第十話 迷宮の終わり (2)
5日目 太陽が中天にある頃 大穴の闘技場にて
ゲラゲラと笑いながら、彼らは堂々と大穴の入り口に入場する。
自分達はここだと主張をする『6匹』の悪魔。そして1匹の芋虫。
迎え撃つは9人の勇者。
――観客は77人。既に穴の外に出たものも、多い。
大穴の大地の中央に突き刺さった巨大な十字架。
ゲーム時代は一方通行の出口、それを示す十字架は、機能を停止してないと自己主張をするかのようにうっすらと光を放つ。
十字架をはさんで対角上に睨み合う、勇者と悪魔。
大地に深く穿たれた大穴の底に、一陣の風が吹く。
十字架の周りに咲き乱れていた可憐な花達が、ざわざわと音を立てる。
それは、声を立てない観客達の代わり。
ローマ時代の剣闘士達の、血みどろの結末を予測させるざわめきであった。
「いょう、ベルウッド。元気してたか?」
黒の猟犬、ゼロが、太縄で全身を縛られた少年、芋虫を大地に放りだし、数年来の友に話しかけるような気安い口調で話しかける。
日の光の下で見なければ、ゼロの全身を包む漆黒の皮鎧にべったりとした染みがあるのが分からなかっただろう。
それは漆黒の皮鎧の上から着彩された、赤の染み。血痕。
よく見ると、悪魔ら全員、赤黒い汚れに覆われている。
勇者らの汚れとは一線を隔す、邪悪の色であった。
「やはり、貴様らか」
応えるベルウッドの声は硬い。
どうしてそんな事が出来るのか、ベルウッドには理解出来ない。
――いや、理解は出来るが実行が出来ない。
「ソレは何だ」
ベルウッドの声は硬い。普段の指導者の気迫を持った声音も掠れて見える。
ソレと呼ばれた芋虫は、手足が欠けていた。
「ああ、俺らの『餌』兼……この試合の景品、でどうよ?」
ニヤニヤと笑いながらゼロが返す。
芋虫はまるで長期間の拷問にあったかのように……いや、拷問にあっていたのだ。
――生きては、いるようだな。
ベルウッドはおぞけを隠し切れない。どうして彼らは、人の身で人を辞めてしまったのか。
「まぁ…景品が野郎って言うのも、味気ねぇけどなぁ」
ゼロの言葉に悪魔らが笑う。へらへら、けらけら、げらげら、くすくす、かかかと。
「この……化け物……っ」
ギンスズが、耐え切れないと吐き捨てる。
「同意。流石に俺っちも、ここまで変態じゃねぇや」
オジジも呟く。
「うわぁ……」「これは、酷いよ」「ひっでぇ……」
ベルウッドは自らのギルドメンバーが、まだ人を辞めていないことに安堵する。
「糞過ぎるな、お前ら」
胸糞悪い、とタイタンも。
ナイトウは――
「ど、どうしてこんな、ひ、ひどい事が出来るんだ!」
どもりながらも、全身で怒りを表していた。
―――太陽がずれた。
大穴の闘技場を影が支配する。
明所から暗所へ。人の瞳孔が光量を調節する暫くの時間。
悪魔は影絵となる。
「いやいや、ナイトウちゅわーん……アンタも同類で御座るよ」
へらへらと笑いながら、異装の死霊使い、シゴがナイトウを嘲弄する。
「だって、ナイトウちゃんも同じ、人食いなんだからーね?」
人食いが人食いを糾弾するのか、こりゃ傑作と悪魔達が一斉に爆笑する。
「他の誰かに言われるならまだしも……ナイトウちゃんだけはないで御座るよ」
お前も同類だ、とシゴは爆笑しながら、ナイトウを指差す。
機械弓を背負った肉塊、ニクマンも爆笑しながら、更に嘲弄。
「いや、実に旨そうに食っていタな」
「まぁ、ナイトウもさ、腹が減ってたんだろうよ。俺らも同じだ」
ゼロは実に気安く。自分達を正当化しようと、悪魔は語る。
「さて、ご立派なお前らは、身内の人食いをどう断罪するつもりだい?」
――ちが、違う。いや、違わない。確かにオレは…
ナイトウは確かに親友を、チャカを喰らった。
そして、チャカは傷ついた。贖罪すら済んでいない。しかし、だ。
「違う、ナイトウのは事故だッ!」
タイタンが友の代わりに反論する。怒りをもって断言する。あれは事故だ、と。
「じゃあ、俺らのも『悲しい事故』だ。そういう事で、一方的に悪扱いするのやめねー?」
ゲラゲラと笑いながら、ゼロは実に身勝手な事を言う。
「ヤられた側は、事故でも何でも変わりはしねぇよ」
人の目が暗所に慣れた頃。
悪魔らはその狂貌を明らかに―――
「――さて、言葉遊びももう飽きた。ヤろうか」
ゼロの言葉が終わる。
「アンパイ、いまだ、ヤれやぁ!」
ゼロの台詞で悪魔が1匹、最後の7匹目。
「YEEEEEAHHAAAAAAAAAAAA!」
奇声を上げて、勇者らの集団に闇から躍り出る狂眼の暗殺者、アンパイ。
<隠業>を駆使して先ほどから隠れ潜んでいたのだ。
両手に構えたダガーを二人に突き刺し、発動するのは<昏倒の魔毒>。
安らかとは言えない眠りが、赤盾の戦士と女修道者に訪れる。
「まずは2匹ィ」
ぐるりと回り、もう一刺し。合計4刺し。<昏倒の魔毒>は瞬く間に4人を眠りに突き落とす。どう、と倒れる4人の勇者。
「おまけで4匹ィ!」
乱戦の火蓋は切って落とされた。
「っっざけんなぁっ!」
ギンスズの狂斧が円を描く軌跡でアンパイを襲う。<旋風撃>の名の通り、その竜巻の範囲に踏み込めば狂斧に砕かれる事間違い無し。ぐるり、ぐるりと踊る斧がアンパイを掠める。
ゴギリッ、という骨が砕かれる音。
「イギッヒイイイ」
絶叫を上げるアンパイ。見ると右腕が千切れかかっている。そのまま跳躍、また自陣に戻る。
「OOOOOKPKKKKK」
彼女なりの気合の発露か。謎の奇声と共に<慈悲の輪>を発動させた痴呆の修道者、オケピケ。自陣近くに設置された回復フィールドに向い、アンパイはひた走る。
「噴ッ」
駆けるアンパイに叩き込まれる、オジジの<氷の槍>。
空を奔る冷気の穂先は、高速で走るアンパイの背中から腹を貫通し、大地に縫いとめる。『偏差打ち』と呼ばれる高等技術で打ち出された槍は内臓を貫き、凍らせる。出血こそ少ないものの――恐らくは死に繋がる傷であろう。痙攣を繰り返すアンパイ。
「硬直を見せた時点で、負けダ」
ニクマンの、その強大なクロスボウが、オジジの<氷の槍>の発動硬直に火を吹く。
オジジの右大腿部をニクマンの<速射>が貫く。いかなる原理か、同時に三本の矢が突き刺さる。
「っがあああああ」
苦悶の声をあげ、地面に転がるオジジ。
「貴様とはまだ、決着がついてなかったな」
隻眼の武者、ムショが大刀を大上段に構え、空高く舞い上がりタイタンを狙う。タイタンは盾を掲げ、その大刀の軌道に乗せる。ゴギィ、と受け止めたタイタンの盾を持つ手が軋む。
「知る、かよ」
タイタンはそのまま<盾強打>を発動させ、全力でムショを叩き伏せようとする。
ガッと地面に大刀を突き刺し、棒高跳びの要領でひらりと<回避>をするムショ。視線を外さず、慎重に盾を構え、防御に徹するタイタン。
「ドン亀の盾らしい戦い方だ」
口調に嘲りを含ませ、タイタンを挑発するムショ。
「るせぇ。馬鹿火力の両手野郎に言われたくないぜ」
挑発には挑発を。タイタンの口もこの状況でよく回る。
「……ド下手が、だから死にそうになるんだろうが」
瀕死のアンパイへの追撃を止める為に、チュイオが<氷の嵐>をアンパイとギンスズの間に『置く』。一点に圧縮された冷気が開放され、嵐の壁となる。
触れれば切れるその嵐は暫くの時間稼ぎ。
「アンパイちゃんは安牌の癖に特攻好きで困るで御座る」
シゴ、自らの手首にダガーをつき立て、<異常再生>を発動。
アンパイの内臓が異様に活性化し、ゴボゴボとした異形の臓器に作り変えられる。死の淵を彷徨うアンパイ、血反吐を吐きながら死を免れる。
続けてシゴ、更に肘まで切り裂いて<骨の戦士>を一体召喚。
「手数ちゃんが足りないで御座るなぁ」
その顔に苦痛の色は見られない。
ベルウッドの油断は、相手の数を6と見誤った一点。
暗殺者。彼らの長所は、対人時の奇襲能力に尽きる。
味方への支援能力など無い。タンクとしては戦士に劣り、ダメージディーラーとしては魔法使いに劣る。敵弱体化能力は死霊使いに劣る、そのような評判の中、それでも根強い人気があったのは対人の時の奇襲能力。この一点。
全ての短所を無にして返す、机上の計算をひっくり返す要素、奇襲。
それを得意とするのが暗殺者である。
それでは、味方が奇襲され、4人も無力化された時にベルウッドは何をしていた。パケ読みの修道者は一体何をしていた?
そう、彼はじっと待っていた。味方が無力化された状況を確認し、それでも立ち尽くす様はまるで戦場において呆然と立ちすくす新兵のようにも見えただろう。だがしかし――
――焦ってはならない。敵構成は戦士が二人、魔法使い一人、修道者一人、死霊使い一人、そして暗殺者が『二人』……初手の奇襲が成功したらどうする?
『ヒーラー』を潰さない限り、戦闘は終わらない。そして、奇襲に成功し、一人ヒーラーを潰したなら?
当然、ベルウッドが次に狙われるのである。
刹那、ベルウッドの背後に気配。
「チェックメーィト」
ゼロの<腎臓打ち>―暗殺者の対人用スキルの中でも特に強烈なその一撃。全身の力を螺旋状に乗せ、背後から相手の腎臓を破壊する必殺の一撃が、今まさにベルウッドに炸裂しようとしていた。
「甘いな」
『当然』ベルウッドはくるりと振り向き様にゼロを手持ちの戦棍『打ち砕く者』で<叩きつぶし>た。
ディープファンタジーにおいて、修道者は回復職である。
そして、近接戦闘職でもある。ご多分の例に漏れず、刃のある武器の装備制限はあるものの、接近戦はけして苦手ではない。近接戦闘用のスキルは、一通りある。
そして、『打ち砕く者』は伝説級の戦棍である。
入手方法は『絶望の迷宮』のBOSSドロップである。当然、伝説級というだけに、出にくい。出にくいだけに、強い。ただでさえ、強い。ただでさえ強いものを限界の限界まで強化してあるそれは、まさに神器。
<腎臓打ち>は強烈無比なダメージと、相手の行動を数秒―現在だと数分、阻害する暗殺者の対人用の中でも特に痛烈な物の一つである。だがしかし、強烈な技というものは、何かしら制限があるものだ。<腎臓打ち>の制限は背後からしか成功しない事だ。
振り向かれた事で、その制限に基づき<腎臓打ち>は失敗する。
失敗した事で、今度はゼロが回避すら間に合わない大きな隙を見せる。
ゼロの油断は、奇襲の成功と、相手が棒立ちになっているという二点。
油断の数で、ゼロはベルウッドに敗北した。
ゼロの顔に叩き込まれた『打ち砕く者』は頬骨を砕き、右眼球を粉砕した。
「ッッギイイイイいいってっぇえ」
凄惨な顔である。見るものが見れば眉を顰める。そのようなゼロの顔を見て、眉さえ顰めず、足元の蟻を踏み潰したかのような表情でベルウッドは続ける。
「もう、降参か?」
「こ、降参とか冗談じゃねー、ニクマン! プランBだ!」
ゼロの絶叫、ニクマンに届く。
「ゼロは勝手、ダな。やるけど」
ニクマン、巨大なバリスタを構え、<星落し>。射出された真紅の投槍が飛び立つ先は―
真紅の投槍が飛び立つ先は、ベルウッドではない。今まさに激闘を繰り広げているタイタンでもない。敵の修道者に狙いを定めたギンスズでもない。地面に倒れ付しているオジジでもない。無傷のナイトウですらない。
狙いは『蔦』だ。
そう、今現在、チャカが登っている…『蔦』だ。
真紅の投槍が、岸壁に突き刺さり、蔦を千切り飛ばす。