❨ Act. Ⅵ
厚い雲が広がり、星ひとつ見えない空の下、ウィルは暗い道を灯りを持たずにひたすら走った。走りながら今朝、エレーナと会った時の事を思い返す。そういえば、いつも森に行くとなっても、あんなに一緒にと言う事は無かった。胸騒ぎがする。嫌な予感が的中しないことを祈る。
エレーナの家は隣といっても数キロ離れている。この一帯は点々と家があるだけで、人の往来は無に等しい。村からも距離がある。もし、エレーナが連れ去れたとしたら、目撃者はいないだろう。何か手掛かりがあれば良いが。木々の向こうに灯りが見える。どうやら、家には人がいるようだ。ウィルは呼吸を整えることも無く、家のドアを叩いた。
─────ドンドン。
間髪入れずに、ドアが勢いよく開け放たれた。
「────エレーナっ!!」
今にも倒れそうな顔をしたエレーナの兄 フレッドが飛び出した。その顔を見た刹那、ウィルの身体が硬直する。フレッドはウィルと目が合うと、一瞬だけ目を見開いたが、前にいる人物が期待の人物で無い事に失望し、肩を落とした。バンッとドアに行き場のない感情を叩きつけ、ウィルを睨み据える。その目にウィルは小刻みに震え出す。気取られないように、腕を掴む。フレッドは何かを呟きながら、ウィルへと距離を詰める。あまりの気迫に押され、その場に腰を抜かす。
「……おま、えの……
────お前のせいだっ!!」
ガシッと胸ぐらを掴むと、勢いに任せウィルを地面に押し付け、馬乗りになる。頭上から罵倒を浴びせる。
「お前が!お前がいるからだっ!!
────この悪魔が!!」
何度も何度も繰り返し、頭を土に打ち付けられる。 ウィルはただただ一方的にやられるだけだった。あの日のことが蘇って来る。幼い彼女が腕いっぱいに伸ばし、小さい身体が震えながら悪意に満ちた人たちから守ってくれた日のことを。ウィルはフレッドの目から視線を離さなかった。
「何だよ?!その気味の悪い瞳のせいだ!!エレーナがいなくなったのも、俺がこんな目に合わなくちゃいけないのも、全部、全部お前が呪われた悪魔だからだ!!」
溜まりに溜まった鬱憤を、吐き出すかのように、捲し立てた。全てを吐き出したフレッドは肩で息をしている。暫しの沈黙が流れる。聞こえるのはフレッドの荒い息遣いだけだった。ウィルはフレッドのことを受け止め、真っ直ぐ見つめる。揺れる彼の瞳から何かを。
「なっ……なんだってんだ!?」
咄嗟にフレッドは向けられた視線に怯む。苦悶の表情を浮かべているフレッドを前に、既にウィルの震えは止まっていた。幼い時の記憶が呼び覚まされる。無愛想だが、情に脆くて優しかったフレッドを。何が原因なのは分かっている。この濃紫の瞳のせいだ。確かにフレッドの言うように自分のせいだろう。だけど、この瞳を素敵と言ってくれた人がいた。瞳のことなど関係無く、友達と言ってくれた人。そして、エレーナは村で唯一、この呪われた瞳を綺麗だと、ウィル自身を認めてくれた人物。その人たちがそう言ってくれたのに、自分を否定し、怖気付くのは、もうやめた。
「くっ、くそっ!!」
フレッドはウィルの顔スレスレに拳を振り落とすと、立ち上がる。ウィルはその背中に声を投げる。
「エレーナは、絶対に連れ戻します」
その声にわずかの間だけ立ち止まったが、こちらを振り返ることもなくフレッドはそのまま家に入って行く。その姿を見届けたウィルは、踵を返した。時はすでに深更だ。暗闇の中を無闇に捜すのは得策ではないもウィルは家へと戻った。
家に着くと、寝ずに待っていたダリアが出迎えてくれた。ウィルの土汚れた格好を見て、察したダリアは何も言わず濡らした手ぬぐいを手渡した。
「やっぱり、エレーナは居なかったかい?」
「……うん。フレッド兄さんだけだった」
手渡された手ぬぐいで汚れた顔を拭きながら、そう言うとテーブルに温めたヤギのミルクと黒パンが置かれる。
「ご飯も食べず、ずっと外にいただろう?お腹に入れないと身体がもたないよ」
戸棚からチーズも取り出してくれた。椅子に腰掛けて、昨夜から何も食べてない事に気付く。鼻をくすぐる匂いにお腹が鳴った。どうやらお腹が減っていたようだ。怒涛の展開のせいで、そんな事すら気が付なかった。いただきますと手を合わせると、まずは、暖かいミルクを手に取り、そのまま口を付けると、ミルクの中に蜂蜜を感じた。程良い甘さがちょうどいい。胃に流し込むと、冷えた身体が染み渡る。黒パンにチーズを挟み、口に含む。塩気の効いたチーズと香ばしい黒パンが口に広がる。瞬く間に食べ終わってしまった。ご馳走様とお礼をすると、流しに食器を置きに立ち上がる。
「……ウィル。大丈夫なのかい?」
向かいに座っていたダリアが不安げな顔を向けるにウィルは、短く返事をした。
「大丈夫だよ、ダリア。心配させてごめん」
心配をこれ以上掛けたくない余りに、笑顔を作る。上手くいった気は全くしないが、ダリアはそれ以上、追求したりはして来なかった。
「そうかい…。その顔を見ると、あの日のグリオネルを思い出すよ」
お茶を注いだコップを両手で包みながら、そう呟くダリアにウィルは反応せざるを得なかった。ウィルの父親であるグリオネルの話なら尚更である。
「あの日って、父さんが居なくなった日のこと?」
お茶を啜ると、ダリアはこくりと首を縦に振った。一呼吸置いてから、あの日を思い出すように語り始めた。
「あの日、グリオネルは家を出る前に、さっきのお前みたいな顔をして、同じようなことを言って出て行ったんだ。……だから、あの日と同じような事になるんじゃないかって、思っちまってね……」
目頭を押さえ、鼻を啜るダリアにそっと綺麗な布を差し出す。ありがとうと受け取るとそっと目に当てた。その姿を眺めながら、ウィルは父親に思いを馳せる。グリオネルはウィルが六歳ぐらいの時に、狩りに行くと言って行方が分からなくなったのだ。手掛かりも全く得られず、それからもう、十数年になる。ウィルはダリアの足下へと膝を付き、顔を見上げる。そっと手を重ねる。
「ダリア、僕は居なくなったりしないから。エレーナも僕が絶対に連れて帰るから」
ダリアに言い聞かせるように言ったが、これは自分の決意でもあった。絶対に見つけて一緒に帰る。ダリアを泣かせない為にも。
ダリアはウィルの手を握り、額まで持って来ると小さな声で呟いた。
「我が月神よ…哀れな子らを救いたまえ…」
祈りを捧げるとダリアに抱き締められ、耳元に優しい声で囁かれる。
「……無理はしちゃダメだよ。ウィル」
分かったとだけ返事をした。ダリアの肩越しに見える窓からは相変わらず、漆黒の闇が広がっていた。




