❨ Act. Ⅷ
木々の間から冷たい風が降りて来る。この小さな震えは寒さからか、それとも対峙する大男に畏怖しているせいなのか。隻眼のその男はウィルを見とめると、こちらへと向かって歩いてくる。歩きながら風で靡く純白のマントは、この森では不調和だ。
「初めましてだな。俺の名前はゼフィールだ。よろしくな」
鍛え抜かれた腕をウィルへと差し出す。見上げれば屈託のない豪快な笑みを向けられた。このような人種とは触れ合ったことないウィルは、瞬刻、戸惑ったが、数秒遅れて差し出された手に応えた。
「初め、まして…ウィルと言います」
小さく頭を下げると、ゼフィールの出方を待った。今のところ、この人物がここに来た目的も知らない状態だ。警戒しないわけがない。
「ウィルか!良い名前だな」
強引に頭をゴシゴシ撫で回される。逞しいその腕には幾つもの傷痕が確認できる。兵士か傭兵のどちらかだろうか。そんな観察をしていると、ゼフィールはウィルの考えを察知したようで、自分の身分を明かした。
「俺は月神に選ばれし、ムーンライト。第三使徒 ゼフィールだ。この意味分かるよな?」
ゼフィールの名乗りにウィルは驚きを隠せなかった。まさか、こんな片田舎に月神に最も近い人間である人物が目の前にいるなんて、信じられなかった。瞬きするのを忘れる程に。
「…ほん、もの?」
ああ、と短くはっきりと返すゼフィールに、畏敬の眼差しを送る。胸が高鳴る。誰でも憧れているムーンライトに名を呼ばれ、会話している。その事は光栄であり、名誉である。他の子たちと同様にウィルも憧れていた。ウィルは感極まって涙を流した。
「おいおい。男が泣くなよ、みっともない」
笑いながら、ウィルの背を叩く。その叩く力は、ものすごく強い。だが、ウィルにはそんなことは関係なかった。
ドタドタと騒がしい。そちらへと目を向けると、ダリアが竹箒を担ぎ上げ、鬼の形相でこちらへと向かって来る。ふたりして、ギョッとする。
「───このっ!私のウィルに何をする!?」
慌ててゼフィールの前に出る。腕を伸ばし、ダリアを制止させる。猪のように鼻息を荒らげ、今にも牙を剥き出し兼ねないダリアに説得を試みる。血の気の多くなった獣にすぐに届くか分からない。
「ダ、ダリア…落ち着いて。この人は村の人じゃないよ。この人はね」
「っなんだい?!いつも寄って集って、うちの大事な孫を虐めやがって!!」
「ダリア、ち、違うって!……よく見て」
興奮状態で周りが見えていないダリアは、今にもその手に持つ竹箒をゼフィールにお見舞いしてやろうと息巻いている。したか無しに、ゼフィールは背に掲げている紋章を見せる。それを見たダリアの闘気が急激に下がっていく。制止していたウィルの腕に垂れ掛かる。
「すみません…ゼフィール様」
ウィルがダリアを抱えたまま、頭を下げる。だが、ゼフィールは気にもしない表情を浮かべてニカッと笑う。
「威勢の良い、婆さんだな。それと様はいらねーよ。自分の性にあわないからな」
そう言うと、ウィルからダリアを抱き上げると、家に上がって良いか、と首だけをこちらに向け聞いてくる。ウィルは二つ返事で了承する。
「はい、もちろんです」
ウィルはゼフィールのあとを追った。
家に上がり、やっと落ち着いたダリアはゼフィールへの失態を謝罪をしたが、ゼフィールは気にしないでくれ、とだけ言うだけで、その件は終わった。
テーブルについたゼフィールとダリアに、ウィルは茶を出す。茶といっても首都で飲めるような上等品ではない。ウィル達で作った自家製なので、高貴な方の口に合うかは分からないが、何も出さないのは気が引けた。恐る恐る出してみたが、ゼフィールは躊躇わず、口にしてくれた。いてもたってもいられず、ウィルは聞いてしまった。
「美味しくないですよね…。高貴な方が、飲むようなお品が無くて申し訳ないです」
ウィルが茶を下げようと手を伸ばすが、ゼフィールはそれを制した。
「確かに高貴なヤツらの口には合わねーな。だが、俺はこっちのが好みだ。もう一杯頂けるか」
一気に茶を飲み干すと、空いたカップをウィルへと差し出されると、ウィルは、はい、と笑顔で二杯目を注いだ。気取らないゼフィールにウィルの警戒心はいつの間にか消え失せていた。
ゼフィールが二杯目の茶をひと口飲むと、おもむろに切り出した。
「俺がここに来たのは、偶然ではない」
唐突な話にウィルはゼフィールを注視した。ゼフィールがこれから何を語るのか、ウィルはそのまま見守る。
「とあるお方が、長年探していたんだ」
ゼフィールが言う、とあるお方という人物は、断言はしないが、あの方だろうとウィルは勘づいた。しかし、ここは口を挟まず、最後まで話を聞く。
「探していたモノ。────それは」
鋭いゼフィール右眼がウィルへと向けられる。ウィルの心臓が跳ねる。あまりの鋭さに息を飲む。これから言わんとすることが、何だか分かるような気がした。
「……お前だ、ウィル。深紫の瞳を持つお前を、あの方は待っている」
茶を啜っていたダリアが噎せる。ゴホゴホと咳をするのも、気にする余裕はない。ウィルはただ、目の前に座るゼフィールを凝視するだけで精一杯だ。
「大丈夫か、婆さん?!」
そんなウィルの視線に気付きながらも、ゼフィールは何も言わず、ダリアを気に掛けている。その様子を眺めながら、ウィルはこの感情をどう対処すべきか悩んだ。言われた内容には非常に驚かされたし、足が浮く程に嬉しい気持ちでいっぱいだ。だが、ウィルの心の中では引っ掛かることがある。次にゼフィールが言わんとしていることは、ウィルには予想がついた。
「だから、ウィル。俺たちと一緒に月宮に、月神のもとへ、来て欲しい」
予想通りの答えに、ウィルは俯いた。普通の人間なら、ここで大喜びするのだろう。以前の自分だったら、迷わずにゼフィールの誘いを受け入れていた。けれど、今のウィルはそんなことは出来なかった。自分にはしなきゃならない事がある。それが、片をつけなければ、ここを離れるわけにはいかない。
ゼフィールはウィルの様子から何かを察したようで、理由を尋ねた。
「何か懸念でもあるのか?婆さんが心配なら一緒に連れて行っても……」
「違います。本音は嬉しいし、すぐにでもゼフィールさんと共に行きたいです。ですが、エレーナが…」
「そいつが、なんだ?」
「行方が分からないんです。だから、その事が解決するまでは、僕は行けません」
思いの丈をぶつける。ウィルの揺るがない決心をゼフィールに見せるが、相手もそう簡単に納得はしてくれない様子だ。あちらも、自分の使命なのだろう。だが、ウィルも譲れない。譲るつもりは一切ない。大切な家族を早く連れ戻したいその決意を曲げたくはない。
ウィルの熱い視線を向けられ、ゼフィールはひと呼吸すると、やれやれといった具合でウィルに話を持ち掛けた。
「悪いが、俺たちにも都合がある。だが…」
隻眼の目が僅かに細くなる。暫し沈黙が続く。空気が重くなった。その空気を切るかのようにゼフィールは、ウィルの眼前に指を突き出す。
「2日間だけなら待ってやる。これ以上は無理だ。それで解決出来なきゃ、ウィル。諦めて、俺と一緒に来てもらう」
残った茶を胃へと流し込むと、茶の礼を済ませ、立ち上がる。去り際に、ウィルの肩をトントンと軽く叩くと、家のドアまで一気に歩いて行く。最後に顔だけを向ける。
「じゃあ、またな」
手をひらとさせ、ゼフィールは家を出て行った。ウィルはゼフィールが去った後も、閉ざされたドアを長らく眺め続けた。




