31 対峙
何故かテラスへと移動してクリスたちとお茶を飲むことになってしまった。
そこにリオルは同席しておらず、世話のためにティカが控えているだけだ。
リオルは席をはずす際に「王子の気の済むまで話を聞いてあげなさい」とシオンに耳打ちしたので、その言葉に従いティカの提案でテラスでお茶をということになったのだ。
何故リオルがそう言ったのかはわからないが、きっとシオンが来る前にクリスと話してそう判断したのだということはわかる。
しかしずっと自分を見つめるクリスとランスの視線に居たたまれない気持ちになってしまうのだ。
ティカの入れてくれたお茶を飲み、一息つく。
お茶はとても美味しくその香りもとてもシオン好みで緊張がすこしほぐれる。そんなティカの心遣いが嬉しかった。
ふと友人たちを見れば、意を決したように顔を上げたクリスと目が合った。
クリスはにっこりと微笑み、すっと席を立ちシオンの傍らに跪く。その優雅な身のこなしに本当にクリスは王子様なんだなとぼんやりと考えていたシオンだが、はっと気付く。そう、クリスは王子様であり、いくらシオンが公爵家令嬢といえ跪くような立場ではない。
「殿下、おやめください」
シオンは慌てて立ち上がりクリスに立ち上がってもらおうと手を差し出した。
しかしクリスはシオンのその手を取り、さらに甘く微笑む。
「驚かせてしまい申し訳ありません。どうしても貴方にお礼を伝えたかったのです」
「え……?」
「私達は幼少の頃にお会いしたことがあるのですが覚えていらっしゃいませんか?」
「えっと……あの殿下、近い、です」
言葉の途中でやっと立ち上がったクリスだったが、何故かシオンの手を両手で握り締めじわりと距離を詰めていた。
あわあわとシオンがどうしてよいかわからず後ずさると、パコーンと小気味良い音が響く。
「落ち着けクリス」
笑顔を浮かべクリスの肩を掴むランスの逆の手に握られているのはスリッパ。どうやらランスはスリッパで王子の頭を叩いたらしい。
「ランス……」
「お前が暴走したらこれで殴って止めろとユージンに言われていたんだよ」
じとりと睨むクリスにランスは肩を竦め、スリッパをチラつかせつつ答える。
その言葉にクリスはそれ以上何も言うことはなく、自分を落ち着かせるように大きく息をついた。シオンの手は握り締めたままであったが。
「お見苦しいところをお見せしました。ずっと探していた貴方に会えて私はずいぶん焦っていたようです」
「……申し訳ありません殿下。私には殿下にお会いしたという覚えはありません」
「ええ、それは兄上から伺っています。私とお会いした夜会の後高熱を出されて当時の記憶が曖昧なのだと」
「……はい」
シオンの覚えていませんと誤魔化す作戦はすでにリオルが決行していたらしい。
直接覚えていないと言うシオンの言葉にもクリスは動揺するような素振りは見せずに笑顔を湛えたままだ。やはりこれは病弱作戦でいくしかないのかとシオンは考えを巡らせる。
「私は貴方に会って、自分の世界を広げることができたのです。貴方にそんなつもりはなかったのかもしれません。貴方にとってはほんの些細なことであったかもしれません。しかし貴方に私が救われたのも事実なのです」
クリスが熱っぽくシオンを見つめたまま語り、握り締めていた手を緩めシオンの手を取るかのような形になる。そんな眼差しで見つめられて、さすがに普通の乙女ではないシオンも顔に熱が集まるのがわかった。
(何だか女の子してる気がする……!)
やはりシオンの抱く感想は微妙だ。
「不躾なお願いではありますが、こちらに滞在している間またお会いしていただけないでしょうか?」
「え、あ、はい……はい?」
シオンはうっかりとぼーっとした頭で返事をしてしまい、まずいと気付きあわてて訂正しお断りしようと口を開く。
しかしシオンの言葉に心からの笑顔を浮かべて喜ぶクリスを見て、それ以上の言葉を発することができなかった。クリスに尻尾があれば振り切れんばかりの勢いで振っているに違いない、そんな笑顔だった。
「さてと、クリスそろそろ戻るぞ。イェシオン嬢、突然やってきていろいろと驚かせてしまい申し訳ない。また明日お伺いするとは思いますが、こいつの相手をしてやってくださいね」
そんなクリスの襟首をがっちりと掴みつつ爽やかな笑顔で言うランス。
普段とは違う友人たちの一面を垣間見たシオンはくすりと微笑んで頷いた。微笑むシオンにランスもクリスに負けないほど甘い笑みを浮かべる。
「それでは貴重なお時間をありがとうございました」
ティカと玄関まで見送り、去っていく友人たちの背中を見つめながらシオンは溜息をついた。
「イェシオン様、甘すぎます。何故また会う約束など……」
「うぅ、つい……なんか断ったらクリスが可哀想な気がして」
「甘い、甘すぎますわ。まぁ……あの王子、イェシオン様にやたら懐いていましたね。この国の次期王ともあろう人があれでは心配になりますが」
「あはは、ティカそう言わないで。普段のクリスは全然違うんだよ」
だからきっと落ち着かないのもクリスとランスが余りにも普段と違うせい。
己に言い聞かせるかのようにぎゅっと胸の位置で手を握り、シオンは友人たちの姿が去った先をじっと見つめていた。
その後部屋に戻ったシオンは案の定リオルにも何故断らなかったのかと呆れられ、そして再び淑女の特訓が再開されたのだった。
学園では武術の演習もあり体を動かす機会は多かったが、淑女の特訓では普段使っていない筋肉を酷使していたらしく体中が痛む。
布団に入っても疲れたはずの体は緊張したままなのかなかなか眠れず、シオンが眠りについたのは空が白みはじめた頃だった。