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フェイクムーン ー偽りの楽園ー  作者: 幻燈 カガリ
第1章 運命の始まり

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❨ 序幕





 それは一瞬だった。森閑な闇夜に包まれた森が変貌した。むせ返りそうになるほどの濃い血と脂の臭い。辺りは血の溜りと無惨な肉塊となった悪漢たちが散らばっている。


 目の前で繰り広げられる一方的な虐殺。


 ───耳をつんざく悲鳴…そして断末魔。


 逃げ惑う人を捕らえては腕や足をを引きちぎり、地面に何度も叩き付ける。その様はまるで玩具を弄ぶかのように。



 "それ"は惨たらしく殺していく ──



 人間の血肉を貪り喰らい、口から血が滴り落ちる。人でも、獣でもないそのおぞましい姿はまさに魔物と呼ぶのが相応しい。



「───い、嫌だ、離してー!!」



 背後から音も無く迫るもう1匹の魔物に気付かなかった。少年の傍にいた彼女が捕まった。お互いに懸命に腕を伸ばす。しかし、お互いに空を掴んだだけだった。


 彼女は諦めず全力で抵抗する。だが、化け物の前では抵抗など意味を持たない。


「……た、助けて…ウィル」


 差し迫る死の恐怖から逃れたい一心で助けを求める。彼女の瞳からたくさんの涙が溢れる。怯え切った自分自身の心を奮い立たせ、転がっていた剣を手に取る。しかし、身体は素直である。魔物に臆して震えている。切先も定まらない程に。


 魔物と対峙する。剣を握ったはいいが、剣術など習ったことはない。それでも、黙って彼女が殺られるのを見たくはない。少しでも隙をついたら、彼女とここから一緒に逃げられるかもしれない。その可能性がかなり低いとしても、何かが変わることを信じて突き進む。


 魔物に向けて勢いをつけて剣を突刺す。だか、その一撃は無意味に終わった。剣は魔物に刺さるどころか、皮膚が鋼だというように剣を弾いたのだ。魔物に少しも傷を付けることさえ、叶わなかった。初めから彼らに起死回生が起こることは無に等しかったのだ。


 剣が弾くという予想外の事実にウィルの反応が遅れた。愕然とするウィルに仕返しだと、言わんばかりに魔物からの攻撃が入る。


「……グハッ!!」


 背中に激痛が走る。魔物に薙ぎ払われて、すぐそばの木に激突した。あまりの痛みに意識が飛びそうになるが、横腹から感じる熱のお陰で意識を取り戻す。確かめると横腹から血が流れている。どうやら、魔物の鋭い爪が当たったようだ。手で傷口を押さえるが、血は止まる気配は無い。離さなかった剣を使い立ち上がろうとするが、足が笑ってしまい上手くいかない。


 魔物が嘲嗤うかのように口角が上がる。嫌な予感がして、声を上げる。 痛みなど忘れ、彼女のもとへと走る。



「───や、やめろーっ!!!」



 ────現実は残酷だ



 ウィルの目の前で彼女の身体が両断された。彼女の瞳からは生気が消えていく───

 頬に生暖かい血飛沫がこびりついた。無情にも彼女の亡骸は無造作に投げ捨てられる。


 また目の前で人が殺された。結局、自分は何も出来なかった。自分の無力さが心底恨めしい。握っていた柄を力いっぱい握り込む。


 力の差は歴然で、何をしても勝敗は分かりきっている。それでも、一矢報いたい。ズタボロな状態でも出来ることは限られている。満身創痍な人外の化け物にただの取り柄もない人間が敵う相手ではないことは、もう充分過ぎる程、理解している。それでも、諦めたくはなかった。これはもう意地だ。



 魔物と目が合う。次はお前だというように咆える。魔物が牙を剥き、こちらへと向かってくる。自由の効かない片腕で剣を構える。既に恐怖心はどこかへ消え去った。とっくに覚悟は決めてある。


 狙いを定めた鋭い牙が瞬く間に眼前に迫る。こちらも負け時とその一点を狙う。一か八かの大博打。



(──身体が堅いならここはどうだ!!)



 鋭い牙が片腕に喰い込む。柄を握る手がだんだんと弱くなる。この瞬間を待っていたのだ。


「そこだー!」


 常に持ち歩いている短剣を取り出し、魔物の目き突き立てる。急所をやられた魔物はウィルを押し退けた。まさかの反撃に魔物は驚き口を大きく開け、刺された目を庇いながら暴れ回っている。その隙に、木の幹に身体を預ける。魔物に咬まれた腕は使い物にならなくなった。指一本でも動かすのが難しい状態だ。腕一本の犠牲で、一撃を入れることが出来たのだ。頭が朦朧とし始めた。血を流し過ぎたのだ。立っていられず、その場に腰を落とす。いつの間にか、魔物は短刀を引き抜いていた。


 纏う気配が変わる。どうやら、相手を本気にさせてしまったようだ。残念ながら、これが自分の幕引きかもしれない。ジリジリと詰め寄る魔物を見据える。逃れようにも、そんな力は既に残ってなどいない。


 魔物と相対する。間髪入れずに身体が掴まれ、それと同時に締め上げられる。骨が軋む音が響き渡る。肺が潰されたら、息が出来るのは、あとどれくらいだろうかと思考する。このまま、締め殺されるのかと思った刹那、木々の隙間から白い月光が降り注ぐ。曇っていた空の晴れ間から冷たい月が顔を出した。


「……月の、ひ、光?」


 父親との言葉が走馬燈のように蘇る。


『月を見てはいけない』


 幼い頃からの父親との約束だった。それを今まで従順に従ってきた。理由も聞かずに。あの日、最後に交わした約束でもあったから。その約束を違えたら、父親は自分のもとに一生戻らないかもしれないと子供心にそう思ったのだ。



 ──もう、僕の明日が来ないなら……死ぬ前に月を見てみたい



 今の自分は父親の言いつけを守り切れない悪い子だ。父との約束は時を経て、今となっては呪縛へと変化してしまった。心臓を掴めれたように痛む。



 それでも決意した。何かが変わるかもしれない。

 以前の自分には戻れないとしても───



 月光に導かれるように空を仰ぐ、神がいるという月を。月神(かみ)に救いを求めているわけではない。ただ純粋に死に逝く前に月を目に焼き付けたかった。



「……あぁ。なんて、綺麗なんだろう…」



 ウィルの顔は穏やかだった。まるで身体の痛みなど、とうに感じてはいないかのように。そして、眠るように意識を手放した。



『 ─────見つけた 』



 その声の持ち主は誰なのか分からない。そして、誰の耳にも届かなかった。



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