第七話 襲撃(上)
4日目深夜、又は、5日目早朝
ナイトウにとって、ゲームは趣味の一つであった。
そんなナイトウがネトゲーに出会ったのが大学1年の春の事。「全員が英雄」というキャッチフレーズな某ゲームに嵌り、そこからズルズルとナイトウは様々なネットゲームに手を出した。
その当時はネットゲームというだけで持て囃されたのだ。色々なクソゲーもあったし、そんな馬鹿な!というシチュエーションのネトゲーもあった。ナイトウは嵌りに嵌って、大学を2留した。大学を退学しようと、ナイトウは思った。
ナイトウは、父に「父親が死んだ時より悲しい。お前がそんな情けない事を言い出すとは思わなかった。せめて大学だけは出ろ。始めた事は最後までやれ」と大泣きされ、母には「史郎、知識は決してお前を裏切らないよ」と泣かれた事を思い出す。
色々な教授に頭を下げてギリギリ卒業したナイトウが、程よくネトゲーをしようと誓いを立てたのもその頃だ。
しかし、世の中は正に就職氷河期、ナイトウが大学で勉強した事など生かせそうも無い。全く畑違いの警備会社に入社して、ナイトウは警備員となった。
ガードマン・ナイトウの誕生だ。
2年目、ナイトウの職場はデパートの地下1F、様々な食料品店が入っている場所だった。つまらない仕事だが、その日は違った。
リストラか何か知らないが、社会に恨みを持った(と主張を裁判でしたらしい。)男が、刃物を持って大暴れしたのだ。
通り魔だった。
たまたま買い物に来ていたナイトウの父と母は、巻き添えだった。母が出刃包丁で刺された時、ナイトウの足は竦んで、動けなかった。父の足は竦まなかった。男を止めようとして刺された。その後ナイトウも刺された。
助かったのはナイトウだけだった。
当時の新聞の三面記事にでかでかと載った。
ナイトウが新聞に載ったのは初めてだった。うれしくは無かった。
ナイトウの姉はのろま加減をなじった。父と母を刺される前に何故お前が止めなかったのかと。
その後ナイトウは会社は辞めた。姉とも疎遠になった。
現実世界にナイトウの居場所は無かった。
またナイトウはネトゲーに嵌った。ゲームは趣味以上になった。
命ある限り、体が竦んだりせずに、巨大な魔物に立ち向かい続けれるディープファンタジーの英雄はナイトウの理想だった。それでも最前衛に経ち続ける戦士は怖かったから、ナイトウは魔法使いになった。ちょっと理想から離れたけど、それでも良かった。
そんなナイトウは今、現実がゲームだ。これは悪夢なのかもしれないが。
チャカの、震えるような声がナイトウに届く。
「PK、来るかな」
「……オレがPKなら、こんな集団は襲わない。少なくとも別ゲでヤってた時は、もっと襲いやすいヤツを狙ってた。一匹狼とか。そんなの狙うべ」
ナイトウはチャカを安心させようと、幼子をあやすように、頭をぽんぽんとなでる。憮然とした顔をするチャカを見ながら、ナイトウは鳴り響く警鐘を無視しようとしていた。
――こんな大人数を襲うわけが無い。いや、襲えるわけねぇべ。
ナイトウが聞いた限り、シルキーを襲ったPKの人数は、精々1PTに毛が生えたような物だった。
少しでも理性が残っているなら絶対に襲わない。理性を無くした相手ならそもそも被害が出るわけが無い。PKは人だから恐ろしいのであって、理性を無くした獣は恐怖の対象ではない。
――だけど、どこか見落としてる気がする。
ナイトウの経験では、PKをする際に大事な事は何個かある。
不意打ちをする事。多人数で少数を襲う事。襲う際に敵のスキルを封じる事、逃げる相手の足を潰して、逃がさない事。そして、襲った場所に留まらない事。大体どんなゲームのPKでもこの辺り、当てはまるんじゃないか、とナイトウは思う。
――ちょっとまて、泣き女は何故逃げる事が出来た?
取り逃がす事もあるだろう。たまたまMPが切れてた、他の面子に手間取ってた。色々要因はある、気のせいだと思う。構成がベストでない事もある。
――じゃあ、もし逃げてもいいと思っていたら、こうは考えられないか?これは奴ら流の「宣戦布告」と言う事か?もしくは、自分達を討伐するPTでも編成させて、分断させようとしたのか?
どちらにしても考え過ぎかもしれんべ、とナイトウは思考を中断する。
「おう、お前ら。そろそろ交代だ、寝ようぜ」
見張りの終わりを告げる、タイタンとヒゲダルマ。無精髭が伸び、服は垢じみてきている様が見苦しい。
「おっけ、それじゃ次の人達起こしてこよっか」
明るい声でチャカは言う。チャカの服装も相当に汚れた物となっていた。それでも愛らしさを喪わないのは流石、とナイトウは思う。
「タ、タイタン。あの子きっちり見とけ。シルキーさん」
そして、ナイトウは自身の勘を無視し切れなかった。
「ん……ああ、OKだ」
タイタンが答えたその時。
シルキーが、ありえない者を見たかのように立ち上がる。歓喜の表情を浮かべ、通り過ぎた迷宮の道に向い、駆け出す。
「へっ?」
ナイトウが視線を少し外した、一寸の事だった。
シルキーが人影を見つけて走り出したのだ、と理解するのに10秒近く掛かった。
「……まずいっ」
――嫌な予感しかしない。何でこんな不自然な人影がここにあるんだ。
ナイトウは<飛行>を発動させ、追いかける。空を翔け、一気にシルキーと距離を詰める。
更にそれを追いかけるチャカ達3人。
その先にあるのは人影。生気の無い男の頭。首から下は外套に覆われ、確認できない。
――首から上しか見えないのは何故なんだ。
ナイトウの脳裏に、昔見た映画が蘇る。オギャアオギャアと泣く子供を、兵士がなだめ様とした途端、ボーンと破裂。脈絡が無いが、何故か被る。
シルキーが外套に抱きつく。揺らぐ外套、落ちる頭。女の絶叫。
「いやああああああああああああああああああああああああああああ!」
追いついたナイトウが、絶叫するシルキーを地面に引き摺り倒す。全身で覆いかぶさり、何かから守るように。
そこに在ったのは、骨で作られた強大な死の竜。
その命無き口ががばぁと開き、喉の奥から溢れ出す冥府の炎。
咆哮と共に吐き出された暗褐色の炎は、効果範囲外のチャカ達すら撥ね飛ばす猛烈な勢いでナイトウに叩きつけられた。
ナイトウを襲う猛烈な炎。
猛烈な熱と痛み。だがしかし、ナイトウは満足していた。
――やってやったぜ、オレ。通り魔相手に、今度は足が竦まなかった。
粘つく一面の炎。燃えさかる人型の松明。悲鳴の一つも上がらない。
「え、うそ」
呆然とチャカは呟いた。
ナイトウは動かない。蛋白質が燃える異臭。異様な赤黒い炎がナイトウの体に巻きついている。
「ナ、ナイトウ? ちょっと、ねぇ! 待ってよ!」
――火を消さなきゃ。ナイトウの体に付いてる火を消さなきゃ。燃えさかる人型の松明になって動かない、親友の。
その時、チャカの体は凍った。
「チャーカちゅうわああん、みぃいつけたぁ」
粘着質なその、声。文字が肉声に代わっても、チャカには理解できた。理解できてしまったのだ。
チャカの前方には、一人の奇妙な男死霊使いが居た。
チャカがある意味よく知っている、ある意味全く理解できないその相手は、昔チャカに、「すみません、お友達になりませんか」と耳打ちをしてきた男。
チャカの知る名前は、「33333」。既にBANされているはずの男であった。
火炎を吐き終わった骨の竜はガラガラと砕け散り、砂と化す。その不気味なオブジェを背景に。
「ちゃーーかちゅあああん、そんなのほおっておいて拙者とラヴラヴチュッチュするで御座ぁるよぉ」
サンゴ―今現在は、シゴは実に楽しそうに、恋敵は消えた、俺の元に来いと言わんばかりの満面の自信を顔に浮かべる。
蛇に睨まれた蛙のように動けないチャカ。
ヒゲダルマも言葉をなくす。何の躊躇も無く、他者を傷つけるその存在に。
タイタンは、その均衡を崩す。
「ヒール遅いぞッ! 姫ネクロ! くそがぁッ!」
タイタンはチャカに罵声を浴びせながら、<迫撃>を発動させ、駆ける。
一歩、二歩、三歩、風を蹴り、物凄い距離を瞬時に詰め、大上段から一気に片手剣をシゴに叩きつける。
無謀である。相手が一人で来る訳が無い。
そんな事は百も承知でタイタンは間合いを詰め、剣戟を続けざまに叩き込む。
――そう、時間稼ぎができればいいんだ。
戦士は、硬い。盾を持った戦士は、更に硬い。
他職が致命傷になるダメージすら容易に耐える様は正に『戦車』なのだ。
そして、戦士の間合いに入ったなら、そうそう容易には抜け出せない――
チャカはタイタンの怒声で金縛りが解けた。
戦士は敵を止める。魔法使いは敵を削る。暗殺者は敵を倒し、修道者は味方を癒す。では、死霊使いは?
そう、状況に応じて万能に動けるのが死霊使いの長所である、
――今ここですべき事は治療者の役割だ。私の役割はこの場では治療!
チャカは未だ燃える親友の元に走り、触れる。
――熱い。手が焼ける。我慢だ。男の子だろう!願え、癒せと!<美味なる果肉>よ!
チャカの祈りは通じた。
<美味なる果肉>はゲーム時代通りのエフェクトを撒き散らす。チャカの全身から噴出する毒々しい紫の光。
――出来た!私も出来た!ナイトウ、今助けるから、待っててくれよ。あと姫ネクロなんて言ったタイタンは後でしばきたおす。
焼ける手の平の痛みも気にならず、チャカは誇らしい気持ちで一杯だった。
だがしかし、チャカはその時まで死霊使いの仕様がどういうものか、忘れていたのだ。
何故今まで発動しなかったのか、何故発動したのか。検証する時間も無かったのも事実だが、想像ぐらいしても良かったのだ。
「発動時のHP減少」がどういう扱いになるか、ぐらい想像しても良かったのだ。
――何も起きない。体に触れても何も起きない。じゃあ顔は?
チャカの手が顔に触れた瞬間ナイトウが野獣に変わる
タイタンの剣で滅多切りにされているシゴは、それでも笑い続ける。
「おおおとこぉおおは、お呼びでぇええないで御座るよおぉおお」
シゴが<骨の戦士>を召喚する。ザクリとタイタンの剣が刺さり、更に血飛沫が舞う。
シゴは<血を肉に>を使う。切り刻まれた体が逆回しフィルムのように、戻り始める。
骨の戦士が、召喚者を守ろうと動き始める。
――回復される前に、たたっ切る。
骨の戦士が死霊使いを守る。しかし、タイタンの目にその姿は入らない。<乱撃>―12連の高速攻撃―を発動する。それは目の前の敵を打ち砕く刃の嵐。
タイタン愛用の必殺スキルは骨の戦士ごとシゴを打ち砕くはずだった。
ゴゴゴカカカカァン―その場に響いたのは、骨と鋼を打ち合わす、鈍い音が6回。鋼と鋼を打ち合わせる甲高い音が6回。
骨の戦士が砕かれる。ここまでは規定事項。しかし、その後に続く鋭い音は人を斬った音ではない。
「シゴ、貴様だけ楽しもうというのは、多少狡かろうよ」
シゴを切り裂く、タイタンの<乱撃>の嵐に割り込んだのは隻眼の武者。
剣閃を弾き、受け、流し、逸らす。近接攻撃同士で起こる『相殺』―ほぼ同等の威力の攻撃で、お互いの攻撃を打ち消し合う現象―であった。
「フヒヒ、サーセン。ムショも好きもので御座るなぁ」
ムショと呼ばれた隻眼の武者は、両手持ちの大刀を構え、べろりと舌なめずりをする。
「さて、一手手合わせ願いたい――シゴ、貴様の手出しは要らんぞ」
その大刀と使い手は迷宮の薄明かりの下、独りよがりに舞いはじめる。
女の悲鳴と、爆発音。これで目が覚めない奴は重病人ぐらいである。
そうでなくとも4日前からベルウッドの眠りは随分と浅い。徐々にたまる疲労は自覚しているが、まだ限界じゃない。
――この体ならソロMtMのリポップ時間完全管理のNM狩り、とかも可能だったろう。本当に惜しい事をした。
益体もない夢を見ていたベルウッドは、カッと目を見開き周りを見渡す。
「やべーぞベル、敵襲だ!」
こっちに来てから早寝早起きで困る、深夜の見張りはキツイとこぼしていたオジジが慌てて報告をしにくる。
既に半分ほどの人員の準備は整っているようだった。
即時に檄を飛ばすベルウッド。
「全員装備確認、確認後対象を捕捉し次第牽制しろ! 倒す必要は無い!」
おうよ!とやけっぱち気味のオジジの返答。群れが1つの生き物として動き始めるまでに時間はさほど掛からなかった。
――そう、別に倒す必要は無い。他人の命を奪う必要は"まだ"ない。
ベルウッドは自分の方針を再確認する。まだ、自分の"群れ"からの犠牲者は出ていない。牽制程度にとどめる必要がある。
――奴らが真性の狂犬なら兎も角、話し合いの余地は残しておくべきだ。そう、PKした相手をその後どうしたかを聞き出すまでは。
それは詭弁だ。ベルウッドにも判りきっている事だ。どうやって奴らは水食料無しでここまで進んできた?そんな事は状況が全て語っている。
「マスター! 前方5名、既に交戦してます! 敵2!」
ギンスズが愛用の両手斧を構え、先陣を切る。顔色は悪く、目元には深い隈が浮かんでいる。だが、その目はギラギラと輝いている。
闘技場に放たれた獅子もかくや、という目だ。対人狂の真性廃人は獲物を前に、檻が開け放たれるのを待つ。
ベルウッドも言えた立場ではない。
――在りし日の『戦争』を思い出す、この一幕は実に心地よい。
数日間の苦痛に満ちた行軍を一時でも忘れられる、敵に向かって走る、この興奮。
ベルウッドは興奮に任せ、走り始めた。