17 演習
『魔術師にも基礎体力や多少の武術の心得は必要である』
それが魔術クラスの武術講師ハワードの信条だ。
そしてその信条は講義にもしっかりと反映されていた。
「本日は基礎体力向上の為の訓練を行う。内容は、軽くヘルゼの丘までの往復を走りこみを行う」
ざわり
一部の生徒からどよめきが起こる。
ヘルゼの丘までは徒歩ならば普通は往復するのに一日はかかる場所にあるからだ。走りこみで往復するのに軽く、といえる距離ではない。
「もちろん魔法の仕様は禁止だ。己の足でしっかりと走るように。では出発!」
そう言うなり、ハワードはさっさと走り出した。その速度は速い。
そもそもハワードは魔術クラスの武術を担当する講師だが、本来は騎士クラスを指導している教官でもある。そして本人は魔術師ではなく騎士なので基礎体力は高く、一般の魔術師クラスの生徒とは比べ物にならない。
その姿はあっという間に見えなくなってしまった。
「うーん、とりあえず俺たちも出発しようか」
「そうだな」
遅れてたいした説明もなくあっという間にいなくなってしまった講師にしばし呆然としつつも、気を取り直して走り出す。
走り出してしばらくすると、徐々に四人の間に距離が開き始めた。
前方を走るのはユージンとクリス。後方を走るのはシオンとランスだ。後方とはいえ、シオンとランスは他の六人いる魔術師クラスの生徒よりもかなり前を走っている。ユージンとクリスが異常に早いのだ。
「あいつら……魔術師の体力じゃねーよな……」
「ユージンはどちらかというと騎士だし……クリスはわからないけど王子様だから?」
それでも会話をする余裕がある二人は、他の生徒から見れば十分異常だったりする。
そして一時間ほど走り続けた頃、シオンとランスは前方に見慣れた友人の姿を見つけた。
「あれ……ユージンとクリス?」
「あいつらかなり先に行ったはずなのにどうしたんだ?」
首を傾げつつも二人に近づけば、その理由は一目瞭然だった。
そこはヘゼルの丘への入り口に当たる場所で、森の中を通る道だ。その道の真ん中にソレはいた。シオンも書物で読んで知識はあったが初めて目にするその生物。
「なんでこんなところに合成獣(キメラ)が?」
「さぁな、でもすんなり通してくれそうにも無いことは間違いない」
溜息まじりに、しかし視線を逸らすことなく合成獣(キメラ)を見つめ答えるユージン。
獣の体に鳥の嘴をもった頭。翼はないので空を飛ぶことは無いだろうが、鋭そうな爪を持っている。
そんな生き物がこちらを睨みつけ威嚇していた。
「この道を迂回して行くのは……無理だよなぁ」
ランスの言うように、この道を迂回していくのは得策ではなかった。
ヘゼルの丘の位置口にあるこの森は魔物が住む森として有名で、丸腰で入るのは自殺行為とも言える。
かといって合成獣(キメラ)に丸腰で挑むのも十分自殺行為と言えるのだが。
すでにハワードはここを通過した後であろう。
この後ここを通るであろう人間はシオンたち以外の魔術クラスの生徒6名だけだ。これまでの実技での様子からいってここにいる四人より魔力は低く、明らかに実戦経験は皆無だった。
つまり戦力どころか下手をすれば足手まといにもなりうるということだ。
「……ランスって実戦経験ってある?」
「んー、まぁ一応?」
「そっか……俺、経験ないんだよね」
シオンがはぁーっと深く溜息をつく横で、ランスは黙々と足元にある手ごろな石を集めていた。
ユージンとクリスも落ち着いていて、焦ったような様子は微塵もない。
「実戦経験がないのなら、下がっていたほうがいいだろう」
「それじゃ俺はコイツのこと見ながら適当に補助するんで、合成獣(キメラ)は二人に任せていいかな?」
「ああ」
クリスが振り返らずに言い、それにランスが同意の意味をこめて返答する。そしてランスの言葉にはユージンが答えた。
シオンは頼もしい友人たちの背中を見守り、守られる立場となる。
実戦経験は皆無。しかも目の前の合成獣(キメラ)は外見もとても恐ろしいもので、普通は恐怖のあまり逃げるどころか悲鳴をあげることもできないであろう。
そんな合成獣(キメラ)を目の前にしても、にシオンの心は落ち着いていた。
魔物を見るのは初めてではないが、今まで見たどの魔物よりも恐ろしい外見をしている。恐怖は感じるが、だからといってその恐怖に囚われることもない。
(うーん、まぁいいか。有利になることはあっても不利になることは少なそうだし)
疑問はあれど答えがでるわけでもないので、シオンは考えるのを放棄して目の前の合成獣(キメラ)に集中する。
後ろで守られる形とはいえ、必要以上の負担を三人にかけたくなかった。今度こそ大切なものを守ると誓ったのに、早々に守られている自分が情けなくて悔しかった。
「いくぞ、ユージン」
「ああ」
短い言葉を交わす二人の背中がシオンには眩しく感じられる。
「大丈夫だ、お前には指一本触れさせやしないさ」
その表情をシオンが怖がっていると勘違いしたらしいランスが、にっと口角を上げてシオンの肩をバシバシと叩く。
「痛いって。頼りに……してるよ」
「ははっ、しおらしいな」
「自分が足手まといでしかないことは自覚してるからね」
せめて邪魔にならないように。シオンは前を見つめる。
ランスは少し驚いたような表情になったが、すぐに手にある数個の小石を確かめるように握り締め、視線を戻した。