51 心境(クリス視点)
再会の後、俺は後悔こそしなかったがそれなりに反省した。
突然王子だという俺が目の前に現れたのだから驚かせてしまっただろうし、俺たちが連れ回した結果熱を出してしまったのだから。
幼少の記憶では少々気の強そうなところもあったが、病弱のせいもあるのだろう彼女は美しくも少々儚げに成長していた。
ずっと療養していた彼女には男の免疫などあるはずも……いや、確かあの家には息子が一人いたはずだから全く無いということもないかもしれない。
もしその息子がイェシオン嬢に、いや、イェシオンに何か手を出していたらそれなりの対処を取らねばならないな。
俺は一人頷きながら、部屋の窓から次第に丸みを帯びていく月を見上げてその場合はどうしてやろうかと考えを巡らせた。
学園に戻った俺は部屋に荷物を置くとすぐにシオンの部屋に向かった。
少しでもイェシオンの事が知りたかった。彼女が何が好きだとかどうすれば喜ぶのか、他にも他愛のない事でも何でも。
しかし部屋の扉をノックしてみても返事はなくシオンは部屋にいないようだった。
俺より先に戻っているであろうランスと一緒にいるかもしれないと隣のランスの部屋へと向かう。もしそこにいなくてもランスならシオンがどこにいるか知っているかもしれないなと思いながら。
ランスの部屋の前に立つと、部屋の主と探し人の二人の声が耳に届く。
予想通りシオンはランスと一緒にいるらしい。コンコンとノックをしても返事はなく、どうやらノックに気づいていないようだった。
ため息混じりにノブに手をかけて捻れば、抵抗無くあっさりと扉は開かれた。
無用心だなと視線を上げれば、目に入ったのはランスがシオンに思い切り抱きついている姿。
イェシオンではないとはいえ双子でよく似たシオンにランスが抱きついているのは面白くない。俺は思わず二人を引き剥がし、そこでやっとランスの様子がおかしいことに気がついた。
どうやら学園に来ていたフィリア殿が原因らしい。色々と強烈なあの人のことは俺もそれなりに知っていて実の姉とはいえランスが怯えるのも何となくだが理解できた。
その後成り行きでシオンにバートン家やこの学園についての説明することになったのだが、シオンは魔術の知識以外の特に世間のことにとことん疎い。
シオンもイェシオンもどちらも社交の場には姿を見せなかったので貴族に疎いのはわかっていたのだがどうやらシオンも相当引き篭もっていたらしい。
恐らく俺も耳にした事のあるあの噂が原因なのだろう。
今度あの噂を耳にすることがあれば、その噂の出所を調べてみようかと考えていると部屋の扉が開かれ再びランスがシオンに抱きついた。窓際で放置していたはずなのだが、さすがというべきかその動きはかなり素早い。
怯えるランスを再びシオンから引き剥がして振り返れば、珍しく焦った様子のユージンが立っていた。
バルタークの姫が学園に入学した。
最近やたらとこの国に視察にくるバルタークの姫とその一団。その本意は間違いなくこの国の王妃の座を欲しているのだろう。
だが俺は隣に立つ人物はイェシオン以外を想像することができないし、イェシオン以外の女性を選べと言われるならば王妃を迎えなくてもいいとすら思っている。
一国の王としてその選択は駄目なのはわかっているが、愛情を向けられることの無い形だけの王妃を作り上げるのはとても不幸な事なのだから。
美しいと言われるバルタークの姫も、会ってみれば確かに美しい姫だった。
確かに美しいとは思ったがそう思っただけであり、イェシオンの様に自分では制御できない抑えられないような感情が溢れ出るということもなかった。
そしてそれは、イェシオンでないと駄目なんだと俺に確信させただけだった。
必要以上の面倒事には関わりたくない。
それに俺の妻の座を狙うのならば、遅かれ早かれ必ずイェシオンを疎ましく思うだろう。そんな相手と必要以上に親しくなるつもりなどないし、俺にその気はないのだからさっさと諦めて国に帰ってもらうのが一番だ。
……と思っていたのだが。
気がつけば何故かバルタークの姫であるヴィオラとシオンが仲良くなっていた。しかもシオンは俺とヴィオラがお似合いだと言う。
シオンとヴィオラが仲良くなったおかげで歓迎の為の夜会にシオンがイェシオンとして参加することになったのだが、どうにも複雑な心境だった。
シオンはイェシオン嬢のものだというドレスを違和感なく着こなす。その姿は本当にイェシオン嬢そのものだった。
最初に目撃したのはイェシオンの、正しくはシオンの胸を興味深そうに触っているヴィオラという衝撃的な現場。
そして今、会場でイェシオンの姿のシオンはヴィオラと仲良く談笑しているのである。
その隣で笑顔で辺りを警戒し、周りに気づかれる事無く二人に近寄る者を妨害するランス。さすがというべきかえげつないというべきか。
先ほどは寄って来ようとした男のベルトをするりと抜き取り、その後その男はとても気の毒な事になっていた。その素晴らしいほどの動きとその結果に、やはりランスもフィリア殿の血縁だと実感させられる。
そしていつも通りの無表情で殺気をふりまくユージン。二人の話題を出した瞬間に無表情だが鋭い目つきで殺気を向けられ、普通の生温い生活をしている貴族が耐えられるわけもない。ユージンが騎士団長の息子だという事はよく知られているから尚更だ。
おかげで二人に近寄る客は挨拶程度の言葉を交わすことだけしか出来ていない。
夜会でダンスを全く踊らないでというのはさすがにやりすぎだが、いくらシオンとはいえイェシオンと同じ姿で他の男と踊ってほしくないと思ってしまう俺もいて少しだけユージンとランスに感謝した。
程なくして予定通り二人はテラスへと出て、テラスの入り口ではユージンとランスが待ち構えている。
一通り挨拶を終えた俺は、声を掛けられても適当にあしらいながら学友でもある二人のもとへと向かった。
「二人の様子は?」
「寛いでいるみたいだな」
小声で尋ねれば、ランスが苦笑を浮かべて答える。
夜会の終了まで後わずか。シオンはボロを出すことなく無事乗り切れたということだろう。
「それよりクリス、お前が来たら目立ちすぎるだろう。テラスに出たいのなら気づかれる前にさっさと出ろ」
「……そうだな」
こっそり人目につきにくくなる魔法を使っていた事もユージンはお見通しだったらしい。完全に姿を消すのではなく意識して俺を探されれば見つかってしまうという程度の魔法なので、きょろきょろと辺りを見回している令嬢たちがこちらを向けばすぐに見つかってしまうだろう。
テラスに出た俺は成り行きでシオンとダンスを踊った。
次第に慣れて笑顔を浮かべて踊るシオンに、まるでイェシオンと踊っているかのような幸せな錯覚を覚える。
その後タイミングよく現れたシオンの兄とエミリオがシオンに手渡した服で、正装とはいえ普段どおりの姿に戻ったシオンは今度はヴィオラとダンスを踊った。
やはり男性パートなら問題なく踊れるシオンは、先ほどよりずっと生き生きとした表情ででヴィオラと踊っている。
何故かまるで俺がヴィオラに負けたかのような敗北感を感じるのは気のせいだろうか。
次回もクリス視点が続きます。