損失を被っていたのだ、無い袖は振れない。


 ……どちらにしても、この仕事が終わって帰ったら、組織再編が待っている。やたらと忙しい仕事がカノを待っているのだ。

 思考を切り替えて、カノは首筋に溜まった疲れを追い出そうとした。


 きっと、何事も無いに違いない。昨日も一昨日も何もなかったのだ。今日も何も無いに決まっている。


「みーえーてーきーたー」

 水樽の上に腰掛けていた子供の嬉しそうにはしゃぐ声が、カノの世界に吸い込まれる。思考に没頭し、俯きがちだったカノが視線を正面に戻す。


 太陽が真っ赤に燃え上がり、青の世界が真っ赤に染まっていた。

 木造平屋の二十軒弱の住居が列を成していた。夕餉の準備をしているのか、赤く染まる空に煙がたなびく。間違いなく今日の目的地である。

 年老いた老人が薪を割り、子供達が夕暮れに染まる中、各々の住居へ帰ろうとしていた。


 十字の護りは存在しないが、この地には必要あるまい、とカノが感じるほどに平和な村である。


「そして、ここも無事」

 カノは独り言と共に、木炭で無事だった村を指令書に記した。ほら、やっぱり無事だったと。





 旅人は食材を自前で持ち運ぶのが基本だ。


 火と屋根を少々借りるだけ、ただそれだけの交渉のために、村の取りまとめ役である村長に話をつける。このような話を通す際にカノが気をつける事は経験上ただ一つ。


 女だからと舐められない事だ。


 よって、地位とそれに伴う権力の行使は必須。特に今回のような少人数での行動であるならば、尚更である。


「私達百合騎士団調査隊は、貴村に駐留する事と、火の使用権の許可を求める。尚、土地所有者であるバイカ領主ドリティ=プルケリ公の許可印はこちら。正式な指令書はこちら。どちらも目を通した後は返却をする事」

 淡々と、有無を言わせぬ冷たい口調で押し切られた壮年の村長は、はいそうですかと返せる度量は無かった。彼も面子があるし、何より疑う事が仕事のような物だ。


「へ、へぇ、ずいぶんと唐突(とっぽ)話です(なぁしや)が、その印は本当に公爵様のも()で……」

 自分の子供と同じ年の娘に命令口調で指示をされる。その心中はけして穏かなものではないだろう。口答えの一つや二つ出る事は仕方が無い。


「この印を疑う事は公爵様を疑う事と同義。今の発言はなかった事にしてあげます。一度だけですが」

 二度目は無い――けして大きくない体から、氷のような視線が飛ぶ。


 村長は背筋に雪の塊を注ぎ込まれた。ぞっと(・・・)した。眼前の娘は眼力だけで人を殺せそうな気がした。助けを求めるように、村長は娘の連れの方を見る。


 珍妙な騎士団であった。

 二人の男は凸凹だ。一人は恐らく、村長が兵役に行った時に数度見かけた魔導師の類だろう。ひょろ長い体と背負った杖の組み合わせで判る。


 もう片割れは本当に人だろうか? 村長が兵役に行った時もこれほどまでに巨大で、鍛え上げられた存在を見たことは無い。二の腕は大人の太ももほど、いや、それより太い。丸太のような――と評するのが正確だろう。厳つい顔に無精髭。子供が見たら泣き出すだろう。

 まじまじと見ていた村長の視線に気がついたのか、筋肉達磨の顔がにこりと笑う。なんとも女性的な笑みであった。


 そのギャップに村長はゾッとした。こいつはヤバイ。何か良く判らないが、村長の危険信号が点滅を繰り返す。


 最後の一人は子供にしか見えない。どう見ても子供だ。騎士団が何の為に子供をつれて歩くのか、理解不能である。

 そして、また正面の娘に視線を戻した。

 

 彼らは総じて騎士には見えない。だからこそ疑う必要があると思ったのだが、それを許さぬ娘が目の前に居る。


「わ……判りま()た。それでは(んだば)、ウチの離れの方を使っ(つこう)(つかー)さい」

 訛りの強い回答に、娘は少々考え込んだのちに、頷いた。


「ご理解とご協力、感謝します」





 空が真っ赤に染まる時間は短い。


 ナイトウとカノが二人組みで、『異変』が無いかの聞き込みを行っている最中、チャカとヒゲダルマは料理をする。

 まぁ、主に料理をするのはヒゲダルマであるのだが。


 貸し与えられた家屋には台所など無い事と、火を夜分に使うのは危険な為、日が落ちぬうちに、料理を済ませる。トントントントンと小さなナイフが小気味良い音を立て、玉葱を微塵に切り裂いて行く。大男の身体と比較したら、実に細かい作業だ。


 鍋にバターを大目に放り込み、みじん切りにした玉葱をざぁっと入れる。

 あめ色になるまで炒められた玉葱は芳香を放つ。いい匂いだ。


 予め戻しておいた黒インゲン豆と塩漬け肉をポーチの中からヒゲダルマは取り出す。肉を適当な大きさに切り、鍋に放り込む。暫く炒めた後に黒インゲン豆も鍋の中へ。

 バターで炒められた肉と玉葱に、黒インゲンの彩りが加わった。


 ヒゲダルマは横に置いた水樽を、よっこらしょと持ち上げると、軽く傾げる。油がはじける音が徐々に消え、鍋に水が張られた。


 後は小一時間煮込むだけ。全て日持ちのする材料を使っているが、横で匂いを嗅いでいるチャカはご馳走の出来具合に涎が出そうになる。


 ヒゲダルマが調理役を買って出たときにはチャカはびっくりしたけれども、元々を考えたらそうおかしな事ではない。ここ数日の腕前を見ても納得のできばえだ。

 実に手際よく料理を済ませるヒゲダルマを、チャカはぶらぶらと何をするわけでもなく見守る。


「ねぇ、ヒゲ。ヒゲはこっちに来てから身体の調子、どう?」

 ヒゲダルマはコトコトと音を立てる鍋をかき混ぜながら、とろみが出てくるのを待つ。

「いや、悪くは無いッスよ……色々楽ですし」

 コトコト、静かに音を立てる鍋。チャカも鍋を見ながら、ヒゲダルマに問いかける。


「そういえば、何か思い出した?」

「いえ、さっぱり。でも、何にもこの世界(ゲーム)の事は覚えてないはずなのに、凄く懐かしいんスよね……特に、ほら、ハッカさんの<聖句>とか」

 "女神よ(Mititlot)不死なる(Foxip)(O)(su)安息(deggy)(qo)"

「実際にあの言葉で会話(gole)でき(lit)そう(ole)っスよ」

 ヒゲダルマは、懐かしそうに不思議な言語で話す。鍋をかき混ぜる手はいつの間にか止まっていた。

「ヒゲ、何言ってるの?」

 チャカの不審な視線。ヒゲダルマの言葉が半分以上チャカには理解できない。英語でもない。聞いた事は数度。確かどこかで、昔。


「昔、先輩が三日で作れって上司に言われたらしくって……ウチも一緒に考えたッスよ。懐かしいなぁ」

 混ぜる手を止められ、グツグツと音が立つ、鍋。ヒゲダルマの視線は遠い、遠い過去を見ていた。

「へぇー、って?」

 チャカの顔に疑問符が浮かぶ。ヒゲダルマが何を言っているのか、理解に苦しむ。


「……あれ、先輩って…………誰でしたっけ」

 ヒゲダルマも自分の口から出た言葉に、困惑が隠せない。

 記憶。確かにあったはずなのだ。

 賃貸マンションの一室で、むさい髭の男と、コタツに入りながら一緒に言葉を作った記憶が。

 火加減を放棄され、ぐらぐらと煮立った鍋がついに吹き零れた。


「って、ヒゲ! 鍋、鍋!」


 吹き零れる鍋が、彼らを現実に引き戻した。





 チャカが聞き込み組の成果を訊ねた所、めぼしい情報は何もなかったらしい。

 多少残念な出来になった食事を四人が済ませた後、村長の家の離れで寝ることになる。

 ……離れ、とは言うものの実際は物置小屋だろう。粗末な作りの小屋であるが、屋根があるだけでもありがたい。毛布を敷き、めいめい勝手に寝転がる。


 ここ三日の旅路で借りれた家屋は全て似たような感じだった。風呂などという気の聞いた物は無い。

 ナイトウは持ち込んだ酒瓶を抱いて早々に眠りについた。

 ずいぶん気楽だなぁとチャカは思うが、そのマイペースさが逆に救いになっていた。ナイトウが眠りにつくのを確認した後、こっそりとカノと二人で寝床を抜け出して、伏竜大河の川辺に移動する。





 ――日課になっている、秘密の水浴びだ。

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