第八話 襲撃(下)
ナイトウの全身がバチバチと燃える。
全身を襲う熱と痛みに声も出ないが、チャカが寄ってくるのは白濁したナイトウの視界からでも見えた。
――いや、おめー、火傷すんべ。もう無理だから寄るんじゃね。触んじゃねぇ。いらねー怪我すっから。まぁほら。アレだ。きっと「蘇生」してくれるだろ、ベルウッドの野郎が。ああもう、だから――
その時、毒々しい紫の光がチャカから立ち上っているのが、ナイトウに判った。
――ああこりゃ天使じゃなくて、悪魔だなぁ。
匂い芳しく、焼ける肉の匂い。その匂いがまるで濃厚な桃の香りに代わり、ナイトウの鼻腔を支配する。
ナイトウは悪魔を見る。
それは既に人ではなく、人の形をした『桃』。まさに動き回る万能の霊薬。
なイトウの脳髄を支配する猛烈な一つの欲望。
『喰いたい』
『喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい。喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい。喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい。喰らえ、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい。喰らえ、喰らえ、喰らえ、ガブっと、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰いたい、喰らえ、喰らえ、喰らってしまえ!』
『喰らってしまえ!』
その白い5本の指を持つ『桃』がナいトウの口に触れた時、ナイとウは残りの力全てでもって噛み付き、引きちぎった。
「!"#$%&'()=~|~=)=~?*`~{}*?!!!」
『桃』の絶叫。溢れ出す赤葡萄ジュース。桃の果肉に葡萄の果汁。
――なんて美味いんだ!
思えば数日ぶりに口にする、果物。
――もっと喰いたい。
ナイトうが噛み締めれば噛み締めるほど、糖度の高い果汁が溢れ出す。少々堅い種のような部分もあったが、それもまた美味。コリコリとした食感がまたそそる。ごくりと飲み込み、次の部分へ。気が付けばなイトうの全身を覆う炎は消え、火傷で炭化したはずの箇所に肉が盛り上がり、薄皮が張り、更なる力が湧いてくる。
――なんて素晴らしい!もっと食べよう!
「><<>??*{|~==~!!#$%$$$!"#!%%%%!!!」
なイとうは飛び付き、白い果肉を更に食む。
――桃の癖にイキがいい。
飛び跳ね暴れまわる『桃』をがっしりとないトうは取り押さえる。黒い皮革で覆われた部分は硬い。金属の鋲と鎖で覆われている。
暴れる『桃』。
ないとうはしっかりと押さえつけて果肉の多い部分を探し、噛み付く。毛は美味くない。逆向きにした。
――大根が2本生えている!これもうめぇ!うめぇ!
そしてないとうは数日ぶりの食事を済ませた。
正気と体力を取り戻したナイトウが見た物は。
――何だ?これは?
周りで爆風が吹き荒れようと、矢が降ろうが、火の玉が飛び交おうが、ナイトウには既に関係が無かった。
――一体オレは何をした。一体何を食った。
ナイトウは数瞬前のことすら思い出すのが苦痛だった。
――飛び付いた。泣き女を助けた。庇ったから代わりに焼かれた。熱くて痛かった。そうだ。そこまでは記憶にある。オレの意思でそうした。もう足を止めるのは嫌だった。反射的だった。そこまではオレの意思だ。間違いが無い。
その後はどうだった?
何故、天使が血まみれでオレの下で狂ったように暴れ、絶叫している?
何故、その顔が恐怖に彩られている?涙と鼻水で見る影も無くなっている?
何故、その手が無い?オレの唇に触れた、その右手が食いちぎられたかのように無くなっている?
何故、その脚に幾つも噛み傷がある?白い骨まで露出するような、深い噛み傷がある?
何故、オレはその脚を両手で押さえている?
何故、オレの目の前に太ももがある?
何故、何故、オレの口の中には肉がある?――
暴れ続ける被害者の足がナイトウの顔を蹴りとばす。手が緩み、ナイトウの口腔内の肉が飛び出す。
欠けた手足で必死にナイトウの下から這い出る幼女。
ナイトウとチャカの視線が絡む。
ひぃ、とチャカの顔が更に歪んだ。
チャカはナイトウを汚物、ゴミ、ケダモノ……そんなモノを見るような目で見ていた。
――おい、止めてくれ、オレをそんな目で見ないでくれ。仲間をそんな目で見ないでくれよ。何でそんなに怖がってるんだよ。
そこより少々離れた場所で、笑う悪魔4匹、芋虫1匹。
後は笑わぬ悪魔が1匹。
「OKPK」
「あのアホどもが……時間を掛けすぎだ」
穏やかな微笑を浮かべる修道者、そして黒の猟犬は手際の悪さを罵る。
突き詰めたら単純な作戦。見張りが3交代、約25名。女を釣餌に、引っかかった奴を範囲魔法と飛び道具で潰す。残った馬鹿どもが少なければそのまま轢き潰せばいい、多ければ誘い込んで持久戦だと言う黒の猟犬。
猟犬が予想外だったのは、餌に掛かった獲物の少なさと、掛かった獲物。後はシゴの早漏っぷりか。いや、タイミングを狂わされたのは獲物の魔法使いの反応が良かったからか。
「おいおいアレ見ろよ、リョナゲー真っ青じゃねーか! クッソおもしれぇ!」
「あんな犬食いはしたくないものダ」
「……正に低脳という奴だな」
ゲラゲラ笑いながら、狂眼の暗殺者の指差す先は、泣き叫び暴れる娘を獣が喰らう光景。
その喰らう様を寸評する肉塊。そして狂乱する彼らを低脳と断じる下品な魔法使い。
狂乱したナイトウがチャカを押さえ込み、喰らう様は正に地獄絵図。
それを見て笑う彼らは地獄の住人か。
いずれにせよ真っ当な精神ではない。
大盾を持った剣士が、背後に上がる悲鳴に動じる。
相対する片目の武者がが好機と見たか、距離を取り、必殺の<唐竹割>を発動させようとしたその時に。
「おう、おめーら。引き上げ時だ。クソッタレ、やっぱもう少し巻き込めないと話にならんわ」
ニクマン、やれ、と不機嫌な声色で撤退を促す。視線の先には動き始めた大集団。腹立ち紛れに蹴り込む先は芋虫に。グゲッ、と奇怪な声を上げ、痙攣。
「わかっタ。撤退準備」
異形の肉塊が構えるのは機械弓。遠目からの対比では普通のクロスボウを構えているかのように見える。
近くで見ると異形が判る。明らかに大きい。まるで大型弩砲である。
「いくぞ、<星落し>ダ」
片膝を付き、狙いを絞る肉の塊が放つ矢。それは矢と言うよりも投槍。人一人が持ち歩く物とは思えないクロスボウから射出された投槍は真っ赤な光を放ちながら猛進する。
狙いを外したかの様に見えたその一撃、頑強な石畳に大穴を穿つ。それは爆音と共に砂の嵐を巻き起こし、視界を塞ぐ。
「もう一発ダ」
到底連射できるとは思えないクロスボウに軽々と矢をつがえ、もう一射。今度は更に奥に。
視界が猛烈な砂の嵐に塞がれているのに見事な狙い。
真紅の光を纏った投槍が、硬い石畳に刺さる。直後、爆風。
<星落し>の生み出す華麗な爆発は硬い石畳を抉り、砂嵐が吹き荒れる。
視界が遮られ、ベルウッド達の足が止まる。
止まった所に更にもう一射。今度は近い。効果範囲に入る先頭集団。
「っざけんな!」
ギンスズは気合一閃、足元に飛び込む<星落し>を<剛体>で耐える。三分の一秒の鉄壁の防御。防御が間に合わなかった他数名は脱落する。
ベルウッドは<守護者>の防護に任せ、粉塵を駆け抜ける。少し遅れてオジジが続く。
更に後ろから弓矢を構えた戦士と魔法使いら数名、発射地点に向け<火弾><影縫い><光の矢>。どれも発生が早く牽制の役を果たす、地味ながらも優秀なスキル群を発動、発射。
小規模な爆発音と、風を切る矢の音が響く。
ベルウッド達が煙幕を抜けた先に居たのは、全身に傷を抱えた盾戦士と、何かを抱き締め、泣き続けるシルキー、呆然とするヒゲダルマ。
そして、獣と獣に襲われる白金の少女。
敵の姿は既に無い。砂の嵐が晴れた時、7匹の悪魔と、一匹の蓑虫の姿は既に消えていた。
ゲホゲホと煙にむせたオジジと、煙の様に消えた獲物を探すギンスズ、そしてベルウッドの三人は油断無く5人に向い、歩を詰める。
――即時に対応が必要なのは獣と少女か。
ざっと周囲を見渡したベルウッドは判断。そして、指示。
「オジジ、とりあえずあの二人を眠らせろ。ギンスズ、周りの警戒を怠るな」
「あいよ」
「はいっ!」
オジジが<深い眠りを>を使うと、獣と少女は糸が切れたように眠りに落ちる。
動脈を傷つけられ、未だに出血を続けるチャカに近寄り確認する。
人の歯によって傷つけられたその体を確認し、ベルウッドは確信する。
初日の短い時間での検証とその後の行軍はスキル仕様の確実な変化を示していた。
――バージョンアップのつもりだとしたら実に心にくい演出だ。全くうんざりする程自然な変更をしてくれる。
傷を負えば痛みを感じる。
飢えを感じ、渇きを覚える。
ただ歩き回れる空間の目安でしかなかったポリゴンとテクスチャの石畳は砕けるようになり、利用する事も可能となった。
そして、自らを傷つけなければ使えない、死霊使いのスキル群。
――変更したなら告知をしろ、と。
ベルウッドは最早存在しないであろう運営への愚痴を吐きながら、<癒しの光>でチャカを照らす。手足に深刻な損傷を負ったはずの少女の体は癒され、元のあるべき姿へと戻る。
「追いつかれる距離に入る前にこちらに手傷だけ負わせ、新要素を利用して手際良く撤退。となると、脅威の度合いを引き上げなければならないか……」
姿を消したPK達に向かって、ベルウッドは内心で吐き捨てた。
――まったく、人を食った奴らだ。