第十二話 迷宮の終わり (4)
「お前らも、生きる為なら人殺しだって躊躇し――」
ゼロの言葉は確かに一つの真実である。
今まさに勇者も悪魔も、命の盗り合いをしていたのだ。
だがしかし、一つの事実でしかない。
「――アタシは! 違う!」
ゼロの更なる呪いの言葉は、シルキーに断ち切られた。
天空から大地に叩きつけられた一筋の流星。
人と人がぶつかる鈍い音、大地に金属が転がる高い音、二つの音と共に。
シルキーの両の手に持っていた短剣は、ゼロの背中に突き刺さり、貫通し、胸に抜ける。
短剣のみならず、その両の手でゼロの肺腑を貫いたシルキーの手は、人の手の形をとどめては居なかった。
鳥ならぬ人の身で、大地に叩きつけられるシルキー。
その質量全てでもって大地に縫いとめられたゼロ。
断罪の剣は大地に突き刺さった。
今まさに人を殺めようとする者、既に人を殺めた者、罪人二人を等しく断罪。
「ご、ふぅ」
「あ、ぐぅ」
大地に縫いとめられる、虫の息の罪人二人。
「アタシは……魔物じゃ……無い」
シルキーの罪は復讐。仲間を奪ったゼロを許せなかった、だから。
「アタシが、一緒に地獄に、堕ちてやる」
だから、罰は己の命。
「ほざ、け」
ゼロの罪は―その罪は、何だ?
そして二人、ゼロとシルキーは重なる様に息絶えた。
後に残されたのは、英雄が86名、芋虫が1匹。
崖上に居る76名は言葉が無い。手に汗握り、一進一退を見守っていた彼らは唖然、呆然、何が起きたか理解できぬ。
崖下に居る味方が快哉を上げる声で、一人がようやく理解する。
自分達は、『勝った』のだと。
一声の喜びの声が上がる、それを呼び水に76名の中に歓喜の渦が広がった。
76名が上げる歓声は、大穴の底からでも聞こえる大きな物となった。
ギンスズと4名の猛者達は勝利の雄叫びを上げていた。
「ボクらは何だ!」
「「「「レゾナンスペイン! 負けず! 折れず! 常に勝つ!」」」」
「良いかっ! ボクらは!」
「「「「最強!」」」」
「いいか! ボクらは勝利が全てだ!」
「「「「おう!」」」」
「負け犬には屑ほどの価値もねぇ!」
「「「「無価値! 無意味!」」」」
「ボクらのマスターは誰だ!」
「「「「ベルウッド! 廃人の中の廃人! パケ読みの聖者!」」」」
「っしゃ! じゃあ行くぞ! ボクらの勝利だ!」
その斧を、弓を、剣を、戦棍を、思い思いに空に突き上げ、快哉を叫ぶ彼等。
その声は、無邪気で、正義は我らの下にある、と。
ギンスズ達はベルウッドの下に走り出す。
彼らを讃える声は、大穴の底に居ても届く。
彼等の近くには死体が三つ。無残な姿を大地に晒し――
タイタンとオジジは、背中合わせに座り込んでいた。
タイタンの体には無数の打ち身と切り傷。特にその左腕は、度重なる防御の酷使で腫上がっている。オジジの右脚には太い矢が3本、突き刺さったまま。
若武者と老魔法使いは背中合わせに語る。
「終わったな」
「おうよ、終わったな……」
タイタンがオジジの体勢が整うまで持ちこたえなかったら。
三連目の最後をオジジが止めなかったら。そこに二人係りで止めを刺さなかったら。
地面に転がっていたのは自分達で間違いが無い。
「あいつら、何考えてやってたんだろうな」
「俺っちにはわっかんねーよ」
二人は力なく、周りを見回す。
「真っ赤だな、ここは。糞ったれな血みどろだ」
「……おうよ、全く糞ったれた赤さだ。俺っちもそう思うさ」
2人の生者は言葉少なく、生き延びた事を噛み締めていた。
彼らの耳にも、勝利を祝う声が届く。
「……行くか、じいさん」
「じいさんじゃねぇ、俺っちはオジジ。きっとアンタよりわけーよ……行くぞ、でかいの」
「……でかいのじゃない。タイタンだ」
いよっと掛け声をかけてタイタンは立ち上がり、痛む足を引き摺るオジジに肩を貸し、二人の勇者は仲間の下へ。
彼等の近くにあった死体が二つ。取り残され――
ベルウッドの目の前には二つの死体。
シルキーとゼロの死体だ。
そして、ベルウッドはシルキーを蘇らせる事が出来る。
それどころか、ゼロ達も蘇らせる事は可能だ。
(しかし――それを、自分がして良いのか?)
彼等は彼等の過ちを、自らの命で払ったに過ぎない。
そして、彼女は彼女の復讐を果たし、その罪を自らの命で贖った。
(自分は神ではない。ただの人間だ)
ベルウッドは、迷っていた。
(罪を許すのは自分ではない、許せるとしたなら、神だ。)
神ならぬベルウッドに、その采配は下せない。
ふと、空を見上げたベルウッドの目に、大穴へ飛び込んでくる魔法使い達が見える。
耳に、勝利の歓声が聞こえる。
<飛行>でふわりふわりと降りてくる魔法使い達が上げるのは勝利の歓声。
大穴の淵からも、勝利の歓声を上げる『仲間』が見える。
(蔦が切れても、空を飛べる奴らがいたのか。外へ出る手段は蔦だけじゃなかったか。)
ベルウッドは己の発想の貧困さに、苦笑いを浮かべる。
まだまだ自分は、未熟だ、と。
ナイトウの見えぬ目に光が戻る。痛む体は治らぬが、目は光を取り戻す。
チャカは濡れた、ただでさえ深く吸い込まれそうな瞳で、ナイトウを見つめながら、言う。
その両目からは涙がぼろりぼろりと流れ落ちていた。
「ナイトウ。許す。後――」
チャカは恥かしそうに付け加えた。
「今度は無茶すんな」
(ナイトウが怪我したら誰が治すのさ……)
と呟き一つ。
チャカも心配なのだ、この無理無茶無謀を突発的に行う、年上の親友が。
「わ、ワカンネ。オレ……馬鹿だから」
無理矢理笑おうとして、痛みに顰めっ面になるナイトウ。
ナイトウがその手に抱いた親友とともに、天空を大穴から見上げる。
「そ、空が、綺麗だな」
「……綺麗、本当に、雲ひとつ無い青空だね」
ぽかん、と二人空を見あげる。
まったく、この泥臭く、血塗れた場所とは違う――
赤く血塗れ、澱みきった大穴から覗く空はどこまでも広く青く澄んでいた。
それから数刻後。
傷ついた者が修道者らによって癒され、魔法使い達が勇者達を穴底から引き上げる等の作業が終わった時、既に夕刻。
血の様に真っ赤な夕日が、水平線に沈もうとしていた。
その真っ赤な夕日に照らされる英雄達、86人。
彼らは大穴の縁に立ち、大穴の底、絶望の迷宮の入り口を見つめていた。
「黙祷!」
ベルウッドが号令をかけ、英雄達は大穴の底に向い黙祷を捧げる。
ただ、安らかに眠れと。英雄達は祈った。
彼らは被害者達も悪魔達も復活させないことを選んだのだ。
苦渋の決断だった。
被害者達はシルキーを除き、今の彼らでは復活させる事は位置的に不可能だ。
悪魔達は自分達と同じ人間だが、その行いは非道で、外道で、残虐であった。
どちらも復活させる事は出来ない。
そして、シルキーは一人で甦る事など望んでいないだろう。
「い、生きてりゃいいこともあるだろうに」
ナイトウは憤慨する。同様に考える者も多い。
「でも、復活させないほうが、いいのかもしれない」
チャカはそう思うのだ。
そして、その意見が大勢を占めた。
これ以上彼らの苦痛を引き伸ばしてやるな、と。
「いいから、祈れ」
タイタンは照らされる夕日の中祈っていた。
その横顔が真っ赤なのは、血の様な夕日に照らされただけではない。
ギンスズも、オジジも、グッさんも、ネクロンも、ヒゲダルマも。
『絶望の迷宮』から脱出した者全てが、祈っていた。
シルキーらを死に追いやったのは英雄達である。
悪魔らを死に追いやったのもまた、英雄達である。
彼らを悼む事に皆異論は無かった。
「黙祷、終わり!」
ベルウッドの号令が再度響く。
非日常から日常へ、ハレからケへ。彼らの表情が変わる。
英雄達は、水と食料を求め、再び旅立つ。
しかし、その表情は希望に満ちていた。
この近場にある水場は覚えている、という奴らも多い。
食料もきっと手にはいるだろう。恐らく、MOBじゃない物が。
そして、数日歩けば――恐らく、3日も歩けば町がある。文明的な暮らしができる、と言う希望が広がっていた。
「ねぇ、お風呂楽しみだね!」
「あ、ああ。うん。そうだな」
「とりあえず、飯だよ、飯。魚とか取れねぇかな」
チャカやナイトウ、タイタンらも楽しげに。
「おい! 食えそうな木の実があったぞ!」
とネクロン。相変わらずお調子者だ、と周りの者は笑う。
「今度は腹を壊さないで下さいよ!」
グっさんから野次が飛ぶ。
「また食えない物を持ってきたら、俺っちゆるさねぇよ」
「マスター、どうします? ネクロンさん食べたそうですよ?」
「もーどーでもいいッス。ウチも食べたいッスー」
オジジも、ギンスズも、ヒゲダルマも皆笑っていた。
「そうだな、まずは毒見してもらおうか。駄目なら治してやる」
ベルウッドも笑った。
それは、生者のみ持つことが許される、明日への希望。
『絶望の迷宮』を出た英雄達は最も近い『町』へ向い歩み続ける。
――その町の名は、サイハテ。かっての中間拠点の一つ。
そして芋虫は『癒された』後も、昏々と眠り続ける。
まるで、羽化を待つ蛹のように――
『絶望の迷宮』の奥深く、最も奥部の邪神の間。
巨大な遺骸が―かって『邪神』と呼ばれたモノの遺骸が、痛みに啼く。
静かに、打ち震えるように、啼く。
八木太一には、判らなかった。
何故自分はここに居るのか。
何故自分の身体は動かないのか。
何故自分の命が無いのか。
理解出来ないから、啼く。
"白蛇の乙女"が、邪神の遺骸の前に建てられた護摩壇の前に平伏し、祈る。護摩火に照らされたその姿は半人半獣の魔獣とは思えぬほど、妖艶かつ、神秘的である。
まるで、神に仕える巫女のような…いや、巫女そのものなのだろう。
彼女は延々と祈りの言葉を捧げ続ける。
そして、火中に迷宮で倒れた魔物達の遺骸を捧げ、更に祈祷する。
その周囲を"六本腕"達や"奈落蜘蛛"達らの異形、絶望の迷宮の住人達の影が取り囲む。
彼らの祈りは人の身では理解出来ない。
彼らの表情は人の身では理解出来ない。
しかし、それが理解出来る者がここにいるのであれば、その悲愴さと真摯さに涙を流したことであろう。
彼らの祈りの言葉は、亡くなった親を嘆く子の祈り。
彼らの表情は、譬え自らの身を投げ捨ててでも、神の復活を祈る殉教者の表情。
捧げるモノがなくなると、自らの意思で"6本腕"が一匹、飛び込む。
苦悶の声一つ上げず、燃えさかる火の中で、彼らはただ祈る。
生贄の献身に、"白蛇の乙女"は一際高く、大きく祈りを捧げる。
――八木はその祈りを、理解できないから、啼く。
第一章『絶望の迷宮』了




