第十三話 誘拐 (7)
死を体現したかのような骨も、滅びる様は美しい。
波にさらわれた砂の城の様に、さらさらと骨は崩れ落ちる。支える体を亡くし、地に叩きつけられた鎧は硝子細工の様に砕け散る。真っ二つに断ち割られた半月刀は枯れ木の様に燃え尽きた。
サーサは歓声を上げた。変幻自在な骨の剣術に。その術を全て防ぎきったタイタンに。そして、鉄を両断し真っ二つにする絶技に。
サーサは骨と美丈夫の決闘に、己と団長を幻視た。
「凄いって話!」
その歓声がきっかけになった訳ではない。だが――
骨の左手が崩れながら、手に持つ半月刀を投げた。半月刀は存在を燃焼させながら空を切り、サーサの真横を駆け抜ける。
ギチュリ、と金属と金属がかみ合い、柔らかいものに刺さる音。
何の音かわからず、サーサは振り向いて、見た。ハッカの腹部に半月刀が突き刺さり、柄の部分で止まって、刀身は背中に抜けていた。熱量の無い炎を上げながら燃える半月刀はいかにも非現実的であった。未だに幻想の世界にいるのかと、サーサは目を擦る。
ハッカがととと、とたたらを踏んで3歩後ろに下がった。両手に握り締めた聖印を見た後、腹に刺さる柄を見る。じくじくと血が滲んでいた。
その場にいた者達は何が起こったかは判らなかった。
ぽぅ、と蝋燭が燃え尽きる時のかすかな音と共に、腹に刺さった半月刀は燃え尽きた。ハッカは聖印を地に落とし、己の腹を押さえた。腹にじくじくと滲む血が、どくどくと増える。ふるふると子鹿の様に震える足が、支える力を失い、両膝を突いた。
「ハッカッ!?」
ヤーマが駆け寄り、ハッカの腹を見る。腸がはみ出していた。
血は止まらない――
チャカを小脇に抱えて、駆け出す男がトワの手を取った。<雷>を放つ魔人を凌駕する、白い炎壁を産み出した様は、まるで伝説の騎士のようだ、とトワは思った。
騎士の名を持つ、救世主。この地に伝わる聖なる魔法使い。
その走る先に金髪翠眼の美丈夫が一人。"不死の姫"が産み出した骨の化け物を真っ二つに裂くその姿は実に勇ましい。トワは自分の祈りが通じたと思った。
(きっと、"不死の姫"を撃ち滅ぼす為に、神が遣わしてくださったに違いない)
夢見る乙女の時は過ぎた、とトワは思っていた。この地を支配する大貴族と結ばれ、王家の力をゆるぎなくする為の覚悟を済ませてこの地に来た心算であったが、胸の高鳴りは抑えきれなかった。
今のトワの目に、己を救いに来た者達が負った傷は見えていなかった。
そして、何故この騎士が邪悪の化身を小脇に抱えているかも理解出来なかった。
「た、タイタン! とりあえず逃げるべ!」
ナイトウが走って来るのを見る。後ろで起きた出来事を観る。剣を腰の鞘に収め、盾を背負いなおすと、タイタンは手近に転がっていた死体を一つぞんざいに背負った。
「判った。とりあえず水路まで戻ろう。ヒゲ、そいつを運べ。治療は安全な場所でが基本だろ」
タイタンは、ナイトウの小脇に抱えられてこくこくと頷くチャカを見た後、視線でハッカを指し、爆炎を背に、ずんずんと歩き出す。
タイタンの目は、氷の様であった。逆光になり、その氷は誰にも見咎められる事はなかった。
ハッカの血の気の引いた顔は青白い。
鉄火場で、焦らずに的確な指示を飛ばしたタイタンに従い、そっとヒゲダルマは壊れ物を扱うかのように抱き上げた。
軽い。
ヒゲダルマ、いや、藤田八重は己の体の性能に戸惑っていた。
ただでさえ女。研究室に入り浸る前はネットゲームに嵌った廃人だ。そんな彼女が人を抱き上げる事など経験はなかった。迷宮で子供を背負った時もそうだったが、まるで重さを感じない。筋肉という物は素晴らしいと感じていた。
同時に、少し力を入れただけでもポキリと折れそうなか弱さを腕の中に感じていた。
「大丈夫ッス、大丈夫ッスよ。我慢してくださいね」
ヒゲダルマは浅く呼吸を繰り返すハッカを抱き上げ、急ぎ足で水路に向かう。
「急げ、お前らは水路まで戻って、安全な場所を確保するんだ」
ヤーマとサーサ、それにカノは、感情が消えたかのようなタイタンの声に背筋を冷やすと、上官に命令された新兵の様に走り出した。
何かが今までと違う。タイタンの声が違う。
「とりゃーず、無事脱出出来たから良かった良かった」
暢気にチャカが運ばれながら、言う。
糞が。
「ほ、ホント心配したんだぞ。気をつけろよ」
これまた暢気な声で、ナイトウが返した。
糞が。
「あ、あの、助けて頂いてありがとうございます」
ナイトウに手を引かれている女が言った。
糞が。
お前らの命を救うために、何人死んだ。
タイタンの背中で、死体の首が揺れる。
糞が。
「タイタン、ありがとねー?」
チャカが無邪気な顔で、抱えられながらタイタンに向かって言った。
軽いよ、糞が。
だけども、糞な事をこいつ等なら、きっと、判ってくれる。
――そうじゃなきゃ、俺はここまで付き合って来なかった。
タイタンの憤りは、未だ気付かれない。
タイタンの背後で炎が燃え盛る。白い炎はついに鉄格子を溶かし、廻りの可燃物に炎を広げつつあった。
絶望に満ちた男の絶叫が、タイタンの耳に聞こえた気がした。
「周囲よし! 敵影無し! 安全って話!」
サーサが周囲を確認した後、ヤーマに声をかけた。
「大丈夫です……タイタン殿」
ヤーマの顔色は蒼白だ。移動している最中、一言も喋らない金髪の男の機嫌はすこぶる悪い、そう感じる。戦闘の最中には感じない、別種の恐ろしさをしんしんと感じていた。
無言で頷いたタイタンは、背負っていた死体を地面に投げ捨てた。
ヒゲダルマは、最早紙のような白さになっているハッカの傷口を強く抑えていた。少しでも流れ出る命が減るように。中身が飛び出ていかないように。
既に自分の足で歩いていたチャカは、心配そうにそれを見ていた。
「チャカ、ちょっとこっち来い」
タイタンが無表情でチャカを呼び寄せる。有無を言わせぬ迫力がそこにあった。
「ちょっと手を出せ」
言われるままにチャカは右手を差し出した。
「何、これでいいの?」
「ああ、それでいい」
チャカが言ったその瞬間であった。チン、と金属質な音が静かに鳴った。
「なぁ、チャカ。俺はお前を助ける為に体を張った。だから、お前も体を張ってくれないか?」
当然だと思う。チャカは心のままに言った。
「当然じゃん。張るよ!」
チャカは右手をひらひらと振る。振る?
普段より、軽い。何か軽い。軽い違和感を感じながら、チャカは軽く応えた。
「良かった。じゃあさ、ちょっと<死者の泉>を使ってくれないか?」
<死者の泉>、それは死霊使い番の<慈悲の輪>と言うべき集団回復スキルである。
"死体が必要"という縛りがなければ、非常に便利な回復スキルである。消耗するHPも少ない。消耗するMPも少ない。極めて有用な、死霊使いをPTに入れているならば、日常的に使う便利スキルだ。
そう、日常的に使っていた。だからタイタンはそれを口に出したのだろう。チャカはそう結論付けた。
「え、あ、うん。<死者の泉>……って」
「死体? 俺達の日常は死体に囲まれていたじゃないか」
チャカはタイタンの目に、何か別の存在を感じた。
(治療もPOTを使えばって……そういえば在庫が全くなかったんだっけ?)
ふと、チャカは気がつく。
(この場に回復役って、私しか居ないんだっけ?)
死にそうになっている女の子が居る。目の前に死体がある。スキルを使え、と?
チャカは死霊使いである。何故かスキルが使えた時は、怪我をしていた。つまり。
「ああ、お前が悩まなくていいように、予めお前のHPは減らしておいたぞ」
"タイタン"が、何か理解不能なことを言う。
チャカは先程から違和感を感じてならない、軽い右手を見た。
なかった。
チャカの鼓動にあわせ、ピュッピュと赤い血潮が飛び出す。白い骨と脂肪の房が何故か見える。ぐーぱーぐーぱー、普段なら意思どおりに動くはずの手指がなかった。
手首から先は、地面に落ちていた。
チャカの右手首から先は、あまりに綺麗に切り飛ばされていた。鋭利過ぎて痛みが伝わるのが遅かった。認識したら、じんじんと痛む。段々と痛む。段々と命が抜ける。
ナイトウがチャカを見た。
見た途端、ナイトウが叫びながらタイタンの顔を殴り飛ばす。普段の情けない顔ではなかった。鬼の形相であった。二メートルほどあるタイタンの巨体が、ナイトウに殴り飛ばされてずしんと尻餅をついた。
「た、タイタン、お前何してるんだ!」
鬼の形相を崩さず、怒りに満ちた声でナイトウはタイタンを見下ろした。
「何って、お前、そりゃあ、チャカにスキルを使って貰おうってだけの話だ」
尻餅をつきながら、殴られた顎を撫でるタイタン。半眼でナイトウを睨みつける。
「ナイトウ、チャカが軽率な行動を取らなきゃこれだけの犠牲は出なかった」
タイタンが立ち上がりながら、ナイトウの胸倉を掴む。
「俺達があいつ等に絡まなきゃ、こいつ等も死ななかった」
地面に転がる、屍。
「俺も殺さなくて済んだし、お前らも殺らなくて済んだ。糞ったれだ。だからこれは――ケジメなんだよ」
ナイトウはタイタンの目に浮かぶ、涙を見た。
「いいだろ、別に。チャカの手なら繋がるさ。だけどな、こいつ等は死んでるんだ。俺が殺したんだ。で、あいつは死にそうになってるんだ。お前らがやったんだ」
やりきれない口調で、大の大人が涙を流しながら。
「なぁ、せめて、救ってやれよ……頼むよ……」
タイタンは泣いていた。
"タイタン"はタイタンに戻ったのだ。
ナイトウは何も言えなかった。
タイタンの苦痛が、怒りが、やり場のない憤りが伝わってきた。
不始末の落とし前をつけろ。タイタンはそう言いたいのだろう。
「だ、だけどな。タイタン、お前のやり方も……」
無茶苦茶だ。ナイトウはそう思った。だが、自分も命を奪った事を無視して、誤魔化そうとしたのだ。どちらが理不尽か、ナイトウには判らなかった。
「しっかりして下さいッス! ハッカさん! ハッカさん!」
ヒゲダルマの焦る声がチャカ達にも聞こえる。ここで出来る治療など、チャカを措いて他はない。
ひり付く痛みと、刻々と迫る制限時間がチャカを動かした。
納得は出来ない。けれども。
「やれば、やればいいんでしょ!」
右腕から、業と吹き出す瘴気に"信徒"の死体が持ち上げられた。雑巾を絞る様に、瘴気が死体を捻る。万力で締め付け、圧搾した、高密度の一本の肉の雑巾が地下下水道の通路に産み出された。
「ヒゲ、ここに運び込んで!」
奇怪なオブジェにも見える、一本の縦置き肉雑巾はその身から勢い良く液体を噴出させていた。見ようによっては噴水に見える。
チャカが最初に"効果範囲"に足を踏み入れた。びゅうっと噴出した液体が右手首に纏わりついて、骨を形成する。肉を形成する。皮を形成する。
手を形成した。
その様を見たヒゲダルマは躊躇しながらも、ハッカを運び込む。
ビッっと飛び出した液体が、ヒゲダルマの頭の傷に纏わり着く。
ハッカの腹に潜り込む。血が止まる。腸を押さえ、薄皮が張る。纏わりつく死の気配が、去る。ハッカは内臓をかき回されるおぞましさに、意識を失った。
<死者の泉>は、溜め込んだ液体を放出しきった後、涸れた。
「これで、いいんでしょ?」
真っ赤な液体を右手から滴らせながら、チャカが振り向く。
この場にいた人間は、あまりの邪術に声を無くした。
化け物を見る目だった。一歩踏み出す。人間は全員、一歩引いた。
「ああ、これでいい。行こう」
タイタンが頷く。
ナイトウがチャカの手を引く。
出口に向かって、彼らは歩き出した。
ヒゲダルマはその場にハッカをおろし、急いでついていく。
百合騎士達と、クオンの第二王女はこの場に取り残された。
彼らについて行こうと思う者は、居なかった。
その頃地上では、"向日葵街"から数百人の暴徒が、粛清と叫びながら、貧民窟を焼く事案が発生していた。
バイカの守備を任されていた、クオン第5騎士団、"大車騎士団"は暴動の発生を事前に察知していた為、貧民窟に悲惨な被害を出しながらも、団内の被害は極小に抑えることに成功。
一般王国市民の財産被害も少なく、高い成果を上げた。
尚、この事件の首謀者である"不死の姫教団"の教主の存在は確認されなかった。
クオン領バイカ、領主ドリティ=プルケリはこれを重く見て、首謀者ダリヤの首に高額の賞金をかけた。
また、この事件の裏側で進行していたクオン第二王女の誘拐を知る者は少ない。
そして、地下下水道で何が起きたかを知るものは更に少ない。
直接解決に当たった、百合騎士達の口は重く、他者に開かれる事は無かった。
第二章『亡国の英雄』了