❨ Act.Ⅱ
……カサッ。
その音が耳に届いた時には全てが遅かった。振り向く間も無く、強引に肩を掴まれる。咄嗟にその手から逃れようと身を翻すが、相手の方が上手だった。気づいた頃にはウィルは顔を土に付けていた。何が起こったのか分からない中、無理矢理、上体を起こす。そこに立っていたのは、さっきの悪漢たちだった。
「よぉ、小僧。また会ったな」
嫌な嗤いを浮かべながら見下ろす男と、無表情にこちらを見る男を交互に凝視する。なんとか、この状況を打破すべく、逃げようとした次の瞬間、腹に強烈な痛みが走る。胃から何かが逆流し、そのまま吐き出した。痛む腹を抱え、何度も嗚咽しながら、自分を蹴飛ばしても顔色ひとつ変えない相手を睨む。
「──逃げようなんて考えない方が良い。痛い目にあいたくなければ」
抑揚もない声で言い放つ。それを見ながら、おいおいと嗤う男。
「あんま虐めんなよ。それより、お前の言った通りだな」
「狙われた獣は逃げ場が無いと、案外近くに身を潜め、危機を脱しようとする」
「だとよ。残念だったな。まあ、俺だけだったら、逃げ切れたかもしれねーな」
後ろ手に腕を組まされ、ものの数秒で縛りあげられる。抵抗するが、屈強の男に敵うはずなかった。暴れる度に締め付ける力が強くなる。
「は、離せ!」
「離すワケねーだろ。まあ、大人しくしとけって」
男は鼻で嗤いながら、何かを確認しようとウィルの髪を乱暴に鷲掴む。そこで睨みつける深紫の瞳と目が合った男はヒューと口笛を吹くと、ニヤリと嗤った。
「ハハッ、ビンゴだ。あの野郎が言っていたガキはコイツに間違いねぇ」
確認が終わるとウィルを地面に投げ捨てた。腕を縛られているせいで、受け身を取れずそのまま地面に叩きつけられた。それでも、諦めず踠く。そんなウィルに非情にも絶望を与えようと、男は胸ぐらを掴み、耳打ちをした。
「……可哀想なガキだよな。呪われた瞳だ、なんだって言われて売られちまって───」
ケタケタ嗤う男の顔を直視する。ウィルは男の言葉に否定も反論も出来なくなった。動揺を隠せず、狼狽える。人々の目や言葉が次々に鮮明に蘇ってくる。男の言ったその言葉せいで一気に無気力になったウィルは、抵抗を見せなくなり、悪漢たちに連れ去られた。
縄で身体を縛られ、引きづられながら重い足で歩いて行く。閑散とした暗い森の中を、誰も何も語ることなく歩を進める。聞こえるのは踏み付ける折れた枝や枯葉の音。樹冠を仰ぐと厚い雲に覆われて星のひとつも見えない。その事に少しだけだか気が休まった。もし、雲が晴れたら…と考えると胸の奥が冷える。ウィルは足下に視線を落とした。
しばらく歩いた先に、森がひらけた場所に人が数人と馬が見える。どうやら、そこが目的地のようだ。仲間と合流した悪漢のひとりは頭目と思われる人物の下へ行き、残ったもうひとりの無表情の男に連れて行かれる。そこには手枷された年代も様々な男女数人が集められている。土の上に座り、何もかも諦めたような表情を浮かべている。この光景に唖然としているウィルを押し遣ると男は、近くにいた見張り役に逃がすなよとだけ告げて、他の仲間のもとへ行ってしまった。落ち着かないでいたところに、傍に座っていたウィルより幾つか歳上の少女が不思議そうに話し掛けてきた。
「───キミ、奴隷を見たことないの?」
ここに座りなと、少女の座っていた隣に促された。ウィルは言われるがままに、そこに腰を下ろすと明るい笑顔を向けられる。他の人たちとは違う雰囲気に少し心が軽くなる。
「私、ナディア。キミは?」
「僕は…ウィル。シャテリー村の…」
「私はファリス出身よ。よろしくね」
他愛のない挨拶をし終えると、ナディアの屈託の無い笑顔と不釣り合いな手枷に違和感を覚える。目の前で起きている事実に困惑し、反応に困っていると、ナディアはじーっとウィルの顔を覗き込む。慌ててウィルは顔を隠す。
「なんで隠すの?恥ずかしい?」
「…そういうのじゃない。ただ…見られたく、なくて…」
段々と小さくなる声。年相応の恥ずかさから来るものでは無かった。それは心に根深くある傷が原因で、長い前髪もそれが起因だった。
「えーもったいない。とっても綺麗なのに」
「…怖くないの?」
その言葉にナディアは目を丸くし、突拍子のないウィルの返しに笑い始めた。
「あはは。何を言い出すかと思えば、いきなり変な事言うのね。怖いワケ、無いじゃない。とっても綺麗で素敵だわ」
裏表の無いナディアの言葉にウィルは唖然とした。そう言ってくれる人は家族と幼なじみしかいない。心が少し軽くなった気がした。
「ん?ちょっと、嘘だと思ってる?奴隷の私が嘘をついて何になるのよ」
コロコロ顔色を変えるナディアを見ているうちに、いつの間にか強ばっていた顔が和らぐ。
「ありがとう、ナディア。そう言ってくれる人は家族以外で二人目だ」
「え、あっ、ど、どういたしまして。……ウィルって、天然のタラシ属性?」
ナディアの言葉の意味がよく分からないウィルは頭を傾げるが、彼女は特に説明するつもりは無いようだ。
地面から冷気が伝わって来る。ウィルたちから焚き火はかなり遠い。かといって、毛布を渡される訳もなく、暖を取る為に奴隷達は身を寄せ合いながら、寒さを凌ぐしか無かった。どれだけ悪漢が自分達への扱いが劣悪だと思い知らされる。寒さで悴む手に息をかける。それで改善するわけもなく、気休め程度でしかない。
「お母さん。今日も無事に生き残れました。明日も生き残りますように」
ナディアが首に掛けてあるネックレスを握りながら祈りを捧げている姿を終始眺めていた。その視線に気づいたナディアは口を開いた。
「ウィルはゼレニア帝国出身だったわね。なら、違和感でしかないわよね。」
「うん……まぁ、そうだね。祈りは神に捧げるものだから」
「ファリス国はね、宗教や信仰がないから祈る神はいない。だから、私は死んだ母に祈るの」
握っていた指を開くと、紋章が描かれた指輪だった。紋章の意味は分からなかったが、ナディアがとても大事にしていることは伝わってきた。
「この指輪は、お母さんの遺品なの」
そう言いながら、ナディアの顔は母親を思い出したのか、懐かしそうに指輪を撫でる。大事そうに服の中に仕舞ったあとも優しく握っていた。
「こうやっているとね、お母さんが傍にいて守っていてくれる気がするの」
微笑むナディアだが、その瞳は何処か淋しげに見えた。
その時だった。全ての物を巻き上げる程の激しい風が吹き荒れる。ウィルは腕で風を防ぎながら、《《何か》》を見た気がした。それは見間違いでも、目の錯覚でも無かった。それは、静かにウィルの目の前に姿を現す。生命ある者を全てを蹂躙し、貪った化け物。そう。それは──────魔物であった。
───────トントン。
ドアを数回ノックする音が部屋に響く。ウィルはハッとして現実世界に戻って来た。窓ガラスに映る自分の顔は更に青白い。ドアの向こうで律儀にこちらの返答を待っているのはダリアだろう。ウィルは平静を装って返事をする。
「ごめん、ダリア。今、行くから」
「そうかい?……じゃあ、下で待ってるよ」
何かを察したようだが、それ以上はダリアは踏み込んでは来なかった。その事に胸を撫で下ろしたウィルはドアから足音が遠ざかって行くのを耳にすると、何やら準備を始めた。
「確かめに行こう」
手早く支度を済ませると、部屋を出る。
彼女の身に起きたこと、
昨日の出来事は夢では無いことを、
現実で起きたことだと───
自分の目で確認しなくてはならない。
それが生き残ってしまったウィルにとっての責務だ。
だから、あの場所に行かなくては、何も始まらない。
ウィルは決意した。
今一度、あの場所へ行くことを。




