❨ Act.Ⅴ
薄暗い森を歩く。その足取りは決して軽くはない。慣れた森なのに、今回は全く違う場所のように見えた。
家を出る際、やけにエレーナに心配され、引き留められた。一緒に行くと言い張るのをダリアに任せて強引に出て来た。帰ったら、色々と文句を言われるのは仕方がない。だが、これは自分自身の問題だ。
かの場所はかなり遠く、森の外れに近かった。早くに家を出たつもりだが、今やもう正午過ぎになろうとしている。やっと、あの地が見えて来た。化け物たちに蹂躙され残虐非道が行われた現場が。早鐘を叩く音が大きくなる。あれは夢であったと、ただの悪夢であると心の底から願った。だが、そんな期待は無惨にも裏切られた。
─────風が乗せて来た匂いにウィルは戦慄が走った。口を手で覆う。傍まで行かなくても理解できてしまう。そう、あの夜に嗅いだ血の匂い。息をするのを忘れ走った。枝に引っ掛かり、擦り傷を負っても構わず、足を動かした。
ウィルの眼前に広がるは惨憺たる有様だった。膝から崩れ落ちる。噎せ返り、胃にある全てを吐き出した。
至る所が赤に染まり、人だったモノが四方八方に散らばっている。そんな一帯の中で、光る何かを見つけた。それを確かめると、身体が動かなくなった。
「──こ、これは…?!」
彼女、ナディアが大切にしていた母親の形見だった。やはり、ナディアはあの晩に亡くなったのだ。その事実に打ちひしがれる。
「ナディア……、ごめん。君を助けられなくて」
口元で強く強く握り締める。置かれた環境が絶望的にも関わらず、そんなこと気にも留めない。眩しい程の笑顔を浮かべていた強い人。自分とは違う。生きて行くのが恐ろしくて、人の視線が怖い。瞳を見られたくなくて髪を伸ばした。自分は逃げることしか出来ない。悲しみなのか、悔しさなのか何なのか分からない感情が入り乱れる。呪われた悪魔の自分と一緒にナディアたちはあんな惨たらしく死んだ。つまり、自分が殺したようなものだ。
「だったら、僕だけ、殺せば良いじゃないか」
なぜ、自分だけが助かったのか。
なぜ、自分が負った傷が消えたのか。
なぜ、自分の部屋のベッドで目覚めたのか。
答えが出ない自問自答が、頭を駆け巡る。なぜ、なぜと。いくら時間を費やし、悩んだところでウィルの中には答えはない。なら、今、自分が出来る事をするしかない。あの惨劇を知っている人間は自分だけなのだから。ウィルは名前も知らない彼らを弔う。それが残された者の使命だと。
引きちぎられた肉片をひとつひとつ集める。少しでも残っていたのが奇跡とでもいうようだ。こんな状態では誰が誰だか判別は出来ない。身分なんて無意義に思える。
こんなにも血の匂いが漂っているにも関わらず、野生動物に荒らされた形跡は見当たらない。死肉を貪る鴉さえ、この辺りにはいない。これは不幸中の幸いかもしれない。
無音の中、無我夢中で彼らの墓を造る。道具なんて持って来てなどいない。太い枝を見つけ、ひたすらに穴を掘る。全身泥だらけになりながら一心不乱に腕を動かした。
墓標になる大きな石を建て、ひと息つく。滴る汗を手の甲で拭う。そして、手を合わせる。だが、手を合わせたまま、顔をあげらなかった。こんな自分に祈る資格はないように感じた。
「──こんな所で、何してるの?」
心臓が跳ねる。人がいるとは思わず、震駭した。ゆっくりと俯きながら振り返る。視線の先にいたのはウィルより小柄な男の子が興味津々という顔を向けている。
「ひとりで何をしてるかと思ったら……ふーん。偉いね、キミ」
周りを見渡し、だいたいを把握した様子の少年はウィルの頭を撫でた。こんなところで、同い歳、いや歳下の男の子に頭を撫でられるとは思わなかった。不思議だが、嫌な気分にはならなかった。身体は子どもにも関わらず、漂わせる雰囲気は形容しがたい。小さい身体の奥底に、ざわめく何かを感じた。ウィルは警戒を緩めなかった。その視線に気付いた少年はすぐに手を退かし、一歩後ろに下がった。
「ごめんごめん。いきなり、こんな事したら驚くし、警戒するよね。でも、安心して、ボクはキミを害したりしないから」
対抗する意思はないと表明するかのように、胸の辺りで手のひらを見せる。警戒心をこれ以上高めないように、踏み込まないでいる。
(この子、何かに似ている……だけど、なんだろう)
どこか何かに似ているその少年は、ウィルと目が合うと大人びた笑みを浮かべた。
「そうだ。キミの名前は?」
「えっ、あ、うん。僕の名前はウィル」
「ウィル…ね。──古語で光って意味だ。とても良い名前を貰ったんだね」
「ありがとう。君は……?」
少し間が空く。少年はそうだなと何やら考えて口を開いた。
「ボクの名前は………ユフェ。そう、ボクはユフェ」
先程とは違い、無邪気に笑うユフェの顔は歳相応に見えた。名前を反芻する。ころころと表情を変える彼に目が離せなくなった。その魅惑的な瞳に吸い込まれそうになる。
「お互いの名前も知れたこと事だし、もう、ウィルとボクは友達になった」
「友達……」
「そう──友達」
ふたりの間に風が通り抜け、揺れる髪。ウィルは目を隠すことを忘れていた。かなりの衝撃だった。友達と呼べる人は、一生出来る筈もないと思っていたからだ。今の自分の顔は間の抜けた表情をしているに違いない。急に恥ずかしさがやって来て、平静を装って取り留めのない質問をする。
「ユフェはどうしてここへ?」
「……誰かと会える気がしたから、かな?」
「誰かって?」
純粋な疑問を投げかける。だが、ユフェは一瞬だけ表情を消し、その口に人差し指を添える。それは、質問には答える気はないという意思表示だろう。
「確か…お墓にはアレを手向けるんだっけ、ね」
そうだと急にユフェは思い付いたように、辺りを見渡し、ある場所へと走っていく。しゃがみこんで何かを詰んで戻って来た。手にしていたのは、数本の名前も知らない小さな白い花だった。その花をウィルにと分けて差し出す。墓標の下に花を置き、ユフェが手を組み合わせ、祈りを捧げる。
「無垢となった魂よ、月神の下へ還り、彼らを見守りたまえ──だっけかな?」
「ユフェ、司祭様みたい」
「前に見たことがあるんだ。それを真似ただけ」
そっと立ち上がり、ウィルもと促された。渡された花を手向け、瞳を閉じる。
「ウィルさ、──輪廻転生を信じる?」
「それは、何……?」
「死んだらまた、生まれ変わるってこと、だよ」
「また生まれてこれるってこと?」
「……そう。姿形は違っても、魂は同じ……
────だから、悲しむことも、背負う必要はない」
慰めの言葉なのだろう。だが、ウィルにはそうは思えなかった。
「僕は、そうは思わない。輪廻転生するとしても、今を生きた人とは違う。生まれ変わったら……もう違う人だと思うから」
振り返るが、ユフェの顔は逆光で見えない。喉元に鋭い刃物が向けられたような感覚を得るが、恐怖を呑み込み、目を逸らさずに向き合う。喉元の緊張感がすーっと消えると、そっと髪に指が触れる。
「──キミの瞳は、夜を迎える者の目だ」
タイミング良く、目を開けられないほどの強風が吹き荒れる。またね、とだけ発すると、目の前のユフェの姿が忽然と煙のように消えていく。そんな一瞬にユフェがほくそ笑んだように見えた。
ユフェが最後に話した言葉の意味はさっぱり分からない。だが、ユフェも瞳を奇異な目で見ようとせずに、友達と言ってくれた唯一の存在なのは間違いない。しばらくの間、ユフェの消えていった方角を眺めていた。時は夕暮れに差し掛かる。もう帰らなければと仕舞っていたナディアのネックレスを手にする。
「ナディア、これは僕が持ってていいかな?……あの日を忘れない為に」
返事は返ってくることはない。けれど、ウィルは自分の決意を口にしたかったのだ。手にあるネックレスを首に掛けると、家路についた。空を見上げぬように、ただひたすらに歩き続けた。
家のドアを開けようと、ノブに手を掛けようとした瞬間、勢い良くドアが開け放たれ、慌てふためくダリアと目が合った。そして、震える声でこう話した。
「エ、エレーナが……居なくなった、行方が分からないの……」
その言葉でまさかと最悪な事態を予想して、ウィルは走り出した。後ろから、必死に呼び止めるダリアの声は虚しくも耳には届かない。
空には───青白き月が嗤っていた。




