☽︎ Act. Ⅸ
カンッ。カンッ。カーンッ。
甲高い音が乾いた空気に響き渡る。荒い呼吸を吐く。滴る雨のような汗を拭う手が小刻みに震えた。手の平にヒリヒリとした刺すような痛みを覚える。巻いていた布に血が滲む。抉られるような痛みを耐えながら、再度、木剣を握り直す。
────ゴーンッ。
鈍い音が耳に届く。両刀斧を地へと下ろす。柄の先に手を添える。
「ウィル、そこまでだ」
振り返ると、ゼフィールと瞳が合った。足が笑う。立っていられず、ウィルは腰が砕けたようにその場に座り込んだ。背後に手を付き、身体を支える。汗の染み込んだ毛先から雫が今にも垂れそうだ。息を整えながら、上を向く。今朝は雲ひとつない青天だ。
「焦っても身体を壊すだけだぞ」
そういうと、ゼフィールは絞った手拭いを差し出した。ありがとうございます、と礼を述べると手拭いを掴んだ。熱くなった指先から感じた冷たさは、火照った身体には心地よく思えた。広げた手拭いを顔に当てると瞬く間に熱が移った。
「そんなに必死になって、ウィルは何になりたいの?」
炉にに両手を出して、暖を取っているノアークが特に興味もなさそうに言葉を投げてきた。
「少しでも、役に立てるようにですかね」
「ふーん。でも、それって自分の為じゃなくて、他人の為だよね」
───パキッ。
ノアークが落ちていた小枝を拾い、そのまま手折る。
「それで、もし死ぬことになったら……その死は一体、誰の責任になるのかな」
折った小枝を、燃え盛る炎の中へと焚べる。細い小枝は火が燃え移り、瞬く間に炭へと変わる。
「戦い方を教えた師匠?または、守ろうとした人?それとも、役に立とうと息巻いた愚かな自分自身?」
ノアークはこちらを見ず、ひたすら炎を眺めている。
ウィルはその問いに答えられなかった。ノアークの背から地面へと視線を落とす。座り直すと後ろにあった手を、前に持ってくる。豆が潰れた手を静かに眺めた。心なしか、指も太くなった気がした。村を出てから毎朝欠かさず、ゼフィールに稽古をつけて貰っている。先程言ったように役に立ちたい、救いたいというその思いからゼフィールに願い出た。ただそれだけしか、考えたことは無かった。
(責任……って、なんだろう?)
その言葉がいつまでも頭に残った。
「まあ、水でも飲め」
ウィルは顔をあげた。白湯を注ぎながら、昨日茹でたシナイモへと手を伸ばすゼフィールを見て、ノアークの言葉に、ゼフィールはどう答えるのかと、気になった。
名を呼ぼうとした途端、タイミング良く声を掛けられる。
「教会へ行く前に、やる事があるんでしょ?さあ、早くしなきゃ日が暮れる」
振り返ったノアークが、ウィルのもとへと足を運ぶ。さっきの雰囲気とはまるで、別人だ。口角を上げ、今にも鼻歌を歌いそうだ。
「ノアークの言う通りだな。俺は逆から回るか」
ゼフィールはポンとひと口大のシナイモを、口に突っ込むと、まだ湯気の上がる瓶を、軽々とふたつひょいと持ち上げた。
「また後でな」
首だけ振り向くと、そのまま村人の待つ家へと進路を取った。
その場にウィルとノアークが残された。ウィルもゼフィールのあとに続こうと、足に力を入れる。そこに、ノアークが腰を前に屈めた。耳に吐息が当たる。
「誰かに聞くのはナシ。ウィルが自分自身で答えを見つけなきゃダメだから」
それだけ話すと、姿勢を正す。去り際に、スモークの香りの奥に、スーと鼻を通る爽快な匂いが残った。
顔を見上げる。ノアークの瞳と視線がぶつかった。ウィルは思わず、身震いした。向けられた瞳に、射抜かれるような感覚に陥る。その刹那、ノアークはニコっと目をだけを細め、指をある方向へと差す。
「急ごうか。早くしないとゼフィールさんを待たせることになる」
ウィルは、何とか声を絞り出した。
「そうですね…」
まだ、手が震えている。
ドンドン────。
朝から無遠慮にノアークが力強くドアを叩く。
「もう少し、優しくノック出来ないんですか?」
と、口を尖らせるとノアークは、意味が分からないと言いたげな顔を見せる。
「え?ダメなの。ドア叩くのに礼儀とかある?」
「あ、ここは。ちょっと待って──── 、」
ウィルの制止も我関せずと、ドアノブを回し、家の中へと一歩踏み入れた。
「本当に、ダメですってば…」
ドンッとウィルは勢い良くぶつかった。ぶつかったのは壁のように固まったノアークだった。
「ちょ、何よ、いきなり──」
ミランダは動揺し、自由の利かない手で必死に布で身体を覆った。肩で息をしながら、ガタガタと歯を震わせ、怯える瞳をこちらへと向ける。
ウィルはノアークの横に並ぶと、昨日と全く様子のおかしいミランダに声を掛ける。
「ミランダさん!落ち着いて。まずは、僕たちの非礼を詫びます。ごめんなさい。返事もなく勝手に押し入って…」
「ウィル…?す、すまないけど。ちょっと今は出て行ってくれない?」
目を伏せ、落ち着かないミランダにウィルは何も言えなくなった。短くはいと、だけ告げる。ウィルは外に出るために振り向こうと踵を返すと、ノアークの手が震えているのを視界の端が捉えた。指が白くなるほど強く握り締めている。顔を見上げると、眉根を寄せ、唇を強く噛んでいた。鋭い眼光はミランダへと向いている。
名を呼び、腕を引くがノアークの反応は無かった。身体が石になったかのように。
「─────ノアーク!!」
ウィルの凛とした声が響いた。ノアークの目が見開き、身体が身動ぐ。
「あ、……すまない」
ガシッと腕を掴み、そのままノアークを引き摺るように外に出した。
「いきなり、どうしたんですか?」
そう声を掛けると、ノアークは上の空だった。片手を額に当て、何かを考えているのか、ウィルの声は届かない。
「ノアーク?」
「………ウィル。見たか?」
我に返ったノアークは、真っ直ぐにウィルを見る。だが、ウィルは何を聞いているのか分からなかった。
「あの、や……。いや、何でもない」
「や?なんのことです?」
ウィルが尋ねても、ノアークはその後は何も話そうとはしなかった。黙り込み、難しい顔をしてずっと遠いところを見つめている。
そんな様子のノアークをウィルは一瞥すると、またミランダの家の前に立った。
ひと呼吸置いてから、トントンとドアを叩いた。
「……どうぞ」
先程より少し落ち着いた声が返ってきた。ウィルは身構えると、ドアを開けた。
「ミランダさん、近くに行っても?」
そう声を掛け、ミランダの傍までゆっくり近寄る。
乱れた呼吸ながらも、視線だけをウィルに向けた。ミランダはウィルに力無く微笑むと、そのままベッドに身を任せた。
「さっきは、ごめんなさい」
頭を下げる。指先が服を掴む。ミランダは、もういいからと頭を上げるように促した。
「あれを見ても、……あなたは態度を変えないのね」
ウィルに向いていた視線を外し、天井を眺めた。だが、ミランダは遠い過去を思い返しているようだった。
「…ミランダ?」
ミランダの片眉が動き、首が少しこちらへ向く。
「昨日と同じ薬湯を持ってきました。これで身体に巣食う毒素が抜けますから、飲んでください」
ウィルは持ってきた薬湯を、ベッド脇のサイドテーブルに置いてあった小さい椀に注ぐ。
「なんの毒か、分かったの?」
「はい。ニュウガ草の根の毒でした」
「ニュウ、ガ草……初めて聞いたわ」
ウィルの手が止まる。ピチャと、一滴がサイドテーブルに垂れた。注ぎ口に集中していた視線が、ミランダに惹き付けられた。
「ご存知ないんですか?」
「ええ、私…いや、私たちはこの村の人間ではないの。他から連れて来られた……他所者なのよ」
「…どういう意味、です?」
ウィルの目が丸くなり、そのまま固まった。ミランダの話を理解するのに時間を要した。
「あの焼印を見たでしょ?あれはね……亡国ファリス出身者を区別する為に押す烙印なの」
鼻で嗤いながら、語気を強める。ウィルを見つめる瞳の中に憎悪の炎が上がる。
その迫力に、ウィルはたじろいだ。呼吸が止まる。心臓を掴まれてさたように、身動きが取れなくなった。
「この村はね、そんな奴隷たちが意図的に連れて来られた───偽りの村なのよ。でもね、私達にはココしか無いの。受け入れてくれるところは、ココだけ。だから、ウィル。もう、ほっといて」
それ以上は何も話さなくなり、ミランダの瞳から光が消えた。




