☽︎ Act. ⅩⅠ
土が舞う。ゼフィールが手網を引き、蹄がカツカツと音を立てた後、ジェナは足を止めた。
遠方からでも、その存在感を放っていたが、いざ目の前に立つと圧倒してしまう。厳かな白き建物を下から上へと眺める。ウィルの口は閉じることを忘れていた。これで地方の教会というのだから、首都にある中央教会はどれ程になるのかと恐れ多くなる。
風がウィルの頬を撫でる。この身に突き刺す冷たい風にも神力が宿っていると錯覚するほどだ。
ウィルはジェナから滑るように降りると、見覚えのある馬車へと視線送る。まだジェナに跨っているゼフィールも、馬車の存在に気付いたようだった。教会の門の前に、まるで乗り捨てように駐車している馬車は以前、ジゼリア達が乗っていた物と同じだった。
「誰か来てるみたいだな」
ゼフィールはそう呟くと、足先を地につけた。もしかしたら、またあのふたりに会えるかもと、ウィルはが胸を高鳴らせるが、その期待はこの後すぐに打ち破られる。
ジェナの手網を引きながら教会へと足を向けると、待っていましたと、いわんばかりの下級聖者の群れが現れた。その数にウィルは、目を丸くした。
「まさか、こんな熱烈な歓迎を受けるとは、思いもしなかったな」
言葉ではそう話すが、ゼフィールは顔色を変えずにことの成り行きを見守っている。その群れの中から、頭ひとつ抜けている男が前へと出て来た。取って付けたような軽い笑みを浮かべる男はゼフィールと同じマントを羽織っていた。
前に出た男を見て、正直ウィルは肩を落とした。少し、眉も潜んだ。
「おっ、ゼフィール兄サンや。お久しぶりやん!元気しとった?」
目を細め、馴れ馴れしい態度でゼフィールの肩をバンバン激しめに叩く。そんなことなど、全く気にも留めないゼフィールは器が大きいなとウィルは改めて思った。
「アクレア嬢から報告聞いたで。例のヤツ、見つけたんやて?主サンの無茶振りかと思うたけどな」
「主が嘘つく理由がないだろ。そんなことジゼリアが聞いたら、八つ裂きにされるぞ」
「まあ、姐さんこの場に居らんから助かったわ〜。でぇ、この坊やが?」
チラッとこちらに視線を送る。細い目からは感情の色が見えない。値踏みするかのように頭の先からつま先までじっくりと見られたような気がした。身体が緊張し、指先まで力が入る。背筋に汗が流れた。
「ホムラ、その瞳やめろ。ウィルが固まってる」
そのゼフィールのひと声で、視線が他所へと向けられた。ウィルは張り詰めていた糸が切れ、大きく息を吸う。
「ごめんなあ?坊ちゃん、悪気はないんやけど……オレ、そういうとこあるんよ」
──ジリッ。
ウィルの視界が暗くなる。光を遮るようにホムラがウィルの前に立った。ゆっくりとウィルは顔を上げる。それを見計らったように、両頬が捕まった。そのまま押さえつけるように口が尖る。鼻に息が掛かる。目前となったホムラの目が見開かれる。
「ホンマに深紫やん?!こんな珍しかったら、欲しいやろうな〜」
なあ、とホムラは後ろにいる誰かに投げ掛けた。下級聖者たちは、返事をしたそうにうずうずしているが、決まりなのか沈黙を貫いている。
「─────何を仰いますか、ホムラ様」
その群れの中から、異彩を放つひとりの中年男性が、コツコツと靴を鳴らしながらウィル達の前へと立った。
「ゼフィール様、お初にお目にかかります。私、この教会の司祭……マレットと申します」
両手を前にし、頭を下げる。そして、ゆっくりと頭を上げだ。目が合った。目尻が下がり、三日月型になる。
「初めまして、月神の子よ。こんな光栄な事は、まさに月神のお導きでしょうね」
柔らかな微笑を浮かべながら、マレットは手を合わせる。一雫の涙が陽の光に照らされ輝いている。ウィルも思わず手を合わせた。
「挨拶はここまでにしていいか?」
ゼフィールが腕を組み、眉根を寄せた。マレットに向ける瞳は鋭い。少しでもゼフィールの意に沿わなければ、担いでいる獲物の錆になりそうだ。
「オグナ村を知っているか?」
マレットは表情を変えず、ゼフィールを見上げる。
「オグナ村ですか?確か……廃村だったはず、ですが?」
眉を上げ、顎を擦りながら、記憶を辿る。近くにいた下級聖者にも確認を取る。その者もマレットと同じ反応だった。
「そのオグナ村がどうか致しましたか?」
マレットが逆に問うと、ゼフィールはウィルへと視線を送る。ウィルはゼフィールにこくりと頷いた。
「ファリスの者がそこで暮らしている。どうやら毒を盛られて苦しんでいる。世話してやって欲しい」
一同が一斉に目を見開いた。ガヤガヤと何やら話す声が耳に入る。
「ファリスだって?!異教徒じゃないか」
「しかし、月神様はお許しになったぞ」
「────奴隷だろ?人間ではない」
「バカ者!何を血迷っている。この世界に奴隷などいるものか!月神様が哀しむ!!」
小さなガヤが次第に大きな言い争いに発展し始めた。端の方で、下級聖者が同僚の胸ぐらを掴み、殴り掛かろうとしている。
ウィルは手を前に出すが、マレットがそれを阻止した。軽くマレットが腕を上げる。すると、その手に気がついた下級聖者が次々と口を閉ざす。
「すみません。ムーンライトの方々、私の教育はまだまだのようです」
申し訳ないと頭を下げる。下級聖者はバツが悪そうに、皆、顔を背ける。
「まあ、仕方のない反応やない?十年以上前の聖戦のこと、とはいえさ」
ホムラは肩越しで群れを一瞥すると、ゼフィールへと向き直る。腰に差してある業物の柄に腕を添え、柄の先に指をゆっくりと折る。
「まあ?オレは奴隷とか、そういう身分制度?キライやけどね」
細い目が、片目だけ見開かれた。今にもその柄を握り締め、群れを血の海にしかねない気迫に、下級聖者達は数歩後ろへ下がる。中には腰が抜け、その場に座り込む者も。
「ホムラ。やめろ」
ゼフィールは利き手で拳を作ると、ホムラの後頭部へと一発ぶち込んだ。その一撃で頭が前と倒れる。
「痛ッ。ゼフィール兄サン、冗談やって」
殴られた後頭部を擦りながら、口を尖らせるが、また薄い笑みを浮かべている。
「で、司祭マレット。アンタの答えは?」
六つの瞳がマレットに注がれる。ウィルは袖を掴むように手を握り、ごくんと息を呑む。
マレットは片手を軽く握り、口元へ持っていき、ゴホゴホと咳をする。喉を整え、小さく二回頷いた。
「そんなこと決まっております。もちろん、こちらでお世話させて頂きます」
マレットはそう話すと、後ろを軽く振り返る。肩まで上げた指先で手招く。合図に気付いた者が、目を伏せながらマレットへと近寄る。
「今すぐ出立、出来るよう準備なさい」
「はい。司祭さま」
深々と頭を下げると、何人か引き連れて教会へと帰って行った。
「話が早くて助かる。改めて礼を言う。ありがとう」
ゼフィールはファリスに頭を下げると、ウィルもすかさず、腰を折り頭を下げる。それをマレットは目を伏せながら、手を軽く振る。
「御礼など要りません。私どものすべきことです。私が至らないばかりに……廃村だと聞いていたもので。ファリスの方がそちらに住まわれておるとは、知りませんでした」
マレットの肩が下がる。眉尻が下がり、優しい笑顔が今や沈んでいる。
「誠に、無知は罪です」
オグナ村の方向へ、マレットは視線を送る。その瞳は潤んでいた。ウィルはマレットが村人へ向ける慈悲に心が熱くなる。思わず、拳に力が入る。ウィルは心を打たれた。これで、村人は助かると。
「司祭さま、準備が出来ました」
足音を立てずに近寄るひとりの人物。長い髪を緩くまとめた男がマレットに報告した。マレットはひと言分かりました、と返事をする。一礼し、また戻るその男へとウィルは視線を送った。
「どこかで、見たような……」
他人の空似か、たまたまなのか、ウィルは長い髪の男が気になった。
「どうかしましたか?」
マレットに声を掛けられるまで、ウィルはずっとその男を見つめていた。
「あっ、いえ……」
「ウィル!村へ戻るぞ、早くこっちに来い」
「え?皆行くの?じゃあ、オレも行こかな」
下級聖者の引いていた手網をひったくるように、ホムラが奪うと颯爽と馬に跨り、ゼフィールの傍へと向かう。
それを見てウィルは駆け出そうと足を前へ踏み込むと、肩に手を掛けられた。その手が氷のように冷たく感じた。頭をそちらへと向ける。ウィルの視線が、手の甲へと惹き付けた。手の甲には爪で引っ掻いたような深い傷が残っていた。その傷跡を見ていると、声が降ってきた。
「忘れモノ、ですよ?」
差し出された手の平に、手拭いが置かれていた。ウィルは、すぐに受け取るとお礼を述べた。風がそっと吹く。その風に乗ってあの香りが微かに鼻を刺激した。
まさかの香りにウィルの瞳が丸くなる。
「さあ、行きましょう」
その声に誘われるようにウィルはゼフィールのもとへと歩き出した。




