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野郎達の英雄譚  作者: 銀玉鈴音
第二章 亡国の英雄
31/105

閑話其の一 希望の神殿の蛇巫女


 "白蛇"がおお婆様に伝え聞く所、二百年前の降臨の際には砕かれ、散った神体は二刻もすれば地に融けてお(かえ)りになったと言う。

 では、今はどうだ。

 肉が刻まれ、骨が砕かれようとも還る気配など無い。

 白蛇は、己の神が戦を終えても消えず、()の世に留まったままの姿を見た時にこう感じた。





 ――世界は奇跡で満ちている。





 八木太一は(GM)であった。今は(かみ)である。

 単なる神ではない。

 人の言葉で表すなら、地の底より這い出す魔を総べる

 邪神である――



『今日は調子が良いな』

 八木は己の体調が、徐々に良くなっていると感じていた。頭蓋(ずがい)を叩き割られ、四肢(というと語弊(ごへい)があるかもしれないが、八木にしてみたら両手両足としか言い様が無い)の半分以上がへし折られている状況からよくもまぁ、好転したものだと思う。


 この世界に八木が降臨してから、14日目の話である。正確には創世暦1226年の2の月14の日の事である。

 体の各所に感じる痛みや違和感はほぼ消え、飛んだり跳ねたりは出来ないものの、動き回る事に不自由は無くなっていた。

 しかし、下手に八木が動き回ると、足元の小さな生き物達を引っ掛けそうである。実際に彼らを踏んだりした事はないが、踏み潰しそうになったことは一度や二度ではない。

 その為、八木はもっぱら(あつら)えられた祭壇の前でじっとしているのが日課だ。


 一時は取り乱したものの、八木は己に流れ込んでくる過去の"声"と向き合う事には、ある程度成功していた。

 例えるなら念仏。

 耳元で延々と唱えられる念仏を、BGM代わりだと考える。社長の理不尽な説教を食らう事に比べれば、実に容易い事だ。


『ああ、今日の"声"は一体何を言っているのやら』

 馬の耳に念仏。八木の耳に神の声。

 どれだけ貴重で高尚な理想を語っていたとしても、聞く耳を持たねば意味が無い。聞き入れてしまったら自分の方が参ってしまう。


 ノイズの混じった神の声が、途切れた。

 歌声が響く。祈りの唄だ。

 八木の単調な闘病生活(かいふくきかん)で、数少ない楽しみは"白蛇の乙女"が謳う祈りの唄だ。別に"彼女"で無くても良いのだが、彼女の唄が一番美味(うま)い。


『白蛇、もっと近くで唄ってくれないか』


 それは、祈りだ。

 それは、願いだ。

 それは、希望だ。


 そういうものを喰って八木は、いや、ヤ・ヴィは命を永らえている。八木はそういうものになってしまったのだ。

 多量のゴミデータ(・・・・・)から、八木自身が生存に必要な物を選別出来たのは幸運であった。

 ヤ・ヴィは肩に白蛇を乗せる。首に緩く巻きつく乙女の頭を小指で撫でながら、白蛇の乙女の唄を喰らう。

 望郷の念も無いわけではない。


 上司は七人(八柱の)後輩一人(仲間)ゲームを(星の海)製作し(駆け回り)理想のゲーム(安住の地)創っ(探し)ていた時を思い出す。


 唄を喰らう。

『僕は、何を言っているんだ?』

 八木は緩く(・・)頭を振る。耳元で謳っていた白蛇に頬を擦り付ける様になってしまったのは気のせいだろう。

 知らずの内に流れる涙は八木の頬を伝う。


 ヂッ、と。ノイズ混じりの舌打ちが聞こえた。


 ヤ・ヴィの願いに応じて耳元で唄を謳う白蛇は、神に頬を擦り付けられた時、伝う涙に気がついた。自分が何か不敬をかったのではないかと唄を止め、ヤ・ヴィの顔を見た。


 神が、何を悲しんでいるのか。巫女として生まれ、育ち、戦場(いくさば)に立ち、何度も人種の英雄たちと対峙してきた白蛇は己の記憶を辿る。

 

(まるで、幼い子供のよう)

 神殿の奥深くから好奇心で抜け出した、十数年前の記憶。十六夜大路で道に迷った時の幼い頃の自分が見た、流れるような青い鱗の青蛇の表情と、よく似ていた。

 途方にくれたような、自分がどこに居るのか、全く判らない『迷子』の顔。

 双子の様に育てられた"青蛇"はもう居ない。

 "神殿"の守人として立派に戦い、散った。


(護らねばならぬ。妾らの神を)

 自分達を導いてくれるはずの"神"が迷っている。それは言い様のない不安感と同時に、白蛇の母性を刺激する。


 ヤ・ヴィがぽつりと言った。


『白蛇、僕は世界を見たい。この世を見たい』

 八木の台詞は、奇しくもかっての"青蛇"の言葉と同じであった。





 ――その言葉が、希望の神殿が動き出すきっかけとなった。





 創世暦1226年の2の月15の日。

 一匹の六本腕は日々の祈りを済ませると、日課の奈落蜘蛛の世話に出かけた。暫く前から手塩にかけて育てた奈落蜘蛛は、実に丸々と太り美味しそうだ。


「かみさま、えの、ささげもの」

 これは後で収穫(・・)して、夕刻の祈りの時に捧げよう。

 こんな立派な蜘蛛なら、喜ばれるに違いない。六本腕はブモブモと鼻息荒く、股座の顔で笑みを浮かべる。


 六本腕は神殿の守人であり、墓守である。

 そして、農民である。


 彼らの農場(・・)は、同時に彼らの墓場(・・)である。


 六本腕は迷宮で倒れ、回収されていなかった友を引き摺っていた。

 最近の"英雄"達の侵略によって、父も、友も、沢山死んだ。

 六本腕は簡素(かんそ)な穴を掘り、友人を横たえる。

 此方(こちら)にも種を植えて、今を生きる者達の(かて)にしなければならない。

 蹄で友の体に穴を穿(うが)ち、"種"を植え込む作業が続く。

 出来れば祖父のように沢山、美味しい奈落蜘蛛が出来れば良い。老衰で亡くなった彼の祖父は強く、美味しい奈落蜘蛛を産み出し続けている。それが誇りだった。

 植え付け作業が終わった六本腕は、額に流れる汗を拭った。今日も良い仕事をした。

 明かりを点し、ゆらゆらと柔らかい火の光の、当たる距離をうまく調整する。近すぎず、遠すぎず。美しく照らされるように。

 こうして彼らは蜘蛛の苗床となる。数日で芽吹き、数ヶ月で奈落蜘蛛が誕生する。


 ふと、彼は鈴なりに()っていたはずの、収穫間際の蜘蛛の半数が雲の様に消失していたことに気がついた。

「はたけ、に、くも、たりない?」

 困った。蜘蛛が足りないと彼も餓えて困る。彼の収穫を待っている子供達も餓えて困る。

 何より、神への捧げ物が足りないのは自らの信心を疑われるようで困る。

「どうしよう。こまった」

 今までは大人しく収穫されるのを待っていたのに、何故勝手にどこかにいくのか。

 六本腕は大事件だと思った。

「みこさま、に、そうだんしよう」

 きっと自分では判らない事も、解決してくれるに違いない。



 奈落蜘蛛は蜘蛛、と名づけられているが、実態は菌類に近い。

 絶望の迷宮において、彼らは生態系の最下層、最多数の分解者である。


 そして、彼らは貴重な"水源"である。


 土中に根を張り、水分を吸い上げる。彼らの動物/植物的な性質を兼ね備えた性質はあまねく"神殿"の生命を支える根幹である。

 尤も、これが絶望の迷宮内部で水源を見つけられない要因の一つでも有る。

 何故、近辺に巨大な樹海が存在する場で水系の一つも無いのか、という質問に対する回答が彼らの存在である。


 蜘蛛状に進化した彼らは、(八木)に感謝する。

 感謝する故に、神の威光を広めねばならぬと感じる。

 ひっそりと彼らは"大穴"へと侵出し始めた。


 彼らより矮小な、力に劣る祖先が残した情報によると、地の上は、広い世界らしい。

 広いという事は沢山の餌があるのであろう。何十代も祖先の話であるので、なにぶん不正確極まりないが、彼らの発達した頭部神経節と、各個体毎に最大8本の糸結合によって形成された集合知性は、議論を重ねた上で結論を下していた。


 ――このままでは奈落蜘蛛という種の存在は、滅びる。

 滅びる理由は?

 ――食料の不足と、住環境の圧迫による我々末端部の壊死。付け加えるならば、それに伴う中位~上位ピラミッド層の崩壊も当方は示唆する。

 それは回避出来ないのか?

 ――このままのペースで他種族が繁殖を続ける場合、回避不能。

 他種族の繁殖をやめさせる事は出来ないのか?

 ――繁殖を続ける他種族との共生関係を放棄し得ない以上、不可能。現状の継続は蜘蛛(・・)の巣に捕らわれた蝶の末路である。

 強硬策として我々のみの繁殖を取りやめる事は可能ではないか?

 ――我々が繁殖を"六本腕"種に頼っている以上、不可能。又、今まで『十字架』によって封印されていた地上部への開拓の道が開かれた以上、拡大の方向に向かうのが道理。

 地上は、我々にとって楽園足りえるか?

 ――否。我々の生存に適していない環境である可能性は大。

 それでも出ねばならないか。

 ――是。"神"が世界を見たいと言う以上、万難を排してでも出ねばならない。



 創世暦1226年の2の月16の日。

 地獄甲冑ががらがらと空虚な体を響かせながら、奈落蜘蛛達の網をつなぎ換える。伝話(・・)の交換手の役目を担っていた彼は、今日はやけに交換糸の数が少ないと感じていた。

 奈落蜘蛛達の気まぐれはいつものことだし、勝手に六本腕が食料として持って行く事も多々あったので、甲冑は気に留めなかった。


「カミサマが復活したみたいだけど、俺の仕事には変化無しっと」

 食事も睡眠も不要な地獄甲冑は二十四時間網のつなぎ換え作業に従事する。神が()りようが、地が()れようが、今までに彼の仕事が中断されたのは"英雄"達の侵略だけだ。


「あぁ゛? 途中で通信糸が切れてるだってぇ?」

 チキチキと小声で話す蜘蛛に甲冑は怒鳴りつける。


「予備蜘蛛持っていきな、暫くこっちは俺が見ておいてやるよ」

 同僚の地獄甲冑ががらんがらんと騒がしい音を立て、両手にいっぱいの子蜘蛛を抱えて網管理部屋に入ってきた。


「相変わらず騒がしい奴だな、俺を見習ってもっと音を立てずに動けよ、恥ずかしい」

 がらがらと音を立てながら向き合う二つの甲冑。片方は手渡しされた子蜘蛛を抱えながら、がらがらと空虚な音を立て、障害の発生箇所に向かう。もう片方は今まで居た甲冑の仕事を肩代わりする。


 抱えられたキチキチと子蜘蛛は子蜘蛛同士で繋がりながら、伝話を始める。


 大人たちが大切なお仕事にいっちゃったもんね――

 ――そうだよね、しかたないよね。ぼくらが肩代わりしなきゃ。

 面倒臭いよね――

 ――僕らもカミサマの為にお仕事できるんだ、がんばろう。


 地獄甲冑は肩を(すく)めながら、障害の発生した地点に向かう。


 甲冑が到着した箇所で、本来居るはずの奈落蜘蛛達がごっそりと欠け落ちているのを見たとき、兜を思わず地面に叩きつける程度には憤った。


「何でこんなに蜘蛛の奴らが居ないんだよッ!」

 地面に叩きつけられた兜は、普段同僚の立てる音よりも更に大きな金属音を立てて転がった。





 奈落蜘蛛達が、初めて(・・・)外へ出たのは、創世暦1226年の2の月、23の日の夜の事であった。

 そろり、そろりと『大穴』に踏み出した奈落蜘蛛達が初めて見た"外"は、耀(あかる)かった。

 月と星々の光が、繊毛に覆われた彼らの体を柔らかく照らす。

 悪くはない。

 生育に必要な光も、有機物も、不足はしていない。


 十字架の残骸に纏わりつくように息づいていた、元の住人達を押しのけながら、彼らは大地を侵食し始めた。

 カリカリ、チキチキ、ポリポリ。

 大地を喰らい、糸をお互いに張り、蜘蛛の巣状の網を形成する。

 見る見るうちに、大穴の光景が変わる。

 かってのように『十字架』に守護された、対魔の最前線、静謐なる空気を(たた)えた結界の土地は、触れば胞子が吹き出すような、邪神が支配する土地へと変貌する。

 壁に根付いた蔦達は、緑の体を茶色く枯らし、腐れ落ちた。

 奈落蜘蛛達は更に壁に飛びつき、根を張り、鈴なりに実る。一部は脆くなっていた崖が崩れ、ポロポロと蜘蛛達が空に放り出される。

 糸がビョンビョンと飛び交い、放り出された蜘蛛達を捕獲する。それを伝い、また確りと蜘蛛は壁に固定される。


 壁のくぼみに巣を作っていた大鷲が急いで飛び立つ。バサバサと羽音鋭く飛び立つ様は、巣に残る子すら見捨てる勢いだ。

 ひゅぅぅう、どん。

 砲弾が着弾するかの様な音と、衝撃。鳥の巣があろうがなかろうが関係が無い。

 自らをスリングの弾に見立てた、奈落蜘蛛達の恐るべき投石術であった。

 壁をえぐり、一気に根を張る。

 糸を垂らし、伝い、あっという間に『大穴』は奈落の糸で埋め立てられた。





 創世暦1226年の2の月、24の日。





 チリチリ、カリカリ。奈落蜘蛛達が白蛇の乙女に、準備が整ったことを伝える伝話を打った。

 白蛇の乙女は、その連絡が届いた途端、思わず伝達の奈落蜘蛛の口に噛み付き、食いちぎってしまった。

 はしたない、と彼女は思う。しかし、それ以上に堪らなく嬉しい。

 これで神は世界に羽ばたけるのだ。


 この地に封印されてから214年。さぞかし神は長く感じてらっしゃる事であろう。

 それを解き放つのが妾達だ。

 かっての祖先は、失敗した。妾達は失敗しない。

 白蛇はウキウキと体をよじらせ、祭壇の間に急いて這いずりはじめたのだった。


 完全に違和感が消えた体。今となっては六対の腕と二対の足は己の物として完全に自由に動かす事が出来るようになった八木は、何故か今日に限って誰も祭壇の周りにいない事に疑念を抱いた。


『ははぁ、これはもしや、僕は見捨てられたのかもしれないな』

 神だ神だと崇められても、大した事をした記憶も無い。ただその場に居ただけだ。

 時折地震染みた振動があったが、それも八木が起こした訳ではない。

 八木は自嘲気味に哂う。


 しかし、ここで彼らに見捨てられてしまったらどうしよう。見捨てられる前に奇跡らしい奇跡を一つでも起こす努力でもしてみたら良かったかもしれない。


 八木の益体もない愚痴が言葉になる前に、白い蛇の乙女がしゅるしゅると這いよって来た。相変わらず、綺麗だと八木は思う。彼女は綺麗に作ったから、綺麗なのだ。


 八木の足を伝い、胴を伝い、首の定位置に乙女は緩く巻きつく。

 よほど急いで来たのか、乙女の吐息は荒く乱れていた。瞳は潤み、頬は赤く染まっている。


「神よ、妾の神よ、あなたの望みがついに叶います」

 白蛇の乙女の声は、熱っぽく耳元で囁かれる。


「奈落蜘蛛達がやってくれました。外の世界への架け橋がついに完成しました」

 入り口も広げた。通路も広げた。

 神体が通るのになんら問題はない。ただ、歩むだけでいいのだ。

『へっ?』

 ヤ・ヴィの困惑する声が、白蛇の乙女の耳に届く。

 たったの二十日前なら、それだけで心が騒ぎ、不安に満ち溢れていた。

 今は違う。それだけで白蛇の胸の中から愛しさが溢れ出す。


 神ならば、全て見通した行動を取る。

 巫女ならば、神に付き従い、行動を指し示す事などあってはならぬ。

 神はかくあれ、巫女はかくあれと、おお婆様達を筆頭とした、長老連はヤ・ヴィの見えぬ所で白蛇に何度も言う。

 しかし、(ヤ・ヴィ)は何も言わぬ、神が何も言わぬのであれば、妾の行動は何も間違っていないのであろう。


 (まよ)い子の邪神。それを導く白蛇の巫女。

 数千、数万の異形の民を引き連れ――





 ――地の上に、出陣。





                         閑話『希望の神殿の蛇巫女』 了

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