❨ Act. ⅩⅤ
無駄に広い敷地内を人目を避け、時には隠れながら進むのは至難の業だった。これでも、人は少ない方なのだろう。ゼフィールのお陰で、本邸の使用人たちが忙しなく動いているのが見て分かる。ウィルのお目当ての物が置いてある場所までは、もう目と鼻の先である。急いで置き場までやって来ると、それは無防備に駐車してあった。ウィルが探していたものは、荷馬車であった。辺りを警戒し、人気がないことを確認してから、まじまじと荷台を穴が空く程に注意深く確かめはる。どうやら、荷台には何も無さそうだ。ウィルは荷台に張り付いて匂いを嗅ぐ。この香りは忘れる理由はない。予想通りの展開に、口角がわずかに上がる。この独特な香りはアレしかない。
「ベルガの実の匂い。やっぱり、エレーナはこの荷車に乗ったんだ」
疑惑が確信に変わった瞬間だった。ウィルの読みが当たったのだ。なら、この屋敷の中にエレーナがいる確率が高い。では、あの時の視線の主はエレーナかもしれない。もしかしたら、ここにいるのかもしれない。逸る気持ちを抑えつつ、この場を去ろうとした。その途端、人の声がした。ウィルは荷車の影に身を潜める。
「こんな忙しい日に、客かよ」
「引渡しまでには、どうにかするだろう」
「金に貪欲な人だよな。あれ?悪魔を売ろうとしてたよな?」
「奴隷商が謎の失踪したせいで、白紙にになった。でも、それで結果的には良かったって話」
「なんでだよ?あんな珍しい瞳は高く売れるって皆言ってたじゃねーか」
「お前知らないのか?ムーンライト様が悪魔を探しにここまで来たんだとよ」
「おい、それ本当か?!で、あの女を売るってか。可哀想だよなぁ──色情狂に売り付けたんだろ?」
「らしいな…飽きたら殺すって噂だよな」
「嫌だねー。本当に質が悪いな、うちの村長は」
乾いた笑いを上げている。こんな会話を聞かれているとは知らずに、ふたりはここを後にした。ウィルはその話を聞いても表情ひとつ変えなかった。いや、むしろ、無だった。あの嫌なまとわりついた感覚が身体を蝕んでいく。ウィルはそのまま、歩き始めた。
宴会のような会場を窓の外から確認する。テーブルの真ん中にゼフィール、隣にハンスが座り、その両隣を重鎮たちが固めている。次々と運ばれる見たことない贅沢な料理と、高級ワインを、給仕たちがそれぞれに振舞っている。ひっきりなしに人の往来がある本邸を中から二階に侵入するのは難しそうだ。二階に上がるには、外から侵入するしか方法はなさそうだ。どうするかとウィルは辺りを見回すが、使えそうな物は見当たらない。仕方ないと邸宅の近くに生えている木を伝って入るしかなさそうだ。木登りが得意なウィルは素早く登る。木からバルコニーまでは距離がある。届くか不安だが、やるしかないと手を離す。バルコニーの手すりに手が届いたかに思えた。しかし、現実ではスルッと手が滑った。
「あっ」
思わず声が出た。このままでは、地面へと落下してしまう。必死に手を伸ばすが、空を切るだけだった。ここまでなのか、と諦めかけたその時、身体が宙ずりになった。何があったかとウィルは、見上げた。
そこに居たのは─────エレーナだった。
「ウ、ウィルっ!!は、早く」
ウィルが危機一髪のところを、エレーナはウィルの服を掴んだが、引っ張り上げようにも彼女ひとりでは難しかった。ウィルはすかさず、手すりに手を伸ばし、足を掛けた。そのまま、なだれ込むようにバルコニーへと侵入した。命拾いをしたウィルはふうと溜まった空気を吐き出す。安心したところに、エレーナの鉄槌が下された。バシッと後頭部をはたかれた。
「な、なんてことをするの!私がいなかったら、ウィル、死ぬところだったのよ」
怒ってそう言いながらも、エレーナの方が今にも泣きそうな顔をしていた。ウィルはそんなエレーナを眺めながら、何も言わずにただ黙っていた。
「いつも、危ないことして、私にドヤされて…ウィルも懲りないね」
「怒られたくて、やってたワケじゃないよ」
「あはは、そうだとしたら、私の心臓が持たないわ」
いつもと変わらないエレーナに、ここがハンスの家だということをお互いに忘れそうになる。そんな和やかな雰囲気の中、エレーナの顔が曇り始めた。エレーナが真っ直ぐウィルを見つめると、どこか寂しげな表情を見せる。
「髪切ったんだね。やっぱり、そっちの方がいいよ」
笑ってみせるがどこか切ない。ウィルは咄嗟に口にした。
「エレーナ、帰ろう?一緒に」
ウィルの言葉にエレーナは目を見開くが、瞬く間に俯くと、小さく頭を横に振った。
「ごめん、帰れない…」
エレーナは俯いたままで、その声は小さくか弱かった。ウィルはそこで頷ける訳はなかった。ここまでしたのは、自分自身のためではなく、彼女のエレーナのためでもあった。
「エレーナ、ここにいてはダメだ。一緒に帰ろう?ダリアも待ってる」
手をキツく握り、エレーナはウィルの誘いに乗りそうになるのを必死に堪えた。
「エレーナ…」
何度と名前を呼ぶ声に、エレーナは声を張り上げた。ウィルに言ったつもりだが、それは自分への戒めでもあった。
「無理なの!私、帰れない!!」
エレーナの声に驚いたウィルだったが、涙を幾重にも流すエレーナを見て徐々にウィルは冷静になっていく。ウィルは落ち着かせるように声を掛けた。
「どうしてなのか、教えてくれる?」
エレーナは戸惑う表情を見せた。なかなか話そうとしないエレーナにウィルは再度、言葉を掛けた。
「教えてくれなきゃ、僕は君の傍を離れないよ」
深紫の瞳がエレーナを見据える。エレーナはウィルの瞳に魅せられたように目が逸らせなくなった。エレーナは言葉を詰まらせながらも、ゆっくりと話し始めた。
「私は、ウィルの傍にいてはダメなの…。一緒に、いられるわけが無い。だって、裏切り者だから」
ウィルはエレーナの言葉をひとつひとつ胸に留めながら耳を傾けた。エレーナは、ウィルの瞳から逃げるように顔を逸らす。話すことが怖くて小刻みに肩を揺らしている。ウィルはそんな姿のエレーナを見るのは初めてだった。いつも元気で正義感が強くて曲がったことが大嫌いな彼女が、こんな姿を晒すことになるなんて、ウィルは胸が苦しくなった。震える肩に手を添えた。ウィルの顔をゆっくりと見上げるエレーナの瞳は揺れていた。
エレーナはウィルの瞳から逃げた。
「ウィル…私に優しくしないで」
「フレッド兄さんと約束したんだ。エレーナを連れて帰るって」
ウィルに触れられてはいけない。私は卑怯ものだから。純粋で素直なウィルに触れる資格なんてない。それでも、本当は今すぐにその手に縋りたい。泣きわめいて、助けてと叫びたい。だけど、できない。唇を噛む。血が滲むほどに。
エレーナはウィルの手を跳ね除けた。その勢いに乗ってエレーナの声が荒くなる。
「私ね、ウィルが奴隷商に売られるの知ってた!知ってて黙ってた。兄さんが奴隷商に頼んでたことも!……自分が恥ずかしい」
泣きじゃくりながら、告白するエレーナをウィルは黙って聞いていた。
「だから、ウィルの為にも私はこの村から出て行くって決めたの。私ね、他の村の人のもとへ嫁ぐ事が決まったの。その代わり、ハンスさんがどうにかするって約束してくれた」
エレーナは涙をたくさん溜めた瞳を細め、微笑んだ。こんな悲しい微笑みは更にウィルの心を抉った。
「だから、私は帰らない。ごめんね、ウィル」
エレーナは笑顔を作ったつもりなのだろう。そんな笑顔はウィルはもう見たくは無かった。ウィルはエレーナの手に自分の手を重ねると、優しく包み込んだ。ウィルは涙を見せないように、目を伏せた。
「……嫌だ。僕の為に犠牲になるのはやめてくれ。今まで罪悪感に苛まれて、僕が弱いから言い出せなかったんだろう?これからは強くなる。……だから、──────エレーナ、君に見ていて欲しい」
顔を上げる。僕の決意を君に一番に聞いて欲しかった。僕の憧れでもあった君に。強い君に守られた僕が成長した姿を傍で見て欲しいから。
「僕は強くなるよ。エレーナが守ってくれたみたいに、今度は僕が君を守るから」
ダメかな?と問うウィルにエレーナは、言葉を失った。大粒の涙を流しながらエレーナはうん、うんと何度も頷いた。さっきまでの悲しい笑顔ではなく、太陽のような明るい笑顔を見せてくれた。
「ありがとう、ウィル」
それに応えるように、ウィルもつられて笑顔を見せる。ウィルの心に光が灯った。エレーナという光が。
─────その瞬間。
轟音が、残酷にもふたりを裂く。ウィルはたちまち、音の方向へと目を凝らす。一瞬の出来事に、ウィルは息を飲んだ。
家々が粉々に破壊され、悲鳴と逃げ惑う人の姿。そして、ウィルは目を一瞬、疑った。そこにいたのは、何十もの、ビーストの群れだった。




