☽︎ Act. ⅩⅡ
教会の前庭が騒がしくなった。馬の荒い息遣いと蹄の音が、厳格な建物に反響する。司祭を含めた下級聖者たちも馬に跨り、号令を待っている。その後ろには大きな幌馬車が控え、荷車に円滑に食料を乗せている。ウィルは黙って見ていると、ゼフィールの手が差し出された。
「ほら、ウィル。掴まれ」
ゴツゴツとした逞しいゼフィールの手を握ると、一気に引き上げられた。ジェナに跨ると、急に動き出した。
ゴンッ。
その反動でゼフィールの両刀斧の柄に額をぶつけた。痛む額を擦りながら、片手をゼフィールの腰へと添える。
「ウィル、大丈夫か?」
「へ、平気です」
「ありゃ、坊ちゃん。赤くなっとるで?」
隣にいたホムラが、自分の額を指で差している。チラッと前にある両刀斧にウィルの赤くなった額が映る。
「薬、塗ってやろか」
ホムラは懐へと腕を突っ込むが、ウィルは首を横に振った。
「そのうち治りますから」
肩越しで幌馬車へと視線を送る。どうやら、荷も積み終わったようだ。
「もう出発のようですね」
ホムラもその様子を確認したようで、そうやな、と返事をした。
「皆さん、参りますよ!!」
マレットの掛け声に皆が一斉に馬に合図した。
「司祭サマは、ふつう馬車やないの?」
ホムラは肩越しで後ろを走るマレットを一瞥する。それに倣ってウィルもチラッと視線を送る。
「それほど、早く村に行きたいということですよ」
そう言いながら、ウィルは感じたあの香りが頭を過ぎる。ゼフィールに添える自分の手の甲を見た。マレットのあの傷を思い出した。
「偶然、だよね……」
そう決め付けようとした。涙を流し、自ら馬に跨り、助けようとするマレットへの慈悲を疑うことが大きな罪に思えた。頭を横に振る?
「何してん?何かあったん?」
探るような瞳とぶつかった。ホムラはウィルにすぐ触れる距離まで詰めていた。
「おい、ホムラ。近いぞ」
「ダメ? ───もしかして、ゼフィール兄さん。嫉妬?」
手を口元に持って行き、眉を上げニヤニヤとゼフィールを見る。男の嫉妬は──と続けるが、ゼフィールは無視をして前を見ている。
そうこうしていると、前方に白煙が見えてくる。どうやら、ノアークが火をたいているようだ。この時間だと、食事の準備だろうか。徐々に村が見えてきた。
「あそこなん?そのオグナ村って」
距離を取らされたホムラが、話しかけてくる。ウィルはすかさず、頷いた。
「はい!そうです」
ホムラは馬のスピードを落とし、マレットの横につけた。指を村へと差してそう告げると、マレットは眉を上げた。
「あそこ、ですか。ああ、なんて……酷い環境なのでしょうか。───早く救わねば」
口を震わし、片手で目元を押さえる。馬の揺れなのか、肩も震えているように見える。
「しかし、すぐ泣くおっちゃんやな。それじゃ、村に着いたら身体の水分無くなるでぇ」
眉を平坦にし、口を開けたたままで呆れていた。
───ドサッ。
最後のひとりが馬から降りた。村の中心だが、相変わらず活気はない。
「何という静けなのでしようか」
マレットは村に着くなり、周りをキョロキョロと見回し、開いた口を手で押さえている。
「皆さん、身体が麻痺していて家から出れないんです。中には寝たきりの方も……」
「なんと……」
ウィルはマレットの傍に寄る。マレットはウィルの言葉に目を見開いた。
「ああ、月神よ……、なんという試練をお与えになったのですか」
顔を背け、目頭に涙が溜まる。マレットは首元を掴んだ。指先が白くなるほどに。
「司祭様。早く状況を確認致しましょう」
あの時の長い髪の男がマレットに近づいた。
「ああ、そうですね。ヤコブ、皆に食料を」
「はい。司祭様」
静かに頭を下げ、そっと上げると長い髪が顔に掛かる。それを耳に掛けると下級聖者のもとに指示を出しに行った。
「あの方は?」
ウィルはヤコブから視線を外すと、マレットに尋ねた。
「ヤコブですか?あの者は助祭でして、私の補佐ををしております」
「そうですか……」
「ウィル様?」
ウィルが固まった。目が点になる。
「どうされました?」
「今、僕の名前を呼びましたか?」
「はい。恐れながら呼ばせて頂きました。ウィル様」
ウィルは真顔で耳の穴を指でほじくる。その様子を後ろで腹を抱え、腿を叩きながらケラケラと笑うホムラと、腕を組み、ホムラの馬鹿笑いに引いているゼフィールがそこにいた。
コンコン。
いつものようにドアを叩く。窓から様子を見ていたのか、家の中から気配が消えた。
「ミランダさん?」
ウィルが声を掛けると、安心したのか声が返ってきた。
「……ウィル?どうぞ」
ドアを開けると、上体を起こし顔色が少し良くなったミランダが出迎えてくれた。
「なんか、村にたくさん人が来たみたいだけど……何かあったの?」
窓を強ばった顔で瞥見し、そのままウィルへと視線を戻す。
「ミランダさん、もう心配いらないです。教会の方々が皆さんを救いに来たんですよ」
怖がるミランダを慰めるように、ウィルは傍に寄り膝をつく。そして、そっとミランダの上腕に触れる。それに縋るようにミランダは自分の手を重ねる。ミランダの手は冷んやりとして体温は感じられなかった。
「教会がどうして……?私たちのような者に?」
────コツコツ。
ミランダはウィルの頭上へと目を向ける。小さく口を震わせる。
「貴女も月神の深愛なるお子です。お助けが遅くなりした……」
手を重ねる、瞳に涙を蓄えて現れたのはマレットだった。下級聖者も食料を持って控えている。
「さあ、ご婦人。こちらを」
マレットが聖者が持っていた即席のスープを持つと、ミランダの傍へと近寄る。そして、躊躇なく手を握る。
「こんなにも痩せておられるとは……」
マレットは居た堪れなくて顔を伏せた。とうとう、涙のダムが決壊し一筋も二筋も流れた。マレットはミランダの手を両手て包むように掲げる。そして、額に当て誓った。
「必ず、お救い致します。月神の名にかけて」
「あんなに酷い状態だとは思いもしませんでした」
とぼとぼと肩を落とし下を向きながら歩くマレットに、ウィルは声を掛けた。
「まだミランダさんは良い方ですよ。ベッドから降りれませんが、上体を起こすことは出来ますから」
「そうですか……それにしても、ウィル様はここで皆さんの看病をしていたと聞きましたが」
ウィルの歩調が一旦乱れたが、もうそれ気にするのを辞めた。
「ゼフィールさんとノアークと一緒にです」
そういえば、ノアークが見当たらなかった。大釜に火が入っていたので、近くに居ると思ったが姿が見えなかった。あの後だからか顔を合わせづらい。
「そうでしたか、あの時、毒と仰いましたよね?」
「はい。疫病ではなく、毒による中毒症状です」
「爪が白濁しているのも?」
「そうだと思われます。なので、僕が解毒できる薬湯を作り──── 」
「なんと?!」
急にマレットの足が止まる。勢い良くウィルの方へと身体を向けた為に、被っていたビレッタが落ちる。
「聞きましたか、ヤコブ」
いつの間にか近くにいたヤコブは小さく、はい、と返事をする。神出鬼没なヤコブの登場にウィルの心臓が冷えた。ウィルは落ちたビレッタを拾おうと、腰を落とす。
(あれ……この人の靴、先が──── )
顔を見上げると、ゼフィールと目が合った。
「司祭と随分と仲良くなったんだな、ウィル」
肩に沢山の作物を抱えたゼフィールが、下級聖者たちを困らせていた。
「それは私どもの仕事ですから!」
「ムーンライトの方にこんなことをさせる訳には行きませんよ!」
ゼフィールを囲うように聖者達が声を掛けるが、当の本人は言うことを聞く気はないのが分かる。
「お前らが運ぶより、俺が運んだ方が早いだろう」
そう言いながら、スタスタ歩くゼフィールは聖者たちを引き連れて行ってしまった。
「ホホホ、お元気な方ですな」
ゼフィールの背を眺めながら、マレットはヤコブからビレッタを受け取る。
「ここにおったん?司祭サマ。探したで」
頭の後ろで手を組みながらホムラが前から歩いて来ると、ガバッとマレットに肩を回す。体重を掛けたようで、ウッとマレットが声を漏らす。
「あっちのちっちゃい嬢ちゃんが、司祭サマに会いたいんだと、はよ行こか」
目を細め、口が弧を描く。八重歯がチラッと見えた。
「悪いなぁ、坊ちゃん。司祭サマ借りてくでぇ」
マレットを引き摺り、地面に線を描きながら、ホムラたちは去って行った。
周りにいた者や、周辺にいた者も全て、この場からいなくなった。残されたウィルとヤコブはお互いを顔を見合せた。
「……ウィル様。宜しければ薬湯の作り方を、私めにお教え頂けますでしようか?」
右手を胸に当て、真っ直ぐにこちらを見た。
汚れもシワひとつない白い長衣。見本とも呼べる完璧な着こなし。整えられた爪。美しい所作。非の打ち所などない人物だ。だが、その瞳からは感情がなかった。ただの伽藍堂のよう。
「ウィル様?」
「あ、すみません。薬湯ですね」
ウィルは拠点へと背を向けた。
「付いてき─────」
──────その瞬間。
ドゴーンッ!
後頭部に強い衝撃。カアーッと熱い。
目の前がチカチカし、視界が狭まる。
視界がガクンと落ちた。冷たい地面が頬に当たる。
顔を上げようとするが、力が入らない。
───ジリっ。
小さくなった視界の端に、土で汚れた尖った靴が映った。
それを最後にウィルの意識が途切れた。




