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野郎達の英雄譚  作者: 銀玉鈴音
第二章 亡国の英雄
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第八話 誘拐 (2)

 夜の街の裏通りに、麻の大袋を抱えた男どもが駆ける。

 灯りが乏しい猥雑な裏通りを、急いで駆ける彼らの荷物は上下左右に振られている。中の荷物が何が入っているかは想像できないが、あれでは中身が傷んでしまうだろうと、路上に寝ていた乞食の老人は要らぬおせっかいに似た感情を抱いた。


 裏通りと言えど、住人は存在する。彼らは『また』何か騒動を引き起こしている奴らがいるのかと諦めという名の諦観を抱く。


 酒を飲んだ後ぐるぐると回された後、天地をひっくり返されて運ばれる。

 中々稀な体験だと思うけれども、あまりしたくない体験であると思う。間違いなくチャカはそう感じていた。

(吐く、吐くって!)

 チャカは袋の中で吐き気と必死に戦っていた。

 手を口に当ててうめき声を上げることすら我慢していたのだ。もし声を上げて暴れていたら、状況は違っていたかもしれないが、声を上げる前に確実に胃の中身をぶちまけるだろう。

 人攫い達にとっては幸運に幸運が重なった結果である。

 チャカにとっては永遠に等しいが、実際には1時間にも満たない時間の出来事であった。


 通称"向日葵街"、男どもが足を踏み入れている地域はそのように呼ばれている。


 バイカの人口の九割は元オウレンの民である。残りの一割は併合者にて支配者たるクオンの民である。彼らの間には厳然たる格差が存在する。


 判りやすい例としては街そのものに現れている。

 表通りから一本通りを踏み込めば、街は様相を一変させる。

 クオン領となった後のバイカ50年の歴史で、複雑に絡み合った糸のように無計画に建造された低層住宅(バラック)街が広がる。

 更に踏み込めば底なし沼の貧民窟(スラム)だ。


 バイカで生まれ、バイカで死んでいく者達は魔物(MOB)を見ることはほぼ無い。しかし、餓えと貧困、疫病という魔物はありふれた存在である。

 無秩序に立てられたバラックは複雑に絡み合い、空を(ふさ)ぐ。


 "向日葵街"は貧民窟の中でも最も危険な地域である。

 日に向かわぬ向日葵の地には、魔物が闊歩する――



 スラムの一角、小汚いバラックの床をめくると洞穴の入り口が姿を現す。

 洞穴と言っても昨日今日掘り進められたものではない。極めて整然とした人工的な地下洞窟であり、数十年、数百年に及ぶ人の行き来で磨り減った石畳がその歴史を物語る。


 元々は計画的に敷設されたであろう、下水道の成れの果てである。


 オウレンの地下に網の目のように張り巡らされているこの元下水道は、水の都、華の都と讃えられていたオウレン首都の華やかさを、縁の下から支えていた。


「だが、今となっては糞溜めの都だ」

 下水を流れる清流は、今の"向日葵街"の情景と比べたら雲泥の差がある。大通りと比べてもまだこちらの方が清潔である。


 下水の主はオウレンの元貴族、名をダリヤ・サンフラワと言う。


 彼が少年期を過ごした頃の館があった場所は最早見る影もなく、貧民窟に飲み込まれて久しいが彼は彼なりの貴族としての矜持(きょうじ)を守る為に、母国の再興の為の活動を続けてきた歴戦の魔導師である。


 若き頃に見た、最後の三英雄こそがダリヤの英雄である。

 豪華絢爛な剣盾を纏い、絶望的な戦争でも笑みを浮かべていた金髪の騎士。

 今の彼と比較しても、なお足元にも及ばない魔力の煌きを纏った古の賢者。

 特に亡き女王よりも美しく、流れる白金の髪を持つ少女の姿は彼の網膜に焼きついていた。

 彼らは最後の一人が倒れるまで、玉座の間で女王を護ったという。


 ならば、ダリヤはその遺志を継がねばならぬ、若き日の彼はそう考えた。

 『名誉』や『義憤』だけでは再興は覚束(おぼつか)ない。彼が悟るまでにはそう時間はかからなかった。

 必要なのは『力』と『金』である。

 力も金も得るためならばなんでもした。持つ者から奪え、元々は自分達のものだと。


 ダリヤは下水道の一区画に設けた執務室にて、自らの半生を振り返るのであった。

 50年の月日は彼を老いさせた。しかし、費やした時間は無駄ではない。今やダリヤは失った貴族の地位よりも、より強大な暗黒街での地位と力を築き上げたのだ。

「教祖ダリヤ、例の娘の誘拐、無事済みました」

 伝令の男の報告にダリヤは満足げに頷き、椅子から立ち上がった。


 ――今回の作戦で、クオンは大打撃を受ける事であろう。

 暗い(わら)いと側近の者数名を伴い、ダリヤは牢獄として改造した一画に移動した。


 人が集まり組織となった時点で、伝達が上手くいかないという事はよくある事である。特に"教団"に置いては日常茶飯事だ。


「何で大物と被る時期にヤったんだこの糞ッ垂れ野郎が!」

「あ、兄貴ぃ。そうは言ってもこれも上玉ですぜ?」

「馬鹿野郎が、適当な仕事をしやがって……」

 ダリヤが牢獄に辿り付くと、若い信徒達が言い争って居た。


 どさりと石畳の上に麻袋が投げ出され、"中身"がウッとうめき声を上げた。


「おいお前ら、何をしている、どけ!」

 ダリヤの側近の神経質な声は、信徒達を驚愕させた。普段は教祖達が来るはずも無い場所である。

「きょ、教祖様、こんな所に何故いらっしゃったので……」

 信徒達はダリヤを刺激しないようにと言葉を選びつつ、"教団"における一般的な祈りの際に取られる、片膝をつき右腕を左腕ではさみ、左手を額につけるという体勢を取った。

「今日の収穫を確かめに来た、通すが良い」

 ダリヤの低く、よく通る声に信徒達は海を割ったかのように壁際によった。

 教祖に逆らった者は、ろくな死に方をしない。"教団"のこまごまとした戒律の上を往く絶対のルールはそうなっている。

 側近の者達は手練(てだれ)の猛者揃いである。修練を収めた、正規の騎士が倍居たとしても手も足も出ない事だろう。

 更に恐ろしい事に、その猛者どもを赤子の手を捻る様に下すダリヤは、人の身で魔道を極めた恐るべき魔人である。

 彼らの機嫌を損ねる事こそ、この"教団"如いては向日葵街どころか、バイカで暮らす上での不幸に繋がるのだ。


「この袋は何だ。どけろ、どけろ!」

 側近の一人が苛立たしげに荒げる声に、信徒の一人、チャカを運搬していた男はぶるりと震えた。

 文字通り指先一つ、言葉一つで我が身を粉砕できる魔人が傍を通りぬけるのだけでも恐ろしいのに、その進路上に障害物があるのだ。一信徒にとってみても、常に傍に控える側近が苛立たずにはいられないのは理解できた。

「あ、あの。追加の"収穫"でありまして……」

 黙って除ければ良いものを、思わず口をついて出た言葉がそれだ。


「ふぅむ……まぁ、良いだろう。牢に入れておけ」

 幸いにも彼らの教祖の機嫌は悪くなかった。信徒らの首は繋がったのである。

 ダリヤは気分が良い。何しろこの50年間憎んでいた。その憎きクオンの支配者の姫が手に入ったのだ。大金星と言っても良い。

「おい、早く牢に入れておけ!」

 信徒に当り散らす側近の普段なら癇に障る、甲高く神経質な声もダリヤは気に病むことは無かった。

 齢69にして掴んだ好機。王国に一矢報いる事を想像するだけでダリヤの心は少年の様に高鳴る。


 牢獄には可憐な乙女が捕らわれていた。

 牡丹のような華々しさを持つ乙女も、日の光差さぬ牢に捕らわれた状態では乱雑に手折られた華、その美しさは半減しているようなものであった。

 胸に飾られた王家の星も、薄暗い牢を照らす松明の炎では輝かぬ。

 松明の炎に照らされた彼女の表情もその弱々しい松明の炎と似通っていた。


 彼女こそが、クオン王国の第2王女、トワ姫である。


 トワの表情は弱々しい。警護の者は彼女を護る為に逆賊の徒に一歩も引かなかった。故に命の華を散らしてしまったのだ。己が命を護る為に散った者達の命を無駄にしてはならぬと、トワは思う。ただ、身を守る術が今の彼女には無い。無念さと屈辱がそこにはあった。


 石畳を叩く足音と共に、彼女を攫った不届き者達が姿を現す。

「早くここから出しなさい、そして奪った命に懺悔なさい、ならば魂までは地獄には落ちぬ事でしょう」

 トワの弱々しい抗議の声に、不届き者達の首魁である老人は一瞥した後、薄く笑う。

「……間違いなくトワ姫のようだな。よくやった」

 年齢を感じさせぬ頑強な体を小さく揺らし、ダリヤと側近達は立ち去った。

 後に残された男達は顔を見合わせた後ため息をつき、人一人が丸ごと詰まった麻袋ごとトワの牢獄に突っ込んだのであった。


 持ち上げた後に叩きつけられて、また持ち上げた後叩きつけられる。チャカにもいい加減限界が見えてきた。主に逆流しそうになる胃の限界である。

 青い顔で口を押さえながら袋から這い出すと、赤毛の女の人がチャカの目の前に居た。


「可哀想に、大丈夫ですか?」

 チャカにトワの優しい声がかけられた。


(まるでダリアの花だぁね)

 花に例えても良いほど、綺麗な人だとチャカは思った。しかし、今はそれどころではない。喉元にせり上がる液体の放出先を定めねばならない。

 瞬時の迷いの後、今まで入っていた麻袋に放出する事と決めた。ゲェゲェと胃の中身を吐いてしまえば楽になるのだ。


 チャカは見知らぬ女性に背中をさすられながら吐く。口を拭う。すっきりする。

 多少水が欲しいと思うが、贅沢も早々言ってられないだろう。むかつく胃が収まるだけでも十分冷静になれたと、改めてチャカは回りを見渡した。


「牢屋じゃん……」

 堅固な石壁、鉄格子。正に絵に描いたような牢屋であった。


「落ち着きましたか?」

 トワはチャカの背中をぽんぽんと優しく叩きながら、途方にくれるチャカを慰めようとしていた。


「うん、ちょっとこう、なんか色々、私の人生ってなんだろなーって思った」

 チャカはどんよりとしたため息をつきながら、吐瀉物を見て思う。


(暫く……お酒は控えよう)

 トワの気の毒そうな視線をひしひしと感じる。

 これは出会い頭にゲロを吐いた人に気を使っているのか、それとも同じく誘拐された事に同情しているのか、どっちなのかとチャカは微妙な疑問を抱くのであった。





 同じ牢にトワが居たため、チャカは話し相手に困らなかった。

 恐らくチャカ一人で居たら10分と持たずに退屈に殺されていたと思う。


 自己紹介と身の上話、それだけでも暇つぶしになるものだ。ただ、チャカの身の上話は絶対に信用されていないと、チャカ自身確信している。


 10代前半に見えるこの体でなくても、客観的に自身の話を聞いたら狂人のたわごとと一蹴するであろう。もしくはそんな面白い妄言を吐くなら、それをネタに漫画の一本でも書いてみろ、と言うに違いない。


「ふふ、うふふふふっ……よりにもよって貴方があの"不死の姫"とか、面白い冗談ね」


 案の定、トワには大ウケされてしまった。チャカも目の前のトワが「自分はお姫様だ」といった時に爆笑してしまったので、他人の事はいえない。

 その時に牢番をしていた男に静かにしろ、と怒声を浴びせかけられたので、小声での会話である。


「大体その不死の姫ってなに?」

「はいはい、止まった時を生きる"不死の姫"、それで星の海に居た男の子? チャカ、あなた語り部の素質あるわよ。もしここから無事に出れたら私の専属の語り部にしてあげるわ」

 そもそも日本語がまともに通じる時点でチャカは何かおかしいとは思うのだが、どう説明しても、"ゲームの世界"という概念を伝える事が出来なかった。

 

「"クオンの第二王女様"も底意地がわるうございますね。そこで見栄を張るなら第一王女とかにしておけばいいのに」

姉様(あのとしま)の名を騙るほどわたくしも肝が据わってませんから」

 チャカとトワ、お互い二人で顔を見合わせて、クスクスと笑う。

「『絶望の迷宮』の『邪神(ヤ・ヴィ)』を倒して戻ってきたなんて、希望に満ちていて素敵でしたわ」

 えっ、とチャカは思わず聞き返した。トワの顔は極めて真面目だ。

「200年前の『ヤ・ヴィ』封印の際には、『十字架』様の光は消え、英雄達は天に帰った……と伝説ではこう言われているわ。チャカ、もうちょっと勉強が必要ね」

 トワはチャカの頭を撫でながら、慈愛に満ちた表情で告げた。

「もし『ヤ・ヴィ』を封印したのなら、『十字架』様の光が言い伝え通りに消えてなきゃおかしいわ。だからチャカ、あなたの御伽噺はおかしいのよ」

 トワはそっとチャカを抱きしめながら、自らの不安を隠す。

「王都の神学者達はこう言ってるわ。英雄が負けてしまったのではないかって。でもそんな事は無いわ、チャカ。きっと英雄達は邪悪を祓う為に戻ってくる……神は常に見ているのですもの……」


 その英雄が"不死の姫"チャカじゃなければいいのだけれど、こっそりとトワは思う。


 "不死の姫"はクオン王家に伝わる記録ではオウレンに根を張った、命を弄ぶ稀代の大魔女だ。眼前の少女がその真名を名乗った時は何の冗談かと思ったが、この地ではこの地の伝説があるのだろう。めくじらを立てるほどの事ではない、そうトワは判断した。


 大体、自分達を攫った相手が信仰しているような対象に、救って貰いたくなど無い。


 ――バイカの闇に巣食う"不死の姫教団"

 彼らの活動により命を奪われた者、数知れず――

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