❨ Act. ⅩⅩ
パニーニ攻防戦はエレーナの圧勝だった。奪い取ったパニーニを、見せびらかすように食べているのを、しかめっ面で見る。
「食い意地張りすぎ」
ニヒヒと憎たらしく笑うエレーナは最後のひと口を豪快に口へと運ぶ。もぐもぐと咀嚼しながら、視線を向けられる。ゴクンと大きな音を立て胃へ収められた。
「ここ数日は神経をすり減らして過ごしてたから。ご飯なんて食べた記憶さえない」
頬を両手で触れ、痩せたかしら?と聞く。ウィルは確かにと短く返事をする。
「私も色々とあったけど、ウィルもあったのね」
思い返すように空を見上げるエレーナに、ウィルもつられて空を見る。空は茜色に染まり、もう夕暮れだ。
「見ないうちに、こんなに立派になって。お姉ちゃんはびっくりだぞ!」
ガシッと頭をガッシリ掴まれ、髪をゴシゴシ撫で回される。髪が一気にぐちゃぐちゃになった。
「ちょっ、やめてよ」
腕をバタバタして抵抗するが、まだ自分より背が高いエレーナにしてやられるだけだった。
エレーナの家が見えて来た。だが、灯りはついてはいない。この時間だというのに、人がいる気配は感じられない。緊張が走る。エレーナは胸騒ぎからか、一目散に走り出した。ウィルも何かを察知し、薄暗い道を走り出す。
家の前までやって来ると、ウィルは唖然とした。ドアが破壊され、窓は意味を成してない。そこから見える家の中は何か身体が大きい物が暴れ回ったように荒らされている。エレーナは目の前の現状に言葉を失い、その場から動けない。
ウィルは意を決して、家の中へと足を踏み入れた。床は壊れた家具やガラス、物なので散乱し、足の踏み場がない。薄暗い部屋を足元を確認しながら、ゆっくり慎重に進む。醸し出す雰囲気に胸が騒ぐ。胸に手を当て、息を深く吸い込む。落ち着け落ち着けと呪文のように唱えた。奥に進めば進む程に、暗闇が濃くなる。ウィルはランプを探すことにした。自分の回りにはそういう類は見当たらない。
「ん?あそこは荒らされてない」
台所までやって来た。その一角だけ、ポツンと空間がある。ちょうど、その壁にランプが掛けてある。ウィルはそこを目指した。
運良くランプを見つけ、その窓枠にはマッチも置いてあった。早速、マッチに擦り、ランプに火を入れると、一気に周りが明るくなった。火の光に、ホッと心が落ち着く。ふう、と張り詰めていた身体から息が抜ける。
────────それは、つかの間だった。
急激に体温が奪われた。動揺で呼吸が止まる。火が揺れた。
「な、なんだよ────これ……」
その空間には、乾ききらない暗赤色が床から天井まで染み付いていた。
「……ウィル?」
足音を立てながら、この家の住人がこちらへと向かって来るのを感知した。ウィルはこれを見せて良いものか悩んだ。だが、決断する前に彼女はここまで来てしまった。
「う、そ……血な、の?」
わなわなと肩を震わせ、口を押さえて、その痕を凝視する。ウィルはエレーナの問いを否定も肯定もしなかった。エレーナはウィルの隣へと寄ると、確かめるように言った。
「兄さん、じゃない……よね?」
目の前で震えているエレーナに、なんて声を掛けてあげるべきなのか、いくら考えても言葉が見つからない。その場しのぎの当たり障りのないこと言葉を吐きたくはない。
ウィルの指は冷たくなったエレーナの手を握った。少しでも、その心を温めてあげたくて。
「とりあえず、……出よう」
ウィルはその手を握ったまま、この場を後にした。瞳に映ったこの光景はしっかりと瞼に焼き付いた。
家から出るとすっかりと空は闇夜に覆われていた。瞬く星々に見守られたふたりは、先程とは違い、ランプで行く道を照らし、押し黙ったまま歩いていた。
遠くの方で、家の灯りが見えた。煙突から煙が出ているのが見て取れる。エレーナの家とは違い温かみを感じた。
「もうすぐ、ダリアの家ね」
しじまを終わらせたのは、エレーナだった。何を考えているのか、ただ家の灯りを見つめている。
「家のあれは、ダリア婆に話さない方が良いと思う」
エレーナはそう言い切った。エレーナの影が大きくなる。
「ウィルもそう思うでしょ?」
「うん。その方がいいね」
「家の中もめちゃくちゃだし、兄さんも……」
俯き、声が止む。あの光景が引っかかってお互いに、言葉が出てこない。頭では分かっているが、そのことを口にしたらいけないように感じてしまう。
「家にいなよ。うちで、暮らしたらいい。ダリアもその、寂しくないと思う…から」
ウィルの言い回しがエレーナは何か引っかかった。自分に何か隠している気がした。案の定、目を逸らしている。
「ウィル、何か私に隠してる?」
視線を逃さないように一気に距離を詰める。影が消えた。ふたりの表情が闇によって見えなくなった。
「私に言えないこと?」
心ではすぐに言える言葉も、直接エレーナを前にして話しをするは難しかった。あの光景を見た後では、躊躇してしまう。正直、彼女をひとりにするのは気が引ける。
「そうじゃないけど……」
言葉を濁してしまった。情けないこの顔を見られなくて、灯りが消えて良かったと心からそう思った。
「あの人、ムーンライト様と関係ある?」
エレーナが核心をついてきた。自分が言わなくても彼女は感じ取っていたのだろう。黙っていても先には進めない。瞳を閉じる。何度も言い掛けて飲み込んだ言葉を、吐露した。
「僕のこと、月神様が探していたんだって。だから、僕は─────」
言葉に詰まった。永遠の別れではないことは分かっている。けれでも、これを言ったら、自分たちは変わってしまう気がする。今までのように居られないと。そう思った。
エレーナはウィルの言葉を待っている。ウィルの口から聞きたいのだ。
そっと息をする。ハッキリとは見えないエレーナを見据え、指先に力を込めた。
「月神様の下へ行くんだ」
ヒューと背後から風が吹く。冷たい風が通り過ぎて行く。決意を後押しいるかのようだ。
彼女は小さく囁いた。
「そっか。そういう日がいつか来るだろうと思ってた。だって、ウィルはこんなところで燻っている人じゃない」
ウィルの手を両手でしっかりと握る。暗闇のせいで顔は、はっきりとは見えないが、手から熱を感じる。
「貴方は運命を切り開いていける人」
彼女の笑顔が見えたような気がした。どこか、寂しさを秘めて。
「ウィルの家は、ここだからね」
エレーナの熱が心にも移ったようだ。心が温かい。しばらく、この温もりは冷めそうにない。
家の方から、灯りがこちらに向かって来るのが見える。
「ウィル!」
ダリアは脇目も振らずにウィルを抱き締めた。そして、その隣にいる人物に気がついた。片腕を伸ばすと、エレーナも一緒に腕の中へと迎えられた。
「年寄りに、心配かけるんじゃないよ」
「…ごめんなさい」
肩に落ちた雫と、優しい腕の中で嗚咽を漏らす声を瞬く星々が見つめていた。
「ふたりとも、おかえりなさい」
その言葉が胸に残った。




