優菜の日常
初めての作品です。
ご覧戴き、ありがとうございます。
湿った夏の夜の熱気が、疲れ切った頬にまとわりつく。
中学二年生の月島 優菜は、右手に重いレジ袋を、左手に小学校低学年の弟・太一の手を引いて、薄暗い住宅街の道を歩いていた。
「ねぇね、今日のご飯はオムライス?」
太一が上目遣いで尋ねる。彼の無邪気な声が、優菜の重い疲労感をわずかに和ませる。
「そうよ。今日はお母さんが帰ってくるのが遅いからね。優菜特製、ふわふわトロトロのオムライスよ」
嘘だ。正直に言えば、疲れて一から作る気力なんて残っていない。ただ冷凍庫にあった安い鶏肉と卵を使って、手早く作れる献立を選んだだけだ。
月島家は、共働きの両親と、中学の優菜を筆頭に、弟妹が四人という七人大家族だ。両親は「皆のために」と朝から晩まで働いているが、その「皆のため」のしわ寄せは、全て長女である優菜にのしかかっていた。
朝は五時に起きて、弟妹四人分の弁当と朝食の準備。学校が終われば、友人との遊びも部活も断ってまっすぐ帰宅し、洗濯、掃除、そして夕食の準備。夕食後は弟妹の勉強を見て、全員を風呂に入れ、寝かしつける。
彼女の生活は「長女」という役割に完全に支配されていた。同級生が流行りのアプリや恋バナで盛り上がっている時、優菜は冷蔵庫の在庫や一家の切り盛りについて計算していた。
(私、いつになったら、自分のために生きられるんだろう)
ふと、そんな思いが頭をよぎる。自分の人生なのに、何も決められない。
「……ねぇね、泣いてる?」
太一の声にはっとする。
「泣いてないよ。ねぇねは、疲れすぎて目が乾いただけ」
そう言って笑おうとした、その時だった。
交差点の向こうから、一筋の強い光が、雨上がりの路面を切り裂いて突っ込んできた。
「太一、危ないっ!」
反射的に、優菜は太一を横の生垣へと突き飛ばした。衝撃と、凄まじいブレーキ音。そして、熱いアスファルトに叩きつけられる、自分の体の痛み。
(これで……やっと、休める……?)
意識が遠のく中、優菜の脳裏に浮かんだのは、救いのような安堵感だった。自分以外の六人の家族を心配する気持ちは、不思議なほど湧いてこなかった。長女としての役割から、解放されることへの安堵だけが優菜を包み込んだ。