第十二話 誘拐 (6)
チャカは怒っていた。
気持ちよく飲んでたら、袋詰めにされて殴られた。気がついたら牢屋だった。吐いた。ここまではまだじっと我慢していた。人が居なくなった時に限って、トイレに行きたくなった。騒いで人を呼ぼうと思ったら電気ショックを貰った、痛みにびっくりして倒れてちびった。
「……私、我慢した方だと思うんだよね」
チャカの白い太ももを伝う、生暖かい液体。ぐっしょりと濡れて、張り付く布。痛みと恥でチャカの精神は限界だった。
カチリとパズルのピースが嵌る。殴られ、<雷>に貫かれ、減少したチャカの生命は<骨の戦士>を呼び出す為に必要な閾値を突破した。
「怒っても、いいよね?」
牢獄の冷たい石畳は、チャカの羞恥に満ちた怒りを冷まさなかった。
ゆっくりとチャカは立ち上がる。周囲の雑音が激しくなった。
驚かされたなら、驚かせばいい。恥をかかされたなら、恥をかかせればいい。殴られたなら、殴り返せばいい。目には目を、歯には歯を。
「……<骨の戦士>、召喚」
<骨の戦士>は、死霊使いにとってはポピュラーで、使いやすく、同レベル同士のPVPでは牽制にはなる程度だ。
所詮その程度だと、チャカは考えていた。
空間が歪み、中空に小さな拳大の黒い穴が開いた。穴からだくだくと、どす黒い瘴気が溢れだす。穴の縁を覗くと異様に白い指先が引っかかっているのが見える。
10本の白い指が、産道をねじ広げるように開く。
白い指? いや、違う。
ダリヤの側近達は、その白い指に本来あるべき肉が付いていない事に気が付くと、息を呑んだ。
骨だ、白い骨だ。
ブチブチブチと空間を引きちぎる音をたてながら広がる穴から、赤錆びた鎧甲冑を着込んだ、人骨が生まれ出た。
瘴気を放つ液体を滴らせながら、虚ろな眼窩はゆっくりと周囲を観わたす。骸骨に眼球などついていなかったが、確実に得物を見定めていた。
骨が一歩を踏み出す。
カラリ、カタカタ。骨と骨が擦れあう軽やかな音と、地面にポタリポタリと落ちるどす黒い液体がジュウジュウと蒸発する様は、此の世のものとは思えなかった。
骨は腰にぶら下げた二対の曲刀を抜き放つと、何をする訳でもなく棒立ちの姿勢をとった。
背後に猛烈な瘴気を感じ、ダリヤは振り向いた。そして、固まった。
トワは、ダリヤが振り向く前から固まっていた。
悪夢を顕現したかのような異様な光景に視線を奪われていた彼らは、横に立つ少女にようやく視線を戻した。地獄の釜の蓋を開いた、その主に。
今、この時この場にいる全ての者の視線は、チャカ一点に集中していた。
白金の髪に赤い瞳。顔は羞恥と怒りの色に赤く染まっている。姿形だけならば、ただの娘だ。しかし、その身から溢れ出す、この毒々しい瘴気は――
「……不死の姫だ」
ダリヤが全身を震わせながら呟いた。
鮮烈に記憶に焼き付けられた姿は50年の月日を経ても変わっていなかった。
赤い瞳に白金の髪。見目麗しい少女の姿。剣聖の剣で切り刻まれようと、魔槍に刺し貫かれようと、竜の炎に焼かれようと生き延び、骨の兵を率いて戦い続ける、御伽噺の魔女。
ダリヤの<雷>は、いかに修練を積もうと所詮は人の業。"不死の姫"にとっては児戯にも等しいのだろう。
怪我の一つも見えぬ姿を見て、ダリヤは悟った。
――滅する事など、叶わぬ。
「う、うわあああああああああああああああああああああああ!」
ダリヤの側近の一人が、『骨』と『姫』のあまりの凶相に恐れをなした。狂乱し、手に持った杖に魔力の炎を灯す。急ぐあまりに<火球>の体すら為していない、不完全な制御の炎の玉がチャカに向かって投げつけられた。
「よ、よせっ!」
胆力だけならば褒められたものだ。何しろダリヤを含む、この場にいる者のほとんどが、恐怖で動く事が出来ない状態で、まがりなりにも動く事が出来たのだ。
召還された<骨の兵士>は自らの主人に向かって投げつけられた、炎の玉の射線に自らの体をすばやく割り込ませる。不完全な炎の玉は炸裂せず、骨の体に絡みついて燃えあがり、消えた。
骨の兵士の体は、傷一つついていなかった。
主人を攻撃されたら、指示がなくても主人を守り、攻撃者を『敵』と見なし反撃する。
極めて単純なロジックに管理された骨の兵士は、動き始めた。
タイタンの聴覚が、絶叫を捕らえた。
「こっちか」
スイッチが入ったかの様にタイタンは走り始めた。複雑に折れ曲がり、枝分かれする通路を、まるで行き先がわかっている様に走り抜ける。
「こっちって、この先に何があるのですかっ……タイタン殿っ」
ヤーマ達はついて行くだけで精一杯であった。単に走るだけならヤーマも苦はなかっただろう、ただ、敵地の真っ只中で何の迷いもなく、全力疾走を始めたタイタンにあわせる方がおかしいのだ。人間の限界を超えている。
「ま、待って下さいッス、皆さんついてこれてないッスよ」
全力疾走にヒィヒィと泣き言を言いながらヒゲダルマがついて来た。PTで突出しすぎるのは確かに良くない。チッと舌打ちを一つ打ち、タイタンは歩調を緩めた。
「この先で何か起きてやがる。急がないと間に合わないだろ」
それならば尚更全員揃って進むのが正解だ、タイタンも理性では判っているのだが、逸る気持ちを抑える事は難しかった。
「なら、尚更集団で、行動すべき」
カノが、汗で額にじっとりと張り付いた髪をうっとおしげにかき上げ、走る事を止めた。はぁはぁと荒い息を吐いている。彼女達は全員、息が乱れていた。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
至近で更なる絶叫。あまりの声に全員がビクリと体を硬直させた。
「……急ぐか」
近い。タイタンは盾を構え、音源に向かう事にした。ついてこれない奴は無理についてこさせる必要も無いだろう、と感じながら。
杖が舞った、腕が舞った、血が舞った。
己の主人に火を浴びせかけた"敵"を滅するべく、骨の戦士が信徒の群れに一息で飛び込み、両手に構えた円月刀をぐるりと振るった結果であった。一振りで一人の両腕が飛んだ。
脆弱な魔杖を叩き斬り、腕を切り飛ばし、獲物を探す様は恐慌を起こす子羊の群れに襲い掛かる狼の様であった。
信徒達は、倒れた仲間を助けようとは思わなかった。一人を除き、皆一斉に距離を取ろうと、後ずさる。動くモノを優先的に処理しようとしているのか、骸骨は距離を取った者達のほうに飛び掛った。
チャカは自らが産み出したこの状況に、暫く言葉を失った。骨が勝手に飛び出してスプラッタだ。
信徒の一人がゆっくりとチャカに近づき、耳打ちをした。
「ちゃ、チャカ。逃げるぞ。そこの姫様連れて」
耳打ちされた内容に驚いたチャカがその顔を見ると、ナイトウだった。
この場から逃げようと、後ろに駆け出した信徒らが見たものは、盾を構えてこちらに突進してくる金髪の美丈夫であった。それに続く様に、彼らの敵、百合騎士達が突貫を掛ける。
単純に盾を前に構え、走り抜ける。タイタンがやった事はそれだけだ。それだけで進路上に居た信徒達は、車に撥ねられたかのように壁に、床に、天井に叩きつけられる。
幾名かは首の骨や頭蓋を折り、そのまま絶命する。胸骨をへし折られ呼吸が出来ぬ者も居る。百合騎士達が止めを刺す。慈悲であった。
骨の戦士は逃げる信徒の背に刺した半月刀ごとタイタンに吹き飛ばされた。壁に叩きつけられた骨は、肋骨の一部を破損した。折れた骨は鎧の内側に当りカラカラと音を響かせる。
骨は立ち上がった。タイタンを新たな敵と認識し、信徒を蹴り飛ばし、その背に深く刺さった曲刀を引き抜く。
「何で"骨"がこんな所に居るんだよッ!」
タイタンが目の前の、恐らくこの場では最大の敵を目の当たりにして叫んだ。腰の剣を引き抜き、骨と対峙する。蹴散らすのは容易だが、素手では時間がかかる。
ヤーマとサーサは、タイタンと"骨"の発する闘気に完全に飲まれていた。
おぞましい化け物と対峙する勇者、二人の戦いが始まった。
「ヒッ……」
ハッカが骨の姿を見て息を呑んだ。
両手で聖印を握り締め、神に祈る。祈る先は"最も新しき神"センファイ。約80年前にこの地に降り立った女神だ。彼女は彼女の神に祈る。
「神よ、不死なる者に安息を」
不死なる者に、再び安らかな眠りを与える<聖句>を唱えるハッカ。横に立つヒゲダルマはその意味不明な言語を知っていた。知らぬはずだが、知っていたのだ。
"骨"が舞う。右から斬ったと思ったらぐるりと廻り、盾の無い左から斬る。体を落とし、地に伏せるが如くの体勢から切り上げる。タイタンの盾を蹴り上げ、体勢を崩そうとする。
タイタンは攻撃を盾で止め、剣で払い、打ちつけられる攻撃を耐える。
一発一発が"軽い"片手武器は、下手に大技を繰り出す方が逆に時間が掛かる。
タイタンが以前、シゴの"骨の戦士"を<乱撃>で打ち破った時は、召喚者を守ろうとする召喚物の特性を利用して全被弾をさせたからである。
しかし、敵がフリーの状態で打つと、回避されたり、防御されやすい。よって、時を待つのだ。全力を出させた後の隙を狙い、巧妙に間合いを詰め、いつでも反撃が出来るように。
「ここだァッ!」
骨の一連の攻撃の最後を<盾強打>で崩す。重いはずの盾が風を切る。曲刀と盾が打ち合わされ、ガギンと金属質の音が響く。骨の持つ曲刀の一つが真っ二つに叩き折られた。タイタンの剣が大上段から骨の頭蓋を捕らえた。そのまま腰骨まで断ち切る。<重撃>であった。
トワとダリヤは、ただ呆然とこの場の成り行きを眺めていた。
トワは、雷に打たれたチャカが生きていた事と、"不死の姫"だという事に衝撃を受けた。
ダリヤは己の計画が粉微塵に破綻した事に、そして、目の前の"不死の姫"が呼びだした骨の戦士が何故自分達を襲うのかと、絶望した。
年若いトワの方が、正気を取り戻すのは早かった。ダリヤの手を払い、牢の入り口に向かって走り出す。
「……っ、逃がすなぁ!」
正気に返ったダリヤが"不死の姫"の真横に立つ一人の信徒に向かい、怒声を上げた。この状況で更に"姫"まで失ったら破滅しかない。
(まだ、何とかなる)
もう既になんともならない状況に追い込まれている事を、ダリヤは気がついていない。
その"信徒"が背中に背負った仰々しい杖を手に構える。"姫"二人が牢から出たのを確認した後に、杖に魔力が流れ込む。
その場で命ある魔導師は、既にカノとダリヤの二人しか居なかった。二人しか居なかったが、一人は天才、もう一人は人の限界まで修練を積んだ魔人だ。
その二人の魔力を合わせても到底及びもしない膨大な力が一瞬で収縮する、刹那の後。
ナイトウの放った<白炎の壁>がダリヤと牢の入り口を分断した。
真っ白に燃える炎に炙られ、上に羽織っていた"信徒"のローブが燃え上がる。その下に着込んだ長衣は魔力の光を燦々と放ち、一種の神々しささえ放っていた。
「うおっ、アチッ!」
ナイトウの髪が一部分焦げた。
その場に居たものが見たものは、膨大な熱量を放つ白い炎の壁であった。見る見るうちに牢の格子が真っ赤に赤熱していく。
カノが見たものは、単なる炎の壁ではなかった。膨大な呪力渦巻く、伝説級の魔法だ。
カノの師匠が一度こっぴどく酔った時に話した『理論的には可能だが、魔力的に不可能』な魔法。カノは戯言だと思っていた。戦場で一度見たと言い張る師匠を嘲笑った記憶が蘇る。
燃え上がる炎を放ったのは、まさかの"馬轢き"。
「ありえない、嘘」
その視線の先には、燦々と魔力の光を放つナイトウが映っていた。
「に、逃げるぞ!」
<白炎の壁>を放ったナイトウは足止めならこれで十分だろうと思い、杖をポーチに放り込み、チャカを小脇に抱えて逃げ出した。「っひゃ?!」ついでに姫っぽい人の手も取ってナイトウは走り出す。轟々と燃え盛る白い炎は廻りの酸素を奪い、息苦しい。
牢獄の入り口で、タイタンが骨を真っ二つにするのをナイトウは見た。
周囲から黄色い歓声が上がる。
(ああくそ、アイツはいいとこもっていきやがるなぁちくしょう!)
真っ二つに裂かれた"骨"は、己を現世に繋ぎ止める力が枯渇した事を悟った。体が末梢からさらさらと崩れ落ちる。"骨"は残された最後の力を振り絞り、左手に残った半月刀を投げつけた。
投げつけた先は己に害をなした、最後の一人。
今までの奇襲の弓矢など比較にならない速度で飛来した半月刀が、ハッカの腹に深々と突き刺さった。