第二話 鍍金の英雄 (2)
一日に三万回、剣を振る。
狂ったように振り続け、剣を握る手に力が入らなくなるまで動いた後、寝床に入り込む。
タイタンの自身を苛めるような修練で疲弊した体は睡眠を求めるが、脳がそれを許さない。
(俺は最善を尽くしたはずだ)
最善を尽くしたはずだが、足元に絡みつく死が拭えない。『もういい加減、諦めろよ。とっとと替わっちまえ』とタイタンの影が囁く。
ニタニタといやらしく笑う影だ。影の後ろに無数の影。
過去、現在、未来。恐らくタイタンが殺める予定の者達だ。
血の泡を吹き、飛び出した眼球がぎょろりと射る。折れ曲がった手足で影を踏む。頭が無い者、体が真っ二つになった者、足だけ、手だけ。
色々欠けている者たちが、共通して持つ物があった。
絶対的な悪意である。
「……もっと振らなきゃ寝れもしねぇ」
全身の筋肉は疲労を訴え、動きも鈍い。普段の半分も動かないだろう。それでも眠れない。絡みつく悪意を振り切り、剣一本を抱え、体を引きずるように庭へと向かう。
月夜であった。
月光に照らされ、夜の闇より深い影が庭の各所に散見する。
じっとりとした視線がタイタンを覗き見ているかのようであった。
そんな月光の下。
杖を携えた先客が存在していた。。
タイタンと比較したら、貧弱な肉体。
だが、魔法使いにしては長身の体に力を漲らせた――ナイトウである。
「す、少し、いいか」
「なんだよ、ナイトウか……邪魔するな」
「ちょ、ちょっと付き合って貰う。PVPだ」
ナイトウは両手持ちの杖を奇妙な型で構え持つ。
「逆手の構えだ……い、いくべ」
タイタンの返答を待たず、ナイトウは"原理の杖"の根元を腰の位置で左手に握り、右手が逆手の状態で半身になる。
にゅっと突き出した杖を構えるナイトウの構えは、タイタンの知る、いわゆる剣道の構えとは異なっていた。
ナイトウの左足が大地を蹴った。同時に左手を引き、右手は滑り杖の先を掴む。数mの間合いを一足に詰める姿は、タイタンの戦士の勘を刺激するのに十分であった。
杖の長さを隠し、右手を更に捻りこみ、左手は添える。肩部を狙った単純な打ち下ろしだが、杖の間合いの読めなさがタイタンの反応を遅らせた。
(まぁ、杖の通常攻撃ならなんとでもなる。いきなりナイトウは何をしやがるんだ……?)
対人狂で無い限り、自職以外の細かい性能を記憶している者は意外と、少ない。
精々、テンプレートな装備と、よく使われるスキルの大体の効果を知っているのが平均的なLVだろう。
別職の"ネタ"と称される戦い方や装備品の効果を細かく知っている者は、少ない。
"原理の杖"
魔法使いの攻撃"スキル"のほとんどを封印する代わりに、通常攻撃の威力が戦士のスキル並になるという異色のネタ武器だ。
ネタ武器という話が最初に広まってしまった故に、まともな検証をされたことは少ない。まともな検証をした者も、これは使い物にならないと判断する。
そもそも魔法使いの防御は貧弱に過ぎる。通常攻撃がいくら強くなっても接近戦には向かない、そういう結論が導きだされる。
精々が奇襲の一発にしか使えない。
その代わり、一発当れば手痛い一撃にはなる。
かって一緒に、ナイトウとタイタンで"原理の杖"の検証をした時の結論はそうだった。
そして、ナイトウの今の武器は――
"原理の杖"だ!!
背筋に走る冷や汗。昔の記憶がタイタンに鮮烈に蘇る。モニター越しに草を生やし合った、一発は痛いよな、というチャットの記憶。
(あれは、まともに貰ったらマズイ!)
タイタンが必死に崩れた体勢から放つ"重撃"は、本来の威力の半分も発揮されずに"原理の杖"に吸い込まれるように打ち込まれた。
小爆発。
"原理の杖"に溜め込まれた魔力が"重撃"の威力を上回り、剣を弾き飛ばす。
鋼を重い木で打つ、金属と木が奏でる鉄琴の音が響いた。
剣が空を舞い、くるくると円を描いた後に庭に落ち刺さる。
「いきなり何……しやがる!」
反応が更に遅ければ、タイタンの右腕が持っていかれる所だった。
「た、タイタン。お前が殺った奴らもきっとそう思っただろ」
ナイトウが構えを解かずに、平坦な口調で言った。
「だから何だ。俺に死ねって言うのか……」
まぁ、それもいいかとタイタンは思う。いっそナイトウに殺られるなら諦めも付く。
「い、いいや。そうじゃない」
ざあっと風が吹く。ナイトウの言葉に力が篭る。
「オレも、殺った。殺る気はなかったけど、殺った」
ナイトウも、杖を握る手に汗をじっとりとかいていた。<白炎の壁>を放った直後に気がついた。悲鳴に気がつかない振りをしていただけだ。
「だけどな。オレが、オレ達がやらなきゃ誰がやったよ。逆に誰がやられたよ」
ナイトウの声は低く、硬い。
「オレは、オレの知り合いの方が重い。見知らぬ誰かより、お前らが大事だ、だから――」
語るナイトウは酷く身勝手だ。酷く理不尽だ。他人の事なんて知った事じゃない。
今、ナイトウは、自分自身のエゴの為に動いている。目の前で苦しんでいる仲間を見捨てたら、今後どれだけ自分が苦しむか判らない。
――ああ、オレは、物凄くエゴイストだ。
「だから、オレは、出来る限り泥を被る。オレが出来る事をする」
ナイトウの手から、がらん、と杖が落ちる。
「く、苦しいなら相談しろよ。愚痴でも何でも聞いてやるよ。一人で抱え込むなよ」
ナイトウは、泣いていた。
漢泣きであった。
「何で手前が泣いてるんだよ……」
タイタンが苦笑しながら、落ちた剣を拾おうと……膝から力が抜ける。歩けない。
食事もろくに取らず、数日間のぶっ続けの修練の疲労が限界にまで達したのだ。
それでも、ごろりと体を回して、大の字になって、タイタンは空を見上げた。
月が綺麗な夜であった。
邸宅の庭に注ぐ月光は柔らかい。
月光に照らされて出来た影もまた、柔らかかった。
「い、いいか、もう一度言うぞ。絶対一人で悩むなよ」
ナイトウの声が遠くから聞こえる。立ち去る足音も聞こえる。
夜の闇は静かに優しくタイタンを包んだ。
(俺はお前で、お前は俺だ。逃がしゃしねえよ、絶対にな)
"影"は捨て台詞を残し、再び深く深く沈みこむ。
「……判ってるさ。俺もお前だ」
だが、しかし……今日は良く、眠れそうだ――
朝。
太陽が燦々と煌く。
今日も暑い日になりそうだ。
そして、チャカ達の目の前で鼻水をすする金髪の男が一人。
顔は真っ赤で熱っぽく、時々ゲホゲホと咳をする。ぶるぶると寒そうに体を震わせ、寝台に横たわる。まるでこれは。
「……風邪を引いた、というわけだね」
チャカが呆れたように言った。ナイトウは何かを誤魔化すかのように明後日の方向を向いていた。ヒゲダルマは心配そうにタイタンを見ていた。
カノは扉の外で、彼らが出てくるのを待っていた。
チャカが起きて、着替えさせられて、飯を食った。その後だ。
ここ数日間、一応、タイタンは食堂に姿は現していたのだ。それが来ない。
心配になって三人が館中を探した。タイタンは居なかった。
途中でナイトウが、アッと声を上げたかと思うと、庭に飛び出していった。
チャカとヒゲダルマが急いで追いかけた時には、ナイトウが既にタイタンを発見していた。
庭の茂みの中で、タイタンは寝ていたのであった。
衰弱した状態で野晒しで寝ると、夏場でも人間は風邪を引く。この場合いかに頑強な"英雄"であっても例外ではなかったようだ。
「うん、いや、何で庭で寝ていたかが判らないけど」
チャカには理解出来ないが、風邪を引いて苦しそうに咳き込むタイタンの表情は、それでも昨日よりはよっぽど"マシ"である。
時折ゴホゴホと咳き込み、ガラガラの声で。
「い゛や゛、わ゛り゛い゛、わ゛り゛い゛」
笑みすら見える。まるで、憑き物が落ちた感じである。
「とりあえずさ、なんだかこの前のお姫様がお礼か何かをしてくれるらしいから、ちょっと行って来るよ」
なんとも陽気な声と共に、チャカ達が寝室から出て行く。カノが一礼して、扉を閉めた。
「ちゃんとしっかり寝て、さっさと治すんだよー!」
扉の外から声が聞こえる。
(そうだ、俺は別に……一人じゃない)
背負う罪は別に何も変わらないが、別に一人で背負いこむ必要はない。
タイタンは毛布に包まり、また、泥のように眠った。
風邪っぴきのタイタンを残し、馬車に揺られる事少々。
カノの館も立派な物だと思うが、それを遥かに上回る広さを持つ、貴族街の外れに立つ館に案内されたチャカ達はある種の戸惑いが隠せなかった。
「いや、やっぱりお姫様だとは思っていたけど」
一言で言うと格が違う。
「こちらです」
住み込みのハウスキーパー達も、カノの館に居るおじさんおばさん達と比べると、どことなく品という物が存在する。
どことなく一般市民的には落ち着かない場所である。まだ下品さを感じれたサイハテのあの館の方が親近感が沸くなぁと勝手な事をチャカは思いつつ、案内されるままに進んだ一室に『王女』は居た。
真紅のドレスを身に纏い、略冠を頭にそっと添えた姿は可憐の一言に尽きる。
ナイトウは息をのんだ。ヒゲダルマはふぅと息を吐いた。チャカはふぅん、と思った。
「ようこそいらっしゃいました。そちらにお掛けになってくださいまし」
指し示した先には長椅子が置かれ、鳥の羽を入れたクッションが置かれていた。恐る恐るチャカ達が座ると、早速と言わんばかりに言葉をつむぎ始める。
「先日は、助けて戴き本当にありがとうございました。これは少ないですが、私からの心ばかりの品でございます」
パンパン、と手を叩くと運び込まれる袋が一袋。
王女と英雄の間にあるテーブルに置かれた時に、ジャラリとした音が鳴る。恐らく中身は金貨の類だろうと、姫の横に立つカノは推測する。
「ああ、いや、オレ達は別に、こう……カネが欲しくてやった訳じゃないし」
困惑の表情を浮かべるナイトウの言葉が、いの一番に出た。
うんうん、と頷くチャカとヒゲダルマ。
「そ、そもそも、カネにはまったく困っていない……んだよな。今」
「ウチも一応、沢山ありますし」
「私も、確かにそういわれてみたら……」
うんうん、と身内同士でごそごそと話しあう彼らを見て、もう今更自分はなんとも思わないが、姫様が青筋を立てるのではないかとカノは多少おののきつつも、彼らの懐事情すら判っていないことに気がつく。
浮世離れした者達だった。此の世に足をつけて生きていないような。
少なくともあの量の金貨であれば、カノは喜んで尻尾を振るだろう。いい臨時収入だと。
「それじゃあ何をお礼に差し出せば良いかしら。公式には私の誘拐など『無かった事』になっているので、そんなに大した物は出せないのだけど」
トワの仮面はまだ崩れない。
(金では、吊れませんか。では……)
「それでは、騎士の位の推薦状ではどうかしら?」
にこやかな顔でトワは続ける。
「……騎士の位を貰っても、なぁ」
「うん。正直称号系はちょっと、ホラ。なんか厄介そうだし」
カノのこめかみに少々青筋が立った。トワも笑顔が多少引きつってきている。
「いや、やっぱり私達は巻き込まれただけですので、お礼とかは結構です。トワ姫様」
代表してチャカが断りを入れた。
「やっぱりお金とか身分とか、気持ちは嬉しいですけど。そんなに大した事はしていないし」
不穏な雰囲気が漂い始めた、と感じ始めたチャカは早口でこの場を取りまとめて、逃げようとしたのだ。
「困りました。それでは貴方達に、困った時にどうやって頼れば良いのかしら?」
トワの言葉がそれを遮る。
いかにも困ったような顔で、こんな事を言う。聞けばきっと、引くに引けない状況に追い込まれる。
きっと、チャカの横のお人よしが、引き金を引く。
(あーあーあー……キコエナイキコエナーイ)
全身全霊で、チャカは祈った。信じる神なんて居ないのに。
「こ、困っているなら手伝うぞ?」
ナイトウが、引き金を引いた。
チャカは両手で顔を覆った。