❨ Act. ⅩⅢ
窓から朝日が入る。部屋の冷たい空気が、徐々に温められていく。それを、肌で感じながらウィルは鏡に映る自分を見ていた。人の悪意から逃れたい一心で、他人に瞳を見せたくなくて、盾のように伸ばした髪。
だが、今のウィルには、もう必要ない。指で長い前髪を梳く。長年切らずにいた髪。何度も躊躇したが、意を決して、鋏を手に取った。床に幾重に散らばり落ちる黄金色の髪。徐々に顕になる自分の瞳に、視線を逸らしそうになる。だが、この瞳は呪いじゃないと前を向く。
「もう、逃げない」
鏡に映る深紫の瞳と目が合った。こんなに長く自分の顔を眺めた事は、今までなかったように思える。光に照らされた瞳は輝いて見えた。髪で隠してきた世界はこんなにも明るかった。
部屋から出ると、忙しなく動くダリアが目に入る。朝食の準備をするダリアを手伝おうと、籠から卵を取り出すと、ダリアが持っていた木皿を落とした。ウィルは木皿を拾おうとしゃがむ。その体勢から、ダリアを見上げると涙を溜めて口元を押さえていた。
「……ウィル、その髪」
「ど、どうかな?」
照れながら後頭部を撫でる。まじまじと見られるのは気恥ずかしい。まともにダリアの顔も見れないくらいだ。
「いいわ。かっこいいよ」
目を細め微笑むダリアにお墨付きを貰えて、ウィルは照れ臭くもなったが、正直嬉しかった。ウィルの顔もいつの間にか綻んでいた。そんな頃合にゼフィールたちが、外から帰って来た。
「婆さん、薪割り終わったぞ。ん?」
首にタオルを下げ、汗を拭いていたゼフィールが、まず先に気が付いた。
「髪切ったんだな!こっちの方が断然いい」
そう言うと優しく笑い掛けた。ジゼルは特に何も言わないが、こくりと黙って頷いた。
「ありがとうございます。でも、なんだか照れ臭くて…」
小恥ずかしいウィルは鼻を擦った。ワイワイやっているその様子を、部屋の隅で見ていたジゼリアは、ひとりだけ表情を強ばらせていた。明らかに動揺し、震える唇から思わず声が溢れる。
「レティ、…」
ジゼリアの異変に気付いたジゼルが、何事かと心配し声を掛けるが、ジゼリアはまだ落ち着かないが、何でもないと答えるだけだった。
「私、風に当たって来るわ」
「待って、姉さん」
急にジゼリアが慌てて外に出ていく姿とそれを追うジゼルを、何事かと見送ったウィルは、ゼフィールに視線を移した。ゼフィールは全く気にも留めていない顔をしていた。
「ジゼルがついているから、心配するな」
それより、朝飯だとゼフィールはダリアが作った食事を受け取り、テーブルに並べ始めた。外のふたりが気にはなるが、あまり踏み込むものではないなと、ウィルは持っていた卵を焼き始めた。
朝食が終わってもジゼリアたちは戻っては来なかった。ダリアが用意していたふたり分の朝食を、パンに挟んでいるのを横目で見ていると、向かいに座っていたゼフィールが話しかけてきた。
「俺が言った日数を、忘れてないよな?」
「覚えてます。明日まで、ですよね」
「ああ、そうだ。で、今日は何をするつもりだ?」
茶を飲みながら、ゼフィールはウィルを直視しながら、これからの言動を気に掛けている。ウィルは、既に決めていたことをそのまま伝えた。
「村に行きます」
ゼフィールは驚きはしなかった。ウィルならそういうだろうなと予測していた。嫌がる素振りも見せず、ウィルの瞳は動揺もせず、堂々としていた。その姿を見たゼフィールは、胸が熱くなってきた。
「なら、俺も一緒にいく」
ウィルはゼフィールの言葉にどう返事をするか悩んだ。自分の問題に巻き込んで良いものかと。そんな考えを巡らせていると、ゼフィールはウィルの考えていた事などお見通しだった。
「村でのお前の立場は把握してる。だからこそ、俺が傍にいた方が役に立つ。俺を利用しろ、ウィル」
またとない申し出にウィルは、考えるのを止めた。ここで断るのは得策ではない。意地を張る場所でもない。エレーナの捜索にはムーンライトのカードはとても強い。ここはゼフィールの申し出を快く受け入れる事にした。
「ありがとうございます。ゼフィールさん」
おうと、白い歯を見せながら笑うゼフィールを眺めながら、心の中で語りかける。
(エレーナ、無事でいて…)
ウィルは立ち上がった。その瞳は、真っ直ぐ前を向いていた。もう揺れる事はなかった。
支度を済ませて部屋から出ると、ダリアが布づつみを手渡した。
「たくさん作ったから、お腹が減ったら食べなさい」
ずっしりとした重さから、言葉通りたくさん入っているようだ。この気遣いがとても嬉しく思えた。
「ダリア、ありがとう。絶対にエレーナを見つけ出すよ」
うんと、頷くダリアに出発の挨拶を交わし、ドアを開ける。ドアの外には、ゼフィールの他にジゼリアとジゼルの姿もあった。さっきの事は解決したのだろうか。思わずウィルはジゼリアに視線を送った。ウィルの視線に気付いたジゼリアはおもむろに口を開いた。
「村に行くって、聞いたわ」
「はい。昨日手掛かりを見つけたので」
「そう。まぁ、頑張りなさい」
それだけ言うと、スタスタと家へと歩き出した。ジゼルもジゼリアの後に続き、ウィルの傍を通り過ぎるところで、無理はするなと、声を掛けくれた。常に表情が一定で、初めの頃は何を考えているか分からない人だったが、ジゼルは優しい人だと知った。またジゼリアは一見、ウィルを嫌っているが、さっきのように言葉を掛けてくれた。嫌う理由は今のところ分からないが、そのうち仲良くなれたらと期待する。手網を持ちながら、馬の顔を撫でているゼフィールのもとへと足を向けた。
「準備出来たか、じゃあ行くか」
ゼフィールは拳を突き出した。ウィルはそれは何か、という顔を見せる。
「あー、儀式みたいなもんだよ。さ、お前も拳出して」
言われるがままに、拳を作る。そして、コンと互いの拳をぶつけあった。
「なんだか、上手く行きそうな気がするだろ?」
ゼフィールに言われると本当にそんな気がして来た。今日はいつもと違う。見える世界もそうだが、自分の気持ちも昨日と違うからだろうか。
村の方角を見据える。全く怖くないワケではない。足が微かに震える。握った拳を再度、力を込めた。
ゼフィールが先に馬に乗り、その後にウィルが跨った。ウィルは馬に乗るのはこれが初めてだった。視線が高い。しっかり掴まれと、ゼフィールが合図すると同時に馬が走り出した。身体全体で風を切りながら、風景が飛ぶように過ぎて行く。
道中、木々の向こうにエレーナの家が見えた。いつもだったら、洗濯物を干してあるはずだが、フレッドだけでは、そこまで手が回っていないのだろう。なんだが、空き家のように見えたのは気のせいだろうか。
そんなことを考えていると空から声が落ちてきた。ウィルと、名前を呼ばれた気がした。




