第三話 鍍金の英雄 (3)
"彼"は小さかった。
肉を食み、骨を食み、鉛を食み、鉄を食み、永い時間をかけて今の大きな姿へと成長した。
しかし、ただの蜥蜴だったのだ。大きな蜥蜴だったのだ。
100年と少し前。空から降って来た十字が"彼"の鱗を破り体に刺さった時、運命は変わった。
幾ら食っても満たされぬ餓え。
幾ら傷付いても癒される体。
そして、彼を閉じ込める見えない檻と、彼を時々『殺しに』来る小さな化け物達。
(恐ろしい。誰かここから出してくれ)
"彼"が願ったのは、自由。
幾度も殺し殺される、無限の闘技場からの脱出。
願いは叶わず、月日は"彼"の小さな脳味噌をすり減らし、磨耗させる。
今日もまた、暫くぶりの小さな化け物が彼の目の前に姿を現した――
「貴様には昔、何度も世話になったな」
しゃなりしゃなら、と小さな化け物は背中に担いだ太刀を引き抜き、"彼"の鼻の先に立っていた。
怒りを全身に湛えた、一匹の化け物、隻眼の化け物であった。
時に勝ち、時に負け……数多くの戦歴を誇る"彼"を訪れるモノの中では、最も良く知る化け物だ。彼を訪れるモノ達は大抵徒党を組んでいるが、この隻眼は最初に見たときもたった一匹。最後に見たときもたった一匹。
"彼"の知る化け物達の中では、最大級に危険な奴だった。
(俺と同じ一匹なのに!)
"彼"の小さな脳味噌でも記憶に残っている。
この隻眼と何度戦ったか、記憶に残っている。
UOOOOOOOOOOOOOOOON!!
<咆哮>で怯んだ化け物に<酸の吐息>を浴びせかけても、いつもの通り、ひらりとかわされる。ちょこまかと動きまわる隻眼に狙いを定めて、前足を叩きつける。
吼えた、吐いた、叩き付けた。叩きつけた前足の風圧で、隻眼の毛の一筋しか奪えなかった。完全に間合いを見切られている。大きく叩き付けた前足の真横に立った隻眼が、"彼"に向かい何事か言い放った。
いつもならこの後"彼"を襲うのは恐るべき魔刃。ズタズタに切り裂かれ、いつも苦痛のあまり冷静な闘いが出来なくなる。
"彼"は襲い来る苦痛を待ち構え、少しでも勝機を見出そうとする。そう、何度死んでも、痛いし、怖い。
しかし、彼を襲ったのは隻眼の言葉だった。
「貴様も……人ではないとは言え、囚われたモノだったとは。因果なものだ」
"彼"に言葉は通じない。
"彼"は言葉を持たない。
"彼"はただ一匹の蜥蜴で、竜だ。
だが、言葉は通じずとも、思いが"彼"に伝わった。
(馬鹿にしやがって!)
鋼鉄の鱗に守られた脳髄が沸騰する。それは苦痛よりも尚おぞましい――『同情』
"彼"はただ一匹の蜥蜴で、竜だ。
囚われていても竜だ。何者にも哀れまれる言われはない。
"彼"は長い首をぐりぐりと回し、同情という刃を振るった敵を視界に収めようとした。
隻眼は彼の背に降り立ち、体に刺さった十字に狙いを据えていた。尻尾も首も上手く届かぬ位置に居た。空を舞う事が出来ない翼だが、広げれば振り落とす事が出来るだろうか。
"彼"が逡巡した時であった。
「あまり暴れてくれるな。狙いがずれる」
"彼"の体に打ち込まれた杭を狙い、隻眼の<憤怒の一撃>が食い込む。斜めに走る残像を残し、刀が走り抜ける。
GVOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO?!
"彼"に襲い掛かる全く異質の苦痛。
「全く"易い"作業だなぁ」
ガン、ガン、ガン。
鼻歌と共に放たれるのは一発一発が鋼を切り裂き、岩を砕くような"スキル"の乱打。<居合い><真空刃><乱撃><重撃>、不安定な竜の背を蹴り空高く舞い上がり、〆に<唐竹割>だ。流れるようなスキル回し、コンマ1秒の無駄も無い理論上最高のDPSを叩き出す。"彼"を縫いとめる十字が徐々に削れ、食い込み、最後には――真っ二つに割れる。
激震が"彼"と隻眼と周囲の生けるモノ達を襲った。閉じられた空間が開き、100年来の澱みが祓われる。
"彼"を支える強烈な癒しの力が無くなる。十字を打ち込まれ、開いた背の傷が再び鈍い痛みを放つ。ごばりと薔薇の花の様に開いた背の傷から、じくじくとどす黒い血が滲み、流れ、大地を濡らす。
隻眼の化け物は軽やかに地面に降り立ち、ドウ、と大地に転がる"彼"見下し言い放った。
「お前を縛る枷はもう、無い。好きに生きろ」
大刀を背負いなおし、隻眼の化け物は興味をなくした様に、その場を立ち去る。
「俺はお主と殺りあうのは、いささか飽きたからな。さらばだ、鉄鱗の魔竜」
痛みに悶絶する"彼"の眼は、どんどん小さくなっていく"隻眼"を追う。
(何故だ! 逃げるな! 隻眼!)
百年間、"彼"と"隻眼"の闘争がこのような逃走に終わった事は無い。どちらかが死ぬまで続くのだ。ならば、まだこの闘争は終わっていない。幕は降りていない。
"隻眼"が向かった方向を"彼"はじっと見据える。一直線に進めば逢いまみえるだろうか。あの方角には化け物達の巣があるのだろうか。
(追いかけて来い、という事か)
"彼"はいつも挑まれてきた。だから今度は"彼"が挑む番だ。
こうして"彼"――『鉄鱗の魔竜』と呼ばれた、一匹の巨竜は封印から解き放たれた。
自由を手に入れた"彼"だが、百年の習慣からは自由になれなかった。
長椅子に二人の男と一人の少女、対面に赤いドレスを纏った王女が一人。その横に立つのは魔術師の証の長衣を纏った一人の娘。
合間にテーブル。その上に金貨の入った重そうな袋が所在なさげにじゃらりと鎮座する。
長椅子に座った、人形染みた白い肌を持った少女は顔を覆った両手を恐る恐る膝に戻し、対面の赤いドレスの顔を見た。トワは天使の様な微笑を浮かべていた。
チャカはその微笑が、小悪魔の笑いに見えたが、横に座っているだらしない笑いを浮かべた男にはそう映っては居ないと確信を持って答えることが出来る。
「そう、困っているのです。私、とっても困っているのです」
言質を取った、思った以上に組し易いと赤いドレスを纏ったトワは感じる。してやったり、天使の様な微笑を崩さず、言葉をつむぎ続ける。
「っつっても、オレの出来る事しか手伝えないぞ」
ナイトウが目の前の微笑みを直視した。赤面して相貌を崩す。その情景を見て、ナイトウ以外の者が感じる物を一言で表すならば。
――キモイ
ニヤニヤデレデレと笑う様はもてない男が共通して放つ気配を放つ。その気も無いのにちょっと接点があっただけで、ちょっと会話があっただけで、ちょっと社交辞令で微笑まれただけで、この娘オレに気があるんじゃないかと勘違いする、そんな気配だ。
トワの横に控える、カノの足が一歩後ろに下がるのを見た。ナイトウの横に座っていたヒゲダルマはそっと座る位置をずらした。トワ姫すら、笑みが引きつったモノに変わる。
けして敏感ではないチャカが、周りを見て気がつく程度に周りの者が引いている事に、気がつかないナイトウの空気の読めなさを見て、再びチャカは両手で顔を覆った。
「うん、なんだろう。困っている内容次第では私も手伝う事に関してはやぶさかではないよ……」
いたたまれなくなったチャカが先に折れた。ナイトウを放置しておいたら、契約書を読まずにサインする様な馬鹿をするに違いない。きっとそうに違いない。
チャカの形良い眉根に皺が刻まれる。
毒食わば皿までという言葉もある、チャカは両手をぎゅっと握り締め、無理やり笑顔を作り出す。いやな事をいやいややるより、笑って引き受けたほうが印象が良い。最悪の場合、出来ませんと言えばいいのだ、きっと。
「それで、お困りの内容は一体どういう内容なのか、説明をして下さらないと協力しようにも出来ません」
その言葉に満足げにトワは頷きながら、事態の詳細を話すのであった。
トワが詳細を話す間に、チャカはニヤニヤと笑い続けるナイトウを正気に戻そうと、硬い踵でナイトウの足をこっそりと、ねじり込むように踏みつけるのであった。
グリッっというチャカの足元から感じる感覚と、ナイトウのデレデレとした顔が歪むのは同時であった。
「竜が、出るのです。もう既に何個かの"村"が犠牲になりました」
トワ姫の真摯な視線は真正面からチャカを貫く。誰が交渉の主導権を握っているか、誰がこの集団のリーダーか、先ほどまでの少ないやり取りの中で理解した為だ。
(やはり、"不死の姫"が"愚者"の頭であることは伝承どおりですね)
トワの中で重要な要素は三つある。
一つ、"彼ら"がトワの味方になりうるか、否か。
二つ、"彼ら"がトワの味方となったとして、有能か無能か。
三つ、"彼ら"がトワの有能な味方となったとして、どこまで制御できるか。
確かに伝承どおりの不死の姫であったとしたら、非常に危険な存在である。だが、いかに危険であろうとも人の手で制御できれば非常に有益な存在となる。
さらに付け加えると、彼らが何者であろうと実の所トワにとっては大した問題ではない。
確かにえり好みを出来る立場であれば、伝わっている伝説の量では反響痛が最良である。だが、運命の神が目の前に遣わしたのが彼らである以上、しっかりと頭を掴んでおかなければならない。
何しろ、運命の神はツルッパゲなのだ。好機は早々に巡っては来ない。
「竜ぅ?」
チャカの幼い、甲高い声が響いた。
多量に驚きが含まれているその声に、カノは同調する。初耳であった。少なくとも百合騎士団には全く通っていない情報である。
「姫様、竜って」
思わずカノが己の主君をまじまじと見る。カノの困惑をよそに、トワの視線は一点を外さない。
「お願いというのは『竜』に関してです。本当に『竜』なのか、それともまったく別の出来事なのか。何個かの村が犠牲になったのは事実です、事実ですが――」
竜であれば一大事で、当然国や都市を上げて退治せねばならない。だが、竜ではなく別の魔物であればそれだけの労力を費やす事は出来ない。
もし、邪神であれば?
トワ程度が対策するのは無駄だ。それこそ伝説の英雄達を束にしてぶつけるしかないだろう。
(まぁ、それはありえない事ですけど)
それほど猛悪が復活したのであれば、国の星読みやら聖職者どもが黙っている訳も無いだろう。何しろ彼らは『世界の滅亡』を煽って飯の種にするような存在だから。
「確かな情報が欲しいのです。竜でなければそれはそれで良し、竜であれば早く対策を打たねば……更に犠牲が出るだけでしょう」
トワの脳裏に描かれたプランでは、村が消滅した"事件"の原因を早急に分析し、事件収束の為の足がかりに"彼ら"を利用できれば十分である。
"竜"以外であれば百合騎士団でもそれなりの戦果は出せるだろう。隊員の早期補充とトワ自身の発言力の増大の為に、彼らを活用できれば良し、もし"竜"であれば――上手くすれば彼らが倒してくれるかもしれない。
ある種のばくちであるが、悪い賭けではない。彼らが失敗してもトワが失う物は全く無い。
「――判りました、調査だけでいいのでしたら」
主導権を握られっぱなしなのは、気に食わない。けれども、手伝う事で不幸になる人が少しでも減るなら、まぁ、悪くない。
一般市民が備える程度の奉仕精神は、チャカだって常備している。
「では、補佐としてカノを連れて行って下さい。きっと役に立ってくれますから……カノ、更に細かい事はこの書面に書いてあります。彼らのお手伝いをなさい」
ぱさり、とトワは横に控えるカノに書面を渡す。
カノは、苦虫を噛み潰したような顔で頷かざるを得なかったが、もし許されるのであれば、胃痛を理由に断ることが出来たならより良かったのではないか、と思うのである。
話が決まれば後は用は無い、とばかりに追い返されたチャカ達は、早々にカノの館にて作戦会議という名の雑談に興じる。
お目付け役として任命されたカノは現地に向かう為の物資の買い付けに行く、という名目で館に戻った直後にまた外出していった、忙しい人だとチャカは思う。
結局、バイカ南東部の"村"がいくつか消えた、という話しか聞けなかった彼らは、直接現地に向かうという、カノの方針に異議を唱える気にはならなかったのだ。
「よく判らないッスけど、どうするんッスか?」
「とりゃーず、カノの人の言うとおりにしておくしかないかなー、とか。調査って言っても、私達がやるよりきっとスマートにやるよ、多分」
丸投げ気味のチャカは非常に機嫌が斜めである。良い様に踊らされた、としか言えないこの状況、けして面白い物でもない。
「ヒゲは別に、無理して付いてくること無いと思うよ。流石にこれはウチの馬鹿が言い出した事だし」
「やー、ここまで来たら付き合うッスよ。毒食わば皿までって言いますし」
ナイトウを軽く蹴飛ばしながら、チャカは頬杖を付いて、ああ、ヒゲダルマも似たような感覚で居たのか、という妙な感慨を抱く。正に毒食わば皿までだ。
「痛っ、って、そんなに拗ねる事ないべ」
「タイタンが風邪っぴきなのに、勝手に話を進めようとするナイトウが悪いん」
ナイトウの鼻の下ののびっぷりが酷かったのを、これ以上チャカが追求しても仕方が無い。簡単にたぶらかされているようでは全く、困るのだけれども。
「うん、まぁ、出発は明日って言ってたし、これで解散。やる事無いしね」
ちょこちょこと窓辺に寄ったチャカは、窓ガラス(丸い瓶底ガラスが大量に貼り付けられた採光用の物であった)から覗ける距離に、『十字架』がある事を確認すると、ぽん、と両手を叩く。
「解散、の前に……ナイトウ、この近辺で竜って何が居たっけ?」
「ド、ドラゴンなら正式直後の『鉄鱗の魔竜』かなぁ。アレ面倒だったな、硬くて」
「もしアレなら、直接十字架で飛べたよね。面倒くさいちゃ、面倒くさいなー」
『鉄鱗の魔竜』はよくある、迷宮の入り口に『十字架』が存在する形式のインスタンスではない。飛ぶか、近辺に侵入すると倒すべき敵が存在し、討伐が完了するとインスタンスフィールド脱出用の十字架が出現するという塩梅である。
飛んで、倒して、ハイお終い、である……今までならば。
もし無関係であったなら、この体で『竜退治』を余計にしなければならないとなる、そう考えると勝手に飛ぶ事も出来ない。
しかし、旅をするとなると、ただでさえ不便な日常が更に不便になるに違いない。チャカは恨みがましい視線で『十字架』を眺めた後、どんよりとした声で二人に言った。
「水、沢山持って行こうね。煮沸した奴」
ほんの二週間と少しの前の経験が、多少の慎重さをチャカに発揮させる。
夏の天気は気まぐれである。
いつの間にか低く垂れ込めた雨雲から、ぽつぽつ、ざぁざぁと大粒の雨が街に降り注いでいた。
硝子越しの雨を見ながらチャカは、水の心配はしなくても良かったのかなと憂鬱さに磨きをかけたのであった。