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野郎達の英雄譚  作者: 銀玉鈴音
第二章 亡国の英雄
33/105

閑話其の二 永遠渓谷の白爪草 (下)


 渓谷はどこまでも爽やかな風を運んでいた。

 時折ひっそりと群生する白爪草を見つけては摘みながら、ベルウッドは日々の下らない雑事から開放された喜びを味わっていた。


 香りも、良い。


 鬱蒼と繁っていた千年樹海の密林とは異なる、程よい緑の匂いが鼻腔をくすぐる。

 採集、やっている事は大して面白い事ではないが、癒されると言う事はこういう事なのだ、とベルウッドは満足であった。


 採集ツアーとは言ったが、ノルマは無い。各人好き勝手に自然と戯れながら、麓を目指す。

 そんな贅沢な時間が二時間ほど過ぎた。


「おい、ベル。そろそろ飯が出来るぞー」

 エプロンをしたオジジが此方(こちら)に呼びに来た。意外な趣味だと思うが、オジジの作る料理は妙に美味い。

 オジジ曰く、親父に仕込まれたと言っていた。塩しかまともな調味料がねぇや、と笑いながら生姜と玉葱を刻み、持ち込んだ肉を鍋で炒めた物を作っていた。


「米の飯が恋しくなるな」

 硬いバゲットを主食に、水でふやかしながら食べる。残念ながら、米の飯は無かった。

 二つ又のフォークは現代のフォークよりも大きく、王宮では料理を取り分ける為に使用するようであったが、ベルウッド達は普通にフォーク代わりに利用して笑われた。だが、ここでは気にすることではない。手づかみで食べる方が文明的でない、と彼らは思う。


 腹もくちくなり、大地に寝転ぶ。草のベッドが彼ら3人を柔らかく包み込んだ。


「お前達は……ここに来て良かったか?」

 ふと、聞いても無意味な事をベルウッドは問いかけた。


「ボクは、ここに来て良かったと思います」

 ギンスズは風に流される草葉に頬を撫でられながら、眼を細めた。

 欲しい物はここにある。仲間、友達、憧れ……。いらない物を切り捨てて、叩き潰せる力がある。ギンスズにとってある種の理想郷は、存在していた。

 多少の失敗がなんだ。そんな物は直ぐに取り返せるぞ。濃い焦げ茶色の瞳の奥に、力が篭る。


「俺っちは……いや、いいや」

 色々大切な物を置き去りにしてきてしまった、そんな気がしてならない。過去形である。

 ただ、ここで口にしてもしょうがない事は、口にするまい。オジジは言葉を飲み込み、腹筋の力をもって飛び起きる。


「っと、俺っち、ちょっと洗い物してくらぁ。ベルは休んでていーぜ」

 ガサッっと周囲の草を踏み散らしながら、オジジは近くの川辺を目指し走り出す。


 時間が穏やかに、緩やかに流れる――





 一方その頃、悠久の都トコシェ。

 王宮の広い回廊を二人の男と一人の女が歩く。一人の男を一人の男と一人の女が止めようとして、それに失敗していると評するのが正確か。


「グッさん、まずいですよ。そんな勝手な事したら」

「グワイアクム、ちょっと落ち着きましょうよ、せめてギルマスが帰ってからでも」

 二人が止めるのを、禿頭の刺青坊主は気にもかけない。にこやかに笑いながら歩みは止めない。

「うん、そうだけどね。でもこの程度の事は相談しなくてもいいよ。僕が引き受けたのは書類に(まつ)わる諸々だし」


 それに、と言葉を続ける。

「捺印して通した分は、僕らに非があるのが明確な分だし。だけどね、それ以外の請求はちょっとね。お話が必要だなって思うのさ。具体的に言うとこの請求とか、二日前のヤツとかさ――」

 あくまで柔らかに。グッさん、グワイアクムは延々と具体例をあげつらう。


「――まぁ、多少長くなったけど。これらは僕達に関係が無いんだよね。ベルさんは結構ざっぱだから、僕がチェックする前の時は全部出しちゃってたんだよ……」

 段々と話しているうちにグっさんの脳は加速していく。


「今後の事もあるしね。なんにしても、僕らをちょっと強請れば金を出すATM扱いされるのはちょっとね」

 刺青坊主の笑顔の中で目は唯一笑わない。グっさんを止めようとしていた二人は、そこに潜む氷を見出し、固まった。


「さ、とりあえずこんなふざけた請求書を作った人たちと『お話』しにいこうか。あんまりナメられても困るしね」


 ――二人は、この直後に起こる嵐を予感した。





 山の天気は変わりやすい。

 いつの間にか雲が低く垂れ込め、ぽつ、ぽつ、と冷たい雨粒が、空の流す涙のように静かに降り始める。

 日の光と草葉に包まれ、意図せず昼寝をしてしまったベルウッドは、雨粒の冷たさに目を覚ました。


「マスター、起きましたか?」「おう、ベル、あんまり気持ちよさそうだったから起すの悪くてなぁ」

 ベルウッドは頭をガリガリと掻きながら、寝覚めの頭で空を見る。


「しまったな……やらかしたか。雨具を持ってくる事を忘れるとはな」

 けらけらと笑う二人は、もう既に出立の準備を整えているようであった。


「大丈夫です、一応頭に地図は入ってるから。土砂降りでも帰れますよ!」

 ギンスズが笑いながら言う。

「いや、そういう事では無いのだが……」

 苦笑交じりにベルウッドが立ち上がった時であった。


 ガツン。と世界が揺れた。最近良く感じる、震えであった。

 もし、ベルウッド達が王都に居たのであれば、気にもならなかった小さな震えは、この地に置いては無視できない力を持っていた。


 ――大きい。震源が近い。


 単純な理屈である。近ければ近いほど、"震"の影響を受ける。


「……っ!」

 いわゆる地震、とは異なる揺れ方である。専門家ではないベルウッドには言葉にすることは難しいが、地震は地面が揺れる。しかし、この振動が揺らすのは地面ではない。

 『存在』だ。

 故に、世界が揺れる。世界の在り様を揺らす、震えだ。

 周囲の草木も、岩石も、川も、雲も、風も、空も。


 揺れる――


 ギンスズが悲鳴を上げたような気がした。ベルウッドも、オジジも、瞬時の衝撃に思わず息を呑む。


 実際に振動は五秒も続かなかっただろう。だが、巻き込まれた者たちは五秒とは思えない体感時間であった。


「大きかったですね」

 ギンスズが青い顔で、オジジは思わず潜り込む机を探し、手近に有ったギンスズのスカートの中に潜り込もうとして蹴り飛ばされていた。


「ああ、妙な地震だ」

 この違和感を口に出す事が憚られるような気がしたベルウッドは、あえて『地震』と言う言葉を使った。


「早めに山を降りるか、急ぐぞ」

 地滑りその他が起きないとも限らない。ベルウッドは自分を強引にごまかし、自らも出立の準備を進めるのであった。





 『死火山』の入り口に咆哮が響き渡る。"彼ら"を長年閉じ込めていた、牢獄の扉が開かれたのだ。

 ヒュゥ、と口笛一つ。黒の猟犬は山岳を駆ける。

 ガサガサガサと、草木を高速でかき分け、黒の猟犬を追う赤の犬達。"巡回"の一団を引っ掛けたのはわざとである。

 ゼロならば、寝ていてもこの程度の集団ならば数秒で解体できる。

 それでもわざわざ引っ張りまわすのには訳がある。


 折角だから、寝た子もついでに起こしてやろう、といういらぬ気遣いである。


「ほーらほらほら。もう少し気合入れてかかってこいや」

 影から影へ、枝から枝へ。赤の犬が噛み付くかと思えばその場に影は存在せず、丁度知覚できる限界の範囲に現れる。


 誘導、誘導、また誘導。段々と黒の猟犬が赤犬の群れを引き回す最中。赤犬達の半数が別の目標を見つけたように走り出す。

 ゼロ、一本の木の上で犬の向かう先を見て、納得。


「あいつ等、まぁだこんな所でフラフラしてやがったのか……」

 『十字架』を折った事でゼロの今回の目的は達せられている。過剰なリスクを背負う事もあるまいと、ゼロは道無き道を疾走し残りの犬を麓へと、最短ルートで誘導する――


 ――アオオオオオオオオン


 "犬"の遠吠えが響く。力ある遠吠えであった。

 生臭い匂いが、雨足の強まった中でも漂う。突如として現れた『溶岩狼』であった。

 遠吠えを行う事で、一匹が二匹に、二匹が四匹に。手早く倒せぬ場合は苦戦必須の、火を吐く狼。『死火山』の主要MOBの中では危険な部類だ。


 特に確殺攻撃に乏しい、中級者(・・・)の場合では全滅要因の一つ。Oβ(オープンベータ)当時から『死火山』に挑む英雄達にとっては馴染み深い、"赤犬"である。

 奇襲攻撃を得意とする彼らは、ベルウッドらが気がついた時には既に周りを囲んでいた。


 数匹が距離を詰めて、岩の牙が生え揃った口をぐわり、と開けて背後からオジジに襲い掛かって来た。更に周りを取り囲む犬達が、炎の吐息を吐こうと息を吸った。


 刹那、空間が凍る。膨大な冷気の渦が収縮する。巻き込まれた雨粒が氷の弾丸となり、穿つ。

「オジジ、オーバーキルじゃないかな?」

 オジジに噛み付こうとした二匹の赤犬は、岩の牙を拳で砕かれ、頭を鉄槌のような肘によって陥没させられていた。ギンスズの電光石火の一撃であった。


「"赤犬"相手に氷の嵐とか、効率悪いよ」

 "赤犬"二匹がぐしゃり、と大地に沈んだ時を()って、<氷の嵐>が完成する。

 所詮は、格下も格下。一匹や二匹程度なら素手で十分。ギンスズの言う事も尤もである。


「奥に結構居たんだっつーの。これだから脳筋は……」

 嵐が炸裂した。水気を含んだ大地は凍てつきながら巻き上げられ、空へと舞い上がる。


 当然の帰結であるが、いかに"赤犬"達が大地に根を生やした様に足を踏んばろうが、無駄。


 支える大地そのものを巻き上げる様に荒れ狂う<氷の嵐>は、草花の楽園であった永遠渓谷(のごく一部であるが)を更地に変える。"赤犬"達の半数は荒れ狂う竜巻に呑まれて、凍て付き、砕け散った。


「ふむ」

 敵味方の戦力の天秤が傾きすぎている場合、修道者のやることは少ない。精々が戦士の真似事をする程度だ。


 彼らのやり取りの間に四匹の"赤犬"を処理していたベルウッドは、脳裏に酷薄なシナリオを描いていた。

 超然としたその立ち姿に、"赤犬"達は手を出してはならぬ相手にぶつかってしまった、と徐々に半円状の包囲を広げながら、逃げ出す算段を取ろうとしている。

 一匹の犬が駆け出すと、それに釣られて我先に"赤犬"達は逃走を始める。

 いっそ見事な撤収であった。


(まぁ……放置で構わんか。自分達の"存在意義"が増す)

 確かに異常事態だ。

 『溶岩狼』はこの辺りには出没しない。

 しかし、それを調べる必要も今の自分達には存在しない。

 何故ならば、自分達は『何のクエストも受けては居ない』、よって、最大効率を目指すならば、この場では何もすることがない。

 そうベルウッドは結論付けた。


「往くぞ、雨足が強まってきた」

「うぃー」「はい、マスター!」

 ベルウッド達は麓の街を目指し、歩き始める。





 彼ら全員が街に到着した時は夕刻、『溶岩狼』と麓の街『フェキ』守備隊の間で壮絶な戦闘が繰り広げられている最中であった。


 土砂降りの雨の中、溶岩狼の群れが火を噴き、絶叫を上げる守備隊隊士に噛み付き、散らす。

 そこに備え付けの機械弓を叩き込み、溶岩狼の体を大地に縫い付ける。ようやく一匹、此方は二人の損害だ。

 『十字架』の御力によって魔物の力が抑えられていると言っても、人間が魔物を相手取るのは、酷く人間の側に、犠牲がでる。

 この数の魔物が相手では、玉砕も辞さぬ、と守備隊隊士達が悲壮な覚悟を決めた時に現れたレゾナンスペインの面子達は、正に救いの神の如く映った。

 何しろ魔物を赤子の手を捻るように、片付ける。


 その様は正に、英雄。

 急ぎ足で十字架に触れ、消え去る様までも伝承の通り。

 街は喝采の渦に包まれた。

 真に街を守ろうとした英雄達は、骸となっているのにもかかわらず。


 悪魔が一人、その様を見てにやりと笑い、姿を消した。





 空に舞い上げられ凍て付いた白爪草が、ひらりひらりと地面に落ち、砕け散った。





                         閑話『永遠渓谷の白爪草』 了

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