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フェイクムーン ー偽りの楽園ー  作者: 幻燈 カガリ
第 3 章 黒き檻

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39/42

❨ Act. Ⅳ



 指輪を握り締めるのが、癖になった。

 もう無意識だった。


 壁に背中を預ける。

 冷たい壁に身体も驚かなくなっていた。

 膝を抱く。

 触れた足首が細くなった。

 それもそのはずだ。食べ物を口にしていない。

 足枷が緩くなるのも当然だった。


 ウィルは、ヤコブが檻の外に置いて行った白い布をただ眺めていた。





 ────カツン。カツン。



 初めて耳にする足音に、身を引き締めた。

 ウィルは音のする方をへと窪んだ瞳を向けた。


 瞳に光が灯った。

 足に力を入れる。

 ふらつく身体を無理に動かし、手を伸ばした。

 無我夢中で、鉄格子にしがみつく。

 格子に指を絡ませ、眼前を歩く人物へすがった。


「た、助けて、ください!───司祭様!!」


 喉がひりつく。

 声が絶え絶えになる。



 ────コツン。

 マレットの歩みが止まった。


 ゆっくりと顔をウィルへと向ける。

 その顔は初めて会った時と同じ表情だった。

 眉尻を下げ、親しみを感じたその微笑み。

 ウィルの陰り始めた心に一筋の光が差した。


 マレットは人差し指を口先に当て、小さく頷いた。



 張り詰めた糸が緩んだ。

 肩の力が抜け、大きく息を吐いた。


 助かった、そう信じてしまった。


 マレットは再び歩を進めた。

 蝋燭の火が揺らめく。


 空間の奥へと向かうと、マレットはステイシーの前に立った。ステイシーはマレットの顔を見ながら肩を震わせ、縮こまる。だが、マレットのあの表情に気を許したのか、警戒を緩めた。


 マレットは蝋燭を地に下ろす。

 ステイシーを刺激しないように、膝を落とし視線を合わせた。


「あなたを《《救います》》」


 優しくそっと寄り添うような声に、ステイシーの瞳から涙が溢れた。マレットは更に目を細め、ステイシーの手をそっと握ってやった。


「先に《《いきなさい》》」


 カチャ。


 鉄の鎖が外れ、ステイシーは咽び泣く。

 頭を深く下げ、おぼつかない足で立ち上がった。

 病み上がり、食事も取っていないステイシーは生まれたての子馬のように、足がもたついて上手く歩けない。

 気持ちが焦り、前のめりになりながらも、迷いなくあの光が射すあの先へと進んで行く。

 一歩一歩、踏み出す度にステイシーの顔が綻んだ。


 その顔に恐れはひとつも感じなかった。



 ジギィィィィ───


 奥の方で、何かで地を引き摺る音がした。暗闇の先へも目を凝らす。闇の中で、火花が散ったように見えた。


 その闇から、スーッと姿を現したのは他でもない。


 あの微笑みを浮かべ、斧を引き摺り歩く……



 ───────マレットだった。





 ゆっくりと、ゆっくりとマレットは近づいた。

 マレットの半歩後ろで斧を引き摺りながら、刻一刻と距離を詰めていく。

 ステイシーは自分の背後のことなどに気が回らない。目の前の希望だけを見つめていた。


 闇は思考を遅らせた。

 ウィルはマレットの行動を理解するまでに時間を要した。



 背筋が凍りつく。

 目が見開き、釘付けになる。


 信じていた未来が、全て崩れ落ちた。

 ……声が、出せない。



 マレットの眉が上がる。

 丸く見開かれた眼球にステイシーが映り込んだ。


 朗らかな顔が狂気に染まる。

 愉しい、のか。

 口が少し開き、口端が上がった。


 ブンっ。

 空を割いた。

 マレットは斧を高々と振り上げる。



 ステイシーへと落そ刃は曇り、刃先は錆や刃の欠けが見られた。

 楽に殺すものではない。


 ─────甚振るための道具、だった。




 蝋燭の火が激しく揺れた。


 ザシュッ!!


「いぎゃぁぁああっ────」


 鼓膜が震えた。

 ウィルの目の前でステイシーが徐々にゆっくりと前に倒れていく。光へと伸ばされた手が、無惨にも地へと叩き付けられた。


 ステイシーは目を硬く閉じ、口を歪ませた。

 身体を捻り、激痛に悶える。


 顔は涙や鼻水でぐちゃぐちゃ。

 ステイシーの太腿にはまだ斧が入ったまま。

 斧を取り除こうとステイシーは手を伸ばす。


 だが、許されなかった。

 マレットの革靴がステイシーの手に食い込んだ。

 グイグイと更に踏み付ける。


「うぐぅぅぅ…い、だい、や、…て」


 ステイシーの指先が靴から逃れようと地を掻く。


「嫌ですね、外してしまいました」


 マレットは斧の柄をそっと撫でる。

 指を柄に添えた。


「歳は取りたくないものです、ね」


 そして、一気に引き抜いた。


「うぐあぁ"ぁ"ぁ"ぁぁあぁ」

「ああ、なんて─────美しいのでしょう」


 ステイシーの絶命な叫びを耳にしても、マレットは更に笑みが深くなるだけだった。

 興奮したマレットのねっとりとした声が、この狂気の異常さを際立たせた。


 斧を抜かれたことにより、圧迫されていた血が太腿から鼓動の度にドクドクと溢れ出る。一瞬にして血が広がっていく。


「この痛みは月神(カミ)が与える最高の贈りモノです!」


「あ、あだ、じの!!足がァァァア!いだい、痛い、よぉ……た、助けて…」


 ステイシーと、目が合った。

 ウィルのもとへと、残された僅かな力を使った。

 腕を伸ばし、身体を前に出す。

 その度に、血の波が起きた。



 鉄格子へと必死に手を伸ばす。

 その指先は震えていた。


 ウィルは膝立ちになり、格子の間から手を伸ばした。

 自分へと伸びる手を無視することはできなかった。



 あと少し、あと少しで触れられるのに……!



 鼻へと上がる血の匂いに、更にマレットが高揚する。

 荒い呼吸音。

 胸が上下に動く。

 目が血走り、口を大きく開ける。


 また、斧が振り上がった。





 ウィルへと向けられた手は届かない。

 その腕は力無く、血の海へと落ちていった。




 ─────あの日と一緒だった。


 無力な僕に助けを求めた彼女と重なった。

 また、何もできない。ただ、見ているだけ。



 ─────僕は結局、弱者だ。



 指輪が冷たく感じた。






 何度も振り落とし、何度も振り上がる。

 その度に身体が揺れる。

 少し前にステイシーはこと切れていた。


 右足首、右膝、左手首、左肘……

 肉塊が血の池に転がっている。



「あなたの罪が、今、─────赦されました」


 血で白い長衣が真っ赤に染まった。その返り血から湯気が上がる。


 手に付着した血を、マレットは自分の顔へと塗り始める。目を細め、頬が上がった。


 何も入っていない胃から何かが出ようとする。

 ウィルは鉄格子を掴み、前かがみになるとウィルは全てを吐き出した。

 肩を上下に揺らし、口端から滴り落ちた。


「月神よ!また、アナタの聖域を清めました!」


 マレットは両手を広げ、天へと掲げる。

 目を見開き、眼球が突き出た。

 その様は常軌を逸していた。



「……狂って、る」



 ウィルは掴んでいた鉄格子を離した。

 身体の震えが止まらない。

 足を引き摺りながら一歩、二歩と下がっていく。



 マレットがウィルの声に反応した。

 その体勢のまま、首だけをウィルへとサッと向けた。



 瞬きもせず、真っ直ぐ見ている。身体をウィルへと向け、血の池をちゃぷちゃぷと音を立てながら、勢い良く鉄格子の前へと立った。その勢いのまま、ガチャン!と鉄格子を掴む。



 顔を傾けると、鉄格子の間に嵌め込んだ。

 目が細くなり、ニチャア…と口が開き、黄ばんだ歯が見えた。

 狂気に満ちた笑みを浮かべ、ウィルを見つめる。



「次は…………」


 マレットは鉄格子を掴む指をひとつ離した。


 指先が差したのは僕だった。



 ──────アナタ、ですよ




 ウィル様










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