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フェイクムーン ー偽りの楽園ー  作者: 幻燈 カガリ
第2章 白き聖域

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33/35

☽︎ Act. Ⅹ


 首に掛けている指輪から熱を感じた。指輪へと視線を落とす。思わず、服の上から指先で包み込む。


「君の故郷だったね…」


 ファリスと聞き、彼女を彷彿とさせた。そう、ナディアも自ら奴隷と呼んだ。胸がザワつく。指に力が入る。自分には知らない事が多過ぎた。世界はとてつもなく、罪深いということを。

 ウィルは顔を上げた。


「───ミランダさん、」


 ミランダは、ゆっくりとその虚ろな瞳をウィルへと向ける。


「僕は……お節介なんです。ほっとけと言われて引き下がるような、大人にはなりたくありません」


 掴んでいた指輪から手を離す。そして、躊躇なく前へと踏み込んだ。澄んだ深紫の瞳が、ミランダへと注がれる。


「難しいことは分かりません。だから、僕は自分が正しいと思う道を行くだけです」


 ミランダの瞼が徐々に開かれる。そして、瞳が揺れた。まだ光は灯らない。だが、ほんの少し、ミランダの心を震わせたような気がした。


「だから、まずは解毒が先です。それから、この先の未来について一緒に考えて行きましょう」


 ベッドの傍らまで進み、膝を床につけた。ツンとしたカビの匂いが、鼻を刺激する。点々とある黒いシミ。使い古した厚みの無い布団。そこに力なく放り出された骨と皮の腕。皺を刻み、荒れ果てた手は歴史を感じさせる。

 ウィルはその手にそっと触れた。冷たく小刻みに震えるミランダに熱が広がっていく。その熱に突き動かされたのか、ミランダは上半身を起こそうと、身を動かす。支えるようにウィルも手を貸した。そして、ミランダはサイドテーブルに置いてある椀を取った。小さい椀でさえも、重たそうに見えた。椀が震えたまま口へと運ぶ。薬湯が口端から一筋零れた。


 ────コ、コトン。


 サイドテーブルに飲み干した椀が置かれる。ミランダは枕元に置いてあった、よれたハンカチで口をトントンと押さえる。ウィルを見つめ、舌先を少し出すとおどけて見せた。


「───美味しく、ないわね」


 茶目っ気を出したミランダに、いつの間にウィルの表情にも綻び始めた。


「薬ですから」


 ニコッと目を細める。ミランダが歩み寄ってくれたその好意をそっと噛み締めた。




 ────バタン。


 ミランダの家のドアをゆっくりと閉めた。ドアノブから指を離すと、背後に人の気配を感じだ。肩越しから瞳を向けると、そこにいたのはノアークだった。

 きまりが悪いのか、話し掛けようともせずにその場から動こうともしない。ただ、立っているだけだった。どことなく、表情は硬い。

 ウィルはそのまま、ノアークの前を黙って通り過ぎようとした。その瞬間。


「ウィルは……関係ないんだな」


 足が止まる。ウィルはノアークへと身体を向ける。横を向いたままのノアークの顔は、前髪に隠されこちらから側では確認が出来ない。


「ノアーク……?」


 いつもの雰囲気とは全くの別人の様子に、ウィルは半歩下がった。

 ノアークが空に顔を上げ、前髪が流れる。そして、凍てついた鋭い眼光がウィルを捉えた。

 その鋭い視線に足が震え、心臓を突き刺された感覚に陥る。息が、できない。今にも腰が砕けそうになりながらも、ウィルは視線を逸らさなかった。


「こんなに、─────せに……」


 口端を歪ませながら、何を呟く。片手を額に手を被せると、ウィルに背を向けた。


「ウィル、悪いけど……教会にはゼフィールさんとふたりで行ってくれ。俺は村に残るから」


 ノアークの視線が外れたことで、ウィルは大きく息を吸い込んだ。一気に嫌な汗が吹き出てくる。

 ヒラヒラと手を振るノアークの背に、手を伸ばすが、ウィルの手は届かない。絶え絶えになりながら、声を投げ掛ける。


「え?……どう、して」


 それ以上は何も語らず、ノアークは村の奥へと消えて行った。




 ブルルッ───。

 ジェナが鼻を鳴らす。数日ぶりの遠駆けに、気分が高まっているようだ。早く行こう行こうと、首をブンブンと縦に振っている。


「もう、ちょっと待っててよ。ゼフィールさんが戻ってくるから」


 ジェナの首を撫でながら、ゼフィールの帰りを待つ。待ち切れないジェナは、ウィルの髪を引っ張っりながらモサモサと口にする。


「い、痛いッ。身体に良くないから、止めてってば──、」


 ウィルの叫び声は馬の耳に念仏である。ジェナの口端は笑っているようにも見えなくもない。


「ハハハッ。ウィル、ジェナに随分と気に入られたみたいだな」


 豪快な笑い声を上げながら、声を掛けたのはゼフィールだった。ご主人様のご帰還にジェナは、ウィルを解放すると堪らず嘶いた。


「気に入られたというより……玩具では?」


 ゼフィール抱えていた瓶と担いでいた瓶をひとつずつを地に下ろす。涎でベタベタになった髪を、指で摘みながらゼフィールのもとへ近寄る。振り向くとジェナが鼻息を荒らげ、前足で土を蹴りながら早く早くと急かしている。


「ジェナは軍馬の中でも、特段に気難しいヤツで、気に食わないモノは何ふり構わず、暴れる噛み付く蹴るってするものだから、誰でも傍に寄れる馬じゃない」


 瓶を置き、腰に両手を付きながら、ゼフィールはジェナを眺める。


「ジェナにとっても、ウィルは大切な仲間ってことだな」


 肩に大きいゼフィールの手が置かれた。仰ぎ見ると、ゼフィールの視線はジェナへ向けらたままだった。その横顔は温かいものだった。ウィルの胸にも、その温もりが移ったかのように。その熱に、急かされたように、ウィルは切り出した。


「ゼフィールさん、」


 そう言いかけて、ウィルは口吃った。ゼフィールにミランダから聞いた話をしたらと、瞳が泳ぐ。胸がざわめいた。ゼフィールは何だ?とウィルを見やる。その顔をウィルは真っ直ぐ見る。曇りひとつない、信念のこもったゼフィールの瞳を見て、ウィルは決めた。


(この人は身分で人を見たりしない。

 僕のことだって嫌な瞳を向けて来なかった。

 ゼフィールさんなら……)


 指を軽く折り込むと、大きく息を吸った。


「この村の人は、───奴隷なんです。ファリス出身の方だそうです」


 ゼフィールの眉が上がり、視線をゆっくりと下へと移した。鼻から息を吐くとゼフィールは遠くを眺める。


「……ゼフィールさん?」


 あからさまな顔色の変化にウィルの胸が冷える。ゼフィールの返事が待ち切れず、身体が少し前に出る。


「ああ、すまない。そうか……ファリス出身なのか」

「はい。何者かによってここに集められたと聞きました」


 沈黙が流れた。あれほど騒いでいたジェナも、空気を読んだのか大人しく、ふたりの成り行きを大きな瞳を向けて見守っている。


「あ、」「そ、」


 ふたり同時に声を発し、お互いに顔を見合わす。顔に似合わず、難しい顔をしているゼフィールにクスッと笑う。ゼフィールも、ウィルにつられて顔が綻ぶ。お先にとウィルが譲ると、ゼフィールは過去を振り返るように口を開けた。


「急に黙り込んで悪かった。少し昔を思い出してな…」

「昔?何かあったんですか?」

「まあ、な。子どものウィルにはまだ早い話だ」


 そう言って言葉を濁すゼフィールにウィルは、眉を寄せ、頬を膨らませた。その膨らんだ頬をゼフィールは指で突付く。


「そんな事をするやつは、まだまだ子どもって事だ」

「子ども扱いしないでくださいよ」

「ハハ、そんな焦って大人になるな、ウィル」


 頭を撫でる。横を向きながら、ウィルはゼフィールを睨めつける。だが、ゼフィールにとってウィルの行動は可愛いものだ。目元が和らぐ。


「人に垣根など無い。元がファリスだろうが、何だろうが助けることがムーンライトとしての俺の役目だ」


 胸に拳を叩き付けて、ゼフィールはそう言い放った。いつもの頼もしいあの顔を向けられる。ウィルも思わず、不貞腐れていたことなど忘れた。これこそが、僕のヒーローだと。


「で?ウィルは何を言おうとしたんだ?」


 ウィルは一瞬、ゼフィールから目を逸らした。そして、チラチラとゼフィールを見ながら、ボソッと話した。


「ゼフィールさんが嫌なら……」


 ガシッと片腕が肩に乗る。ふわっと汗と薬湯の香りが舞う。ゼフィールの瞳と視線が合う。白い歯を見せる。


「お前はそういう奴だったな。だが、」


 何かを言いかけて、止めた。ゼフィールは急に真面目な表情を見せると、腕を下ろした。

 そして、話題を変えるかのように、ゼフィールはこの場にいない人物の名を口にした。


「ノアーク?」


 ウィルの落ち着いていた鼓動が激しく脈打ち始める。


「で、ノアークはどうした?一緒じゃなかったか」


 心臓が跳ねた。あの瞳を思い出す。冷たく鋭く尖ったたあの眼光を。冷や汗がこめかみに一筋流れる。


「ウィル?」

「あ、ノ、ノアークですね……」


 ウィルは視線を下に落とし、指をくねらせる。

 ゼフィールは片眉を上げ、ウィルの様子の変化を感じとったが、何も触れようとはしなかった。


「皆で行くより、ひとりここに残した方が良いだろう」


 そう言い切ると、ゼフィールはウィルの肩をポンと叩いた。そのまま、ジェナの方へと歩いて行く。チラッと横顔を見せるとウィルへ言葉を投げた。


「行くぞ、ウィル。ジェナをこれ以上待たせたら、蹴られるぞ」


 ニカッと笑うとゼフィールはまた歩き出す。


「い、今行きます!」


 顔を上げる。ゼフィールの後ろ姿を追うように、ウィルは走った。

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