第三話 誰も知らない英雄譚(2)
目の前の男達が、チャカの理解できない事を言った。
「ちょっと、ちょっと待って」
何かが違う、とチャカは思う。何かとは何か。話が違う。思惑が違う。予定が違う。考えていた事と、色々と違う。
「えっと、その、なに、あー……」
「ちゃ、チャカ。ええか、オレ一人でやる」
ナイトウが、逆光の中で言った。
こいつは、馬鹿か、馬鹿じゃないの? とチャカの薄い胸の中でぐるぐるぐるぐるともやもやとした、形にならない思考が、声が、疼く。
「ば、馬鹿じゃないの!?」
「ば、馬鹿じゃねえべ」
そんなただでさえ紙のようなチャカの顔色が、白くなって、青くなって、赤くなった。黄色くはならないなぁ。と、どうでもいいことを薄灰色のボンクラ脳が、感じ取る。
ナイトウのもはやどうでもよい過去の体験だが、完徹二日目で、太陽は黄色く見える。
三日目を超えたあたりから、太陽の色は気にならなくなる。一瞬でも気を抜くと意識は飛ぶし、そうでなくても思考はどんどんほつれていく。
そんな、体の芯からにじむけだるさは、今の状況によーく似ているとナイトウは思う。
チャカの悲鳴のような怒声が、瞬間湯沸かし器のようにくるくると変わる顔色が、今にも掴み掛かって来そうな、いや、もう既に精一杯腕を伸ばして、胸倉をつかみ上げようとして、胸元にしがみつくような体勢になっている事が、全部が全部ひっくるめて、ナイトウの罪悪感を刺激して、多少ナイトウの脳を覚ます。
覚めた脳味噌が仕方が無いと、自身に言い訳をして、用意していた台詞を吐く。
あらかじめ用意しておかないと、ほつれにほつれた思考では形にならない。
「お、お前が馬鹿なんだべ。大体、特にチャカ、お前は、物凄く」
物凄く――何だったか。ああ、そうだ。
「――弱い」
いや、弱いのはどちらだ。
鉄鱗の時だって、手助けしてもらわなきゃおっ死んでたのはどこのどいつだ。戦闘の度にどこかしこで怪我して、えれぇ目にあってたのはどこのどいつの馬鹿野郎だ。
ナイトウのそんな内情は、口にも表情にも出さぬし、出せぬ。大体、ほつけてとけて
「す、すげえ、半端だ。回復としても、攻撃としても、壁役としても、だ」
何でもできるのが強みだから、当然だ。馬鹿にした話だ。煽るにしてももう少し芸ってものがあるだろう。
「特に対人で、弱わかったろ」
別段、普通だった。特に飛びぬけては居ないが、「頭数」に数えれる貴重な"英雄"だった。付け加えるなら、今ならば、間違いなく、チャカは、効率良く己が肉を切り邪神の骨を断つ、"使える"奴だ。
ナイトウが『頼む』と一言言えば、そうなるだろう。
まとまらぬナイトウの今の頭でも、それは判るのだ。
だからこそ、ナイトウは恐れる。
死を恐れる。
味方の、友の。
「お前は――お前らは、四百八十秒、タゲとりゃええ。それだけやってくれればええ。それ以上は、要らねぇ」
「バカじゃねぇの!」
「な、何とでも言え」
――戻れる所がある奴等には、この役は渡せねぇ。
誰に渡すわけにもいかない。誰に任せる訳にもいかない。
ようやく見つけた、ナイトウ自身の役割だ。
「ソロだと、ミスは出来ないぞ」
暫くの睨み合いの後、タイタンのごつい手がチャカを押しのけた。
「だ。大丈夫だ。オレは失敗しない。大丈夫だ。オレァ、ミスはしねぇ」
「本気で言ってるのか」
「……万一、そうなったら、おめえら、適当に逃げろ」
頼むぞ、とナイトウはタイタンの方を見た。チッ、と舌打ち一つ追加して、タイタンはナイトウを睨み付けた。
だいたい、最近、タイタンが鏡越しによく見た顔だ。
何を言っても聞きやしない、そんな面だ。何でも一人で決めて、外に吐き出さない、クソみたいな面だ。
――ほんの一月ほど前の、タイタン《おれ》の顔だ。
「八分。完璧に抑えてやる。それから後は、分からないぜ?」
「……ああ、八分だ」
――ああ、十分だ。全く、その返答で十分だ。
BOSSを狩る、と言っても、当然ながら、狩る為には下準備が必要だ。
狩る対象に合わせた武器防具、余裕を持ったポーション、十分に鍛えたキャラクター……そして、BOSSの近辺の掃除――"取り巻き"の排除である。
取り巻き、BOSSの周囲に存在するMOBを倒す事は、下準備であって、本番ではない。が、四百八十秒、八分。あちらで言うなら二十秒。
<スキル>を振るならほんの数回。だが、"取り巻き"を叩き潰すには十分な時間。
その時間で排除しきれないなら、勝てる相手《BOSS》ではない――と言うのは、常識でもあった。
そいつを稼げとナイトウは言う。
それ以上の、手出しは要らないという。
本番の手出しはするな、とナイトウは言ったのだ。
――そいつはちょいと、ナシじゃないかい、ナイトウさんよぉ。
ここまで来て、あとはオレ一人で十分だ、と、ナイトウはほざいたのだ。
ミスして狩り損ねたら、逃げろというのだ。
そんなミスする可能性のある狩りで、その、ナイトウのおぜん立ての為だけに、タイタンや、チャカや、ヒゲを使おうというのだ。
そいつは、ずいぶんと『ナメた』発言だとタイタンは思う。
そいつは通せない。
今までのナイトウのやってきた事と、言ってきた事との筋が違う。ブレているからだ。
そいつが、タイタンにとっては許せない。
仲間を頼れと言ったナイトウの、あの涙は何だったのか。
タイタンの目の前の男が、いかにも煤けて崩れ去りそうなのは、判り切っている。
そんなことは、タイタンとて百も承知。
理由を何故言わぬのか、何故言えぬのか、タイタンには判る。
大凡のメドはついている。
けれども、仲間に相談しない以上――
――ひっくり返して良いんだよな、ナイトウ。
タイタンの呟きは、今は、ナイトウには伝わらない。
暁は、魔物の為には存在しない。
市街外壁、崩れが大きい個所。"六本腕"の見張りは眠そうに股間の顔を撫でた。日光は濾過され月光程度の明かり。のろのろとした動きで、"六本腕"は昇る朝日と静まる町並みを恨めしげに見る。
あくび一つ。
『ねむ。ねむ』
声に出したら、かるい眠気。
"六本腕"は、これから長い昼番なのだ。今から眠気に襲われては、まともな仕事にはならないだろう。
『いけない。けど』
ぐぅ、と鼻提灯が一つ二つ。ペチンと割れて目が覚める。ペチペチペチ。と、鼻提灯の出来る速度より、尚早く六本腕に伝わる感覚。
ぺちぺちぺち、と子蜘蛛が"伝話"の到着を"六本腕"に伝えていた。
"六本腕"の馴染みの"地獄甲冑"からの伝話だ。
――この山を越えたら、明日はもっと豊かな土地にたどり着ける。
"地獄甲冑"が流暢に喋る中、辛うじて理解できたのは、概ねこのような概要だけだ。
六本腕に難しい話は判らない。
そうあれ、と生み出されたのだから。
だが、難しい話が分からないが故に、話の気配には敏感であった。
伝話線を敷きながら進んでいる、"六本腕"の馴染みの"地獄甲冑"が伝えるのは、景気のいい話だ。
とても、結構な事だ。
"六本腕"は、夢見心地でふんふんと聞き流す。
大体、警備なんてする必要はないのだ。
実際に脅威となる人間は既に排除済みだし、ここに立つのも、形式的なものでしかない。少なくとも、何かが攻め寄る気配など、無いはずだ。ここは神のお膝元、いざとなれば偉大な奇跡が起きて、"六本腕"達は救われるだろう。
――おい、聞いているか、おい。
『ああ、きいて――』
そう、六本腕は最後まで信じていた。
六本腕に音は、聞こえなかった。ただ、光が見えたのだ。
ナイトウが放った"地獄の炎"が、灼熱の花を咲かせる。ぱぁっと光が走り、暴露した草木は、即座に真っ黒に変色した後に、燃え始める。それは、生ある魔物も同じだ。
薄暗いサイハテの街に、小さな太陽が出現した。
直撃を受けた一般MOBは文字通り焼滅し、直撃範囲に巻き込まれなかった者たちも、熱線に目を、肌を、触角を炙られてのたうつ。ヘイトを――誰にやられたのか――の察知もままならない。
ざわ、ざわ、ざわ。ぼうっと立ちすくんでいた子蜘蛛を、ピンポイントで、炎の弾がぶち抜いた。胴体を丸く、くり貫く熱波。
ぎぃ! と近くで上がる悲鳴。親蜘蛛の物だろうか。それとも単なる苦痛の泣き声だろうか。混沌とする状況に、さらなる一撃。
次々に地面から吹き出す炎の柱が、まっすぐ、街を縦に割り始めた。今は祭壇となっている、十字があった広場へ向けて、邪神を目指して地面を割る。
轟音。割れる。割った。
道が出来た。
ナイトウは十字があった広場を割って、邪神の祭壇までの直通通路を作り上げた、と確信した。そのまま次のスキルの準備。次は――
接敵するまでのヘイトを稼ぐためナイトウは空へ。飛ぶ。
飛んだ。
もうもうと上がる土煙に映る巨大な影。
ナイトウが飛んだのを皮切りに、取り決め通りに、タイタン達が走り出した。
ナイトウは邪神に向かって一直線に走る、彼らの露払い役だ。真っ直ぐに割れた道に向かって殺到するMOB達に向かって、火の壁を建て、氷の槍を降らせ、邪神への最短ルートを死守/確保する。
ぎい、ぎい、ぎち、ぎち。
悲鳴、怒声、悲鳴、怒声。
ナイトウの聴覚が捉えた音声はすべて、MOBのものだ。
MOBなら、もっと早いはずだ。人ならば、もっと遅いはずだ。
実に中途半端。半端な反応速度。ナマモノの感覚。
生まれる躊躇を刹那で振り払う。アレは敵だ。敵なのである。
脳裏に浮かぶ光点を頼りに、魔法を指す、刺す、刺し続ける。
町中に巣食った魔物の群れは、数が多すぎた。
その多すぎた彼らを誘導する。
ナイトウは先ほど造った大通りに通じていた道を崩して。ちょっとした迷路に。そんな迷路を跳躍して抜けようと思う敵を撃ち抜く。それを数度。学習する・させる。律儀に崩れた通路を大回りする様に自然と・必然と行動する。たったの一人。サイハテの街一つを占領した魔物の群れを相手にするには、少なすぎる人数だ。それを可能にしているのは、ひとえにクラウド・コントロール技術の賜物である。
町全体を一つの迷路に。最深部までの裏口をつけて。
状況は整った。
「RAAAAAAAAAAA!」
タイタンが駆け抜ける。ヒゲダルマも、チャカも走る。
目標の邪神の傍に、白い大蛇が、蛇女が見えた。ナイトウは――
躊躇せずに。殺す。
撃った。白蛇の腹に大穴があいた。邪神の周りには、予め分断したとはいえ多くの魔物がいた。それが一斉に悲鳴を上げた、いや、悲鳴が上がったような気がした。敵だ。
どこまで行っても恐らくは、相容れない敵だ。
人の敵だ。
英雄の敵だ。
オレ達の敵だ。
――ああ、判ってんだけどなぁ。ド外道はどっちだべ。
内心で、ナイトウ/伊藤は、反吐を吐いた。
それでも続ける。もう一発、今度は邪神のドタマにぶちこんで。
「い、今から四百八十秒だべ、頼む」
もごもごと、言うのだ。