閑話 千年樹海の命の湖
ガザッ、ガザッと、樹に囲まれたまるで迷路のような森を、英雄達は歩み続ける。
鬱蒼と茂るその木々は天を貫くが如く青々と、生命を謳歌する。
細く、曲がりくねる英雄達の行軍路は木々に日の光をさえぎられ、昼なお暗い。
一角狼が、密林猫が、千足百足が、その他あまたのこの樹海に住む生き物達が彼らをこそりとうかがう。
そして、またこそりと隠れる。
ぶぅん、と人の肩幅ほどあるトンボが彼らの頭上を飛び去り、人の頭ほどある羽虫が枝に止まり、見つめる。
時折、ギギイッと奇妙な鳥の鳴き声が聞こえる。
――人はこの地を『千年樹海』と呼ぶ。
千年樹海は、絶望の迷宮を取り巻き人の世から隔絶する為の森。
人の手には染まらぬ魔獣うごめく、弱肉強食の森。
それを抜ける為に、英雄達は今日も歩き続けるのだ。
「風呂に……もう水風呂でもいい、入りたい……」
総計87名の集団の中央部。ローブを着込んだ凡庸に見える男に手を引かれている、一人の少女が疲れ果てた声音でこぼした。
チャカである。
チャカはネカマである。
だからといってほぼ一週間、身体を洗わず、髪を洗わず、服を着替える事も出来ない状況は許せない。
いや、むしろネカマ故に彼女は許せない。
画面の外側に居た時ですら、まったく性能に関係ない服飾の類を熱心に、それこそワールド内部で一番熱心に、といってもいい熱意で収集していたのだ。
その容姿は、一言で言えば整っている。
白金の髪はさらさらと流れ、紅を引かなくともその口元は赤く、頬紅を差さずともほんのりと桃色に染まるその頬。そして長い睫毛に彩られた深い紅色の瞳は常に潤み、はっと目が覚める印象を男女問わず与えるだろう。
そして、その幼さを残した肢体は厳しい外形の多い英雄達の中では一際目立っている。
胸元は少々寂しい物があるが、それを差し引いても今か今かと開くのを待つ咲きかけの蕾は、見る者の心を狂わす。
正に魔性の蕾……しかし、だ。
よく見てみるとさらさらと流れていたはずの髪には何かよく判らないモノがこびり付き、さらさらとした軽さはいささか失われている。
露出した肌の各所には液体のような物が乾いた後が残り、全般的に垢染みている。
そして、着用しているそのローブの、全身を締め付けるが如くあしらわれた鎖と針自体には錆一つ浮いていないが、汚れによってその輝きを失っている。
生地には数日間の汚れが染み付き、いかにも不潔だ。
「……くちゃい」
チャカが己の髪を一房手に取り、スンスンと匂いをかいで見ると、なんとも言えない臭気が鼻腔を直撃する。
もう既に『慣れた』感のある匂いではあるが、匂う物は仕方が無い。
彼女の全身から漂う異臭は、例え100年の恋をしていた者でも醒めるだろう。
世の中にはそれがいい、という変質者も稀に居るが……。
ゲームが現実になってしまった今、彼女の熱意の矛先が向うものは、とりあえずの風呂という事もむべなるかな、である。
チャカの切実な願いがかなうのは、絶望の迷宮を出てから1日後の昼である。
「おーい、やっぱりあったぞー、『湖』だ!」
上空に舞い上がり、地形を確認していた老魔法使い―オジジが大声で叫ぶ。
ディープファンタジー時代にも存在したその湖は、公式に名前が決められている訳ではない。ただ単に、開発者からはイベントを追加できるかもしれないMAPのアソビの部分として用意されていた場所で、プレイヤーからは観光名所の場として認知されていた。
それ故、この千年樹海の中で、安全地域といえる場所の一つが『湖』である。
そして、待望の『水場』である。
「いやっほぉーい、水だあーーーー!」
そう言って駆け出すネクロンを止める者は誰も居ない。
全員が全員、そう、ベルウッドですら水を求めて駆け出していたからだ。
彼らが走ること、数分。千年樹海の木々が突如途切れ、光が全身に降り注ぐ。
透き通る水を豊富に湛えた、湖がそこに存在していた。
僅かに吹きよせる風、湖はささやかな波を砂浜に打ち寄せる。
湖畔には水を飲みに来た極彩色の鳥が数匹。
鳥は英雄達の上げる歓声と足音に驚き大空へと飛び立つ。
チャカが、ナイトウが、ベルウッドが、彼ら全てが湖に突撃し、がぶがぶと水を飲む。
「おいしい……」
(水ってこんなに甘かったんだ……)
喉を潤す、水。これが水か。この数日間、私が飲んでいた物は一体なんだったんだ、とチャカは思う。『回復薬』や『聖水』等には及びも付かぬ圧倒的に透き通った、身体に染みとおる感動が襲う。
チャカが水を飲み終え一息つき、周りを見ると、ナイトウが泣いていた。
「……うめぇ、こ、こんなにうめぇ水を飲んだのは、生きてて初めてだ」
流れ出る涙を隠さず、一心不乱に水を飲むナイトウ。良く見るとナイトウ以外の者も泣いていた。
千年樹海の湖は、血と汗と涙にまみれた彼らを癒す。
「正に、命の水だ」
ベルウッドも感涙にむせいでいた。
(この液体を自分達は求めていたのだ。まがい物ではない、水を)
命の水。渇きに悩まされていた彼らは、真に命を保つ為の物資を手に入れたのだ。
「……命の湖だ」
この湖を『命の湖』と称しても良いだろう、そう思ったのはベルウッドだけではない。
名もなき湖は、今後、命の湖と呼ばれる。彼ら英雄達だけに通じる名称だ。
水を飲んだ彼らがしたことは、昼食である。
道中、食べる事が可能な木の実や果物類が所々に生っていた物を時々に確保していた。
初日の反省を生かし、毒見を行って可食のものだけを選別しておいたのだ。
その中で特徴的な物を一品上げるとすると――
「……こう、食べれるっていいね」
「イ、イチゴだな、味は」
「俺、ちょっとこれ食えねぇわ……」
贅沢は言うまい。たとえ食しているものが謎のイチゴ様の物であろうと文句は言うまい。
(甘いし。でかいけど。種ツプツプだし。)
チャカ達が現在の食べている物はでかいイチゴである。
チャカとナイトウがモサモサと食む物はどう見てもでかいイチゴである。
まるで葡萄のように樹にしがみついていた様は多少食欲が殺がれるが、貴重な食料に文句は言えない。
あまり味がしないナッツのような物と比較すると、味がある果物は人気の一品である。
(甘酸っぱいけど、モサモサしてる)
モサモサしていた。
大味なイチゴであった。
「アイテッ」
タイタンがヘタを剥く際に噛み付かれて声をあげる。
「しっかり押さえて、一気にヘタを取らないからだよ……ほら、房の部分押さえて」
「俺、これやっぱり苦手だわ……」
「貴重な食べ物なんだから、ほら、文句言わずにさっさと剥く!」
チャカとタイタンの掛け合い漫才の中、ヘタを剥かれる大イチゴ。
(水、食料は目星が付いた。これで町までは持つだろう……)
ベルウッドは内心大歓迎であった。
たとえ、このイチゴが収穫する際に噛み付いて来たとしても、大歓迎だった。
千年樹海の植生は厳しい。並の植物ですらこれであるのだ。
腹がふくれ、喉も潤された彼らが求めたのは、人並みの清潔さ。
つまり、洗濯と水浴びである。
思い立ったが吉日という。チャカはバサッと上衣を脱いでレオタード状のインナー一枚になる。
「洗濯……水洗い……水浴び……」
怨霊のような声を唐突に上げながらチャカは水辺にゆっくりと歩いていく。
「え、お、おい。どうした?」
ナイトウの困惑したような声。そして、周りの目が点となったが、チャカは気がつかない。ざばっと水に漬かりながら、ローブの上衣を揉み洗いし始めたのだ。
清純な水に染み込んだ真っ黒な汚れが流れ溶け、本来の色を取り戻す。
「とりあえずサクサク水洗いして……と」
とにかく洗濯の真似事をし始める。
「細かい汚れは……うん、町に戻れたら、だ」
「……つ、つまり。これは」
ナイトウがおもむろにローブを脱ぐ。畳む。仕舞う。ポーチは目立つ岩場に置く。無駄な脂肪が削ぎ落とされ、予想以上に締まった全身があらわとなる。全裸である。
フルオープンナイトウとなった彼は大自然に向かって叫ぶ。
「お、オレは泳ぐぞおおおおおお!」
それを見たオジジも脱ぐ。老齢といっていい体だ、だが老いながらも鍛錬を怠らなかった古強者の気配を漂わせる針金の筋肉。魔法使いとはいえ、余分な脂肪が一切無いその体を太陽の下に晒しながら叫ぶ。
「俺っちも行くぜえええええ!」
阿呆が二人、誕生した。
湖の浜を駆け、水辺へ走る。
彼らに触発された者は、お互いに目配せすると、服を脱ぎ捨て、ほぼ下着の状態で洗濯という名の水浴びを始めるのであった。
本来ならば、フルプレートメイルを脱ぐという事は非常に面倒くさい。
一人で着用する物ではないのだ。だがしかし、そこは元がゲームなのか、それとも伝説級の防具だからか。脱ごうと思えば思ったより簡単に脱げるのだ。
手から肘までを広範に守る、銀のガントレットを外す。頭部を守るヘルムを脱ぐ。ふぁさりと纏められた赤髪が外気にふれ、こもった熱気が放出される。足を守るソラレットを脱ぎ、太股を守るキュイッスを外す。その後、胸部から背部を守るキュイラスを緩め、脱ぐ。全身を守るチェインメイルシャツとスカートも脱ぎ捨てると、分厚いコットン生地で出来たチュニックが見える。
(汗臭い……ボク洗濯したことなんて無いのにぃ……。)
それ以上の生々しい匂いをギンスズは無視して、一語で押し込めた。
大体今までは洗濯機に突っ込んで洗剤をぶちまけて、洗ったあとはそのまま乾燥モードで乾燥させればよかったのだ。
洗剤も何も無い水洗いなんてロクに経験したことが無かったのだ。
そして大問題な事に。一張羅のプレートメイルを脱ぐと、だ。ろくに着るものが無いのである。チュニックの下に確かに下着はある。あるが、だ。
一週間の汗まみれ血まみれ行進曲の成果でどこまでも汚れているのだ。
(ど、どうしようマスター……)
思考に詰まったら他人に相談する。ギンスズの美点というか欠点というか。思考放棄をしやすい性格がよく現れていた。
「水浴び、だと……?」
「はい、マスター」
「すれば良いじゃないか。スパッと脱いで、スパっと洗って、焚き火に当たって体温の保持をすれば良い」
(まぁ、『命の湖』近辺はろくな経験持ちはいなかったはずだ…だが、一人位は警戒に残っても良かろう。)
プレートアーマーを脱ぎ捨てた、チュニック姿のギンスズを横目にベルウッドは警戒を解かずにいた。
「でも、着替えが……無いんです」
ギンスズは何を言っているんだ、とベルウッドは内心いぶかしむ。
「予備防具が無かろうと、お前にとってはたいした問題じゃないだろう。さっさと行って来い」
防具が無くても武器さえあれば、遊撃型の戦士の仕事はこなせるのだ。もっともその場合、ベルウッドがタンク役をこなす変則陣となるだろうが――いや、ちょっと待て。
唐突な話題だが、ディープファンタジーにおける中の人の男女比率は約9対1である。
そして、見た目の男女比率は7対3程度である。
つまり、女性型アバターの性別一致率は約20%以下。
自己申告でこれである。
――以上の残念な現実をベルウッドは脳裏に留めていた。そして、今までこのような機会が無かった。だから今まで気にもしなかったのだ。
「待て」
途方にくれた表情のギンスズを呼び止め、改めてベルウッドは見る。確かにこれは「問題」だろう。
チュニックの下の体の線は緩やかな曲線を描く。その下には薄い脂肪に覆われた女の体があるのだろう。胸元は自己主張をする二つの果実が実っている。
「確かに問題だな。着替えが無いとなると」
ベルウッドの予想外の問題がまた一つ追加された。彼の頭痛はまたひどくなる。
一旦彼らの狂乱の水浴びは中止された――
繰り返すが、ディープファンタジーにおける中の人の男女比率は約9対1である。
そして、見た目の男女比率は7対3程度である。
つまり、女性型アバターの性別一致率は約20%以下である。
以上の非常に残念な事実を脳裏に叩き込んで、以下の話を読み進めて欲しい――
「とりあえず、水浴びと洗濯は男女別に距離を多少とることにする」
何故か疲れた声のベルウッドの提案。
(少なくとも間違いは、肉体的な間違いは起こるまい。)
浜に転がる岩。これがちょうど良い具合の仕切りとなり、視界を切る。
そんなベルウッドの心遣いが粉砕されるのは直ぐであった。
素っ裸になり、野郎どもは己の体と衣服を洗う。中でも見事な肉体を誇るのはヒゲダルマ。
肉体芸術家ならば褒め称えるであろう、その見事な筋肉のカット。
特に背筋、僧坊筋が素晴らしい。太い筋繊維がより合わさり、極めて男らしい太く大きい魅せる筋肉をしている。だが、彼の動作は何故かなよなよ、クネクネとした動きで、そこが減点対象となるだろう。
(いや、ウチは女だから!)
いかに芸術品と呼べるヒゲダルマの外面をもってしてもぬぐえない違和感。中の精神が極めて女性的なことである。そう、中の人は立派な女性だったのだ。
局部を隠し、今まで着ていた鎧と衣服を洗濯するその手つきは細やか。
周囲を見渡すと気にせずざかざかと洗濯をする面子。ついでといわんばかりに体を洗うその姿は豪快極まりない。
そしてヒゲダルマの視線もかなりまじまじと周りの面子を見渡す。ある種別生物を見る目である。
彼は極めて浮いていた。
その視線が素っ裸の野郎達の一団を捕らえる。円陣を組み、なにやら熱気のこもった声でひそひそと――
オジジが小声で、阿呆達に要点を言う。
「奴らならわかってくれる、俺たちのロマンを」
彼らが何を話しているのかというと、要するに覗きだ。
「俺っちはよ……餓鬼の頃の自分をぶん殴りてぇ。なんでロマンを理解しなかったのかと。女体の神秘を解き明かすという探求者としての心意気をなぜ持たなかったのかと」
仰々しい口調で、オジジは語る。円陣に点るエンジンの火。
「あ、ああ……。お、オレなんて……学生時代のこの手のイベントの時。こっそり持ち込んだGBを、ど、どう遊ぶかということしか考えてなかった……」
まさに悔恨の極み、とナイトウが呟く。うむ、と彼らが頷く。
「……ただ、僕達は……勇気を、勇気を出すべきだったんだ」
グっさんの一声。閉じた環の中で点ったエンジン。
異様な熱気がムンムンと加熱する。
「そうだ、覗くんだ。これからの未来の為に」
ネクロンが締める。
「「「未来の為に!」」」
彼ら5人中4人は暑苦しく唱和する。
「あ、いや……俺魔法使いじゃないから」
この環の中でタイタンは息苦しさを感じる。なぜ彼らは覗きにここまで熱意を向けられるのか。理解がし難い。
「タイタン。お前それでいいのか?」
ナイトウの目が。一種のトラウマに満ちた目がタイタンを貫く。
「この……不能野郎が!」
「……ッ」
タイタンを挑発するナイトウの口調。普段回らぬ口が滑らかに動く。
「ちょ、おま……ナイトウ、お前……」
「魔法使いになってからでは、遅いんだぜ……」
ナイトウの悲哀に満ちた一言。場がしん、と静まる。
円陣内部の視線がナイトウを貫く。真なる魔法使い、ナイトウ。
「ナイトウ……」「真の魔法使いだったのか」「同情……します」
ナイトウを哀れむように、タイタンが返す。
「いや俺、魔法使いじゃないよ?」
最後の一声が馬鹿者達を砕いた。
「「「「ナッ!?」」」」
結局のところ、それはそれ、これはこれ。
やると決めたからには彼らは彼らの理想郷を求め、岩場の向こう側を覗かんが為に行動を開始する。
岩陰に取り付き、森側から進入し、彼らは彼らの戦場へと向かう。湖側から進入する猛者はナイトウか。その視線の先には理想郷が広がっているはず……であった。
そこは女の園、であることにしておこう。
全身を湖にひたし、生まれたままの姿で体をすすぐチャカは細かいことは忘れておく事にした。
(なかのひとなどいない)
その呪文を唱えつつ、チャカは女性達を水辺から何気なくみる。
約20名前後の女性の集団。思い思いに重い装束を脱いで、洗濯して、水浴びをして居るのが確認できる。実に平和だった。それ以上の感慨は抱かない。
同性の裸を見て興奮する趣味は以前からチャカには無い。
そして、この世界に来てからも、無い。
実に悲しい事であるが、男のサガというものが消失してしまったかのような――
(まぁ、いいや。)
そして、湖水に横たわり、浮かぶ。髪の毛を、その四肢を、その身を。
身に染み付いた汚れが水に溶ける。流れる。どろどろとしたものが落ちる。
キャアキャアとした甲高い声が聞こえる。
水に溶けて消える。
「……ふぅー」
ざばり、とチャカが浅い水底に足をつけ、その一時の快楽から抜け出す。水滴がぽたぽたと髪を伝い、肉を伝い、湖に還る。
湖畔へ戻ろうと思う最中、ふと1対の視線がどこからか彼女を貫くのを感知する。
ゾゾッ、とした背筋を伝う悪寒。チャカが振り返るとそこには黒い影が、水底から覗いていた。
「ぃ、やああああああああああああ!?」
絹を裂く悲鳴。水底の影が驚いたようにゴボゴボッと気泡を立てじたばたと暴れ、ざばあと水面に浮上する。激しく咳き込む影一人。
「ごぶっ、ふぅ。ゲェーッホ」
ナイトウである。向かい合うチャカとナイトウ。その距離は至近。
ぼけっと向かい合う二人。
チャカの左手は自らの胸を隠し、右手は大きく振りかぶられ。
(あ、うん。しくッた。)
ナイトウが考えをまとめる間も無く、その頬を白い小さな手が張り飛ばした。
(やばい、ナイトウがバレた。俺は退避する。)
(今なら間に合います。僕も退避します。)
(俺っちは諦めん…諦めんぞ…)
(さっすがオジジ、俺も付き合うぜぇ!)
2人の阿呆は撤退を、2人の阿呆は突貫を試みようと…するが、時すでに遅し。
「オメーら……何している?」
図らずして彼らの目的は達せられた。
裸体を見よう、という純朴な願いは叶ったのだ。
その対象が手に手に凶器を持ち、集団で取り囲んでいるという点を除けば。
ギンスズを筆頭とする、強大な獲物を構えた女戦士達、双刀を持つ女暗殺者、鈍器類を構えた女修道者、そして魔法の輝きを手にする女魔法使い。
総計5名の(別の意味での)勇者達の冒険はここで終わった。
怒声と、罵声と、何かをひっぱたく鈍い音と、彼ら5人の英雄の悲鳴が響き渡った。
その後の惨事はこれ以上語るまでも無いだろう。
音を立てぬほどのさざなみ。命の湖に夜が更ける。
「あほう。本当に二人ともあほう……」
「め、面目次第もございません」
「俺は……止めようとしただけだ……」
全力で土下座をするナイトウと言い訳を口にするタイタンを、じろりとにらむチャカ。
二人の体はそこはかとなく打ち身に覆われている。
手加減されたリンチによる、体はそれほど痛めつけず心のみ半ば折る、という高等技術の実験台になった結果、ナイトウは土下座であり、タイタンは正座である。
当然のことながら彼ら2名の引渡し先は、チャカであった。身内の恥は身内で正せと。
引き渡された時は情けないやら恥ずかしいやら、チャカはどうしてこのようなことをしたのかと問いただしたくなる。
いや、問いたださなくても、一応は分かる。
ただ、分かるが理解ができなくなっていたのが困る。
だんだんと自分の今の嗜好が過去の嗜好とズレて来ているのがチャカには恐ろしい。
「以後このような他人に迷惑になる行為は厳につつしむよーに」
一応はチャカもギルマスである。最低限の注意はせねばならぬと。
(以前ならおそらく同じようにナイトウ達とバカをやった、と思う)
でも、今は。いや、多分混乱しているからだ。
チャカは考えることをやめ、ナイトウの耳元で囁く。
「……どうしても見たいなら私に言えば良かったのに」
「っへ?」
「ばぁーーか」
顔を上げ、吃驚した顔のナイトウを、くるりくるりと回りながら楽しそうに笑いながら見るチャカ。こういうときはナイトウ弄りに限る。と彼女は思いながら。
その頃、他三名、オジジ、グッさん、ネクロンは別所にてギンスズに折檻を受けていた。
グッさんとネクロンはその容赦の無い折檻に心砕けて泣き濡れているが、オジジは一味違う。
一味違うキモさだった。
踏みつけられ、なじられ、それを法悦の表情で受け取るオジジ。
…手加減されたリンチ、というものでオジジの更なる趣味が開眼したとかなんとか。
「マスター、オジジがマジキモいんです」
「……知らん。そこまでは自分の感知するところではない」
ベルウッドのため息一つ。
夜を迎える前までに、洗濯物が乾いて良かったと思いながら、ギンスズの愚痴を聞き流す。
命の湖の夜はさらに更ける。
水面に映った月はただ静かに揺れ、天にある月はただ静かに彼らの寝顔を照らす。
血塗られた汚れと疲れを落とし、ただ健やかに眠る彼らの寝顔を。
パチリ、と薪が音を立て、焚き火の焔はか細くなり、消えた。
後二、三日もあれば、英雄達はかって良く知った町サイハテにたどり着くであろう。その道筋に不安はひとかけらも無かった。
芋虫は眠り続け、邪神も啼き続けてはいたが、彼らに不安は無かったのだ。
閑話 千年樹海の命の湖 了