❨ Act. ⅩⅦ
粉塵が舞う中をウィルは走っていた。喉が痛い。どこかでゼフィールが戦っているのだろう。ビーストの断末魔が耳に響いた。
「この野郎ッ!!」
その言葉と共に、背中に息が止まるほどの衝撃が走る。たちまち、その場に倒れ込んだ。視界が狭まる。遠のく意識を無理矢理引き戻し、顔を上げる。
「早く殺せ!コイツが呼んだんだ!あのバケモノを」
「さっさとしろ!」
村人達が次々と殺せ殺せと気炎をあげる。ジリジリとウィルへと距離を詰める。その手には刃物やクワ、長い棒など様々な得物を持っていた。あまりの気迫にウィルの額から冷や汗が流れる。生きた心地がしないとはまさにこのかと実感する。
ひとりの恰幅の良い男が前に出る。鉈を高らかに掲げる。ウィルの頭へと一直線に振り落とす。しかし、その得物は的には当たらなかった。
「チッ、この悪魔め!」
ウィルが男の腕を掴んだ。男は諦めず、力ずくで押し切ろうとする。錆び付いた刃がウィルの眼前へと迫る。力比べの結果は目に見えている。もう、ウィルは殺されると誰もがそう思っていた。
「────うわッ」
こんなことをしている場合じゃない。ウィルは掴んでいた腕を曲げてやる。刃先が相手の方に向き、驚いた男は手を離す。体勢を崩した男は、よろけて土に手を着いた。手にしていた鉈は、地に転がっている。ウィルが手にすると、男の傍らに立った。ウィルの顔は見えない。
───────形勢逆転。構図が変わった。
「た、助けてくれ!」
先程とは違い、勢いを失った。恰幅の良い男が、怖気付いて命乞いをする。なんと無様か。その様を見ている他の連中は、助けに入ろうとはしないでこの状況をわなわなと震えながら、成り行きを見ているだけだった。
「もう、良いですか?」
静かに声が響いた。その声の主へと視線が集まる。持っていた鉈を群衆の前に投げる。
「それとも、────まだやりますか?」
群衆たちを深紫の瞳が見据える。目の前に立つ少年に皆が吸い寄せられ、口をきけなくなった。
「僕の話を聞いてください」
ウィルの声に耳を澄ませる。あの少年が何を語るのかと。自分たちを破滅へと導くのか、それとも救済への道なのか。群衆の見る目が変わった。
視線が自分へと注がれる。心臓が早鐘を打つ。瞳を閉じ、深く息を吸う。そして、ゆっくりと瞼を開ける。彼らの背後にはビーストが刻々と迫って来ている。
「呪われた悪魔の言葉は信じたくないでしょう。でも、生き残る為に僕に付いて来てください!」
お願いします!と深々と頭を下げる。沈黙が流れた。ウィルは固唾を呑む。どうか、今だけは自分を信じて欲しい。悪魔な言葉に騙されて欲しい。そう願わずにはいられない。
時間はそう掛からなかった。
「ここにいたって、あのバケモノに殺されるなら、アイツに付いて行った方がマシだ。俺は付いて行く!」
それを皮切りに、皆が賛同の意思を示した。ウィルの思いは皆の心に通じた。近くでビーストの咆哮が轟く。皆の顔が一斉に強ばっていく。うかうかしている状況では無い。一刻も早くこの場を去らなければなるまい。
ウィルは歩き出した。呪われた悪魔の言葉を信じた人々を引き連れて。
屋敷の中は酷い騒ぎだった。見たこともないバケモノに皆が恐れ慄き、どこへ逃げたら良いか分からない者や、その場で頭を抱えぶるぶると震える者が入り乱れている。エレーナはある部屋に向かい歩いていた。すれ違う人はエレーナのことなど、気にする余裕もないようで、素通りして行く。それもそのはずだ。窓の外から見える世界は、すでに魔境と化している。皆、自分自身のことで精一杯なのだ。
エレーナは立ち止まった。ある部屋の前で。ひと呼吸し、ドアノブへと手を伸ばす。ガチャ。ドアが開いた。鍵は掛けられていなかった。余程の自信家なのか、後ろめたい事などないということなのか。
「これはチャンスよ。絶対に突き止めてやる」
エレーナはその部屋へと足を踏み入れた。部屋は執務室のようだ。よく整理され、埃などひとつもない。一見何も怪しいところは見当たらない。エレーナはある装飾に目が行った。
「金の斧と銀の斧…。女神から貰ったってこと?」
呆れてものも言えない。ここに時間をかけるわけにはいかない。この屋敷からダリアの家まで全速力で走ったとしてもかなりの時間を要する。ウィルの事が心配だ。エレーナは片っ端から調べる事にした。書棚から、執務机の引き出し、絨毯の裏までひっくり返したが、探し求めるモノはひとつも出ては来ない。出てくるのは、真っ当な書類だけだった。思い当たる場所を全て探し尽くし、その場にへたり込む。ここは諦めて他を探すべきなのかと視線を移すと、何やら違和感を感じた。引き出した棚の奥に何が見えた。手を入れて確かめる。そこには、隠された引き出しがあった。引き出しの二段構え。見るからに怪しい。だが、鍵穴がある。辺りを見渡すが、運良く見つかるはずもない。
「そりゃ、大事な物は肌身離さず持ってるか…」
溜息をつく。そう上手くはいかないかと顔を上に向ける。またあの趣味の悪い装飾が目に入る。
「あっ、」
エレーナは何か思い付いた顔をする。
「道具は使わなきゃ意味を成さないわね」
執務机を壁に寄せ、その上に立つ。エレーナは斧を手に取った。ずっしりと重い斧をしっかりと掴み、例の棚へと向かう。
「無いなら、壊せばいいのよ」
エレーナは棚に斧を振り下ろした。何度も叩き付けた結果、鍵など意味無くなった引き出しの中身が露になった。エレーナはすかさず、手を伸ばす。いくつかの書面を手にすると、目を疑った。そこには奴隷商人との取引き事項など、これまでの悪行の証拠が隠されていた。
「…こんなにも、悪行を重ねてたのね」
そこにある全てを手にしたエレーナは、ここから一刻でも速く出て行こうと、振り向いた瞬間。何者かの足音がこの部屋の前で止まった。エレーナはすかさず、物陰に身を隠した。
ドアノブが回り、ドアが静かに開いた。部屋の有様に、悲鳴に似た怒号が叫びが響いた。
「な、なんてことだ!!!もしかしたらと、思って戻ってくればなんて有様だ!!クソッ!」
足元に転がっていた椅子を蹴り飛ばす。エレーナは持っていた斧をギュッと握る。
「どさくさに紛れて、物取りに入られるとはな…見つけたら、粉々にしてそこら辺の野犬のエサにしてやる」
一目散にある場所に向かう。そこはエレーナが斧で壊した引き出しがあったところだった。沈黙が暫し続き、エレーナは息を呑む。
「……ない。ないぞ!───おのれっ!!!」
何も無くなった棚に手を入れては出すを繰り返す。荒くなった鼻息がここまで聞こえて来る。怒りが収まらず、壊れた棚に拳を叩き付ける。怒りで痛みを忘れ、血が出ているのに何度も何度も叩き付けている。
「…許さんぞ。許してなるものか」
ここを後にして、足音はドアへと向かう。エレーナに気づくことなく出て行くかと思われた。だが、そうは問屋が卸さない。気が緩んだエレーナが少し身を動かしたのが悪かった。ポロポロとエレーナのポケットからベルガの実が落ちた。足音が止まる。ゆっくりゆっくり、足音がエレーナのもとへ近付いて来る。エレーナは目を固く瞑り、身を小さく縮めた。
怖い、怖いよ。ウィルっ…。
「あの、すみません」
ドアの向こうから声が掛かる。あと少しのところで、また足音が止まった。
「何かあったのか?」
「とりあえず、こちらに来てください」
「…分かった」
その声と共に足音は遠ざかって行く。ドアが閉まり、人の気配が消えた。エレーナは大きく息吸った。嫌な汗がべったりと服に染み付いて気持ち悪い。物陰から出ると、何かを踏み付けた。足を退けるとそれはペーパーナイフだった。手に持つ斧と見比べ、エレーナは斧を手放した。ペーパーナイフを手に取り、窓へと目を向ける。空に浮かぶ太陽は刻一刻と時を刻んでいる。焦る気持ちからエレーナはドアへと走った。
エレーナは恐る恐る顔を出す。気配がないのは分かってはいるが、用心に越したことはない。周りに人はいない。思い切って廊下へと出る。安心したのも束の間だった。一歩、足を踏み出した途端、後ろ髪を鷲掴みされた。
「またここで、会ったね。───エレーナ」
そこにいたのは、穏やかな笑みを浮かべたハンスだった。




