09 代役
リオルが王立魔術学園へ入学する日の朝のファシール家は慌しかった。
「リオルはどうしたんだ?」
アロルドは焦りを隠せずにウロウロと部屋の中を歩き回っている。
そんな夫をイェシカはいつもの笑みを絶やすことなく、のんびりとお茶を飲みつつ眺めていた。
しばらくすると、バタバタと走る足音と共にシオンが激しく扉を開き、部屋へと飛びこんでくる。
「どうしよう……揺すっても叩いても兄様目を覚まさない……!」
「……困ったわねぇ」
青ざめているシオンとは対照的に、さほど困ったような様子には見えないイェシカがつぶやく。
リオルは微熱以外にどこか異常がみられるわけではなく、ただただ眠り続けていた。
「今年入学すると手続きを済ませてしまっているからな。公爵家が入学初日から不在なのはさすがにまずい」
「原因がわからないのですから、いつ目が覚めるかわかりませんもの。入学式どころかその後通えるかどうかすら怪しいのでは?」
「う……うむ」
それは世間体という問題にすぎないのだが、公爵家ともなると重要な問題となる。
国でも重要な機関である学園の入学式には王族も出席する一大イベントでもある。今年は魔術学園に王子が入学する年とあって入学式は普段より盛大に行われるらしいともっぱらの噂だった。
平和な国家であっても貴族同士のいざこざはある。有数の権力を持つ公爵家を蹴落とそうとする者も少なからず存在する。
そして一番の問題は、家位も実力もあったリオルは入学試験を受けていないということだった。
形式上、無試験での入学は王の許可を得てという形になっている。許可を受けて入学しないとなると、王の意向に背く行為だと言われてもおかしくはない。
「兄様はいつ目が覚めるかわからないんだよね……」
「そうね、悪いものは感じないから心配は要らないと思うけれど、いつ目が覚めるかはわからないわ」
「入学しないとまずいんだよね?」
「あぁ、立場上まずいが……シオン、お前まさか……
はっとしてアロルドが顔を上げると、意を決したようにシオンも顔をあげた。
「私が兄様の代わりに入学します」
シオンの顔は真剣そのもので、冗談を言っている様子は微塵もない。
「兄様は少々病弱だと知られているのですから私が入学しても不思議はないでしょう?」
「そうねぇ、そもそも去年も風邪をこじらせて療養していて入学を見送ったのよね」
「いや、しかしだな……」
「都合のよいことに私はこの家の次男です」
「だが魔法は……」
「あら、シオンはコントロールが苦手なだけで魔力量だけならば十分ですわ」
「そうですね、コントロールは苦手ですが学校なのだからそれを学ぶいい機会かもしれません」
アロルドは悟った。ここに自分の味方はいない、と。
妻は面白がっているような節もあるが、自分の子供に不利益なことをさせるような人間ではない。
悲しくも、今のシオンは身長は平均よりも低いがどう見ても綺麗な少年としか見えなかった。
どちらにせよ息子を入学させなければならない状況に変わりはないので、シオンが入学するしかない。
学園に通うのは三年間。卒業時のシオンは十七歳なので、今のように男として誤魔化せるかどうか。
不安が尽きることはないが、アロルドは知っていた。シオンが無意識に丁寧語で話す時はかなり興奮しているときである事を。そんなシオンを止める事ができるのは、今は眠り姫状態のリオルだけ。
下手に刺激すると更なる事態の悪化を招きかねない。
アロルドは大きく息をつき、両手を上げて降参のポーズを取る。
「わかった。ただし何か問題があればすぐに呼び戻すからな。すべての処理はセルジオにさせてやる……」
「ですって。王様にご迷惑をかけてしまわないように気をつけてね」
「……はい」
「それじゃ急いで支度しましょう」
時間は刻々と迫っており、すぐにでも家をでなくてはいけない時間となっていた。
制服はリオルのものなのでサイズは合わなかったがそれを着込み、リオルの用意していた荷物の中の服を自分のものと入れ替え簡単に準備を済ませる。
「シオン、もう出るぞ」
「はい、すぐいきます」
扉をノックる音に続き、アロルドが声をかける。
シオンはぐるり、と自分の部屋を見渡し深呼吸する。
隣のリオルの部屋を覗いてみたが、やはりまだリオルは眠ったままだった。
「兄様いってきます」
極力静かに扉を閉め、シオンは屋敷を出た。