第四話 誰もが知ってる――(1)
自分は、廃人である。
ベルウッドは胸を張って、そう自称する。そして他人からも、今ではそう評される。
四六時中、このゲームの最前線を生き抜いてきた。コンテンツは誰よりもしゃぶりつくした自信がある。狩り、製造、商売、組織運営、対人、戦争。|
この世の事なら、誰よりも知っていた。ベルウッドはそんな自覚を持っていたし――今でも一番この世を知っているのは、自分だという自負がある。
何しろ、ベルウッドはこの世で唯一の"+16"装備持ちだ。
何しろ、ベルウッドは最も早く"魔人"へと転生を遂げた。
何しろ、今やベルウッドは数万の魔物の総大将だ。人も魔物も知り尽くした上で、もっとも優れた装備を持ち、恐らく個人ではもっとも多くの手下を抱えているのだ。
最強だ、とベルウッドは自らを評する。
大多数の他の奴らだって、今のベルウッドを見れば頷かざるをえないだろう。
そんな力を与えてくれた邪神には、幾ら感謝しても、感謝したりない。
それ自体はとても素晴らしい事だ。流石神運営だ。
が、邪神の求めている事と、魔物達の求めている事を知った時は、ベルウッドも内心頭を抱えたものだ。
いかな"最強"でも、体験したことが無い事だって、ある。
"世界征服"だなんて、まともな奴なら一度も体験した事は無いだろう。。
ベルウッドの視界に、街が見えた。
――彼方で四年、此方で一カ月過ごした、ホームタウン。即ち、クオン王国の首都、トコシェである。
『まさか、ここを攻める事になるとはな』
魔人ベルウッドは、なぜ山を越えて、首都を直接叩こうと決めたのか。
――理由は単純である。
現状の邪神の勢力では、まともに人類に抗しえないからだ。
邪神に裏返されてから、ベルウッドは自勢力をいかように動かせば、最大効率で勝利条件を満たせるか、と言う事を考えていた。
――クオン王国は、どうやれば"滅亡"するのか?
裏返すなら、魔物たちはどうやれば"勝利"出来るのか?――
何しろ、今までベルウッドが居たために、例え"戦争"コンテンツで攻められても、ある程度以上は負けることが無かった。滅亡寸前まで追い込まれる事は無かった。ベルウッドが人対人で成し得なかった事を、今度は人対魔で達成せねばならないのだ。
ベルウッドは過去の記憶をさかのぼる。
どう攻めるか、どう守るかは表裏一体である。
知った町並み、知った城壁、知る限りのデフォルトの兵隊の配置。彼我の戦力のデータ。
待ち受ける敵、攻める為の味方。
知恵を巡らせるうちに、絶望的な事実に気が付いた。
『どのようにリソースをつぎ込んでも、正面からではクオンは、不落だ』
正確には。正面から、馬鹿正直に、人類に喧嘩を売れば、いかなベルウッドでも敗北する、と訂正する。
いかにベルウッドが強かろうと、残っている"英雄"全員同時に相手どる事は不可能だ。
いかにベルウッド率いる魔物たちが精鋭であろうと、人間の兵隊の物量は馬鹿に出来ない。人類側は兵力の補充が可能であるが、魔物側には、今、ベルウッドの元に居る、魔物たちしか軍隊として運用できない。
つまり、現状戦力で戦う限り、魔物側は勝利することが出来ない。
――ならば、勝負を先送りにして、邪神領に引篭もっていたらどうだ?
これもベルウッドは否定する。
大体、長期的に見た人間対魔物の争いは、魔物側に対して不利に進んでいるではないか。
その原因の多くは、やはり、"英雄"がウェイトを多く占めているのも事実である。
実際"英雄"達が屠ってきた魔物たちの数は、膨大だ。
キャラクターが一人LV50するまでに、蜘蛛換算でざっと五万匹分の経験値が必要だ。それが最低でも百人、五百万匹。引退した奴らを含めたら、ざっとその数は百倍にもなるだろう。五億匹の魔物たちが、ここ百年で間引きされている。
その上で、50LVになった後も狩り続けた。レアアイテムを求めてか、気晴らしにかは知らないが。その総数は考えるだけでも馬鹿馬鹿しい数になる。
ざっとベルウッドがフェルミ推定するだけでも、おぞましい数の命を奪って来たし、今後も奪い続ける事だろう。
故に、英雄の影響力を弱める事は前提条件である。
英雄と魔物は、相容れない。魔物の天敵は英雄である。
では、英雄が居なくなれば、魔物は勝利できるか?
それもまた、否である。
英雄が弱かった時代の魔物は、貧弱であった。
世界がアップデートされる度に、英雄は強くなり、それに合わせてMOBは強化された。
今思い返すと、英雄と言う淘汰圧にさらされる事で、生存の為に、より強靭な肉体を魔物が得たことを表していたのではないだろうか。
その"淘汰圧"が消滅したら――
魔物も人も、大して変わらない時代が来るのではなかろうか、とベルウッドは考える。
それは、仮説ではあるが――現状、数で劣る魔物達にとっては最悪の未来予想図だ。
だからこそ、ベルウッドはクオンを狙う。悲観的な未来予想図を描くから、今、現状で出来る最高の事をするのだ。
クオンの首都、トコシェ。この街は、ベルウッドが知る限りもっとも堅くて、人類最堅の都市だ。
そこを電撃的に奇襲し、奪い取り、拠点にして、魔物たちを再生産する。
攻めるに難いこの都こそ、占領した際には長期的な防衛が可能になる。
且つ、この大陸中、最大の国家の首都である。そこを押さえる事の影響は計り知れない。
加えて、魔物の王、魔王としてベルウッドが君臨する。
淘汰圧を維持しつつ、人類にダメージを与えて、魔物達に対して指向性を与えるのだ。
世界征服は、そこからだ。まず、それが出来ねば話にならぬ。
クオン千年の歴史を、ひっくり返して。千年続く魔物の国にすれば、どれだけ人類社会が堅牢でも、食い散らかせ――
ベルウッドの思考を中断したのは、一本の太い槍、いや、矢であった。
ごぅ、と風切り音と共に、ありえない距離からの狙撃。
おおよそ人の扱える大きさを超えた、馬鹿みたいな大きさの機械弓から放たれた、投槍とも思える太さと長さの、鋼鉄を叩いて鍛え上げた様な矢が、ベルウッドの正中線を射抜く様に、低い軌道から、跳ね上がる様に飛翔してきた。
咄嗟にベルウッドは戦棍を一息に振り抜いて、鋼鉄の矢をそらす。打たれた矢は、激しく回転しながら地面に突き刺さった。冷や汗。ワンテンポ遅れたらただでは済まなかったろう、不意打ちである。
『この距離で当ててくるか』
街壁に備え付けられたバリスタの射程よりもなお遠い距離を射抜く、まさか、そんな馬鹿な弓使いなんて――
今はもういないはずである。
既にあの時死んだはずである。
ベルウッドの冒険が始まった序盤に、叩き潰したはずである。
『――確か、ニクマン』
ベルウッドは目を細めトコシェ城壁を見る。特徴的なシルエットのバリスタはあれど、特徴的なシルエットの人影は無く――
――ニクマンの装備品であった、馬鹿でかいバリスタを抱える様に構えて撃ったのは
「何これ、超重いんですけど、取り回し超辛いんですけどぉー!?」
「〈戦士〉だったら大体使いこなせるんじゃねーの?」
輝く鎧に身を纏った、完全武装のジャンヌと、どことなく邪悪な気配を漂わせる、エムオーの二人組だった。
「だってアタシ、〈光の矢〉と〈鷹矢〉しか習得してないテンプレ盾だしー」
「アンタのスキル構成なんて、僕ァ知らないよ。つかえねーでやんの」
「うっさい、もう一発行くから、装填も手伝ってよ」
「へいへい。骨に任せりゃいいじゃん……」
「アタシは! 今! アンタを使う事に楽しみを見出してるの!」
「えー」
「えーじゃないよ、このドМ」
「その略し方やめて!? 光磁気ディスクの方が元ネタなんだよ!?」
騒がしい二人組が、ざらつく城壁の上でじゃれあう。
「さ、遊ぶのはこの程度にして、取りあえずヘイトだけは稼いでおきましょうかニャー」
二人がかりで、ギリギリギリ、ときしみ音を立てる、鋼の翼と鋼線の弦を巻き上げるウインドラスを巻く。一人で巻き上げる事が不可能とも思える重さの巻き上げ機も二人でなら巻き上げる事が可能だ。
「っと、やっべ、見つかった」
エムオーは突き刺さる殺気を背筋に感じ、冷や汗を流す。
――このヤバさ、邪神以上。
「もう一発なら撃てるわよ。だって思ったよりアレ、前に出てきてないもの」
遠くゴマ粒の様な怪しげな人型MOBに向かって、底抜けに明るく馬鹿調子。
ジャンヌは、糞重い機械弓を、クソ重そうに、クソ楽しそうに使うのだ。
「いやさぁ、正直さぁ、|超遠距離を標準するのだけは得意なのよね、アタシ」
弦を巻き上げて、太矢をつがえた機械弓を、ピタリと一点に照準しながら。
「この、敵が来る場所に置いておく感覚? 遠ければ遠いほど、ゆっくり狙えるし」
相手が何をしたいか、どうしたいか、そういう気持ちが合わさった時に、
「そーれ、もういっちょぅ!」
引き金を両手で引く。
槍の様な巨大な特注の矢の尻を、極太鋼線がはじく様に押し出して空へ。ジャンヌの放つ〈鷹矢〉が、黒い人型MOBに向かって、意志をもったかの様に迫る。
人がゴマ粒に見える距離で、音も聞こえない距離で、常人なら目を細めても当たったかどうかも判らない。
「やっぱり完全にタイミング見切ってんなー、アレ」
「飛んでくる矢を、"相殺"されちゃ、どうにもこうにもならないニャー」
けれど、この二人ならば判る。当たったかどうかなんて、手ごたえで判る。
「どうする、エムオークン?」
「どうするもこうするも、逃げるなんて選択肢無いだろ?」
邪神を倒さなきゃならないのに、その手下から逃げる選択肢なんて、無い。
「アタシも近距離が専門家だしねぇ」
ジャンヌはピッカピカの鋼鉄シールドに、鉄の剣をガチンと叩きつけて。
「あ、やっぱり引き込んでからやろう。他の火力も来るでしょ、多分」
「へいよ」
この二人組は、少々チキンで、少々狡猾。それがジャンヌで、エムオーだ。
王宮の床の絨毯、マジでスッゲエな、フッカフカだな、とオジジは思った。
同時に、オジジは今にも、朝食に食べたオートミールを吐き戻しそうな位のプレッシャーに耐えていた。
「何だこれ」と、判り切った自問自答を続けるオジジは、理由なんて判り切っている。
誰も頼りにならないのだ。
頼りになるはずであったべルウッドは、まるで野良で拾って来たNOOBの様な状況で――はっきり言おう、屁の役にも立たない。
べルウッドマジ使えない。NPCの、いや、守衛さんの方が状況を逐一伝えてくれる分、よっぽど使えるし、その使える速報を聞くともう、オジジは絶望的な状況に思えるのだ。
大体数万。それぐらいの魔物の群れに、トコシェが囲まれている。
しかも、トコシェの――クオンの首都は、そもそも直接攻められることを想定していなかったはずである。
外延部の各都市がまず侵略に対抗して、それから兵数をそろえて、まともな防衛が成り立つ。そう聞いている。魔法学園なりの教師なりをやっていると、そういう知識だって嫌でも増えるのだ。そういう事を諸々考えると、吐き気がする。敗北前提の戦争なんて、ごめんだ。オジジの『真っ当』な部分はそう告げる。『逃げちまえ』と。だが、オジジの『良心』はこう告げるのだ。お前、サブマスターだろう、と。責任者がアッパッパーになった時に、責任を負う立場だろう、と。だから、ムカムカする胃を押さえつつ、所謂クオンの王様の前で、状況を説明しているのだ。レゾナンスペインの、大魔法使いの、オジジとして。
「率直に言うと、オレっちらは、勝てません」
「……何故だ!? 貴殿らは『英雄』じゃろう!? 加えて言うなら、オジジ殿は大魔術師、是非この国難を、何とか、何とかしてたもれ!!」
いや、マジ無理だって言う状況をどうにかしろって言われても、オジジだって出来ない事は出来ないのだ。無い袖は振れないのだ。オジジは泣きそうな顔で、もう一度説明する。
「少なくとも、奇跡が起きない限り、俺っちらは勝てません、王様」
頼りになるべルウッドが全く頼りにならず、次にアテに出来そうな身内は倒れてしまった。残りはどうにも、微妙な面子のみ、となると。
やはりオジジには、正直に言うしかないのだ。
「逃げるのが一番いいと思う、俺っちは」
大体、こうやって無駄な会議をする時間が与えられただけでも、得難い幸運であったのだ。勝てない相手を前に、実際に襲われる前に発見できたのは、僥倖だったのだ。
発狂寸前の王と、未だに状況が良く判っておらず、首をかしげるべルウッドを横目に、オジジは途方に暮れたように、言った。
「……ベルが玉砕しろって言うなら、それもまたそれで、腹括れるんだけどなぁ、俺っちも」
そうやってオジジのケツをひっぱたいてきた、頼れるギルマスはどこへ行ったのか。
「玉砕とは英雄らしいのか?」
「俺っち、そいつは良く判んないよ……でも、負けたら意味ないって。そういうモンじゃないて思うさ」
オジジは、時折、まるで幼児を相手にしている様な気分になる。「ふむ」ふむじゃねえって、オジジは思う。
オジジの知っている年長者は、どうしてこんなのしか居ないのか。もうちょっと頼れる奴らが居ても良いんじゃないか。「何とか……何とかしてたもれ……」足元にすがられてもどうにもならんって言ってるじゃないの。
――オヤジ位の年齢の王様が、そんな顔してすがるなよぉ……。
オジジは頭を抱える。抱えざるを得ない
「先ほどから、疑問に思っていたのだが」
そして、べルウッドがまた無邪気に微笑みながら、言うのだ。
「俺が全部倒せば、良いんじゃないか?」
「はぁ?」
「それが一番英雄らしいだろう?」
――いや、マジで誰か、この頭痛を止めてくれ。
オジジは、べルウッドが妄言を言い出した、と確信した。