22 啓発 (クリス視点)
思い出は美化されるというが俺にとってはそれはまさに正論だった。
幼い頃は父の後を継ぎ立派な王になることが俺のすべてで、その為に必死になっていろいろな事を学んでいた。王になれなければ自分には何の価値も無いものだと感じていたから。
優秀な弟がいたこともあって焦っていたのかもしれない。
今はそう考えていた自分がいかに浅はかで周りが見えていなかったのかが分かる。
勉強以外にも強くなりたくて騎士団で剣を教えてくれるようにせがんだ。王子である俺を邪険にすることはできずに程よく剣を教えてくれた当時の団長にどれだけ迷惑をかけていたかすら気づかずに。その頃は他国との関係がギクシャクしていて騎士団は訓練する時間すらなかなか作れないほど多忙を極めていたのだ。
自分の事に必死になっていた俺はそんな簡単なことにすら気づけなかった。
あの日もそうだ。
朝から風邪気味で体調が悪かったのだが急遽開かれることになった夜会に出席しなくてはいけなくなり、その時間の分も勉強しようと必死になっていた。
「兄様、顔色がすぐれないようです。少しお休みになられたほうがいいのでは?」
そんな弟の言葉を、俺は素直に受け取ることができなかった。
少しでも学ぶことを休んでしまったらこの優秀な弟に全てを奪われてしまうような気すらして。いつも後ろを着いてくるのは俺の動向を気にしているからなんだと。
恐ろしいほど視野が狭くなっていたのだ。
結局休むことなく必死でその日進める予定だったところまで学び、夜会へと出席した。
会場へ向かう途中で具合が悪くなり、それを特に弟には気づかれたくなくて護衛に理由をつけて先にいかせて少しだけすこし外れた場所で休むことにした。
その場所に彼女はいたんだ。
廊下にうずくまるっていた小さな少女。何かあったのであれば今回の夜会の主催者であるこちらの責任が問われることとなる場合もある。念のために声をかけてみることにしたのだが。
「おい、大丈夫か?」
「大丈……」
答えようとして顔をあげた少女は驚いたような表情をみせる。俺が王子だと気づいたのだろう。今まであった女性は皆、それなりの家系の者であったからそう教育されていたのだろう、幼い少女であろうとも媚を売ろうと擦り寄ってきた。
それは俺にとって王になるためには邪魔なものでしかなくて、いつも面倒だと思っていた。
「あなたこそ大丈夫? 私よりずっと顔色が悪いわ」
「俺は大丈夫……だ」
確かに立っているのも辛くなっていたが、ここで弱味をみせると相手を付け上がらせるだけだ。
しかし彼女は強い調子で俺をその隣に座らせると、ぺたりと俺の額に手を当てた。
「熱がある……ちゃんと休まないと……」
「俺は将来……人を守るべき立場の人間……こ、れぐらいで……」
いけない、このままでは本当に面倒な事になるかもしれないと頭が警鐘を鳴らす。
俺は出来るだけ平静を保とうとしていた。小さな、本当にちっぽけな俺の世界を守るために。
しかしそんなちっぽけな世界はあっさりと崩壊する。
彼女は当てていた手でぺしっと俺の額を叩いたのだ。
今までそんな事をされた事のない俺が戸惑うのも無理はないことだった。そして彼女はさらに俺を戸惑わせる。
「自分すら守れない人間に他の人を守れるわけないじゃない」
「なっ……!」
「無理をするにしても時と場合によるのよ。たかがパーティーの為にそんな状態で出ようとするなんてバカバカしいわ」
今まで出会った人間は皆内心どう思っているのかはわからないが俺を褒め、貶すような事はなかった。バカという言葉など人からかけられた事もない。そんな温室育ちな俺にその言葉はあまりにも衝撃的で。
言葉も出せずに俺はぽかんと立ち上がる彼女を見つめていた。
「誰か人を呼んでくる。あなたはそこで大人しくしてて」
「必要、ない……」
踵を返して誰かを呼びに行こうとする彼女の腕を反射的に掴んでいた。
彼女は白く細い腕はその見かけからは想像も出来ないほど力強く俺の手を振り払う。
「あなたが無理をしてがんばったって、あなたのことを大切に思う人は喜ばないわ」
俺を振り返り、うっすらと涙を浮かべながらそう告げる彼女に思わず目を奪われた。
その間に彼女はその場を後にしてしまい、残された俺は小さく息をつく。
庭に面した通路で風が心地よく吹き抜け、見上げれば厚く広がっていた雲の切れ目から三日月が覗いていた。
「確かに……あの父上ならば……喜びはしない、か」
今日は素直に夜会は休ませてもらおう。
唯一愛情を信じられる父。その期待に答えようと必死だったのだが、あの父は俺が倒れたら喜びはしないだろう。父を悲しませるのは本位ではないのだ。
ちっぽけな俺の世界にヒビをいれた少女。俺よりずっと幼いのにずっと大きな世界を見ている少女。結局彼女が俺が王子だと知っていたのかはわからないままだったが、もうそんなことはどうでもよかった。
小さなヒビはどんどん広がりっていく。
しばらくして慌てた様子で駆け寄ってきた護衛に謝罪と礼の言葉を告げると、彼は少し驚いたがすぐに破顔した。
自室で休んでいると、半泣きになった弟が駆け込んできた。
取り乱す様子を見ていると、弟も俺を本当に心配してくれていたんだと気づく。心配かけて悪かったと頭を撫でるとそれはもう嬉しそうに顔を輝かせていた。
今となっては少々世間で言うところのブラコン気味だと気づき、違う心配が増えているのだが。
あっという間に広がったヒビはあっさりと俺の周りの自身で作った壁を崩壊させた。
あの少女がきっかけとなり、俺の視野は一気に広がったのだ。
また会いたい、会ってお礼が言いたい。俺は彼女を探したが一向に彼女の名前すら分からず、その思いはまるで愛しい人を思うかのように募っていく。
すでに遠い思い出の少女だが、その顔は今でもはっきり覚えている。我ながらなんと未練がましい事か。
当初は黒髪の少女に心当たりはないといっていた父だが、間違いなく少女が何者か知っていて隠しているのだと今はわかる。何故隠しているのかはわからないが父が隠している以上俺は自分で探すしかなかった。