☽ Act. Ⅵ
厚い雲のせいか、空が近く感じる。森で別れた友を思いながら、重く肩にのしかかる籠を静かに地に着けた。固まった筋を伸ばすと、籠の中へと目をやる。
一番上に乗っているシーナの葉を一枚手に取る。ギザギザとした大きな葉。そのノコギリのような葉先を指先で触れる。見た目と違い柔らかさがある。鼻を近付ければ、スーッと爽快感のある匂いが漂い始める。ウィルはシーナの葉をそっと優しく台の上に置いた。
瓶の縁に指を掛ける。腕に力を入れ、そのまま大釜の近くまで持ってくる。腰を使って引き上げ、瓶の底を一旦膝に載せる。一気に息を吸い、止める。その勢いで大釜に瓶の水を流し込む。ザーッと瓶の中を渦を描くように水が溜まる。軽くなった瓶を割らぬように、慎重に置く。止めていた息をふーと吐く。掴んでいた指先は白くなっている。無意識に肘から下を振ると、また同じように繰り返した。
大釜が水で満たされた。灰を被せた薪をひとつ取り出す。先が既に黒く炭化している。それを持って昨夜からつけてある篝火の中へと薪を突っ込む。時を待たずして、火がついた。火が舞う篝火から薪を取ろうとするが、熱で伸ばした手を一旦引っ込める。もう一歩前に出る。ひと呼吸する。熱を感じるが、唇を噛む。取り出すと、そのまま足早にかまどの中へ放る。
「熱ッ!」
指に息を吹きかけ、手首を勢い良く振り回す。パチッパチッと薪が爆ぜる音がする。煙と薪の芳ばしい香りが風に乗っていく。火が安定したのを見届けると、ウィルはまた、籠の方へ戻って行った。
それを廃墟の物陰から静かに見つめる、ふたつの瞳の存在にウィルはまだ気が付いてはいなかった。
ザクッ。ザクッ。とリズム良くトレシャの実を小刀でふたつ切りにする。それだけで、果汁が板に溢れ出す。みずみずしい薄橙色の果肉が露になった。半分になったトレシャの実を手に取ると、両手に力を込める。木の鉢に搾り上げた果汁が滝のように流れた。強い酸味が鼻を刺激する。鼻が曲がりそうだ。思わず、顔が歪む。小刀を板に置く。台の上に置いていたシーナの葉を取りに行こうと、踵を返すと、ジャリと音がした。
「こんなに湯を沸かしてどうするつもりだ?」
聞き慣れない声に、肩がビクっと揺れた。踏み出した足が止まる。
なかなか、返事をしないウィルにその人物は更に言葉を投げた。
「おーい。耳が無いのか」
肩越しで声の主を覗き見る。ウィルの視線に気付いた男は軽く手を上げる。
細くした目をこちらに向け、徐々に近づいて来る。
「てっきり、廃村かと思った」
「貴方も外から来たんですか?」
男は目を見開いた。ウィルに指を向ける。
「お前も俺と一緒かよ」
まぢか、と額に手を乗せ、顎を上げる。そのまま、その場にしゃがみ込むと男はウィルを仰ぎ見た。
「チビ名前は?ちなみに俺はノアーク」
膝に肘を乗せながら、名乗ったノアークは、髪を掻き上げる。ウィルは、眉根を寄せ、ぷいと顔を背けた。そして、口を尖らせながら口を開く。
「……ウィル」
それだけ呟くと、ウィルはそそくさとシーナの葉を取りに行こうとする。だが、ノアークはそれを阻止した。離れようとするウィルの腕を掴む。
「どこ行くんだよ、まだ話したいんだけど」
ウィルの身長より背があるノアークは、高みからウィルを見下ろす。ウィルも負け時に、強引に腕を振り払うと、ノアークを睨めつける。
「え、怒った?」
眉を下げ、手を口元へ持っていくノアークを、ジト目で眺める。
「別に怒ってません」
「あきらかに怒ってるじゃん」
ウィルに指を差しながら、口元が緩む。挙句の果てには、笑い出した。ウィルはノアークを無視することを決め込んだ。途中だった作業へと戻ろうと、シーナの葉のもとへ、ドン、ドンと音を立て地を震わせた。
シーナの葉をさっと水に潜らせ、綺麗な布巾で水気を拭き取る。拭き取ったシーナの葉をひたすらに細かく刻む。細かくなったところで、搾り取ったトレシャの果汁に合わせる。薄橙と青緑が混ざり合い、なんだか彩りは悪い。だが、これは効果があるやもしれない。
「な、何、この匂い?」
傍でしゃがみ込んだノアークは、鼻をつまんだ。目で何かを訴えてくるが、ウィルの瞳では、ノアークは見えていないことになっている。それでも、この場を動かずにノアークはしきりに話し掛けてくる。
「ねぇ、ウィルくんはさ、ここで何してる感じ?」
台にちょんと両手を置いて、ウィルの視線に合わせる。ウィルは一瞬だけ、視線を合わせるが、すぐに目を逸らした。
「ねぇ、こんなに湯を沸かす理由はなに?この凄い匂いの液体はなに?ねぇねぇー」
媚びるように上目遣いで瞳を輝かせるノアークに、ウィルは負けた。思わず、吹き出した。
「プッ、ちょっと、なんなんですか」
「あ、もう、怒ってない?良かったー」
ノアークは、ふうと安堵したかのように息を吐く。ウィルは、咳払いをすると、真面目な顔をつくる。
「で?俺に教えてくれる?」
台に両肘を乗せ、甘えるように下から覗き込む。その顔にウィルは、心臓がドキっと跳ねた。無意識に顔が紅くなる。視線を手元に落とす。妖艶とはこのことを指すのかもしれない。
「この村の全員が病に罹ってます。その原因が井戸水かもしれないので、煮沸してるんです」
「へぇ。良くそんなこと知ってるね。まだ幼いのに」
「ダリア、祖母がそういった類に詳しくて、それで覚えてただけです」
「謙虚だねぇ。じゃあ、この茶色液体は?」
ノアークが木の鉢を指さす。ウィルは木のスプーンを手にすると、葉と果汁を混ぜ合わせる。ウィルが手首を回すと、刺激臭が漂い始める。作った本人であるウィルも顔を背ける。ノアークはもろに嗅いだらしく、台から離れたところで、腰を折り、噎せている。
「それ破壊力やばいな!」
ハアハアと息を吐いている。涙目を向け、手で口と鼻を押さえている。
「ノアークさん避けに持って来いですね」
ふふふっと嗤う。前髪で顔の半分は見えないが、口の片端が上がった。
(まるっきり、魔女じゃん。いや、男だから魔男?)
「で、それは?」
「解毒剤です」
「病気じゃないのか?」
「……僕の友達が、教えてくれたんです」
「教えてくれた?」
サーッと風が吹く。ウィルの髪が揺れ、深紫の瞳がノアークを捉える。シーナの葉を手に取った。ウィルの指先はそのシーナの葉と同じ色に染まっている。
「このシーナの葉は、本来は毒草なんです」
「は?そんなの触って大丈夫なのかよ!」
ノアークは目を剥いた。手にあるシーナの葉を振り払おうと手を伸ばす。ウィルは目を細める。片方の手を前にかざし、人差し指を横に振った。
「口に入らなければ問題はないので安心してください。まあ、弱い毒草なんでお腹を下すだけですよ」
「だが、毒は毒だろ?そんなモノ与えたら、さらに悪化するだろ?」
ノアークは腕を組む。指で上腕を一定の間隔で叩き、訝しげな眼差しをウィルへと向ける。
「──────毒を以て毒を制す」
「それは、どういう意味だ?」
ノアークの指が止まる。
「簡単に説明すると、毒に対して毒を使って治すってことですね」
開いた口が塞がらない。ゴクリと息を呑む。
「なら、元の毒は?なぜ、村全体が毒に侵されたんだ?」
「……それは」
目を伏せ、下唇を噛む。シーナの葉を台の上に置くと、力無くだらんと腕を下ろした。
「そこは、まだ突き止めてないって感じ、ってわけね」
ウィルは小さく、はいとだけ応えた。
「何もしないよりマシか。じゃあ、その実を使う訳は?」
「栄養価が高いんです。食欲が落ちているので、少しでもと。また、シーナの葉の毒にも影響しません」
液体の入った木の鉢に手を添える。小刻み震えているせいか、水面も揺れている。そこに映る自分の顔も強ばっている。これが、少しでも希望の光になることを、願わざるを得ない。
「それ、もう出来たの?」
ノアークが鼻をつまみながら、指を差す。
「布で越したら完成です」
「じゃあ、早くそれやってさ。配りに行こうぜ」
白い歯を見せ、弾けるような笑みを浮かべている。手伝おうとノアークはひょいとウィルの隣に立った。鼻をつまみながら。
ウィルもクスッと笑う。静まり返ったこの村にいつぶりかの賑やかな人の笑い声が響き渡った。




