ゲオルグとの出会い
ハーブ商人は、手に残った干し肉のわずかな切れ端を、まだ名残惜しそうに舌で転がした。その表情は、優菜を子ども扱いしていた態度が瞬時に消え去り、一変して、目の前の逸品に心底驚愕し、その秘められた価値を見抜こうとする、鋭い商人の目に変わっていた。
「……確かに、こいつは『売れる』。というか、こんな上等な保存食は見たことがねぇ。並の店じゃ作れねぇ味だ。ガキがどうやってこいつを……」
優菜は口元に微かな笑みを浮かべたまま、静かに商人の次の言葉を待った。心臓の鼓動は驚くほど静かだった。優菜は、大家族の長女として、両親や弟妹たちとの複雑な交渉(時にはお小遣いの増額、時には弟のおやつ分配)で、沈黙が持つ力を知っていた。ここで先走らず、「間」を取ることが、相手の決断を促す最大の武器だと理解していた。
「それで、お嬢ちゃん。この干し肉を、さらにどうしたいってんだ?すでに十分すぎる出来だろうが」
商人はようやく優菜を見た。その目には、もはや警戒の色はなく、純粋な興味と、プロの商人としての探究心だけが宿っていた。
「ありがとうございます。ですが、まだ改良の余地があります」
優菜は前のめりになり、熱意をもって語った。
「私たちが目指すのは、日雇い労働者や、長旅の冒険者が、疲れた体で無性に食べたくなるような味です。ただの保存食ではなく、長期保存と栄養価を両立し、ビールや酒のつまみとしても需要があるような、パンチの効いた辛味を加えることで、この干し肉は市場で唯一無二の大人向けの商品になれるはずです」
男性商人は、優菜の描く明確なビジョンに息を飲んだ。その視線は、ただの儲け話ではなく、この商品を独占的に扱うことで、競合を寄せ付けない莫大な利益を生み出せる「付加価値」を見定めていた。
優菜は、驚きに目を見開いた商人に向かって、静かに続けた。
「私たちの干し肉は、この世界のどこにもない味だと思いませんか。あなたほどの知識を持っているなら、この干し肉に合う香辛料にも思い当たるものがありませんか。」
男性商人は、カウンターの干し肉と、まっすぐに自分を見つめる優菜を交互に見た。幼い少女の瞳には、一切の迷いがなく、自分自身の決断と、この干し肉の持つ可能性を信じ切っている、揺るぎない確信が宿っていた。その真剣な眼差しは、長年裏路地の商売で培ってきた彼の**「知識」への誇り**を刺激すると同時に、新たな商機の予感を伴って、彼の心を捉えた。
「……フン。ただの冷やかしじゃねぇな。いいだろう、話に乗ってやる。お前さん、名を何という?」
「優菜といいます」
「俺はゲオルグだ。」
優菜は、カウンターの上の試作品の横に、小さく折りたたんだ紙とペンをそっと置いた。
「この干し肉の改良だけでなく、これからも香辛料の仕入れはゲオルグさんのところにきますね。干し肉だけじゃなくて、いろんな料理を作る予定なので、たくさん仕入れさせて頂きますよ」
ハーブ商人のゲオルグは、優菜の継続的な取引の約束と、知識に対する敬意に、満足そうな笑みを浮かべた。
「よし、聞け。この干し肉には、すでにニンニクと薬草の風味が効いている。ここにさらに長期保存とスタミナ維持に特化した『香辛料の三重構造』を加えてやる。この風味は、うちで扱っている『岩塩の森の樹皮』と、『灼熱の太陽の実』、そして……」
ゲオルグは、優菜だけが聞き取れるよう、声を落として、その秘訣を囁き始めた。優菜は、前世で学んだ香辛料の知識と照らし合わせながら、その異世界ならではの組み合わせを、真剣な眼差しで心に刻んでいった。
優菜はゲオルグに教えてもらった香辛料と、他にも前世の知識から気になる香辛料をいくつか追加で選び、代金に対して多めの銀貨をカウンターに置いた。
「ゲオルグさん、これからもよろしくお願いしますね」
優菜はそう言うとニッコリと笑った。複雑な取引を見事に終えた優菜に、ゲオルグは満足そうに顎髭を撫で、「本当にただのガキじゃねぇな」と呟き、心から信用した様子だった。
ゲオルグとの取引を終えた優菜は、時計代わりに空を見上げた。集合時間まで、あと一時間ほどある。
(エマとコリンの服は買えたけれど、ルークの分がまだ足りていない。私の分も含めて、みんなの洋服を作ってあげられるな。)
優菜は、自分の持っている『裁縫』スキルを思い出した。これを使えば、市場で安い生地を仕入れても、高品質な服に作り変えることができる。
優菜は急いで市場を横切り、まず裁縫道具一式を扱っている店に向かった。針、糸、ハサミ、そして丈夫な麻の布を数種類購入した。特に、汚れても目立たない濃い青と茶色の丈夫な生地を多めに選んだ。
これで、みんなの洋服を自力で作り出せるようになった。優菜は、新しい麻の服を身につけ、少し誇らしげにしているみんなの姿を思い浮かべ、思わず温かい笑顔を浮かべた。
約束の場所に向かう途中、優菜は市場調査も兼ねて、特に人だかりができている屋台に目を留めた。銅貨二枚で熱々の豆のスープを、そして銅貨三枚で硬いが大きく腹持ちの良さそうなパンを買い、路地脇でそれを食べ始めた。
口に入れた瞬間、優菜は眉をひそめた。スープは塩気が薄く、パンは驚くほどボソボソとしていた。前世の、あらゆる味が溢れる世界を知る優菜にとって、この異世界の食事は、お世辞にも美味しいとは言えないものだった。
(……やっぱり、この世界の料理は全体的に味が薄い。香辛料も、種類が少ないか、高価すぎるか。私の前世の料理の知識が、この世界ではどれほど革命的な「付加価値」になるか、改めて思い知らされるな)
優菜は心の中で、今日の成果を改めて整理した。
(干し肉の改良の目処がついた。香辛料も手に入った。次は、ルークに改良版の干し肉の作り方を教え込むことだ。一つずつ、着実に)
優菜は、集合場所で待っているルークたちの笑顔を思い浮かべながら、市場の喧騒の中を力強く歩いていった。